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    アロマきかく

    @armk3

    普段絵とか描かないのに極稀に描くから常にリハビリ状態
    最近のトレンド:プロムンというかろぼとみというかろぼとみ

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    アロマきかく

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    途中まで。抉っている(物理)
    えっまだあと4回使う必要があるんですか!?マジでこの先どうしようか自分でもわからないんだけど??

    #ろぼとみ他支部職員

    何も変わらなかった「あー……、なぁ管理人、」
     あと1回。視界が歪み、思わず声が漏れそうになった。何とか飲み込んで取り繕う。
    「収容室の音声、ちょっとだけ切っといてくれてもいいか?」
     立っているための精一杯の足掻きだった。
    「どうせあと1回なんだ。最後くらい情けない声上げさせてくれよ」
     頭のどこかから小さく警報が鳴り響く。
    「はは、聞かれんの恥ずかしいからな。んじゃ、よろしく頼んだぜ。管理人」
     もう、戻れない。できる限りの笑顔を貼り付ける。
    「すぐ終わるからさ」

     放った言葉は、取り返しのつかない楔となって打ち込まれてしまった。
     最も脆い部分に。

     アレの防音性は完璧だ。決して内部の音を漏らすことはない。
     解っているのに、言ってしまった。音声を切ってくれまいか、と。もし、僅かでも聞こえてしまったら。急速に湧き上がる懸念。それはないと解っていても、それでも、今までの傷を塞ぐように。幾重にも封をしないと駄目だと思ってしまった。
     瞬間、奥底から黒いものがこみ上げてくる。逃げ場を求めてしまった。決して見せてはならない弱み。どうしても傷は残る。しかし、少しでも傷を浅く済ませるためには、俺が……
     俺が、耐え抜かないと駄目だったのに。


     ――


    「未観測のツール型はひとつだけか。じゃあこれだなぁ」
     三つ並んだコンテナとにらめっこしながら管理人が呟き、未観測のツール型アブノーマリティを選ぶ。選ばなかったコンテナには、『地獄への急行列車』、『巨木の樹液』の文字。
    「ただなぁ、『今すぐ全てが良くなるでしょう。』って文言がなぁ。いやそんな都合のいい話もないでしょ感がすごいんだよなぁ……」
     選んでしまった以上は仕方がないと思いつつも、若干後悔混じりの声を上げる。まぁ、他の二つよりかはマシだろう、と自分を窘めて業務レポートを記録し、管理人は席を立った。


     ――


     これは……まずい。まずいぞ。
     収容されたツール型を見て、押し寄せるかのように記憶が戻ってきた。
     オールアラウンドヘルパーを開発した会社の製品、『なんでも変えて差し上げます』。大人一人の大きさよりもふたまわりほど大きな何かの機械。前面が開いて中に人が入れる構造になっている。
    「クソッ」
     思わず声に出していた。しまった、聞かれていないか。周囲に誰も居ないのを確認して、安堵のため息をつく。
     前面を開かなければ見た目がシンプルでちょっと大きい、若干人の形に近いようなただの機械。しかし前面を開くと内側一面にびっしりと指の先程の穴が確認できる。
     この機械、要は現代版鋼鉄の処女だ。鋼鉄の処女と違うのは、ただ針を突き刺すだけでなく、内部の人間を欠片も残さないほどのミンチ――下手したらミキサーにかけたかのような状態――にしてしまう構造になっていること。内部の人間はミンチになる代わり、ポジティブエンケファリンに限りなく近いエネルギーを大量に放出する。ご丁寧に放出されたエネルギーの回収機構までしっかり備わっている。つまり、人間をぶち込んでそのままエネルギーに変換する機械なのだ、こいつは。
     さらにタチの悪いことに、こいつは一度人間が入って前面の扉を閉めると、内部の人間は『作業完了』まで決して出ることはできない。中に入り、扉が閉まったらそいつに待つのは確実な人間ミンチの運命だけ。ツール型だから使わなければ何も起きることはない。使いさえしなければ。
     そう、コイツは未観測なんだ。観測のためには絶対に使う必要がある。だが、記憶貯蔵庫に戻れば――

    「……いえ、駄目かもしれないんです」
     何でだよ。次のツール型アブノーマリティ選択まで多少手間はかかるが、記憶貯蔵庫からやり直しできるじゃねぇか。
    「それが……」
     おずおずと管理人が端末画面を差し出してくる。紅茶AIことビナーから提示されたミッション、『幻想解除』。全てのアブノーマリティの観測を完了した状態で1日を終える……?
    「よくわからんが、施設に収容されてる奴らだけ観測完了すりゃいいんじゃないのか?それなら、別のツール型持ってくりゃいいだろ」
    「ええと、もしかしたらそうでもないかもしれなくって」
     どういうことかと訊いたところ、エンサイクロペディアとかいうアブノーマリティの図鑑のようなものがあるらしい。観測記録と連動してアブノーマリティの情報が埋まっていくとのこと。E.G.Oを集めるために結構な回数記憶貯蔵庫に戻ったはずだが、現在は83%だか84%だか、その程度しか埋まっていないという。
    「もしかしたら、エンサイクロペディアも埋めておかないといけないんじゃないかって。僕たちの目標は、全てのミッションを終えないと達成できないんでしょう?」
     なんてこった。ここにきて一番必要な知識がない。そのエンサイクロペディアを埋めるか否か。紅茶AIのミッションを達成するには、コイツの観測は必須なのか?
    「だから一応、観測しておこうかと」
     だからそれがまずいんだ。

     覚えている限りの観測情報を、包み隠さず管理人に伝えた。もう形振り構っていられる状況じゃない。コイツを観測するためには、必ず死者を出す必要がある。それも、4人か、5人か、……もしかするとそれ以上の。巨木の樹液も大概だったが、コイツの観測はそれ以上に厄介だ。
     流石に一人頭何秒程度稼げるのかなんて、そこまで都合よく覚えちゃいなかった。コイツを使ったのは、どこの点だったか。少なくとも俺の主観時間にしてだいぶ前の――管理人A。そう、Aが使ったきりだった。ありゃ相当前だぞ。よく思い出せたな、俺。
     つられて蘇る記憶。あのときのAは何人も新規雇用をして、そいつら新人を片っ端からアレにぶち込んだんだ。観測を終えるまでに何人死んだ?……クソ、わかんねぇ。『作業完了』の通知音と同時に自動で前面の扉が開き、人間ミンチどころか人間がジャムのようになったモノがわずかに流動性を伴って溢れる。それを見た新人たちがヒステリーを起こして、麻酔で身体の自由を奪って、無理やり詰め込んで、俺はもう直視できなくなって。あぁそうか、だから覚えていないのか。

