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    雨音@ししさめ

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    雨音@ししさめ

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    2023.4.10。ふぉろわ様の素敵イラストから書く話。(イラストはここにはありません)

    私からあなたへ 何度も見る夢がある。
     子どもの頃から……物心ついた頃から、もうずっと。
     目覚めた時、村雨はそれを覚えていない。
     けれどそれを夢で見る度、夢の中でだけ思うのだ。
     ああ、またあの夢か。と。
     
     目の前に、キツネが居る。
     黄金のふかふかしていそうな毛。尖った三角の耳。つやつやの黒い鼻。
     そして、碧い目。
     今も、初めてその夢を見た子どもの頃も、動物に詳しいとは言えないので断言はできないが……最初、それは子どものキツネに見えた。
     キツネはその夢の中で、眠っていたり震えていたり……ひどく汚れていたり、泣いているように見えていることもあった。
     まるで人間の子供のように勉強をして、本を読んで、くるくる走る。
     そんなキツネを、夢の中の村雨は、ただ眺めていた。
     何回か、触れようとしたことはある。けれど、近付くとキツネは怯えたように後退り、頭を……頭の上に載せた王冠を守るように両手で抱え、震えて怯えた様子を見せるのだ。
     だから、村雨は無理に追うのを諦めた。
     ただ、夢の中でキツネに会う度「ああ、またあの夢か」と思ってキツネと過ごし……目が覚めると、全てを忘れていた。
     ただ。
     三角の耳の間に載せたピカピカの王冠は、キツネには似合わないなと、想っていた。
     
     ***
     
    「オイ、お前」
     初めてその男と交わした会話は、随分と不躾ななものだった。
     その時、村雨は耳が聴こえていなかった為、男の声は聴いていない。
     けれど体格と空気の振動からある程度の予測はついたし、読唇術とまではいかずとも、会話に支障はなかった。
    「なにか?」
     と、だけ答えて視線を合わせれば、その男はすぐに身を引いた。
     それには少し意外に思って少々感心し……脳の片隅、何かちりっと焼きつくように、瞬いた記憶があった。
     夏の穂のような金糸の髪と、同じ夏の海のような……或いは夜明け前の空のような、澄んだ碧い瞳。
     一見自信に溢れて傲慢そうにさえ見える目付きのその奥……隠しきれない誠実さと、揺れていた臆病な陰。
     何か、を思い出しそうになって。けれど向かいに座る大学生たちが始めたゲームの説明に、不確かなそれは一瞬で霧散して。
     ただ『何か』に備えるようにネクタイを解く男……その日初めて引き合わされた獅子神敬一を、横目で見ていた。
     
     
     ***
     
     大学生相手の賭博には当然のように圧勝し、真経津が巻き上げた学生証を獅子神が引き取る。
     貧乏くじを引くタイプか? と呆れはしたが、悪い印象は持たなかった。
     その日は真経津の家に遊びに行き、そのまま泊まった。
     コンビニで買い込んだ菓子を食べ、ゲームに興じる。その傍で、獅子神が呆れながら真経津のものであるはずの家を片付ける。
     そんな夜は……獅子神と共に過ごした最初の夜は悪くなかったと。
     いやむしろ楽しかったと。今でも、何かにつけて思い出すのだ。
     その声を聴けなかったことを、惜しく感じた……と。そんな、自分でも予測できなかった想いも込めて。
     
     そして、その夜。真経津の家で眠りに落ちたはずの村雨は、また、いつもの夢を見た。
     王冠を頭にいただいた、キツネの夢。
     キツネは何かを一生懸命に転がしていた。少しだけ近づいて覗き込めば、それは六面にアルスファヘッドが描かれた五つのダイスで。
     柄は一つも揃っておらず。
     狐はただ、一生懸命に、何度も何度もそれを地面に落とすのだ。
     まるで、一万回振るのだと、決意を固めたように。
     その様を見守りながら、村雨はキツネがいつの間にか成長していることに気が付いた。
     キツネの寿命が何年なのかも、今このキツネが人間に換算すれば何歳なのかも、見当はつかない。
     ただ、何故か。自分とそう年齢は違わないような予感が、夢の中の村雨にはあった。
     そして、ダイスを振る度に何度もずれ落ちてくる王冠を被り直すキツネを見ては、脱げばいいのでは……と、考えたのだ。
     
