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    雨音@ししさめ

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    雨音@ししさめ

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    2023.2.18。10巻おまけ漫画から🍓ネタ

    拝啓 いちごの王子様 獅子神敬一は顔が広い。
     同じ投資家仲間は勿論、優良な投資情報を教えてもらう為の、各専門分野に精通した様々な業界の人間にも多数繋がりがある。人脈からしか得られない有益な情報も多い為、仕事の内だと割り切って付き合いをしている。
     その中に、先日の叶黎明による『ケーキ作り大会』(第1回、などという戯言は断じて無視したい)の配信動画を観た人間が居たとしてもそれほどおかしくはない。
     しかし。
     だからと言って、だ。
    「獅子神さん、動画に出られてるの観たわ。楽しそうね、よかったらこれ皆さんでどうぞ」
     お気持ちはありがたく頂きます。
    「ウチのいちごも使ってくださいよ」
     オレに宣伝を頼まれても困る。
    「あの、これ、黎明くんに……」
     自分で渡してくれ……
    「これ! 眼鏡の素敵ないちごの王子様に……!」
     誰だそれ。
     仕事上の人脈からの贈り物のため、無碍に断ることもできず。
     その場は愛想良く受け取り謝辞を述べ……を繰り返し。
     結果。
     今、獅子神の前にはイチゴが10パック鎮座していた。
     どれも、品質はいい。
     ツヤツヤで赤くて。ヘタは鮮やかな緑色。品種により大粒の物や小ぶりのもの。
     本来であれば有り難く思い、糖質制限をしている身とは言え、時々摘んだりすれば美味しく消費できたであろう。
     そう、1パックであれば。
    「……どうすっかなー」
     獅子神宅のキッチン。カウンターにいちごのパックを並べた獅子神は、頭を掻いた。
     いちごの日持ちは野菜室で1日〜5日程度。使用人二人と共に食べたところで、食べ切れるとはあまり思えなかった。
     スマホを取り出し、『いちご 大量消費』で検索。
     品質は良いのでそのまま食べるのが本来は良いのであろうが、背に腹は変えられない。悪くして処分することになるよりはよっぽどマシな筈だ。
    「ん……いちごジャム、いちご酢、いちごシロップ、いちごタルト、イチゴムース、なるほどな……?」
     良さげと思った物は、深く考えずに全てレシピをチェックする。
     これだけあれば、なんとか……
    「へーイチゴ酒なんてのもあんのか……ん?」
     不意に、玄関の方から鍵を開けドアを開く音がした。
     鍵は閉めていた筈で、使用人たちは今日は休みをとらせている。
     と、なれば、訪問者は……
    「やっぱりオメーか」
     キッチンから廊下を抜けて玄関に出てみれば、三和土に立つのはやはり金縁眼鏡の医者だった。
     いつものジャケット姿に、手には何やら紙袋。
    「……邪魔をする」
    「おう。合鍵渡したオレが言うのも何だけどよ、一旦ベル鳴らすとか……やっぱいいや」
     苦言を呈しかけた言葉は、村雨の「何か問題でも?」の顔の前に途中で止まる。
    「で、どーしたんだ?」
     訊ねれば、無言で紙袋を突きつけられる。
     反射的に疑問符を浮かべつつ受け取れば、薄い唇が単語を吐き出した。
    「いちご」
    「……いちご?」
    「いちごだ」
    「いちご……」
     ぽかん、としたような顔で、お互い見つめ合う。
     心なしか、村雨の顔には疲れの色が見て取れた。
    「イチゴだ。獅子神、あなたそれをどうにかしろ」
     ドウニカシロ。
    「……は?」
    「私の手にはもう負えん」
     この医者にしては大変珍しい、全面降伏の顔で溜息を吐く。
     ツチノコか何かを見かけたような想いでしばし観察するも……フツフツと怒りが湧いてくるのは、仕方がないことだと思う。
    「て、なんでだよ。イチゴだろ? オメーあんなに食ってたじゃねぇか。自分で食えよ」
     先日、獅子神がなぜ苺が2つという見た目に寂しいケーキを作る羽目になったと思っているのか。
     この医者が腹いっぱいになるまで食いつくしたからで(逆に何故2つは残したのかと疑問甚だしいが)。
     そんなに好きならテメーで食え、となるのは無理ないはずだ。
    「マヌケが」
     しかし、村雨の返答は簡潔で。
    「あなたの頭には脳味噌の代わりにイチゴジャムでも詰まっているのか?」
     お決まりの罵倒までイチゴ化している。
    「既に私は2パックのイチゴを胃に納めた」
     それはそれですげぇ、一人でかよ、とツッコミたいのを堪える。
    「残りが、それだ」
     疲れた顔で、獅子神の持つ紙袋に視線を送る。
     ちら、と見えただけでも3パック。
     獅子神の元にある物同様、品質は良いようである。
    「……お前も、あれ観た誰かから貰った……つーことか?」
    「ああ」
     苦虫を噛み潰したような声の、相槌が応じる。
    「主に同僚、患者、その家族。患者からの贈り物は基本的にお断りしているが、断りきれない場合もある」
     村雨なりに避けられる苺攻撃は避けつつ……避けきれぬものは被弾し……処理するも敗退した、ということか。
     まぁつまり、流石に飽きた。ということだ。
    「……あー……」
     獅子神は天をーー天井を仰ぐ。
     自分の家の玄関の、見慣れたいつもの天井。
     そこに、神の啓示などは無かったけれど。
    「わかったよ」
     視線を戻し深く深く溜息を吐けば、いつも無表情の医者の顔が、明らかに喜色を帯びる。
     苺。
     合計、13パック。
     敵はかなり手強いけれど、敵前逃亡するほどの強さではない……はずだ。
    「オレが、まとめてどーにかしてやるよ」