     あのときの胸糞悪さまで蘇ってきた。……そうだ、3人、3人までは覚えている。Aはじっと収容室の監視カメラを見つめたまま、予め決めていたかのように淡々と、何も知らない新人をアレにぶち込んだ。顔じゅうをぐちゃぐちゃに濡らし、目も顔も真っ赤にして泣き喚いてたやつがアレの中に押し込まれる。収容室内の音はモーターの駆動音とエネルギー放出を知らせる電子音のみ。ただただ、Aも、収容室も、淡々と。それが当然行われるべきことであるかのように。顔色一つ変えず、じっと収容室を見ていた。そこにはひりつく緊張感と、不気味な違和感があった。
     ふと、違和感の正体に気づく。悲鳴が聞こえなかったんだ。もちろんアレの中に入るまでは必死で抵抗する音があった。暴れて拘束を解こうとする音、あの泣き喚いてた奴もそうだ。だが、中に入って扉が閉まってからは一切の、人間の発する音がしなくなった。……徹底してやがる。
     誰かのトラウマだかなんだかによって歪に誇張されただろう現代の鋼鉄の処女は、頑なに内部で何が起きているのかを漏らさなかった。ほんの少しだけ覗くのは、引き裂き掻き回された血液のひとしずく。血が漏れる程度の隙間があるのに音は漏れないんだな。それもアブノーマリティの特性なのか。畜生。

     ひとしきり俺が説明したあと、管理人は声のトーンに落胆と悲哀とを乗せて、ぼそりと。
    「死者が、出るんですか。どうしても、……無理なんですか」
     観測のためには絶対に死者が出る。言いたくなかった。あんたの覚悟を曲げたくなかった。エンサイクロペディアの方は後回しでいいじゃないか。そう言っておけば、今頃は。なんで、なんで俺はあのときそう言えなかったんだ。
     死者が出る。それを知ったら管理人がどういう反応をするかはわかりきっていたはずだ。絶対に誰も置いて行かない。とにかく死者が出ないように努力する。ガバいミスこそあれど、管理人が自分の『仲間』たちをみすみす死なせることは絶対にしない。もしそうなっても何度だってやり直す。わかっているんだ、そういう奴だって。あいつも、そうだったから。

     今回の管理人は、少なくとも俺が覚えてる限りでは、一番あいつに近い。だからこそ、最初はメンタル面での不安が大きかった。幸い同僚たちも、管理人に重圧をかけないようフォローに入ってくれて何かと助かった。いや、助かっている。今の管理人があるのは間違いなく彼らのおかげだ。今回の点は本当に色々と恵まれている。
     O-01-15――無名の胎児。あれは、絶対に繰り返させない。
     忘れもしないあの番号。一度、コンテナ選択の様子を見に行ったときにあの忌々しい番号を見てつい一歩踏み出してしまったことがあった。「忘れ物をした」とかいう露骨に白々しい嘘まで吐いた。
     幸いその場はやり過ごせたし、管理人も別のコンテナ――確かマッチガールだったか――を選んでくれた。ま、その後安堵で完全に気が緩んでつい口が滑っちまったけどな、「いい判断だ」って。あぁ、俺の判断こそ全然駄目だ。失笑モノだぜあれは。結局、あとになって気づかれちまったし。
     その後、記憶貯蔵庫更新日に進むと決めた日に、よりによって俺が丁度様子を見に行けなかった日に、あの忌々しい胎児が収容されちまった。あん時は……完全に我を忘れて取り乱しちまった。まさに半狂乱だった。
     脳裏に焼き付いて離れないあの光景。絶対に管理画面を出したくなかった。関わらせたくなかった。見せたくなかった。見たくなかった。まだ戻れる。戻れ、戻ってくれ。頼むから。間に合う、頼む、戻って――

     結局、『記憶貯蔵庫更新日の前だからこそ』観測しようということになった。
     冷静に考えりゃその通りだ。とりあえず観測して、管理しきれそうにないなら戻ればいい。ただそれだけのことだったのに。衝動が抑えきれなかった。そのせいで無駄に怪しまれることになっちまったわけだし。
     コービンに詰め寄られたが、コンテナの文言『ルーレット』の単語だけ引っ張って取り繕って。……嘘は吐いてねぇ。ああいうのは下手に嘘を吐くよりか、本当のことを言ったほうがいい。勿論不必要な部分はぼかして。そういや前々からコービンは何かしら感づいていた様子だったな。よく見てやがるぜ全く。いや、俺の行動が不自然すぎたんだろう。もうちょっと上手くやれてりゃ、コービンにも余計な負担かけずに済んだのかもしれん。すまんな、コービン。
     しかし、毎度のこととはいえ、初手で洞察指示されたときは肝が冷えた。あの時の作業結果が良かったのは奇跡としか言えない。もしあれでクソ胎児が泣いてたら、流石に俺も何ぶち撒けてたかわからん。死刑台の上に立った死刑囚の気持ちってなぁ、あんな感じだったんだろうか。

     ま、死ねねぇんだけどな。ただ滅茶苦茶叫びたかったよ、本能作業に変更してくれって。
     1回も泣かせることなくE.G.O抽出までいけたのは僥倖だった。もう二度とあの声は聞きたくない。
     今でも時折耳の奥で木霊する。未練がましく。手前ェは一体いくつの命を貪るんだ。もう、泣き止んでくれ。

    「やっぱり、戻」
    「観測したいんなら」
     同時だった。管理人に先を促すべきだった。

    ――放った言葉は、
    「ちょっとした案がある」
     押し黙るべきだった。これ以上先は。

    ――取り返しのつかない楔となって
    「もしどうしても、観測したいんなら」
     何故言葉を続けてしまったのか。

    ――打ち込まれてしまった。
    「41日目まで待ってくれれば」
     何故後回しにして様子を見ようと言えなかったのか。

    ――最も脆い部分に。
    「犠牲無しで観測できる」
     嘘は、言っていない。



    「……まさか、」
    いくらあんたでも流石に察したか。無理もない。41日目っつたらそらなぁ。
    「犠牲無し、っつったろ?」
     でもな。もう戻れないんだ、言っちまったからには。管理人……頼むよ、引き止めてくれ。
    「俺はあんたを信じてる。あんたも、俺を信じて」
    「僕は、折れません。首なんて、括りません」
     そう来たか。随分と真正面からぶつかってきやがる。胆力ついたな、あんた。
    ……はは、退路、断たれちまった。
     とっくに腹くくってるはずだったのに。引き止めて欲しかった。矛盾もいいとこだ。自分の考えがわからない。今ここにいるのは俺なんだろうか。
     俺は、俺でいられるんだろうか。