     
     朝。
     何やら食欲を唆る匂いに、真経津と共にソファで寝こけていた村雨は目を覚ました。
     台所を借りた獅子神が拵えていた朝食は、思いの外美味しくて。
     黄身の固まり具合が非常に素晴らしいベーコンエッグを味わいながら、やはり村雨は夢のことを忘れていた。
     ただ、獅子神がその碧い瞳を細めて笑う度……その声が聴こえないことだけ、何度も残念に想えて仕方がなかった。
     
     ***
     
    「村雨ぇぇぇ!!!!」
     自宅中に、怒声が響く。
     真経津の診察を終えた器具を消毒後片付けながら、村雨は眉を顰めた。
    「なんなんだよオメーんちのキッチンは!?」
     投薬トレイ……投薬トレイ? を抱えた獅子神の登場に、さらに眉を顰める。
    「鍋とかフライパンとか一個もねーじゃねーか!」
     訪問前に質問された為、獅子神には予め「食材は一切ない」と伝えていた。
     そう『一切』である。全く。ほんの少しも。コメさえも。
     で、あれば、調理器具などあるはずが無いと予想がつきそうなものだろう。
     そう呆れて視線をやれば、更に怒りを買ったようで。
     新品の投薬トレイにお粥を拵えた獅子神は、怒りを隠しもせず、但し手つきは丁寧にリビングテーブルにそれを置いた。
     その手つきに、食べ物を粗末に扱わない……そして『他人のもの』をきちんと丁重に扱う性質が透けたように見え、好ましく感じる。
     そもそもが、食事制限のかかる真経津の為に、ろくに調理器具がないキッチンでお粥を作ることも……村雨の希望に応えバーガーを買ってくることも、充分『人が良い』と言えた。
    「獅子神」
    「あ? どーした、村雨センセイ」
    「あなた、料理が達者なようだな」
     真経津が口にしている粥を横目で見ながら訊ねる。
     所詮は粥で、目の前のバーガーと交換したいとまでは思えなかったが……それでも、それは美味しそうに見えた。
     事実、真経津はバーガーが食べたそうではあるが、味そのものに文句は言っていない。
    「あ? あーまー……人並みには作れんじゃねーかな」
     この男の『人並み』は、いったいどの程度を指しているのか。
    「どーした? センセイも何か食いたいのか?」
    「肉を焼け」
    「肉かよ」
    「テンダーロインだ」
     言えば、獅子神はしばらく目をパチクリさせた後、「オッケ」と笑った。
    「次、焼いてやるよ。焼き加減の好みは?」
    「あなたの腕に任せる」
     それは半分本当で、半分嘘だった。
     好みの焼き加減は村雨にもある。
     ただ、獅子神の料理の腕を知りたかったし……同時に、この男自身が『良い』と思う焼き加減で肉を食してみたかった。
    「いや、任されても……あー………ま、いいや」
     任せとけ、と。
     そう笑った声は……耳が聞こえない頃に想像としていたのと大きく変わらず。
     けれどその数倍、心地よく、好ましい音に聴こえていた。
     
     
     ***
     
     目の前に、キツネが居る。
     その日も村雨は同じ夢を見ていた。
     いや、起きたら覚えていないが……夢の中の村雨自身の記憶が確かならば、最近、この夢を見る頻度が非常に増えていた。
     そして、キツネとの、物理的な距離も縮まっていた。
     
