パンケーキ夜行 ねぇ、僕のお父さん
車窓を流れる景色はひたすらに暗い。銀河鉄道の夜を思わせる電車は、乗客に何の視覚情報も与えずに目的地へと進む。
浅葱に突っ込まれたキャンディーを口の中で溶かしながら、狐は夜一と浅葱の話に聞き耳を立てていた。教師と教え子が真剣な顔を突き合わせて意見交換をしている様子は、大学時代を思い出させる。二人の衣装を白衣にしたら、それこそどこかの医師の勉強会に見えた。
僕を被検体にしての人体実験。
「ふふっ」
思わず想像してしまい狐が吹き出す。二人がちらりと狐を見たが、特に問題はなかったようですぐにまた元のように顔を突き合わせる。
「次は粉駅〜、粉駅〜」
車内アナウンスが鳴り響く。狐は呑気に頬杖をつき、向かいの窓に映る夜一と浅葱の様子を見ていた。浅葱の整った顔が夜一を見上げ何をか喋り、夜一もまた真剣な表情でそれに頷いている。
…本当に面白い。
剥げだしたキャンディーの先端を噛む。浅葱や夜一がどのような役割を心得ているかはわからないが、狐の目にはどちらかというと年下の浅葱の方が主導権を握っているようにすら見えた。
…そういう所がね、僕苦手なんだよ、先生。
狐の目が細くなる。
僕のお父さんと一緒。
狐の頭の中に、いつもの風景が浮かび上がった。
白いリビングで向かい合う両親。白いカーテン。音のない時計。静謐な空間を壊さぬように、じっと膝を抱え静寂に耐える自分。
そっと頭を振る。
今ならなんとなくわかる気がするよ、お父さん。
狐が窓に映る夜一を見る。伏し目がちで憂いを帯びた横顔が、出会った頃よりも疲れて見えた。
ねぇ、お父さん。お父さんはお母さんの事が怖かったんだね。自分の気持ちを口にした瞬間、あの白い世界が壊れてしまいそうで怖かったんでしょう?自分が壊してしまうくらいなら、何一つ言葉を発さないで、自分の気持ちを殺していた方が楽だものね。
先生。先生だってそうでしょう?僕、何となくわかるもの。先生は絶対に自分の言葉を喋らない。優しい言葉で夜霧を作る。夜霧は深く、誰も先生の姿を見ることはできない。
ねぇ、お父さん。僕は夜一先生を見た瞬間、僕とお父さんの生き方をまざまざと見せつけられてしまった。僕はいつの間にか、お父さんになっていた。優しくて、見て見ぬ振りをするしかない臆病なお父さん。
電車の速度が落ちる。後方に引っ張られるような感覚が僅かにあり、電車は停まった。扉が開く。車内アナウンスが流れた。
「粉駅〜、粉駅〜。お降りのお客様は忘れ物のないようお気をつけください」
夜一が降りる。夜一を追いかけるようにして浅葱が降りる。二人から数メートル距離を置いて狐が降りる。
夜霧の中に入ろうとは思わなかった。