    「信じてくれて、ありがとうな。管理人」
    笑顔が作れたかわからない。どうでもいい。どうせ、見えない。

     ぽつりと、思い出したもう一つの情報を付け加える。
    「そうそう、あのツールにゃクリフォト暴走が起きないんだぜ」
     そんなもの、強がりの足しにもならない。

    すべての項目を観測するためには、1分40秒。たった100秒。たった100秒でいいんだ。今まで繰り返してきたうちのどんだけだよ。たった100秒。……100秒。



    「皆さん、こちら管理人です。事前の通達通り、本日は業務開始後すぐに記憶貯蔵庫復旧の手順が繰り返されます。ぼ……私からのアナウンスが出るまで、本日の通常業務は行わないよう、お願いします。繰り返します、本日は――」

     もう、41日もやってるんだ。就任直後と比べちゃいけないことはわかってるが、だいぶサマになってきたじゃんか。そもそも41日目まで来られたことだけ考えても相当に珍しい点だ。しかも今回は上層セフィラを全員抑制した……だけじゃない。中層セフィラの抑制にも成功した。
     中層セフィラの抑制は最早完全に未知の領域だった。そもそも中層セフィラのミッションをこなすこと自体稀だった。もしかしたら両手で数えられるか?
     ゲブラーのミッション、あんたはよくやったと思うぜ。ケセドのミッション、あんた一時停止せずに長考して何度か失敗したよな。俺たちにはわからないが、管理人特権なんだから使えるもんはどんどん使えって。
     そう、使えるもんは使うべきだ。

     あのツール型の観測をどうするか、皆に明かしたときはそりゃぁもう大反対された。だが、観測するとして他に犠牲を出さずに済む手があるか?皆で1回ずつ使う?結局は同じことだ。誰かがミンチになる。その事実は変わらない。
     前にも似たようなことを言ったことがある。「悪影響があっても一人に集中させれば対処はしやすい」ってな。一人で背負えるならそれに越したことはない。他の皆の負担にならない。
     その役目は俺が背負う。他の誰が背負う必要もない。俺だけでいい。他の皆が為す術もなく肉塊になるのを見るよりか、何倍もマシだ。
     代案は出なかった。そんな事はとっくに解っていた。犠牲を出さないよう、管理人への負担を極力避ける方法。
     そんな都合のいいことはありやしない。どうせ傷を負うとわかっているのなら、できるだけ浅くするのが最善手なんだから。
     観測手段を明かしたのは、今朝のミーティング。ギリギリまで伏せていた。考える時間を与えないように。卑怯だよな。卑怯なことだって辞さない。最善手ってのはそういうもんだ。
     コービンの視線が突き刺さる。見なくても気配でわかる。何故もっと早く言わなかったんですか、もう少し早ければまだ間に合ったでしょうに。何でもかんでも一人で背負おうとして。そんなとこだろ。そう来るのが解ってるから、今まで引っ張ったんだよ。
     俺を軽蔑するか?軽蔑したいが、しきれない。それ以上に信頼しうる存在だから。信じたいから。

     信頼されてることがわかってて、なお騙すような真似をする。卑怯だよな。いっそそう言ってくれ。
     たった100秒の観測が終わったら、いくらでも罵ってくれていいからさ。……すまんな。

     ――

     黄金狂。『幸福の魔法少女』たる貪欲の王から抽出される装備。
     構造がごちゃごちゃしていて装着こそ面倒だが、軽くて硬く、身体の動きを妨げない装甲により動きやすく、なおかつ前衛で敵の攻撃を凌ぐのに特化した造りだ。動きやすいため回避運動もしやすい。ただ耐えるだけじゃないあたりがよくできている。
     いつだったか、『王様』から聞いたことがある。魔法少女として活動していた頃は、自身もこのE.G.Oの特性を活かすかのような、近接戦闘特化の格闘スタイルで闘っていたんだとか。その武器はALEPHクラスの威力を誇る、暴力的にきらびやかな黄金の拳。まさに最前線の肉体派装備だ。
     ……肉体派、ねぇ。体力の評価ランクがいくら上がろうと、まるで見栄えの変わらない自分の細腕を眺めながら呆れる。
     黄金狂をあてがわれた際、正直言って、最初は他の防具を着たかった。いくら装甲があるとはいえ、いやそもそもその装甲からして、硬いのはいいとしてそのわりにやたらと薄い。E.G.Oってのは不思議なもんで、ちゃんと装着者の体格に合った形状になる。だからこそ『装甲の隙間』が気に食わなかった。装甲の下のインナーが、どうしても細い線を剥き出しにしてしまう。むしろ、その装甲のアウトラインすらも。
    「なぁ管理人、本当に俺が『コイツ』を使うのか?」
     もっと相応しい、前衛向きな奴ぁ他にも居るだろう。
    「何言ってるんですか、ダフネさんだからこそ装備してほしいんです。耐性が優秀だからアブノーマリティ観測のときも、鎮圧のときも、絶対に頼りになりますよ」
     絶対に。自信満々に言い放つ管理人。これを抽出した当時、所持しているもののなかでは最も強いE.G.O。明らかに段違いな性能。そしてそれを俺に託す。頼られている。胸の奥がむず痒くなるのを感じた。あれはたぶん、嬉しかったんだろうな。どうしても慣れない感覚。
    『僕凄く助かってるんです』あいつの言葉が過った。重なった。
     インナー越しに、あまつさえ装甲越しですらどうしても見えてしまう体躯は、できるだけ忘れよう。あんたが俺を頼ってくれる。ときたら、じゃぁ、俺はこう返すしかないな。
    「そうか。なら、任された」