     熱心にお粥を作る様を、すぐ近くで見る。
     何枚も何枚も熱心にステーキを焼くのを、見守りながら、摘んでは腹に収める。
     不思議なことに、焼けは焼くほど、それは村雨の好みに近づき……食べることを拒まれることは一度も無かった。
     熱心にパソコンやタブレットに向き合っている傍で眠る(夢の中なのに眠れることは、特に不思議に感じなかった)。
     あの時のサイコロを取り出しては熱心に振る練習をしては、少しも揃わず……何やら、じっと考え込む。
     何を考えているかまでは読み取れずとも、その横顔はとても真剣な気配だけは伝えてきた。
     そうして、夢で会う度、キツネとの距離が近づき……同時、それまで無かった、ある苛立ちも生まれるようなる。
     
     何故、ずっと大事そうに、似合わない王冠なんか被っている?
     あなたに、あなたの頭上にいただくには……それは、あまりに相応しくない。
     
     
     ***
     
    「あなたには向いていない」
     意地でも次のランクに最初に行く。獅子神がそう吠えた時、村雨は躊躇うことなくそう断言した。
     思い出していたのは、灰色の目。そして、色濃い死の匂い。
     今のまま獅子神があの目の前に立つのは……いや、いつになろうとそこに挑むのは無謀に思えたし……仮に無謀で無くとも、受け入れ難いことだと感じていた。
     だから「ナメてんのか」という怒りも真っ直ぐに受け止めて、そして己の経験を語って聞かせた。
     1/2ライフが楽ではない、という事実と合わせて。
    「獅子神」
     神妙な顔で黙ってしまった彼を呼ぶ。
     なんだよ? とこちらを見た顔の前に、両手で持ったお皿を差し出した。
    「あ?」
    「肉を食べたい」
     その日、獅子神が振る舞った料理はどれも美味しく、特にテンダーロインは完璧だった。
     焼き加減、ソースの味、付け合わせ。どれをとっても、村雨の好みの通りだったのだ。
    「て、なんっで今の流れで肉だよ!」
    「私が食べたい」
    「オメーが焼け!!」
    「?? 私が、なるほど……」
     意外な返しに黙考すれば、獅子神はぐぬ……と押し黙る。
    「獅子神、ガスの火加減は、肉一gに対し半径何cmだ? あと、焼く時間は厚さ一mm辺り何秒だ?」
     訊ねれば、面白いほどにぐぬぬ……と唸る声が大きくなる。
    「あと、ソースは……」
    「オレが焼くよ!! オメーはおとなしく座ってサイコロ振る練習でもしてやがれ!!」
    「私は五個どころか一〇個でも揃うからな、それは不要だ」
    「一〇個?? マジか……」
     途方に暮れたような言葉を残し、キッチンに消える後ろ姿を見送る。
     そんな村雨を、真経津と叶が面白そうに見ていることには気がついていた。
    「優しいなー礼二くん」
    「別に優しさではない」
     そう、優しさではない。
     これは、ただの自分勝手だ。獅子神が今のまま上のランクに上がり命を散らすようなことがあれば、私自身がそれを受け入れ難い、というだけの。
     ただの私の願望であり、勝手に過ぎないのだ。
     息を吐き、椅子に座り直す。
     目の前のグラスの中身を飲み干せば、オレンジジュースは既に温く……けれど恐らく搾りたてのソレが喉を滑る感触は爽やかで。
     心地よい酸味と程よい甘味に、眉が下がるのを感じた。
     
