恋の媚薬と甘いキス「ラブポーションサーティワンが食べたい」
「……………………は?」
昼下がりの獅子神邸。
お互いの休日、ソファで寛いでいた時間。
隣に座っていた恋人である村雨礼二からの唐突な言葉に、獅子神はたっぷり三十秒の黙考を必要とした。
らぶぼーしょん
ポーションって名前なくらいだから薬か何かか?
ラブ……愛(ラブ)?
ラブなんとかって……媚薬か何かか
いやサーティワンってなんだよ。三十一回分?一ヶ月分?
「獅子神」
「あ?……て、なんだよその絶対零度みてーな目は」
「あなたが私に対して三六五日欲情するのはあなたの自由だが」
「な……っ誰が」
「していただろう」
「……っく」
断言されると否定もできない。そもそもこの恋人相手に、ごまかしなど通用するはずも無い。
「いいか、獅子神」
村雨の声は、いっそ厳かさえ伴って部屋に響いた。
「ラブポーションサーティワンとは、薬ではなく、ましてやヨコシマなあなたが想像したような一ヶ月分の媚薬でもない」
「……」
バレてんのかよ。なんで一ヶ月分まで正しく読み取るんだよ。
すっと、村雨の腕がこちらに掲げられる。細く白い指先が、スマホの画面をこちらに向ける。
「ラブポーションサーティワンとは、アイスクリームだ」
「………アイス?」
ICE
氷?
あいすくりーむ。
ああ、アイス、な。
言われて画面を覗き込めば、甘そうなアイスクリームの写真が表示されていた。
「『ラズベリーとホワイトチョコ』……甘そーだな。でも、オメー好きそうだな」
写真を見る限り、チョコもトッピングされているようだ。
イチゴも甘い物も好む村雨なら、食べたがるのも不思議ではない。
「オマエ、アイス屋とか行ったことあるのか?」
ふと思ったことを口にすれば、フルフルと首が横に振られる。
なら何処からそんな情報が?という疑問を察したのか、村雨がスマホを操作する。
次に見せられたのは、メッセージアプリの画面。
会話の相手は、叶黎明。
「叶が配信で食べていた」
「叶が?」
「そして私に、メッセージで教えてきた」
配信者である叶黎明は、噂のスイーツを特集することもある(それにしっかり巻き込まれたことも2人はあった)。
このらぶ……がどれ程話題かは獅子神も把握していなかったが、流行りなのであれば、配信の為に食していても不思議ではない。
そして食べた上で、確実に好きだろう村雨にも情報を届けたということか。
「なるほどな……アイス屋なら、そんなに遠くねーし、行ってきたらどうだ?」
何気なく言葉にすれば。
村雨はパチクリ、と一度目を瞬き、首を傾げてきた。
そのまま『解せない』と言う顔で続ける。
「……私一人でか?」
「あ?だって、オレ、アイス食わねーし……」
「大丈夫だ、気にしない」
「いやしろよ」
そこは少しは気にかけてくれても良いのではないか。
「叶は、真経津と二人で行ったらしい。真経津も『美味しかった』と言っている」
「またゲストで出てたんだろうな」
「友人連れや女性客、デート客で溢れる中、私に一人で行けと?恋人が惨めな想いをしても気にしない、と?」
「オレが居てもあまり変わんねぇよと、ゆーか、オメー絶対気にしてねーだろ!」
どう考えても周りの客層を気にして店に入れない、という性質の人間ではない。
むしろその程度で惨めな想いする村雨礼二が居ると言うなら、見物料を払ってでも見てみたい。
「獅子神」
けれど。全てを聞き流す村雨は、真っ直ぐにこちらを見つめてくる。
「……なんだよ」
「私は、ラブポーションサーティワンを食べたい、と言っている」
「おう、だから、行ってくれば……」
「私は、ラブポーションサーティワンを食べたい、と言っている」
「繰り返すな!録音かよオメーは!」
「私は……」
「……オメーもしかして、注文の仕方がわかんねーとかそーゆー?」
「マヌケが。バーガーショップと大して変わらないだろう注文で、私が分からないなどあるものか」