     ――

     防具に黄金狂を選んだのは、その高いRED属性耐性と、補充のしやすさによる。職員が死亡した場合、その時点で装備していたE.G.Oは失われる(紅茶AIのミッションの報酬だかで多少その確率が下がったらしいとはいえ)。抽出元である貪欲の王が収容されている現状、防具を失ってもすぐさま再抽出が可能であり、そのための固有PE-BOXも充分な量が蓄えられている。現状なら、軽く10着以上は『おかわり』が用意できる。
     高いRED耐性は必須といってもいい。なにせ物理的にミンチにしてくるんだ。物理攻撃を緩和するRED耐性があれば、わずかでも1回あたりの使用時間を稼げるはず。WAWクラスの防具で最も高いRED耐性を誇る黄金狂はまさにうってつけだった。たとえそれがほんの少しの差だろうと、極限まで足掻いてやる。

     準備は整った。あとは俺次第――いや、俺と管理人次第。



     一歩一歩、収容室が近づくたびに鼓動が大きくなるのを感じる。もう、とっくに捨ててる命だろうがよ。
     通常業務が一時的に停止しているせいで、足音もよく響く。その音が、前へ進む足を押し留めようとする。退けよ、俺が行かないと始まらないんだ。俺を邪魔するのは何だってんだ。
     足元を見る。そこには俺の足だけ。一度止まった足が、動かない。
    「クソッ、……クソ、何なんだよ……」
     無意識に声が出ていた。何も歩みを止めるものはない。ないはずなのに。ないはずなんだ。なんで。
    『ダフネさん?……大丈夫、ですか』
     通信機から聞こえる管理人の声。明らかに声音が弱い。駄目だ、できるだけ早く開放してやらないと。
     自分が発する以外の音を聞いたせいか、束縛が弛くなる。一刻も早く終わらせてやる。ただそれだけを考えて。
    「こっちはなんともない。心配しすぎは胃を痛めるぜ、管理人」
    はは、と軽い笑い声を付け足す。そうだ、心配してる暇なんてねぇぞ。たった100秒しかないんだ。あっという間に終わっちまうさ。
     あっという間に終わらせるために、歩を進める。アレの収容室へ。

     収容室の扉を開く。ごくりと喉が鳴る。そこには現代に蘇った鋼鉄の処女アイアンメイデン。白く艶めかしい塗装。前面の扉は開いており、いかにも準備万端といった佇まい。
     反吐が出る。

     監視カメラの方を向きながら、できるだけ軽い印象になるように声音を調整する。カメラに向かって小さく手を振りながら、
    「んじゃ、行ってくるわ」
     逝ってくる。入ったら死ぬまで出られない鋼鉄の拷問地獄。
     いいか管理人、TT2プロトコルの操作間違えんなよ。記憶貯蔵庫に戻るんだからな。
     内部の空間は人一人より若干広めで、内部から前面の扉を閉めるためのスイッチがついている。自動じゃないってのがまた悪趣味だな。扉側に向き直って、スイッチを入れる。滑らかな挙動で扉が閉まる。刹那。数多の金属が擦れる音と共に、周囲にびっしり並んだ穴という穴から、様々な太さの針――果たしてこれを針と呼んで良いのかと憚られるものすら――が瞬時に伸びてきた。
    「――ッ!?」
     その無数の針は1本たりとも俺に刺さらない。何事かと思い身動ぎする。針は、さながら影縫いのごとく俺の動きを封じるように伸びていた。内部の人間のシルエットをどういう仕組みで感知していることやら。これで動きを封じて、無駄に暴れるような真似をさせないつもりか。背筋に冷たいものを感じる。
     扉が閉まった直後ともまた違う、ゆっくりとした駆動音が聞こえる。……いよいよだな。

     皮膚の表面にちくりと針の先の感触。黄金狂で防いでいる個所には感じないが、それ以外のむき出しの場所には所狭しと針先を押し付けてきた。先端が皮膚に沈む。まだまだ序の口にすら達してない。更に押し付けられ、無数の針が表皮を突き破る。針先が埋まる。玉のように滲んだ血が、数滴分まとまって垂れる。どんなに痛かろうとも声は上げない。そう決めた。通信機のスイッチも入れたまま。管理人だって覚悟を決めたんだ。俺も自ら退路を断つ。

     緩慢に針が押し込まれる。黄金狂のインナーまで突き破ってきた。痛みで身を捩ろうとするも、張り巡らされた束縛がそれを許さない。わずかに動くだけでも刺さった針がその穴を拡げる。一切動けず、痛覚のみが苛まれる。こいつは……予想以上かもしれない。伊達に拷問具してないってか。クソが。
     針先が皮膚に沈んでいく。だんだん慣れてきていた痛覚が鋭敏に悲鳴を上げた。針の感触に違和感。この針、まさか。
    『返し』がついてる?
     マジかよ。真っ暗で何も見えないが、触覚が、痛覚がそう言っている。冷や汗が垂れ、血液の色をささやかに薄めて流れていく。返しの存在を知ってしまった。ならば次にどう来るか。予想はついたが、ついたところで対抗策など何も無い。
     刺さっていた針が一斉に引き抜かれた。
    「ぁ、……っぐ」
     何としても声だけは抑える。絶対に越えられない一線。自ら断った退路。

     再び冷えた針先の感触。既に貫かれた皮膚、ほんの少しずれてまだ無事だった皮膚、あらゆる場所に針先が充てがわれる。まだ刺さりもしていないのに、反応して身体が震える。もっとえげつないのが控えてんだろ。このくらい耐えろ、クソ。
     今度は緩慢ではなかった。先程よりも深く、一息に針が押し込まれる。今度は完全に声出さなかったぞ、見たかクソッタレ。心の中で悪態をついた瞬間、
     「ッづぁ、クソッ」
     声漏れを堪えたことで完全に油断した。今度はすぐさま針を引き抜いて来やがった。今のは完全に録られてるな。やっちまった。
     2回めに刺すのと同じタイミングで針が充てがわれ、皮膚に沈む。ご丁寧に傷のついていないところを検知して、そこに優先的に刺すようになってるっぽいな。趣味のいいこって。クソが。
     そこからは一気に針を抜き差しするスピードが増した。無機質に一定間隔でひたすらにこちらの皮膚をズタズタに貫き、引き抜くと同時に返しの部分で引き裂いていく。引き裂かれた傷口に再び針が刺さり、さらに傷口を歪にしていく。
     身を捩ることも許されず、ただ歯を食いしばって声を通信機のマイクに拾われないよう耐える。ふと思う。針が通信機を突いて壊れてくれやしないか、と。自ら断った退路に縋るような真似をして、それじゃぁ何のための覚悟だよ、馬鹿野郎。

