君に幸せあれ! 旅立ちの夜は、この街でこんなに星が見えたのかと驚くくらい、澄んだ夜空の日だった。
「よし……忘れモン無ぇーか?」
「ああ……問題ない」
運転席に乗り込み獅子神が問い掛ければ、助手席の村雨は静かに答えた。
「ん、そか」
笑い、自分は大丈夫かな? と考える。
なにせ、準備にかける時間は殆ど無かった。それでも、最低限の大切な物は持ち出せた筈だ。
「んじゃ……行きますか」
「ああ」
シートベルトを締め、エンジンをかける。シフトレバーとサイドブレーキを操作しアクセルを踏めば、車は走り出した。
日通りの少ない深夜の街を、静かに走る。
「あー……やっぱり、同じ日に言ったのはマズかったかー?」
「だから私は日をずらすことを提案した」
或いは、どちらかがもう一試合挟むべきだと。マヌケ。
不機嫌な顔で続けるのに、一応「悪かったよ」と謝る。
「でも、次の試合が無事に終わる保証なんか無いぇしさ……早く辞めて、平穏に暮らしたかったんだよ」
お前と。
助手席からの返事は無かった。ちら、と視線をやれば、窓の外を見つめる様子が目に入る。いつもの金縁眼鏡に、街の灯りが反射していた。
運転に専念しつつ、獅子神は昼間のことを思い出す。
今日「ギャンブルをやめたい」と、担当行員に告げた。同じタイミングで、村雨も自分の担当に伝えていたはずだ。
行員は特に反応はせず……即座に、二人揃って眼鏡の主任の前に呼び出された。
理由は、特に訊かれなかった。或いは、興味が無いのだろう。ただ、静かな声で言われたのだ。「それでは、明日に引退試合を行いましょう」
獅子神は勿論、村雨でさえ、拒否できる声音ではなかった。何と答えたのかは覚えていない。ただ気が付けば二人揃って銀行を出て、それぞれの準備に奔走した。
「……」
信号が赤になり、車を停める。
助手席に腕を伸ばし硬い髪に触れれば、チラッと村雨はこちらを向いた。
帰宅して即、二人は『引退試合』について調べた。勿論、簡単にわかることではない。ゲームの内容や何が行われるかはいくら調べても分からなかった。
ただ、確かなことがあった。その『引退試合』に挑んだ人間は、全て例外なく『一番大切なもの』を失っていた。
画家であれば目と指を。歌手であれば声帯を。スポーツ選手であれば足を。
そこまで分かれば、二人の行動は早かった。
打ち合わせすることもなく、銀行から可能な限りの金を引き出す。獅子神はそれで使用人二人に退職金代わりとして渡し、村雨は可能な範囲での自分たちの個人情報を消した。
そして深夜。獅子神の家に集まり、車に乗り込んでいた。
「……なんだ?」
「……ん……なんでもね」
信号が青に変わる。ゆっくりと車を発進させる。
ギャンブラーの『大切なもの』が奪われる引退試合。で、あれば、自分たちが奪われるものは? 獅子神敬一と、村雨礼二の、何より『大切なもの』は?
