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    雨音@ししさめ

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    雨音@ししさめ

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    2023.3.11。数十年は先の話。

    雨を思へり にわかに、空気が湿り気を帯びた。
     恐らく……数分もせず、雨が降る。
     傘を持たずに出てきたことを後悔しながら、獅子神敬一は即「まぁいいか」と思い直した。
     湿気を含んだ重たい風が、若草色の羽織りの袂を揺らす。
     初めて和服を着た時、黒髪の恋人はまだしもオレには似合わねーだろ、と思ったものだ。
     けれど彼は、少しばかり驚いた顔をした後に「やはりな」等と笑っていた。

     ーーーなんだよ。似合わねーって言いてーの?
     ーーーマヌケが。私の見立てに誤りなどある筈がない。
     ーーーは?
     ーーー似合っている、と言っている。

     そう言った恋人自身の方が、よほど着こなしているじゃないかと思ったけれど。
     その表情が得意げで……『得意げ』であることがわかってしまって。可愛かったので、反論することをそれ以上やめた。

     ーーーあなたは体格がいいから、とても似合う
     ーーー年を重ねたら、また着てみるといい

     そんな風に言われたことも、覚えている。
     お陰で九〇歳も超えた今、自分で着付けも覚え、毎日のように和服で過ごすようになってしまった。
     今の……彼と余生を過ごすと決めた家が、板と畳の、和装で過ごすに相応しい家である、という理由もあるが。
    「……おっと」
     風に帽子を飛ばされそうになり、咄嗟に抑える。
     この歳になっても、まだ反射神経が残っていたことに感謝した。
    (……そういえば)
     恋人は、獅子神が出かける時に帽子を被ることを、あまり良しとしていなかった。

     ーーーあなたの髪が隠れるだろう。

     せっかくの、綺麗な金の髪なのに。
     そんな風に拗ねたところで…60を過ぎた頃には、だいぶ色を失っていたものなのだが。
     それでも毛質の柔らかさが気持ち良いのか、ことある事に髪を戯れに触れられていた。
    (オレは、オマエの硬い髪が、好きだったけどな……)
     艶やかな黒も。色を失ってからのロマンスグレーと言うべき色合いも。
     凛と立つ男の姿に相応しく、本当に……
    (格好いい、て言われるとアイツは複雑そうだったっけ)

     ーーーあなたの方が、よほど整った容姿をしているが?

     そういう問題じゃねーんだよ、と。何回言い聞かせても、ずっと不思議そうな表情をしていた。
     いつも下がり気味の眉が寄り、眉間の皺が深くなる様を、それはそれで愛おしく感じたものだ。
    (……に、しても)
     思考を途切れさせ、つい、と空を見上げる。
     すっかり水気を含んだ、今にも泣き出しそうな灰色の雲は、いつ雨を降らしてもおかしくない気配を伝えてきている。
     雨が降るまでに、帰れるか?
    (ま、これも1つの賭けかね)
     クク、と、喉の奥で小さく笑う。
     彼が聴いたなら、「それは賭けとは言わん」とでも言っただろう。
     賭博が縁で出会い、自ずからを「ギャンブラーではない」と評する彼は、けれど人一倍「賭博」にはある種の拘りも覗かせていた。
     2人で銀行賭博から足を洗い、家を買い、穏やかに毎日を過ごしていた日々も。
    「……返してー」
     ふと。
     耳に、そんな声が飛び込んできた。
     そして。
     空から落ちた最初の一粒が、肩を叩いたのとが、ほぼ同時。
     辺りをくるりと見渡せば、小さな店の軒先で、女の子とそれよりいくらか年上の少年がベンチに向かい合うように座っているのが見えた。
     恐らく、先ほどの声は少女のものだろう。
     雨宿りも兼ねて……と己に言い訳しながら、歩み寄る。
     ちょうど……というべきか。天から落ちた最初の一雫は、すぐに五月蝿いくらいの雨音を伴っていた。
    「賭けに負けたんだから、諦めな」
     雨を避けるように歩み寄り、軒先にお邪魔する。少女の声に言い返す少年の様子を伺えば、2人の間には丼とサイコロがいくつか見えていた。
    (……ちんちろりんか?)
     今時珍しいな、と見ながら思う。
     何やら賭けて負けたらしい少女は、悔しそうに少年を睨みつけていた。
    「あら、いらっしゃい」
     不意に声を掛けられ、振り返る。店の奥から、若い主人らしき女性が顔を出していた。
    「こんにちは、おじいさん。よかったら雨宿りして行ってね」
    「ああ……ありがとう」
     急な雨って嫌よね、と続くのに愛想よく笑いつつ、店内を見渡す。そこは小さな駄菓子屋だった。
     今もこんな店が残っていたのか……と、小さく驚く佇まい。
     所狭しと並ぶ駄菓子の中に、覚えのある物をいくつか見つけ……懐かしいな、と目を細める。
     無料で雨宿りをするのも申し訳ない、と思い、獅子神はオレンジジュースを1本買い求めた。缶を開けて口にすれば、爽やかな酸味が喉を滑り落ちていく。
    「ねぇ、お願い!返してよ!」
    「だったら、オレに勝てばいいだろ!」
    「もう1回!もう1回!」
    「しかたねーな」
     オレンジジュースを飲みながら、様子を伺う。
     2人はそれぞれサイコロを握りしめていた。先に少女が丼の中に振入れ、器の中を転がる軽い音が響く。
     あまり良い目ではなかったのか、がっくりと肩を落としているのがわかった。
    「よし、なら次は俺が……」
    「なぁ、ちょっとそこの少年」
     オレンジジュースを飲み終えて。缶を捨てながら、獅子神は2人に歩み寄った。知らない老人に声をかけられて驚く子供たちに笑いかけながら、近づく。
    「その勝負、オレも混ぜてくれないか?」
     言いながら、少年……"手袋をした"少年の耳元で「イカサマは良くないな?」と囁く。
    「なっ」
    「よくわかんねーけど、何かこの子から獲り上げたんだろ?それを賭けてオレと勝負だ」
     驚く少年み無視し、サイコロを取り上げる。
     狼狽えていた様子ではあったが、少年は気を取り直すようにサイコロを持ち上げた。
    「いいけど、じいさんは何を賭けるんだよ?」
    「オレ?あー何かあったかな……?」
    「じゃぁ、その眼鏡でいーぜ」
     言われ。獅子神は、ニヤリと笑った。笑いながら、眼鏡を……金縁の、丸い、グラスコードの付いた眼鏡を外した。
    「これか?」
    「おう。高そうだし」
    「あー……まぁそうかもな?オレの大事なものだしな」
     外した眼鏡を見ながら答える。
     レンズだけはあまりに合わずに替えてしまったが、よく手入れされて長く大事に使われていた物だ。
    「よし!俺は今調子がいいからな!」
    「……流れ、なんてものはアテにしない方がいいぞ」
     小さく、忠告する。「大局が見えぬから流れなどというモノを宛てにする」だっけ?
    「俺が先に振るぜ!」
     自信満々に宣言して……少年が出したのは5,5,6。
    「よし!6!」
     単純に、サイコロとしては最高値。イカサマは獅子神にばれているので、偶然に出した目かもしれない。それであれば、なかなか強運と言えるが…
    「……その眼鏡、オレの大事なモノなんだよな」
     軽い口調で、獅子神は独りごちる。なんせ、大事な恋人……伴侶の物だし。
    「だから、悪いな」
     サイコロを握る。
     これが、最期のギャンブルかもな?なんて、考える。
    「それに、格好つけた手前、老いたと言えど……負けるのはやっぱり格好悪いしな」
     カロンカロンカロン、と。落ちる音。3つのサイコロが、丼に落下する。
     その、目は……