     定期的な針の抜き差しの音に混ざって、モーターの駆動音が響く。全身の痛覚が悲鳴を上げて朦朧とする聴覚に木霊する。どこから音がする?前か、側面か、それとも背後なのか。狭い内部に反響する音。針の音に紛れてどこから駆動音が聞こえるのかわからない。もしかすると、全方位から。
     早く。早く殺してくれ。変に欠片なんか残さず細かく切り刻んでくれ。全身引き裂いてくれ。砕いてくれ。潰してくれ。かき混ぜてくれ。

     それじゃ駄目なんだ。
     俺はできる限り長くこの中で耐え抜かにゃならないんだ。でなきゃ、情報が開示されない。
     涙が流れる。痛覚への刺激による脳の反射なのか、俺の心が軋んで漏らした叫びなのか。
     わからない。終わらせてくれ。
     流れた涙は無慈悲に引き裂かれた皮膚に吸い込まれ、俺の血と混ざってかき消えた。

     モーターの駆動音が聞こえ始めてから何秒経ったのか。それとも1秒も経っていないのだろうか。数えたくない。
     聞こえ始めてから内部全体に反響していた駆動音が、その音を変えた。音の出どころが一点に集中する。同時に、腹の辺りから圧迫感と細かい振動。
    ――あぁそうか。腹ん中からかき混ぜてくれるのか。早くしてくれよ。黄金狂の装甲が邪魔してるのか。邪魔しないでくれ。頼むからさ。
     願いが届いたのだろうか。装甲の表面が甲高い金属音と共に砕けていく。振動の変化で察する。もうすぐ終われる。もうすぐ。

     そう思った刹那。金属の摩擦音が耳元の近くで走り、一瞬遅れて切り裂かれた空気が風となって揺れ、
    「っぎ、ぁ……ッ……」
     両の肩口に焼けるような鋭い冷たさが走った。今まで体表を引き裂き弄んでいた針どもはいつの間にか鳴りを潜め、それ以上の太さの――『杭』が、黄金狂の装甲ごと両肩を貫いていた。ぼんやりした頭と麻痺した痛覚にあらためて刺激を与えられ、意識が一気に引き戻される。
     あのナリして何処にこんなモンしまっておけるってんだ。アブノーマリティに常識なんて通用しないことを痛感させられる。
     最初から逃げ場なんて無かったくせに。何が何でも、逃さないつもりかよ……ッ、クソ、早く、はやく……!
     早く、どうしたいんだ、俺は。死にたいのか。死ねない。殺してくれ。耐えろよ。
     そうだった。俺がまだヒトの形を保っているうちは、死なせてくれない。当たり前のことだった。

    「は、はは、ハハ……ふっ、はは」
     笑いが止まらない。通信機が音を拾っていることも忘れて、溢れる涙と可笑しさに任せて笑った。
     腹に痛みを感じる。もうどこが痛いのかわからないと思っていたのに。鋭い何枚もの刃が回転しながら少しずつ腹に吸い込まれる。鋭すぎて、まだ肩の方が痛ぇよ。まだか。随分と勿体つけてくれるじゃ
    「はは……っ、つ、ぁ、あ」
     鋭すぎてわからなかった。とうに痛覚が仕事をしなくなっていた。いや、脳が痛覚を拒否しているのかもしれない。触覚は生きていた。
     この刃、ミキサーだ。だからあんなに綺麗なミンチになるんだな。認識した瞬間、やっと自ら断った退路を思い出した。

     脳が痛覚を放り投げ、より鋭敏になった触覚が伝えてくる。腹がゆっくりと、ズタズタに切り裂かれて、内臓も切り刻まれ、かき混ぜられる。もう立っていられない。力が抜け、がくんと支えを失った体重が肩に集まる。
     痛みが戻ってくる。もうずっとどっか行っちまえよ。肩の杭はこのための。網の目のように俺の身動きを封じる針だけじゃ足りなくなったときのためか。クソ。
    「……ぅ、はぁっ、ッ、ぁ、――」
     声が出ない。喉は乾ききり、力を入れるべき腹は微塵切りだ。苦痛に顔を歪ませようとすると引き裂かれた皮膚が邪魔をする。声が出ないなら、もう、いいんじゃないか。
     真っ直ぐ腹を食い破った刃が衝撃と共に一瞬止まり、今までのものとは全く異質な痛みが走る。反射的に殆ど上半身しか残されていない身体が仰け反ろうとして痙攣を起こす。
    「ぃ、ぁ、――っぁ、……」

     じっくりと弄ばれた背骨が砕けていく
     見えない針が一本全身を貫く
     痛い
     砕ける音が振動が脳を揺さぶる
     痛い
     一際大きな衝撃と背中を抉られる感触
     もうすぐ
     下半身が千切れて落ちる
     もうすぐ
     下の方で何かが聞こえる
     もうすぐ
     肉と骨を混ぜ合わせる音
     ……
     呼吸が出来ない
     ……
     音が迫ってくる

     終われる



     しにたくない



     ………

     ……

     …



    「しに、た――」
     声が出る。その事実に驚いて目を見開く。時間にして僅かだったが、身体を動かすという発想が出なかった。
     瞬きを数回。視界が段々鮮明になる。正面に天井が見えたことで、自分が横たわっていることに気づく。
     跳ねるように身を起こす。自室だった。ぐわん、と大きく脳が揺れる。上下の感覚が曖昧で、僅かに視界が歪む。1回1回確かめるように、肩で息をしていた。
     揺れる脳を抑えながらまとまらない思考を羅列していく。俺はどうなった?今はどこだ?記憶貯蔵庫から復旧できたのか?それとも……飛んだのか?記憶貯蔵庫の刻印はいつ行われた?管理人はちゃんとTT2プロトコルを作動できたのか?
     わからない。
     落ち着け。焦ることじゃないだろ。行ってみれば全てわかることだ。
     ベッドサイドの時計をちらと見て時間を確認する。集合までには少し余裕があるな。
     日付までは見なかった。日付を見るのが怖かった。

