植物園の怪物達 血の池に菖蒲、蓮、睡蓮が浮いている。
異界と化した植物園で出会ったカートライトとアルヒルトと共に、狐は赤い水の上に浮かぶ真っ青な水鳥を見ていた。一切の音が消えた異空間で水鳥の目線だけが唯一、自分達以外の生きた存在のように思えた。
フンッとカートライトが鼻で笑う。
「…睡蓮の花言葉は「滅亡」だ…」
どこか自嘲気味に、カートライトが掠れた声で呟いた。聞き耳を立てる程ではないが、カートライトの声はマスクをしているせいか掠れて聞こえにくい。それに加えてこちらに喋りかけるというより、独り言に近い喋り方をするため聞き漏らしてしまいそうになる。
「じゃあ、睡蓮の下に鍵があるんだ」
流暢な日本語を喋るカートライトだったが、狐はなるべく子どもに話しかけるような易しい言葉で喋った。親切心もあったがカートライトの突き放すような性格が面白く、ちょっとからかってやりたいという悪戯心も確かにあった。
狐の問いかけに答える事はせず、カートライトはその場に腰を下ろした。バッグから工具を取り出し、何やら部品を組み立て始める。
同じように狐も腰を下ろす。よくわからないコードや部品をカートライトが包帯を巻いた手で取り扱う。まるで知人の古美術商のような職人の手捌きに、狐は魅入られた。
「カーちゃん、何を作ってるの?」
「…金属探知機」
狐の方を見向きもせずにカートライトが答える。
答えてくれるんだと、狐は頭に耳があったらピンっと立てたい程の嬉しさを覚えた。
見えない耳を動かして喜んでいる狐を他所に、カートライトは無駄のない手際の良さで金属探知機を作り上げ、それを赤い水の中に突っ込んだ。
カートライトが黙って睡蓮の下を探る。やがてピーピーと電子音がした。
「あった…」
狐の呟きの後をカートライトの舌打ちが追う。
「…深いな」
金属探知機を引き上げると、カートライトは濃い色のついた眼鏡を外した。続いて顔を覆っていたマスクを外した時、狐は目を見張った。
頬が無い。
いや、正確に言うのであれば頬の肉がほぼ無いのだ。綺麗な剥き出しの歯列が狐の目線を奪う。そして僅かに残っている肉も表皮が剥がれてしまい筋肉組織を晒している。赤黒い肉片が穴を作っているようだった。
損傷した顔に張り付いている皮膚もケロイドになってしまい、パーカーから覗く首の皮膚の大半を覆っていた。どういう事故にあうとそんな欠損の仕方をするのかわからない。
ジロリとカートライトが睡蓮を見る。前髪に隠れがちな右目と白濁した左目の焦点が合っていない。それが不気味な印象に拍車をかけていた。
外した眼鏡と黒いマスクを地面に置き、カートライトが足を池に沈める。金縛りにあったかのように動けなくなっていた狐が我に返った。
敗血症。その言葉がよぎった。
「カーちゃん、待って。その傷で入っちゃ駄目だ」
両足を池に沈めたカートライトの左腕を狐が引く。振り返ったその顔はゲームのゾンビそのものだった。呼吸に合わせて動く、普通だったら絶対に見えない赤黒い組織を思わず見てしまう。
無遠慮な狐の視線に、意外にもカートライトは無言だった。
「僕が入る」
その申し出にカートライトはやはり何も言わなかった。出しゃばるなと言われるかと思っていたが、黙って池から足を抜いて陸に上がった。
ほっと胸を撫で下ろす。ジャケットを脱いで、狐はカートライトを振り返った。
「これだけ持ってて」
夏用の淡いグレーのジャケットを手渡した。そのまま地面に捨てられるかと考えていたが、カートライトは多少乱暴だがその手にジャケットを収めている。
案外、良い人なのかもしれない。
狐がそう思った時、今まで静かに見守っていたアルヒルトと目が合った。驚く程整った美貌。以前出会った赤毛の美女を思い出させる。赤い目が細められニヤリと笑われた。
落ち着きすぎている。
僕が言えた義理でもないか、と狐は両足を池に沈めた。水底に足が付く。ぐにゃりと踏んだ泥。赤い水。腐った肉塊。思わずカートライトの顔を連想してしまう。
池の深さは狐の腰辺りまであった。泥の中を探るなら潜らなければいけないだろう。
カートライトの剥き出しの歯。赤黒く熟れたような皮下組織。あれでは容赦なくこの得体のしれない赤い水を飲んでしまう。これ以上の何かをカートライトに与えたくなかった。
大きく息を吸い込み、狐は赤い水に体を沈めた。
眼鏡を預けなかったことを後悔した。