A.T.N.G. alt Side : Corbinian――今日収容されるのは確かツール型ですね。うん、間違いない。大抵のツール型は観測にさほど時間を割かれないとはいえ、その効果は実際に見るか情報の開示でしかわからない以上、油断は禁物。
どうせどっかの誰かさんが率先して使いに行くでしょうし、管理人もそれを承諾するでしょうし、僕達が口を挟む隙さえ与えてくれないのでしょうね。
ならば、『彼』が変な気を起こさないようにしっかり気を配っておかないと。……と言うか、変な気しか起こさないというのはもう重々承知していますけど。まったく、管理人のメンタルを気遣いたいならその特攻癖からどうにかしないといけないのを、解っているんですかね。
……多分解ってないんでしょうね。捻くれてるくせに真っ直ぐすぎて、器用なんだか不器用なんだか。僕達より何倍も、何十倍も『生きて』きて、人生経験が豊富かと思いきや目的のためにはひたすらに我武者羅すぎて、危なっかしいにも程があります。
あなたはもっと自身を大切にすべきです、ダフネ。
掌を模した木の枝が、包み込むように真っ赤な果実を保持しているかのようなデザイン。果実に見える部分は空洞になっていてそこに樹液のようなものが溜まっている。
管理人がダフネに覚えているか訊くも、よく覚えていないらしい。そしてすかさず「まずは俺が使う」と来た。ここまでは想定内。果たして覚えているにしろいないにしろ、まず彼が真っ先に使おうとするであろうことは充分予想がついていた。
次はここから開示されていく情報次第。彼が『覚えていないフリ』をしていることも想定しておく。このツールは使用回数で情報が開示されていくタイプで、中身の液体を1回飲んで最初の情報。2回目で名称。その次は4回目、7回目、10回目、13回目。――なるほど。念のため何回使ったか、把握しておきましょうか。
1回目で開いた情報は、『これを飲むと体力の回復と持続回復の効果』。これだけ見ればシンプルな回復のためのツール。そう美味い話もないのだろう、デメリットが必ずあるはず。問題はデメリットの方。
――パウシー、いくら飲み物だからってそんな軽率に……いや、パウシーはどんな危険がそこにあっても味を確かめるために飲みに行くでしょうね。こと飲食に関しての彼女は誰にも止められません。
流石に試練や宇宙の欠片を調理するのはどうかと思いますけど。……でも好みはあれど、結構食べられる物ができてしまうのは否めないのがなんとも。いや、今はそんなことよりももっとヤンチャする問題児のほうです。
「その前に情報開示出来るところまで俺が行く。少し待ってろ。……いいよな、管理人」
やはりいち早く自分が使って回数を稼ぎ、少しでも多くの情報開示を狙っている。何かあるまで是が非でも触らせないつもりだ。管理人が恐る恐る許可を出す様子に軽いため息をつく。
信頼の表れなのだろうが、いくらTT2プロトコルがあるからといって、もしそれで彼が死ぬようなことがあったら、作業することを認めた管理人自身も傷つくのを自覚できているのだろうか、と。
それはきっと、思っている以上に生半可な覚悟では耐えられないことだ。――ダフネも管理人も、どうもそのことについて考えが甘いといいますか。『信頼』や『覚悟』は免罪符足り得ないことに気がついているのかどうなのか。はぁ。
「よし、任された」
即座に走る違和感。これは、毎度交わされてきたやり取りとは違う。『あのとき』と似た胸騒ぎ。拭いきれない嫌な予感。
「おう、任された」ではない。「よし」。――そのたった一言の裏側にどんな思惑があるというのですか。
あなたは、何故今笑うのですか。
3回目の使用。この次の使用で新たな情報が開示される。しかし彼の動向にも注意しておくべきだ。何か異変が起きても、それが即効性のものでないならば、きっと彼は隠すに違いない。隠して隠して、手遅れになるまで引っ張るに違いない。『あのとき』、逆行時計を使ったときが、まさにそうだったから。