そんなこと、考えるまでも無かった。『お互い』だ。そしてそれは、銀行にもとっくに知られている筈だ。
だから、逃げることに決めた。
駆け落ち、と或いは言うかも知れない逃避行だ。
「……追われたり、やっぱりすんのかな?」
「どうだろうな……所詮は敵前逃亡したギャンブラーだと、放置されるかもしれん」
それならいいな、と思う。
更に言えば、金を引き出しことで、自分たちは既に1/2ライフのギャンブラーでも無くなったはずだ。
けれど断言できない気持ちも、分かっていた。引退試合は明日……既に日付が変わっているから、今日。恐らく、VIPが招待され、とっくに準備は終わっているだろう。
銀行のVIPに対する盲従は、実際に見て痛いほど知っていた。見せ物が遅刻どころかその場に現れわれない。そんな失態を良しとするとも思えない。
少なくとも、あのままそれぞれ自宅に居れば、どんな手を使ってでも勝負の場に引き摺り出されたことだろう。
「ん?」
ふと、村雨のスマホが着信を告げる。グループ通話らしく、スピーカーにして「はい」と応じた。
「礼二君! 敬一君! もう行くのか?」
聴こえてくるのは、いつもと変わらぬ叶黎明の声だった。
家を出るまでに、彼らには手短に事情は説明していた(決行時刻は流石に伝えていなかったが)。
「ああ」
端的に、村雨が答える声が聞こえる。
「そっかー残念。二人とも気をつけてね」
今度は真経津だ。それには獅子神が「ありがとな」と応じた。
「これで、話すのは最後になるかな?」
「ああ……そうだな」
念のため、スマホは処分するつもりで居た。二人には悪いが、完全に銀行との繋がりかを断つ為、二度と連絡をとるつもりも無かった。
だからこれはきっと、四人での最後の会話。
「残念。みんなで遊ぶの、楽しかったよ」
「ああ……オレも」
声が震えそうになるのを堪える。
横目で見れば、村雨も眉を寄せ、あまり見たことのない表情をしていた。
「オレは、礼二君と殺し合いができなかったことが無念だぞ!」
「それは……すまない」
なんとも言えない顔になり、村雨が応じる。
「でも仕方ないね。村雨さん、獅子神さん、元気でね! またいつか、何処かで遊ぼうね」
「さよならだ! 礼二君、敬一くん!」
二人の声を最後に、通話は切れた。
電源を落とそうとした村雨が、「ん?」と何やら声を漏らす。
「どーした?」
「いや……ラジオをつけられるか?」
「ラジオ? ああ」
ちょうど信号で止まった隙に、スイッチを押す。
ラジオ独特の音声が流れ出し……それを聞いた獅子神は首を傾げた。
「こんばんは、観測者の諸君! 良い夜だ」
それはどう聴いても、つい先ほど会話した叶黎明の声だった。
「今日はトモダチのDJにお願いして、ラジオからお送りするぞ! たまにはこーゆーのも新鮮でいいな」
信号が青に変わる。アクセルを踏み、車が走り出す。
スマホの電源を切った村雨が、ラジオを静かに見つめている。
「今日は大切なメッセージがあってラジオにお邪魔している。聴こえているかな?」
「……聴こえている」
「聴いてるよ」
思わず口に出した答えは、二人当時だった。
「オレから言いたいことは『迷わず行けよ、行けば分かるさ!』だ」
自信に満ちた観測者の声。
続いて、思いがけずに優しい、柔らかな声が続く。
「オレの、大切なトモダチたちに、唄います『乾杯』」
選曲の渋さに、思わず笑いそうになる。オマエ、そんな歌知ってるのかよ。つーか、結婚式かよ。
前奏の後、意外にもしっとりした、心地よい抑揚のある歌声が流れ出した。
かたい絆に想いをよせて青春の日々
時には傷つき時には喜び 肩を叩き合ったあの日
しばらく二人黙ったまま、電波に乗って流れる歌を聴いた。遠い遠い場所から。けれど確かに届く、自分たちに向けられた歌声だ。
明日の光を身体にあびて 振り返らずにそのまま行けば良い
「……村雨」
「なんだ?」
カーラジオから流れる友の歌を邪魔しないくらいの声で、呼びかける。
「何処に行く?」
「……そうだな……西の方でも行くとするか」
「西?」
「私の故郷はそちらだ。実家に少しでも顔を見せたい」
「ん、そーだな」
風に吹かれても 雨に打たれても 信じた愛に目を背けるな
「あなたは?」
「オレは……何処でもいーや。帰りたい故郷も無ぇし」
「雪山でもか?」
「なんでそーなんだよ」
乾杯! 今君は人生の大きな大きな舞台に立ち
遥か長い道のりを歩き始めた
「まぁ、いーよ。雪山でも砂漠でも。遠い何処かの国でも……宇宙でも。お前が……礼二が一緒なら」
「……それは、私も同じだ。……敬一」
君に幸せあれ! 君に幸せあれ