     ***

     そこからの獅子神の行動は早かった。
     お医者様を車に放り込み、スーパーに買い出しへ。
     無塩バター、薄力粉、アーモンドプードル、ゼラチン、グラニュー糖、氷砂糖、ホワイトリガー、たまご、生クリーム、蓋のしまる大きめの瓶、ガラス瓶、ゼリーカップ。
     あらゆるものを籠に放り込む(ステーキ肉を入れてくる村雨は断固阻止した。何考えてんだテメェ)。
     会計をしてまたも医者を助手席に投げ込み、帰宅。
     キッチンのコンロ、オーブンレンジ、ビルトインオーブン、あらゆる機器を総動員し、調理に取り掛かった。
    「……甘い香りがするな」
     わざわざリビンチェアを運んできてキッチンカウンターの向かいに座った村雨は、獅子神宅に元々あった方の苺を口に入れ、咀嚼後飲み込んでから呟いた。
     て、結局食ってんじゃねーか。
    「あーそりゃ、そーでしょーよ」
     木のヘラを動かしながら、半ば投げやりに返答する。
     目の前の弱火にかけらえた鍋の中身は、綺麗なルビー色のいちごジャム。
     オーブンレンジではイチゴスコーンが焼き上がりを待ち、ビルトインオーブンではタルト生地。
     冷蔵庫にはすでに固まるのを待つ状態のイチゴムースとイチゴゼリーとイチゴババロア。
     イチゴ酢とイチゴ酒も仕込んである。
     これで、甘い匂いがしないのであれば、すぐにでも耳鼻科にかかった方がいい。
     特に、目の前のいちごジャム。驚くほどの砂糖が入ることもあり、甘い匂いがとても強い。
     正面に座る村雨は、どこかそれを喜んでいるように見えなくもないが。
    「よし……こんなもんでいーか」
     混ぜる手をとめて、火を消す。
     鍋の中身は煮汁がちょうど良い量まで減り、ジャムらしくなっていた。
     後は冷めた頃に瓶に詰める。便瓶は煮沸消毒の必要があるな、と思い出す。
    「獅子神」
     蓋付きのガラス瓶を準備しているところを、呼び止める声。
     顔を上げれば、眼鏡の奥の目が何かを期待するようにこちらを見ていた。
    「……」
    「……」
    「……」
    「……あーもう」
     見つめ合うこと数秒。
     わかったよ……と観念し、引き出しから木の匙を取り出す。
     ジャムを掬うと、正面に座る村雨の口元に近づけた。
     念の為に「熱ぃぞ」と忠告すれば、真剣な顔でフーフーと息を吹きかける。
     パクっと、匙ごと小さな口の中へ。
     ゆっくりと味わい、唇をはなし一言「美味い」。
    「あーそりゃよかったよ……て、村雨。ついてるぞ」
     村雨の小さな口には量が多すぎたのか。唇の横に、赤い塊が付着していた。
    「……」
    「……」
     またも、見つめ合う数秒。
    「……いや、オメー、それくらい自分で……」
    「……?」
     ダメなのか? と不思議そうに小首を傾げられる。
     畜生、お前いくつだよ。
    「あー……ったく」
     慎重にカウンターから身を乗り出して、唇のすぐ横に口付けた。
     爽やかな甘さが舌先に触れる。
    「……甘いな」
    「私は好きな味だ」
    「そりゃよかった」
     カウンター越しに見つめ合うことまた数秒。
     どちらからともなく、触れ合うだけのキスをした。
    「さてと……これで大体全部か?」
    「ああ……ご苦労」
    「ほんっとにな」
     労いの言葉に力いっぱい応える。
     一生分の苺を今日は見た気がする。
    「オレ、しばらくイチゴはいいわ……」
    「……同感だ」
     頷いてくるこのお医者様は、結局一人で一パック平らげていたけれど。
    「イチゴ酒は二ヶ月くらい飲めるの先だとよ」
    「そうか……それは、楽しみだ」
    「いちごジャムは先生も持って帰るか?」
    「そうだな、いただく」
     あと大量に出来上がったお菓子については……
    「……お前も協力しろ。イチゴ渡してきたヤツらに贈ってもいいから」
    「……それはやめておく。時間がかかっても私がいただこう」
    「あ? なんでだよ」
     不思議に思えば、わからんのか? マヌケと赤い切長の目に突き刺される。
     わからない、と言えば恐らくあと数百倍の言葉が投げつけられる時の眼光だ。
    「……わかったよ」
    「それは何より」
     満足気に笑う医者を呆れながら見る。けれどその独占欲を嬉しく思ってしまう自分がいるのも、また確かな事実なわけで。
    「年下の恋人が作った……と言っていいなら考えるが?」
    「それはやめとけ、村雨センセ……」
     熱くなる顔を隠すように手で覆って嘆息すれば、村雨は大変満足したように笑ってくるわけで。
     その顔が悔しくて、唇を塞いで黙らせることにした。
     誰かが『いちごの王子様』なんて言っていた医者のひんやりとした唇は、甘酸っぱいイチゴの味がした。



     因みに、それから数時間後。
     同じように大量のイチゴパックをぶら下げた真経津と叶の訪問を受けることになるのだか……
     それはまた、別の話である。
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