    ***

    「あ!おじいさん、雨止んだみたいだよ」
     少女の声に、眼鏡をかけて獅子神は顔を上げた。
     言葉の通り雨は止み、雲の切れ間から明るい陽が射していた。
     時間にしても、降っていたのはほんの数分。ザッと振り、あっという間に去って行ったのだろう。
    「……村雨?」
    「え?おじいさん、何か言った?」
    「あ?あー……いや」
     首を振り、立ち上がる。
    「今みたいな……ザーッて強く降って……すぐ止む雨を、『村雨』て、いうんだよ」
     雨上がりの日差しに、目を細めながら囁いた。
    「そうなんだ……?それより。おじいさん、ありがとう!取り返してくれて!」
    「ああ……いや」 
     少女の笑顔に、笑って応える。
    「すごいのね!6が3つ」
     アラシ、と呼ばれる無条件で勝ちになる役だ。
     お金を賭けていれば、実に5倍貰いになっていた結果である。
    「まぁ……1万回くらいサイコロ振れば、できるよ」
    「え?」
    「……なんでもないよ」
     笑いかけ。獅子神は駄菓子屋を後にした。
     ブーツの底が、時折、道に溜まった雨水を叩く感触がする。
    「なぁ、村雨」
     歩きながら、呼びかける。
     答えが無いことは、知っていた。
     いや……獅子神の耳には、確かに「なんだ?」と、応える声は聴こえるけれど。
     オレもできたぞ、サイコロの目を揃えること。
     本当に、何年練習したんだろうな。
    「オメーは、出会った頃からできてたのなー」
     喉の奥でくくっと笑う。

     ーーーマヌケが。あなたには元々向いていない。
     
     空を振り仰ぐ。
     雨の去った空からは、湿った気配は消えかけていた。
     差し込む日の光に、目を細める。
     また、お前とやりたいな。サイコロ賭博でも、トランプでも、ギャンブルじゃなくても。なんでもいいからさ。
     お前と、また会えるなら。
     もう二年経ったけど……ちゃんと、待っててくれてんのかね。
    「……て。冷て!?」
     どこからか。
     雨粒が一つ落ち、獅子神の額を叩いた。
     既に雨の気配など無いのに……どこから、落ちてきたのか。
    「……悪かったよ」
     前を見て、歩き出す。
     あとどれくらい歩けばまた会えるのか、分からないけれど。
     きっと……そんなには、遠くない。
    (オメーはきっと澄ました顔して「待つことには慣れている」なんて、言うんだろーな)
     でもきっとオレの伴侶は、そんなに気が長いわけではないし、会ったら機嫌を損ねているだろうから……沢山、宥めてやらないと。
     そして、眼鏡を返して。
     今日のことや……会うまでの日々のことを、たくさん、話してやれたらいい。
     そんな風に考えながら。羽織の袂を揺らし、獅子神は家路を急いだ。


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