     ***
     
    「……あなた」
     その夜。
     夢の中で、村雨は初めてキツネに話しかけた。
     キツネは熱心に何かの本を読んでおり、答えない。
     時折ずり落ちてくる王冠を、何度も何度も頭の上に戻している。
     その、様に。
     ひどく、苛立ちが募った。
    「あなた」
     呼びかける。
     一歩、近付く。
     そうすれば、やっとキツネは本を読むことをやめ、顔を上げた。
     頭の上の王冠を守るように、本を放り出して、両手で押さえる。
     その碧い瞳は、ひどく怯えていた。
    「……ち」
     無意識に、漏れていた舌打ち。
     なぜ、あなたはそんなに王冠を大事そうに被っているんだ。
     なぜ、なんでもないように強気に笑って、上なんか目指すんだ。
     そんなに……本当はどうしようもないくらい、怯えているくせに。
    「……あなたに」
     一歩、踏み出す。
     キツネの頬に、手伸ばす。
     そっと……頬に、触れた。
     初めて触れた頬は……意外にも、しっとりとして、すべすべしていた。
    「あなたに、それは、似合わない」
     頭上の王冠に、空いている方の手を伸ばす。
     碧い瞳が震えている。
     それは、ひどく見覚えのある色だった。
    「……」
     王冠を掴み、頭から外した。
     抑えていたはずの狐の両手は、抵抗もなく、やけにするりと解けた。
     まるで、脱ぐことを望んですらいたように。
     脱がせた王冠を後ろ手で持ち、右手は頬に触れたまま……大きく息を吐く。
     そして、気がついた瞬間には。そこにいたのは、キツネではなかった。
     金糸の髪。夜明け前の空の瞳。鍛えられた、逞しい身体。
     膝を投げ出すようにして……その両の膝の間に、村雨が居て。
     ふらり、と、キツネでは無くなった、男の手が持ち上がる。
     王冠を取り返すのか? と一瞬疑問が掠めたが、違った。
     その手は、そっと、村雨に触れてきた。
     触れていいのか分からない、としばらく迷い……何度も躊躇うように中空で握りしめられた、その後で。
     そっと。腰の辺りへ、手が添えられる。
     服越しに感じる高い体温を、心地よいと思った。
    「……あなたに」
     その、碧い瞳を覗き込んで。もう一度、言い聞かせる。
    「あなたに、これは相応しくない」
     言ってから。いや、と首を振る。
    「これは、あなたに相応しくない」
     出逢った時から、感じていた。
     時を重ねるほどに。その人柄に、気持ちに、触れる度に想いは強くなった。
     腕を上げる。王冠は、その辺に投げ捨てた。ただ両腕で、目の前の男を抱きしめたくて。
    「……獅子神」
     あなたに王冠は必要ない。
     あなたは、王になる必要などない。
     ただ、あなたでさえ在れば。そして、あなたのままで、怯えていることを受け入れて強くなれば……
     私は。きっと、そんな、あなたが…
     
     ***
     
    「村雨!」
     呼びかけられ、村雨はハッとする。
     何度か目を瞬く。
     すぐ目の前に居るのは、獅子神だった。
     そこは、趣味の悪いセットの組まれた、VIP共が見守る試合会場。
     遠くでは、対戦相手である刑事たちが、何やら相談している。
     ああ。
    「…………あなた、だったのか」
    「は?」
     不思議そうな顔を見ながら……気が付かれないように、深く息を吸う。
     静かに吐く。
     先程の一瞬で、村雨ははっきりと夢のことを思い出していた。
     そう、あれは……あのキツネは。
     王冠を大事そうに守り、けれど最後には村雨に脱がせることを許した、あのキツネは。
     結局、抱きしめることは叶わなかった。それより前に、目が覚めたからだ。
     けれど、今。夢ではないあなたが、ここにいるから。
    「……」
     目を伏せる。
     もう一度、息を吸って大きく吐く。
     そうして、目の前の……まだ『何も見えていない』、このままではとても一/二ライフを生き残れる筈のない男の目をじっと見る。
     得難い友人であり……いやきっと、村雨自身にとっては、出逢った瞬間から『それ以上』だった存在を見つめる。
     そして。
    「実に鬱陶しい話だが……」
     口を開く。
     この男が、処方箋を正しく受け取れるように、私は賭ける。
    「我々は、賭けに出る必要がある」
     この場から、二人、生きて帰るために。
     そしてあなたが『これから』を生きて勝ち抜いていけるように。
     黒塗りの処方箋を正しく受け取らせ……そして、あなたのその、大事そうに被った王冠も、脱がせるのだ。
     あの日、夢で見たように。
     
     そして……あなたを、手に入れる。
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