     ベッドから床に恐る恐る足を下ろす。足はちゃんとそこにあった。床の感触を足の裏で確かめて、伝わってくる現実に安堵の吐息が漏れた。

     いつだったか。緑青の白昼が備える丸鋸で両断されたことがあった。遠距離から一方的に撃たれるよりはマシなはずと、一気に懐へ潜り込んだのが仇となった。
     走り込むと同時に機械の腕が丸鋸を構えるのが見えた。まずい。回り始める丸鋸。ミスった。金属の回転音。やるしかない、とE.G.Oを握りしめる。水平に突き出される丸鋸。踏み込んで、握りしめたE.G.Oを振り下ろす……その前に、鋸がE.G.Oの守りを易易と切り裂いて腹に食い込んでいた。踏み込みの勢いもついて、押し込まれた鋸の刃が背中へ抜けた。その一連の流れが、やけに緩慢だった。
     ズレる視点。何が起こったのかわからなかった。ずっと見ていたのに理解できなかった。鋸が引き戻される。それにつられて上半身が引っ張られ、そのまま床に叩きつけられるように転がった。最期に見えたのは自身の脚。踏み込む勢いのまま前方へゆらりと倒れかかるのを見ながら、……その後はどうだったっけな。巻き戻したのか、飛んだのか。覚えているのは死ぬ瞬間の状況だけ。あのときの同僚のことも何日目まで行ったかも全く覚えちゃいない。
     覚えるべきは、ヤツに近接攻撃を仕掛けるのは危険ということだけ。定期的に充電のため行動が止まることを知るのはもっと後のこと。

     大層な事だってのに、まるで実感が湧かなかったな。随分とゆっくりに見えて実際はほんの一瞬だったんだろうが。確かに身体が真っ二つになって、脚まで見えていたというのに。今思い返してもやはり実感はない。
     『さっき』を思い出す。また脳が揺れる。背筋に寒気が走る。暗闇の中、おそらくミキサー状の刃どもが腹の中を蹂躙し尽くして、背骨に刃がぶつかった瞬間。刃が背骨を砕いていく感触。そのまま背中まで引き裂かれて、ほとんど皮一枚だけ残った状態の下半身が、自重に耐えきれず千切れる感触。
     一瞬で切り裂いてきた丸鋸とはまるで違う、『実感』を嫌というほど味わわされた。その後は……多分下のほうから砕かれたんだろうな。出血しすぎたかなんだかで途中から意識が無かったんだろう。

     もう一度、舐めるように足の裏を床に這わす。足はある。ちゃんと繋がっている。

     ベッドから立ち上がった瞬間、またも脳が揺れた。一瞬、下半身の感覚を失って直前まで座っていた場所に尻餅をつく。コレは俺の足……だよ、な?
     深呼吸。深々と息を吐くこと三度。慎重に立ち上がる。問題ない。一時的に混乱していただけだ。何も、問題はない。
     ひとまず手洗いにでも、と向かった先、洗面所の鏡が見えた。無性に気になって、鏡の前に立つ。
     鏡が返してくる俺の姿は、いつもよりやつれて見えた。もとより顔色は良くないほうだと自覚はあったが、一層それが顕著に出ていた。
     右の手のひらでぎゅっと左肩を押さえる。穴なんて開いていない。そのまま感触を確かめつつ二の腕から手首へ。細かい古傷にはいくつか触れたが、引き裂かれた皮膚なんてない。さっきまでの『実感』が、まるで夢だったと言わんばかりに。
     今、ヒトの形は確かに保っている。

     Aが指示してぶち込んだ新人の『行く末』が過った。幸いにして途中で意識をなくしたから良かったようなものの、結局は俺も『アレ』になったのか。肉と骨をかき混ぜる音が耳の奥から響く。想像したくない。そう思った時点で駄目なのはわかっているのに。
     自覚した途端、身体が震えだした。脳が一際大きく揺れて、浮遊感に襲われる。腰が砕けてその場にへたり込みそうになる。咄嗟に洗面台の端を掴み、堪えた。
     管理人は、『アレ』を見たのだろうか。――見たに決まっている。情報開示のために時間いっぱい、作業完了まで見届けないといけないのだから。
     俺が『アレ』になった。管理人が見た。しかも1回で終わりじゃない。何回必要になるかはわからないが、あと数回使用しないといけない。まだ続く。まだ……
    「――ぅ、」
     いまだ震えの止まらない身体が嘔吐という形で悲鳴を上げた。起き抜けで空っぽの胃を絞っても、出てくるのは僅かな胃液だけ。洗面台に手をつく。しばらくの間、吐き気に追随して流れる涙と嗚咽と、喉がひりつくように焼ける感覚と。自然に収まるまで身体のなすがままにさせておいた。
     今ここで出し切っておいたほうがいい。枯れてしまえば、もう出るものはないだろうから。

     咽ながら、起き抜けで助かったと妙な安堵。もう死ぬことにも慣れきって、すっかり忘れていた感覚。吐いたのなんていつぶりだろうか。それも物理的な刺激ではなく、精神的な刺激から来る吐き気。油断しきってたからトイレに走るべきだということすら頭から抜け落ちていた。
     ようやく一息つける程度には落ち着き、力無くその場にぺたん、と座り込む。壁にもたれ掛かって息を整える。結構時間食ったかもしれない。余裕があると思ったらこれだ。……立てるか?
     洗面台の端を掴み、渾身の力を込めてやたら重い身体に鞭を打つ。ん、立てる。大丈夫だ。まだ、大丈夫。
     案の定、いかにも泣き腫らしましたと言わんばかりの顔になっていた。普段より多めに水を出して、石鹸を乱雑に泡立てる。やつれた顔に残る涙の痕を、今の気分ごと一気に洗い流した。



     余裕があったはずの時間は、すっかりどこかへ消えてしまっていた。急いでパーカーを羽織り、社員証を引っ掴んで、ついでに端末を見る。確認するのはE.G.Oの紐付け。黄金狂のストックはあるが、紐付けが解除されていた。死んだらE.G.Oは失われるんだから想定はしていたはずなのに、わずかに心臓が跳ねる。
     ひとまず必要なものをまとめてE.G.Oロッカーへ急ぐ。早足で向かいがてらもう一度確認。黄金狂の紐付けが俺のIDでなされていた。
     管理人がたった今やってくれたに違いない。多分防具の抽出は記憶貯蔵庫に戻る前、予め行っておいたのだろう。手際いいな。こんなところまで気にかけさせてしまい、申し訳ない気持ちが湧き上がる。……すまない。ありがとう、管理人。

