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    雨音@ししさめ

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    雨音@ししさめ

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    2023.3.21。単語お題⇨「愛染」

    愛の名前『お元気ですか?子どもはもう5歳になりました。毎日幸せです』
     そんな葉書を受け取った。
     差出人は、見慣れた名前。
     ほんの数年前まで毎日隣に居て、毎日愛を交わして居た相手。
     葉書をひっくり返して見てみれば、金髪の男と優しげな若い女性、そして彼にそっくりな見目の良い男の子。
     満開の桜を背に三人、微笑んでいる写真。
     父親である男性の碧い目は変わらず、真夏の海のようだった。
     変わらぬ美しさに微笑んで。
     幸せそうでよかった、と、息を吐く。
     そして、目を閉じる。
     何秒も何十秒も、何分も……或いは何時間もの逡巡を重ね……薄い唇を開く。
     もうずっと、口にしていなかった……口にすることを己に禁じていた、四つの音を、紡ぎ出す。
    「し」
     祈るように。
    「し」
     溢れ落ちるように。
    「が」
     溶けて消え去るような不確かさで。
    「み」
     胸で高鳴る鼓動は、聴こえないフリをして。

     嗚呼。

    「…………ししがみ」

     一度、均衡を破って仕舞えば……壊れるのは、すぐだった。
     思い出す。
     焼けつくように、脳裏に描く。
     身体を抱き寄せる、逞しい腕。耳を押し付けて鼓動を聴いた、厚い胸板。触れ合う唇の、温度の高さ。
     何度も何度も……永遠の宝物のように大切に、名前を呼ばれた声。
     ずっと、自分だけのものだったもの。
     今は……決して、手が届かないもの。
    「なぜ」
     ほとり、と。
     言葉が落ちる。
     頬を伝った涙も、言葉と共に溢れて落ちる。
    「獅子神」
     あなたは、何故、笑うのか。
     私の居ない場所で、私の知らない幸せを手にして……私の知らない顔で。
     私は笑い方も、穏やかに眠る方法も、忘れてしまった。
    「獅子神」
     くしゃり。
     握りしめた手の中で、葉書が潰れる音がする。
    「嫌だ……獅子神」
     最後の別れの時、言えなかった言葉を、繰り返す。
     嫌だ……行くな。
     ただ、それだけ。
     頑なに口にしなかった、ただそれだけ。
     私も、あなたを愛していたのに。
     失ってから自覚する?なんて愚かで、なんてマヌケなのか。
    「嫌だ」
     嫌だ。
     嫌だ。
     嫌だ。
     ずっと、幸せであれと。幸せになれ、と。願い、祈り、手放しだ恋だった。
     けれど、改めて『ソレ』を突きつけられて……眩暈がする。吐き気がした。
     村雨礼二の存在無しであの男の幸せが成立する、ということは、酷く耐え固いものだと感じる。
    「獅子神……嫌だ」
     お前も幸せに……なんて。欲しかったのは、そんな言葉じゃない。
     力を込めて、葉書を握りしめる。
     叫び出しそうに、喉が熱い。
     あなたは。
     あなたは……私の、

     ***

    「…………ッ!!」
     不意に、意識が覚醒した。
     心臓が早鐘のように脈打つ。
     喘ぐように口を開き、酸素を求める。
     肺が痛い。
     自分の呼吸音が、ひどく煩い。
    「村雨?」
     不意に、声。
    「どーした?」
     霞む視界に、目を瞬かせる。
     徐々に焦点を合わせた目の前に……碧い瞳があった。
     今は気遣うようにこちらを覗き込んでいる。
    「……獅子神」
    「大丈夫か……?」
     そっと、逞しい腕が背を撫でる。
     ゆったりとしたリズムが、途切れがちだった呼吸を落ち着かせる。
    「……」
     腕を伸ばし、頬に触れる。
     何度も共に眠った、獅子神の家のベッドの上。
     2人並んで横になっても充分なそこで、身を寄せ合うように眠っていた。
    「?村雨……?」
     不思議そうな声を上げるのには答えずに、頬を指先でなぞる。
     くすぐったそうに緩む口元に、キスをした。
    「獅子神」
     ほんの数秒、触れるだけのキスをして。呼びかける。
    「ん?」
     瞬かれる、碧い瞳。 
     今はそこに村雨が……村雨だけが、映っていた。
     その、酔いそうになる現実だけを噛み締めて、囁く。
    「あなたは……私のものだ」
    「……っハ!?」
     さっと。獅子神の頬に朱が走る。
     何言ってんだ……?という顔で。けれど、こちらを心配するような表情で、今度は獅子神から触れてくる。
    「どーしたいきなり……?悪い夢でも見たのか?」
     悪い夢。
     確かに、正しく村雨にとっては悪夢そのものだった。
     恋人が……獅子神が『人並みの幸せ』を手に入れる夢。
    「……ああ」
     それはつまり。村雨礼二の元から永久にこの男が去る、ということ。
    「そか」
     ぽんぽん、と。
     まるで子どもあやすように、背を叩かれる。
     心地よいリズムを感じながら……夢の中の自分を、思い出す。
     幸せそうでよかった?
     何故……そんな心にも無いことを、一瞬でも思えたのか。
    「獅子神」
    「……ん?」
    「獅子神……」
    「うん」
     くしゃり、と。髪をかき混ぜられる。
    「オレは、オメーのだよ」
     な?
     言い聞かせるように、安心させるように、笑う。
     碧い瞳を……そこに映る自分を見ながら、夢の中、咲いていた桜の木を思い出す。
     まるで幸せの象徴であるかのように、咲き誇っていた薄桃色。
    「……桜」
    「桜?」
    「もうすぐ咲くな」
    「あ?あー……そうだな。もう1ヶ月ねーんじゃねーか?」
     あと数日で、春が来る。
     薄桃の花が咲き乱れる中を、共に歩く姿を想像する。
    「獅子神」
    「どーした?」
    「私は……あなたと、ずっと、桜を見て歩きたい」
     パチクリ、と。不思議そうに目を瞬くのを、愛しいと思う。
    「ずっと……て、ゆーと?」
    「すっと、だ」
     繰り返す。
     その単語を、お互いに刻みつけるように。
     ずっと。
     その単語に、お互いの心を縛りつけるように。
    「わかったよ。ずっと、だな」
    「ああ」
     頷いて。深く長く、息を吐く。
     夢で見た、あの、幸せそうな三人の顔を思い出し……次の瞬間には、記憶の奥底へと仕舞い込んだ。
     この愛を受け取るのは、獅子神敬一と共に生きるのは、私だけでいい。
    「獅子神」
     吐息と共に、呼びかけて。肩口に顔を埋め、忍び寄る睡魔に身を委ねる。
     たとえ、ここでは無い道の先に『幸せ』が存在し得るのだとしても……この愛は、もう決して、手離せないものだと知っていた。


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