グッナイ・マイラバー「おやすみ」
「ん、おやすみ」
声を掛け合い、同じベッドに横になる。ベッドサイドの灯りを消して、春用布団に潜り込む。
もう少し暑くなる前に、ベッドマットを夏用に替えないとな……などと考えて。
ふと。隣に横になった村雨が、モゾモゾと何やら身じろきしていた。そして、フフっと小さく笑う。
「ん? どーした?」
眠れないのか? そんな風に問えば、暗闇の中で小さく首を振る気配。
顔を向けなくても、暗闇の中でも……こちらを見ていることが、なんとなく伝わった。
「少し、不思議に思っていた」
「ん?」
唐突な言葉に、疑問符を浮かべて聞き返す。
「私にとって、長く、夜は一人で過ごす時間だった」
「……ああ」
「小学生の頃から自室を与えられ、眠る時は一人だったからな」
……もちろん、一人で暮らすようになってからも、だ。
そう続くのを聞きながら、相槌を打つ。
「それは……オレもそうだよ」
囁き。そしてその「ひとり」の意味は、恐らくこの恋人のものとは違っていた。
父は居ない。母は、帰らない。
幼い日の獅子神敬一にとって、夜は正しく『ひとり』の時間であり……家は、そんな自分を閉じ込めている場所でしかなかった。
帰る自分を待っている人。扉を開けて「ただいま」と帰ってくる人。一つ屋根の下で眠る人。眠れぬ夜を語り明かす人。それらは全て、遠くに見える人々だけが持つ届かぬ夢か、物語の中にしか存在しなかった。
……そんな胸中を、今、この恋人に語って聞かせる気は無いけれど。
「ああ……だが」
静かな声が続く。
「長く……一人で眠るだけの、夜だったが」
コツ、と。布団の中の右手に、何かが触れた。
村雨の、左手。
「今は……あなたの隣で眠るのが。心地いい」
ふわり、と。眠気故か、恋人の声にぼんやりとした響きが混ざる。
「あなたの、高い体温がある方が……よく、眠れ……る……」
言葉が途切れ、寝息に変わる。それに耳を傾けていた獅子神は、暗闇で目を瞬く。
すぐ近くの、獅子神よりは低い……けれど、心地良い人間のそれである、体温を感じる。
恋人は……村雨礼二は、どこまで分かっているのだろう。
今この瞬間、『ひとり』ではない。それが獅子神敬一にとって、どれほど奇跡的なことなのか。
帰りを待っている人。自分の元に帰ってくる人。夜を共に過ごす人。
それら全て……どれほどに獅子神が願い、そして諦め……いや、『諦めた』自覚すらなく、目を瞑って見ないようにして生きてきた存在なのか。
どれだけ。
心から、欲しかったのか。
「……あー……」
小さく、呻く。
寝息を立てて眠る恋人が、目覚めないように。
少しだけ身体を動かして、隣で眠る村雨に近付く。
起こさないように、触れることはない。けれど、その体温と息遣いを充分に感じられる距離。
獅子神が帰れば「おかえり」と出迎えて。
待っている獅子神の元に、必ず帰ってくる。
共に同じ布団で眠り……眠れぬ夜は、気遣うように語り明かす。
そんな全てを……当たり前のように、獅子神に教え、与えてくれた人。
「……村雨」
枕に顔を埋める。触れ合う手の甲を、心地良いと思う。
「愛してる」
目を閉じて、眠りに落ちるその寸前。
「私もだ」
と。そんな声が聞こえた気がしたが……もしかしたら、夢だったのかもしれなかった。