     抽出されたばかりの、新品の黄金狂を前に思う。思えば最初に抽出したものは大分長い期間使い込んだ。上層で一度E.G.O回収のために貪欲の王を収容して、その時託されたっきり……規制済みの観測んときにそういや一度ウランランスに貸したな。まぁE.G.Oの所有権限は管理人の采配だから貸すもクソも無いんだが。
    ……あー、ありゃ色んな意味で思い出したくねェ。絶対着ないって言っといて結局着てるあたりが恥ずかしいのなんのって。そりゃ黄金狂よりは愛と憎しみの名のもとにの方が2倍近くBLACK耐性高いとはいえ、なぁ。
     それはそれとして、規制済みの観測んとき以外は本当にずっとアレに世話になった。今は王様が中央第2に居るから気兼ねなく……って言うのも流石にどうなんだ、失うってことは死ぬってことなんだから。兎も角、……『気兼ねなく』E.G.Oを再抽出できる。
     だが、その機会が訪れることはなかった。俺含め職員の誰かが死ねば管理人は必ずやり直したから。だから上層で手に入れた黄金狂は、一度も失われることなくずっと俺と共にあった。ゲブラーのコア抑制によって二つストックできるようになったが、最初に手に入れた方の紐付けはずっとそのままだった。
     それがあっさりと、永遠に失われてしまったことに喪失感を覚えている。何度か死んで点を飛んでを繰り返すうち、モノに未練だの執着だのするのが馬鹿らしくなったはずだったのに。結局俺の奥底にある欲深さは隠しきれなかったのか。なんたって『貪欲の王』のE.G.Oだしな。
     着るのは面倒だが、着てしまえば身体の一部であるかのようにしっくりきた。E.G.Oが身体を補佐してくれるにしたって、それまでにも色々着てきたが黄金狂ほど初っ端からあんなに馴染んだE.G.Oは無い。
     俺の欲に呼応してたのかね。今思えば、この細い体躯を見せたくないってのすら、俺の欲の一部だったのか。

     初めて着たのは大分前。もう何があったかすっかり覚えていない程度には前の点。どうやって着たものか頭を抱えたことだけはよく覚えている。
     最後の装甲を嵌め込む。パチッ、という歯切れの良い音と手応え。今はこうして思索に耽りながらでも着られる程度には手順が染み付いている。
     この新品の黄金狂をすぐ使い潰すことになるのか。モノに未練や執着なんて馬鹿らしいはずなのに。ましてやアブノーマリティに感情移入なんて以ての外だというのに。『王様』になんとなく、申し訳が立たないと思ってしまった。らしくない。
    ……俺らしさって何だろうな。



    ――お前らしさか。それこそ欲張りで、未練がましく執念深く、そして我儘の塊だと私は思うがな――
    「そこまであんたに言われたらもう俺が貪欲の王を名乗れるんじゃないか?」
     最初に寄りたい所があるから、ちょっと時間をくれ。管理人にそう無理を言って寄り道をする。中央第2、『王様』の収容室。愛着作業を設定して、『王様』との約束通り通信機をオフにして、作業と言う名の対話をする。
    ――その考えこそまさに浅ましく欲深い。人にやすやすと名をくれてやるほどこの私が慈悲深いとでも思ったか――
    「そうだったな。貪欲の王なんて不名誉な二つ名ですら、あんたは手放そうとしない」
     その貪欲さ故に、自身の記憶も決して手放さない。俺がいくら点を飛んでも『王様』は俺のことを覚えている。正直少し羨ましい。俺の記憶なんて磨り減ったり穴が空いたり、必要なところだけ足りなかったり。全てのアブノーマリティの対処法を俺が覚えていられれば、もっとずっと力になれたはずなんだ。
     どの点においても、琥珀の中で眠るように目を閉じる『王様』を収容する度、ほんの少し嬉しくなる自分がいる。
     俺のことを覚えていてくれる。管理人や同僚たちには決して話せない俺の境遇をずっと覚えていてくれる存在がいる。アブノーマリティに過度な肩入れや感情移入は厳禁。そんなのは百も承知だ。
     承知したうえでここに居る。……そうだな、これも俺の欲の一部だ。こんな境遇をずっと一人で抱え込んでたら、きっと気が触れちまう。要は話し相手が欲しかったんだ、俺は。改めて今立っている点が奇跡の産物のように思える。
     死んだら別の点で目を覚まして、全く異なる状況を過ごす。その点で死んだらまた違う点で目が覚めて、また異なる状況で生きる。その繰り返し。自分でも言ってて訳が分からない。そうとしか表現できない。堂々とこんな事喋ったら間違いなく精神汚染検査で缶詰にされる。だからといって黙ったままこんな事ひたすら繰り返してたらそれこそ精神汚染まっしぐらだ。

     最初に『王様』と出逢った点とは別の点で、再び貪欲の王を収容する機会があった。運良く俺が作業することになって、――お前とは前に会ったことがあるな―― 開口一番言われたときは、心臓が口から飛び出るかと思った。Xが現れる前……管理人がAだった頃。目的も何もなく、ただ生きるために生きていた頃。
    ――お前からは唯一つしか欲を感じない。そんな奴は随分と珍しいからな、直ぐわかったぞ――
     自分でも嫌というほど承知している。"死にたくない"、それが全ての原動力だった。

     裏路地でドブを漁っていた頃から、ずっと死にたくないがために生きていた。L社にオフィサーとして雇用されて言われるがままの仕事をこなしていた日々もそうだった。生きていたいから、必死で仕事の内容を叩き込んだ。
     あの日。大規模な収容違反が起きて瀕死の管理職と共に逆行時計のゼンマイを回した日。頭を撃たれて脳みそ溢しながら、どう考えても後が無いのになおも死にたくなかった。俺がゼンマイを巻くことで奇跡でも起きやしないか。そう願った。
    ……奇跡は起きた。その結果がこれだ。
     死にたくない俺が死と隣合わせの毎日を送り、そして案の定アッサリ死ぬ。こんなに都合の悪い条件が揃う奇跡なんざあってたまるかよ。呪詛を吐いたところで現実は変わらず死を押し付けてくる。死ぬ。飛ぶ。死にたくないと思ったときにはもうとっくに死んでいて、飛んだ先で自分が死ぬ瞬間の恐怖が思い起こされる。こんな境遇から逃げようとしても、最終手段である死は封じられている。俺は死の隣から逃げられない。運命を呪った。奇跡を呪った。奇跡が起きて欲しいと願ったあの時の自分を呪った。
     死んだら点を飛ぶと認識して、『死にたくない』より『逃げ出したい』が勝った。業務中に死ぬのがだめなら自由時間ならどうだ。日付が変わる瞬間なら。何度か自殺を試した。何度試したかは覚えていない。
     結局どう足掻いても新たな点で目が冷めた。もう自分は点から点へと歩いて行くしかないのか。
     事実を突きつけられると尚更死にたくなくなって、なんとしても生き延びようとした。結局は避けられない死が襲う。俺の意思とは関係なく死が向こうから突然やってきて、俺を突き落としていく。落ちた先はまた新たな点。今居る点の状況を把握する前に死ぬ。新たな点で目が覚める。生き延びるためにはまた状況把握からだ。人付き合いというものはとんでもない労力が必要になると思い知る。大層な労力を割いて、生き延びるために様々動いてきた。