――
使った結果どうなるかがまだ不明なはずの逆行時計。5回目の作業前、自虐の篭った笑みが彼の目に浮かんだ時、取り返しがつかないことになるのでは、という胸騒ぎを覚えました。逆行時計を前にして、いつもであれば自分の命を投げ捨てるかのような行動ばかりのなか、突然言い放った「何かあっても置いてってくれていい」旨の発言。
「やり直してくれればいい」ならまだわかります。仮にも管理人と就任初日から業務を共にして23日目。今更言う台詞でないことは明らかで、その疑問がずっと頭の隅に引っかかっていました。
上層セフィラのコア抑制が全て終わった際、彼は自身が置かれている状況・今まで隠していたことを詳らかに明かしてくれました。……が。
あのとき。逆行時計を使う際に何かあっても置いていってくれていい、というあの発言と、5回目の作業の直前に浮かべたあの笑みの正体は明かさなかった。上層セフィラのコア抑制を終えたら全て話すから。その言葉を信じて、『全て』話してくれるのを待ちました。
ですがずっとあのときのことについては伏せたままで。しびれを切らして僕の方から話を振り、彼がばつの悪そうな顔で語ってくれた事実を聞いた時、僕達が思っている以上に、彼の心は摩耗していたのだと。そう確信してからは、彼の危うさが一層増したように思えてなりません。
――
4回目の使用。反射的に端末で情報を確認する。一目で解る無慈悲な情報。どうか外れていてほしかった嫌な予感。願い虚しく、無機質な文章が無機質な事実を語るのみ。
『使用者から副作用を検知した場合、20~30秒後に爆死する』。掻い摘んだ内容。背筋に冷たいものが走る。
浮かぶ疑問。4回目の使用で新たな情報が開示された。しかし誰もそれを指摘しない。職員の数を考えれば、情報が開示されたことに気づいた者は自分だけではないはず。
あるいは、いや、まさか。最悪の状況が脳裏を過り、なおのこと黙っている他なくなってしまった。
最悪の状況……既に『副作用』が発症しているとしたら。
4回目の使用で明かされた情報は、最早死刑宣告にも近い。それを大っぴらに言ってしまったらどうなるか。――「よし」の裏側はこのことだったのですか、ダフネ。
卑怯です。あなたは、卑怯です。
誰も新たな情報を口にしない。それはつまり彼自身も解っていて敢えて黙っている。誰も言い出さないのをいいことに、このまま使用回数を重ねるつもりだろう。
最悪の事態が想定され得るから誰も言い出せず、もしまだ副作用が出ていなかったとしても管理人はこの情報を知ったら使用を止めさせるに違いない。
しかし、もし止めさせた時点で副作用が出ていたら、それでは完全に犬死にとなる。犬死にとさせないためには結局彼が樹液を使い続けるしか道はない。
最初の一手で、全て決まっていたのだ。
5回目の使用。
耳を疑った。一番やってはならないこと。それをよりによって本人が。
「情報開示2段階目。今んとこ身体に異常なしだ」
「な、――っ」
何を言い出すのですか。既の所で止まりはしたものの、隣に座ってメインルームでモニターを凝視していたアーニャにも動揺が伝わってしまったようだった。ちらと視線を向けてきたアーニャに、何でもありませんよ、と返して、もう一度心の中で問いかける。――あなたは……
何故2段階目の情報を皆に知らせてしまったのですか!
新たな情報が開示されたと知ったら、気付いていなかった者まで皆確認するに決まっている。そしてあの死刑宣告に等しい文面を見てしまう。そうなれば次に見るのは……使用者に決まっている。
情報開示枠が5つもあるのにこのような情報が2枠目に書かれている。それは、2段階目の情報を出来るだけ早く伝えたいからこの順番で記述した、ともとれる。勿論本来の意図などは書いた者にしか解らない。しかしいずれ、もしくはもうすぐ、使用者は爆発しかねない。それだけは解る。