恐らく、これは本当だろう。
いや何が本当で何が嘘か、この恋人は度々読み取らせてはくれないのだが。
「なら……」
「獅子神」
「……っだよ」
「私はラブポーションサーティワンが食べたい」
「らぶぽ……いやオマエ、よく噛まねぇで何回も言えるな」
「獅子神、私は……」
「ああ!わかったよ」
ついに。獅子神は両手を上げる。
「……」
「オレも行くよ。ただし、歩きだぞ」
「構わん。ところで、獅子神」
「なんだよ?」
「これは、デートだ」
ニッコリ、と。村雨は笑った。
恐らく他の人間……村雨の職場の同僚や、銀行関係者……が見たら、目を疑うような笑い方。
それを唯一見ることのできる立場の獅子神に、反論する言葉など、何かある筈も無く。
ただソファから立ち上がり、外出の支度をするのだった。
***
「ラブポーションサーティワンが食べたい」
「仕方ねーだろ、たまたま品切れだっんだよ」
数十分後。
それぞれダブルのコーンアイスを手にした二人は、アイス屋を出た。
獅子神の家から歩いてもそう遠くはない、街中にある店。
多少並びはしたものの、順調に注文を済ませ……る筈が、運悪く村雨のお目当ては品切れだった。
「ラブポーション……」
「いや、オマエ、その手にあるのは何だよ……」
そう突っ込むことは無理ない、と思う。
村雨の手には、期間限定のトリプルベリーと、濃厚そうなチョコレートのアイスがあった。
言葉の合間に唇を近づけては舐めて、満足そうに眉を下げている。
「美味い」
「そりゃよかったな……?」
「しかし私は、ラブポーションサーティワンが食べたい」
「いや、今日のところはそれでいーじゃねーか」
「獅子神」
アイスをひと舐めして、村雨がこちらを見据える。
「なんだよ?」
「これは、デートだ」
「……わかったよ!」
スマートフォンを取り出し、アイス屋を検索する。
ああ全く。本当に、この恋人は……
「待ってろ!完璧にエスコートしてやるよ!」
「ご苦労。ところで獅子神」
「ん?」
「あなたのアイスも食べたい」
「あーほらよ」
コーンを差し出してやれば、嬉しそうに口付ける。
レモンソルベとバニラアイスを堪能し、満足そうに唇を離す。と……
(ん??)
顔を上げた村雨は何かに気付いたのか、道路の向こうに目をやった。
そのまま、人差しを、そっと口元に持っていく。
「内緒だ」
声を出してはいなかったが、恐らくはそう言った意思表示。
「ん?なにかあったか」
「いや……ところで、店はあったか?」
「あ?ああ、ここから少し歩くけどな」
「15分以内なら構わん」
「もう少し運動しろ」
言い合いながら、アイス屋に背を向けて歩き出す。
角を曲がって、人通りが少なくなったタイミングで、村雨が足を止めた。
「ん?どーした?」
「獅子神」
「?」
疑問符を浮かべるその唇に。ひんやりとした、感触が触れた。
同時に感じる、チョコとベリーの味。
「恋の媚薬の味ではないが……これはこれで、悪くはないな」
「……あー……とても甘いデスね」
唇を離しながら小さく笑う村雨に苦笑しつつ。次のアイス屋を目指して歩き出す。
手にしたコーンに口付け、ひんやりとしたアイスを舐める。
久しぶりに食べたアイスは、甘くて酸っぱくて、どちらも美味しかった。
****
因みに。
村雨が先ほどアイス屋の前で、同僚に見られていたことを獅子神が知るのは、そこから数時間経った、家に帰った後のこと。
獅子神は一瞬は慌てたものの……村雨自身が気にしていない様子なので、それ以上考えることをやめにした。
そうして、思う。
久しぶりのアイスは美味しかった。
村雨は『恋の媚薬』を口にできて満足していた(やはりとても甘かった)。
帰り途中に、二人で見かけた梅の花が綺麗だった。
だから……今日は、良い休日だった。
静かにそう結論付けて。獅子神は、隣に座る恋人の肩を抱き寄せた。