     慣れない人付き合いにもようやく妥協点を見出してきた、そんなある日。貪欲の王が収容された。



    「あんたには本当に感謝してるよ」
    ――礼を言われるのも最早何度目だか。早く本題に入れ。『今回』の状況で、そもそも礼を言いに来る必要などないだろう?――
    「まぁな」
     礼を言うのはただの自己満足だ。『王様』はただ覚えているだけ。そこに俺のためだとかそういった気遣いは一切ない。ただ忘れたくないから覚えているだけ。それを俺が勝手に感謝しているだけ。
    「……黄金狂、いくつか使い潰す」
     本題を切り出す。このやり取りにもきっと意味はない。俺が勝手に申し訳なく思って、勝手に喋っているだけ。
    「わざわざ報告することでもないんだろうが」
    ――もっと曝け出せ。建前ばかりでは興醒めよ――
    アブノーマリティあんたらが自身から抽出される装備品に対してどんな思いを抱いているのかはわからん。だが、抽出する際にここに貯まった固有PE-BOX……エネルギーを持っていく。あんたにとって『持っていかれること』・『浪費すること』がどういう意味を持つのか知らんが、それがどんな意味だったとしても、俺はこれから『あんたの装備』をいくつか極短時間のうちに使い潰す」
     俺はきっと、『王様』を知らないうちに心の拠り所にしていたんだろう。俺の境遇を知るのが『王様』しか居ない以上、『王様』が俺のことを覚えていてくれるのが支えになっていた。
    「俺はあんたに対して必要以上に肩入れしている。本来は禁止されているんだけどな。それでも俺はあんたに、あんたが覚えていてくれる記憶に、縋ってた。あんたのお陰で今俺はここに立ってると言っても……過言じゃない、かもしれない」
    ――前置きが長いぞ。ふふ、恥ずかしいか?――
     琥珀色の菱形から透けて見える少女が悪戯っぽく笑う。何を言いたいのかはとっくに解っているんだろう。
    「……あんたの装備、ぶっ壊しちまって……すまない」
     どうにも言いづらいことを言う際に引き伸ばしがちなのは癖らしい。逃げたがってるんだろう。
    「たったこれだけのために作業時間いっぱいまでだらだら喋り続けたんだな。我ながら女々しいってレベルじゃねぇや」
    ――ハハハ、そういう所も実にお前らしい。なかなか美味かったぞ――
    「そうか、そりゃ良かった。じゃあな『王様』、聞いてくれて嬉しかった」
     若干砕けた態度を見せる少女に再び礼を言って、背を向けた。

     収容室を出て、通信機を入れ直す。作業結果は『良い』の表示。言いたいことも言った。残るはあともうひと仕事。
     ミンチになって死ぬだけ。
    「待たせて悪ぃ、管理人。今から向かう」
     あと何回死ねば良い。
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    アロマきかく

    DOODLEたまにはサブ職員さんの解像度を上げてみよう。
    49日目、オフィサーまでも一斉にねじれもどきになってその対応に追われる中、元オフィサーであったディーバにはやはり思う所があるのではないか。そんな気がしたので。
    甲冑で愛着禁止になったときも娘第一的な思考だったし。
    なお勝手に離婚させてしまってるけどこれは個人的な想像。娘の親権がなんでディーバに渡ったのかは…なぜだろう。
    49日目、ディーバは思う 嘔吐感にも似た気色の悪い感覚が体の中をのたうち回る。その辛さに耐えながら、“元オフィサー”だった化け物共を叩きのめす。
    「クソっ、一体何がどうなってやがんだよ……ぐ、っ」
     突然社内が揺れ始めて何事かと訝しがっていたら、揺れが収まった途端にこの有様だ。
     俺がかろうじて人の形を保っていられるのは、管理職にのみ与えられるE.G.O防具のお陰だろう。勘がそう告げている。でなければあらゆる部署のオフィサーばかりが突如化け物に変貌するなどあるものか。

     もしボタンを一つ掛け違えていたら、俺だってこんな得体のしれない化け物になっていたかもしれない。そんなことをふと思う。
     人型スライムのようなアブノーマリティ――溶ける愛、とか言ったか――が収容された日。ヤツの力によって“感染”した同僚が次々とスライムと化していく。その感染力は凄まじく、たちまち収容されている福祉部門のオフィサーが半分近く犠牲になった。そんな元同僚であるスライムの群れが目前に迫ったときは、すわ俺もいよいよここまでかと思ったものだ。直後、管理職の鎮圧部隊がわらわらとやって来た。俺は元同僚が潰れてゲル状の身体を撒き散らすのを、ただただ通路の隅っこで震えながら見ていた。支給された拳銃を取り出すことも忘れて。
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    MOURNINGコービン君から見た緑の話。
    と見せかけて8割位ワシから見た緑の話。未完。
    書き始めたらえらい量になり力尽きて改めて緑視点でさらっと書き直したのが先のアレ。
    コービン君視点、というかワシ視点なのでどうしても逆行時計がなぁ。
    そして33あたりから詰まって放置している。書こうにもまた見直さないといかんし。

    緑の死体の横で回想してるうちに緑の死体と語らうようになって精神汚染判定です。
     管理人の様子がおかしくなってから、もう四日が経つ。



     おかしくなったというよりは……”人格が変わった”。その表現が一番相応しい。むしろそのまま当てはまる。
     Xから、Aへと。

    「記憶貯蔵庫が更新されたらまずい……それまでになんとかしないと……」
     思い詰めた様子でダフネが呟く。続くだろう言葉はおおよそ察しがついていたが、念のため聞いてみる。
    「記憶貯蔵庫の更新をまたぐと、取り返しがつかないんですか?」
    「……多分」
    「多分、とは」
    「似た状況は何回かあった。ただし今回のような人格同居じゃなしに、普段はXが表に出ていてAは眠っている状態に近い……っつってた、管理人は。相変わらず夢は覚えてないし、記憶同期の際に呼び起こされるAの記憶は、Aが勝手に喋ってるのを傍観しているような感じだったらしい」
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