そして、その事実が周知されてしまった。
隣に座るアーニャがはっとなり、端末で情報を確認する。何度か読み返して自分なりに理解しようとする、『間』。やがて明確な不安を乗せた顔をこちらに向け、胞子のコートの裾をぎゅっと握った。
コントロールチームのチーフに任命された経験と実力があるとはいえ、アーニャはまだ年端もいかない少女だ。このままモニターを見せ続けてもいいのだろうか。
ここで働く以上、ある程度は同僚の死というものに耐えられるタフさが必要だ。だが過剰な刺激は多感な年齢の少女にとって良くない。『最悪の事態』を直視させたくはない。しばし思案して、『チーフ』に告げた。
「アーニャ、ここに居る皆さんを元気づけてあげてくれませんか」
不安から疑問に変わる顔。「コービンくん?」何をするつもりか、と問いかけてくる。詳細は告げず、目的だけ伝える。
「ダフネの所に行ってきます」
「アーニャも!」
やはり着いてきたがるだろうとは思っていた。だが、もし『最悪の事態』になったとしたら、きっと酷い惨状が予想される。直接見せたくはない。だからもう一度提言する。
「『チーフ』、どうかここで、皆さんを支えてあげてください。あなたのその元気を分けてあげてください」
動揺や不安は見せず、出来るだけ落ち着いた声で、優しく諭すように。
やがてアーニャは不安ではなく懇願に近い顔になって、
「ダフネんのこと、あんまり怒らないであげて」
見透かされている。敵わないな、と痛感した。やはり自分は補佐のほうが合っているのかも知れない。
「心配しなくても、怒りませんよ」
見透かされているのを承知で、嘘を吐いた。
ほんの少し笑いかけながらアーニャの肩をぽんぽんと軽く叩く。頼みましたよ、チーフ。そんな気持ちを込めて。
逸る気持ちを抑えてコントロールチームのメインルームをゆっくりと歩いて出た。扉が閉まると同時に走り出す。真っ直ぐ懲戒チーム上層へ。大馬鹿野郎のところへ。
途中、管理人の慌てふためく声。――管理人、4回目の使用で情報を見ていなかったんですか。もう少しこまめに確認してくださいよ。今回ばかりはどうしようもありませんでしたけど、それとこれとは別ですからね。
あとで管理人にも灸を据えないと。そんなことを考えている間に、管理人が使用中止の指示を出す。
恐らく本人は抑えているつもりだろう、しかし隠しきれないほどに荒く浅い呼吸で、ダフネが告げた。
「いや、多分遅い。もう嫌な気配がしてる」
同時に端末を横目で見る。6回目。樹液の使用回数が増えていた。さらに荒くなった呼吸混じりで、絞り出すように続ける。
「爆発まで、まだ猶予はあるんだろ?なら、それまで飲み続けてやるよ」
――馬鹿ですかあなたは!
今までは可能性どまりだった使用者の死が、可能性ではなく確実なものとなったという事実を、それを知った者が何を思うのかを、解った上で言っているのですか!
30秒と待たず確実に訪れる自分の死を宣言して、誰がそれを見届けないものですか!
収容室の中にも、扉の前にも監視カメラは設置されている。メインルームからは各カメラの映像を職員が任意で指定し、映し出すことができる。勿論個人所有の端末からも。
これから己が爆発する様を、皆に見せようとしている。呼吸の荒さを考えると、自身の身体に相当な負荷がかかっているに違いない。それでも明らかに無理やり作ったであろう笑みが見えた。
宣言の意図は後でゆっくり訊く。とにかく今は走るしかない。走ることしかできない。
「ダフネん……」アーニャの憔悴しきった声。出来れば彼女には見ないで居て欲しい。だが恐らくは見てしまうだろう。あの台詞を聞いてしまったら。管理職で部門チーフだったとはいえ、まだ年端もいかない少女に、なんという光景を。
「心配すんな。ちゃんと戻ってこれるからさ」――そういう問題じゃないでしょう!心配かけることしか言わないくせに、心配すんなも何もあったものですか!
溢れそうな感情を無理に押し殺したような、管理人の震える声。
「最後まで情報の開示を、お願いします」
そうするしか無いとはいえ、管理人の動揺が大きい。これで普段から管理人を気遣っているつもりなのか。これでは自分自身が一番負担をかけているのではないか。その事に気づいていないとでも言うのか。
走る。広すぎる中央本部に内心悪態をついた。走りながら何度も見た端末。樹液の使用回数は7回目を数え、情報の3枠目が開示されている。読む暇はなかった。
嫌に明るく取り繕った声と、それが歪むのを聞いてしまったから。
「おう、任さ、れ」
直後、バツン、と水気を含んだ破裂音。
端末の画面をカメラ映像に切り替える必要はなかった。懲戒チームに繋がる扉は目の前で、扉を開ければそこには。
「……あの馬鹿」
目に入ったのはどす黒い紅が破裂した残骸。紅い、命と言う名の花火が炸裂した亀裂。収容室前から中央本部に繋がる扉まで飛び散った紅の飛沫。先に駆けつけていたであろうウランランスが、両膝をついて呆然とするさま。その頬は紅の飛沫で染まっていた。
場の惨状に一瞬だけ怒りを忘れる。
「自己犠牲が過ぎるんですよ……」
解りきっていたことだった。それでも、言わずにはいられなかった。
やはり待っていられなかったようで、アーニャがいつの間にか息を切らせて胞子のコートを握りしめていた。爆発の瞬間を、彼女は見ていたのだろうか。どうか見ていないでほしい。
せめてこの場の惨状を少しでも見せまいと、彼女の視界を遮るように振り返り、中央本部へ行くよう促した。
数歩歩いて、彼女が振り返る。見ておかなければ。そんな意思が彼女の小さな背中から伝わってきた。細かく震える彼女の肩を引き寄せて、今度こそ中央本部へと向かった。
業務終了後、真っ先にダフネの元へ向かった。懲戒チームから中央本部へ繋がる扉を開く姿が見え、息を整えながら歩み寄る。
ダフネは伏せた目をこちらへ合わせないようにして早足で歩く。すれ違いざま、
「ダフネ」
声をかける。立ち止まるダフネ。やはり目を伏せてこちらを見ようとしない。
ダフネの正面に立ち、じっと見据える。何も言わない。
「見たでしょう、収容室前の行列を。グレゴリーが提案したんです。『観測のため複数人で1回ずつ使用する。1回とはいえ安全の保証は出来ない。それでもいいという覚悟を持った者だけ集まってくれ』。……その結果があの行列です」
3段階目の情報。『樹液を飲んだ回数に応じて回復量と爆発の確率が上昇する』。ならば1回ずつ使うことで爆発のリスクを抑えつつ観測が進むのでは、と。結局は1回飲んだだけでも爆発する可能性は残ったままということが判明し、今後E.G.O収集がてら見かけたら収容してこまめに使うということで妥協と相成った。
「……」
「あなただけにリスクを負わせたくはない。僕達だけじゃない、職員の皆がそう思っているからこその、あの行列だったんです。あなたは、……自身がこれほどに慕われていることを、好かれていることを、」
感情に任せて言葉を叩きつける。噴き上がる感情と共に言葉が詰まる。
「そんな皆に、あなたはッ」
目の前に佇む沈黙。卑怯な沈黙。その対応に感情が募る。
「何故」伏せた目と殺人者の口枷のために表情は殆ど見えない。声が震える。「何故、自分の死に様を見せつけるようなことを、」
「すまない」
目を伏せたまま、ぽつりと一言。何かが切れる音がした。
左足を踏み出し、ダフネの頬に向かって思い切り右の拳を突き出す。振り抜いたつもりだった。
彼の左掌に遮られ、拳が止まっていた。反射だったのか、見抜いていたのか。予想外の挙動に息が詰まる。
「……すまない」
目を伏せたままもう一度、今度は消え入りそうな声で。拳を受け止めた彼の左手がだらりと垂れる。
悔しさと怒りで顔が引き攣る。眉間に力が入る。
「――ッ」歯ぎしりと共に無力な右腕を降ろす。行き場を失った拳が震える。
しばしの沈黙。怒りで荒くなった己の呼吸音だけが聞こえる。
「……殴れよ」目を伏せたまま、両腕の力を抜いたまま、投げやりに。「もう止めないから、殴れよ」
左の拳で、力無くダフネの右頬を殴る。殴ろうがどうしようが、意味が無いことはとっくに解っていた。目の辺りが熱い。
「――どうして、あんなこと」そこまでしか言えなかった。声が詰まる。どうしてあんなことを言ったのですか。せめて視線で問う。伏せたままの目をじっと見据えて。
「悪かった」
「僕に謝っても意味無いでしょう!」涙と声が同時に溢れた。止める術はなく、只々歯を食いしばって涙が収まるよう堪えるしかなかった。
ダフネが顔も伏せ、完全に表情を隠す。
「何も言わなければ良かった」
その声に後悔と贖罪と呵責を乗せて、微かに震える声で、
「……何であんな事言っちまったんだろう、な」
言い終わる直前、ダフネの伏せた目から涙が落ちるのが見えた。そのままダフネはまた早足で歩き出す。最早怒る気力すら湧かず、ただ背中を見送る。
最後に落ちた涙の意味を捉えきれず、しばらく立ち尽くしていた。
ひとつ解ったことは、今日起きたことが彼の本意ではなかったということのみ。
ダフネだって、こうなることは望んでなかったはずで、だからこそのあの態度。
でも、それなら、
「――どうして――」
それしか、言えなかった。