Dust To Dust『もしもし、村雨先生の携帯番号で間違い無いでしょうか。……はい、園田です。実は、獅子神さんの事で緊急のご連絡が……』
*
しとしとと雨が降る暗闇の中、高級住宅街の一角を車が疾走していた。時刻は既に深夜に差し掛かっている。
恨みがましい同僚達の視線を振り切って退勤しハンドルを握った村雨は、ガレージに愛車を止めて運転席から乱雑な動作で降り立った。
不機嫌に細めた目で見つめる先はこのガレージの所有者である獅子神の家。窓二つから光が漏れている。
今日も今日とて日勤からの残業に入っていた村雨の元に来た一本の電話。
ギャンブラー仲間であり、恋人でもある獅子神が雇用する従業員からのそれは、村雨を絶句させるに相応しい内容だった。
『獅子神さんを訪ねて来た来客と獅子神さんとの間でトラブルがあり、相手が死にました』
他のギャンブラーであれば趣味か虫の居所でも悪かったか、で済ませるところだが――とはいえ彼等も快楽的に人を殺すような人間性ではない、彼等なりに理由がある――こと獅子神敬が、となれば話は違う。
絶対にそうせざるを得なかった理由があるのだ。村雨の焦りは相手の生死ではなく、そこまで追い詰められた獅子神の方に向かっている。
村雨が降り立ったのと同じタイミングで角からワゴン車が一台現れる。暗闇、ヘッドライトという悪条件を乗り越えて村雨の目はワゴン車のハンドルを握る人間を認識した。一刻も早く駆け付けたいという逸る気持ちを押さえつけ、彼等が村雨の車の隣に駐車するのを待つ。
中から出て来たのは真経津、叶、天堂。いつもの顔ぶれだ。叶と天堂は準備も良く、ワゴン車からシャベルと大きな袋――村雨も良く職場で見掛ける、所謂遺体袋――を持って下りて来る。
唯一身軽に身一つで下りて来た真経津は、常の底知れぬ笑みを引っ込めて真顔だ。
三人を一瞥した村雨は玄関へと向かう。預けられている合鍵で解錠し、ドアを開ければそこでは園田が待ち構えていた。園田は四人を見、あからさまにほっとしたような表情を浮かべる。
「ありがとうございます、お待ちしていました」
「獅子神は何処だ」
「リビングにいます」
何度も訪れた家だ。今更誰も案内など必要としていない。足早に向かい様に、村雨は園田に伝える。
「最初に私達に連絡したあなたの判断は正しい」
「……はい」
救急でも警察でも無く、村雨に連絡を取った事は正しかった。一般的な法や倫理に照らし合わせなどではなく、少なくとも村雨やこの場にいる四人にとっては正しい事だった。
リビングと廊下を隔てるドアを開けると、ソファーの上で毛布にその身を包み込み俯く獅子神と、ソファーの足元で跪くようにしながら彼女を見上げ、声を掛けているもう一人の従業員の姿が目に入る。従業員は村雨達の姿を認めると、さっと立ち上がり場所を譲るように引いた。
村雨は獅子神の隣に座り、囁く。
「獅子神」
びくり、と獅子神の肩が震えた。
「何があった」
何があった、と尋ねはするが大体の予想は出来ていた。部屋の異様な雰囲気、毛布に隠れ怯えを見せる獅子神、死んだ相手。
数拍の間の後、獅子神はのろのろと顔を上げる。――白い頬に広がる青黒い跡を目にし、覚悟していたとはいえ胃の奥に熱した鉛を流し込まれたような心地に村雨はぐっ、と拳を握った。
後ろの三人にとっても同じ事だったのだろう。ざわりと剣呑な気配が立ち上る。真経津が三人の輪から離れ、村雨とは逆隣に座る。
残された叶はちらりと隣の天堂に目配せをし、園田に短く命じた。
「案内しろ」
流石に何処へ、と説明されずとも分かる事だ。
「――此方です」
リビングを離れた二人は、園田の先導で再び廊下へと戻って行った。
*
場所は普段来客を出迎える応接室。叶や天堂は最初からプライベートなリビングに通された為、この部屋は目にしたことがある程度だ。
ドアを開けた瞬間鼻腔に流れ込んで来た鉄錆の匂いに叶はふん、と鼻を動かす。
先に中に入った天堂はテーブルの横、俯せに倒れている動かない男を無言で見下ろした。後頭部からの出血が夥しい。テーブルの角にべっとりと血が付いている事から考えてそこに打ち付けた、で間違い無いだろう。
仰向けに倒れていないのは、倒れた後に身体を動かしたからだ。床に残る血の跡が物語っている。意識の確認や救命を試みたのだろうか。
天堂はその場でしゃがみ込み、男の髪を掴んで乱暴に仰向かせる。白目を剥き口から泡を吹く男からは生命活動の名残を感じない。間違いなく絶命している。いやそれよりも。
「……縁者か」
加齢だけではない、不摂生による容貌の崩れ。しかしほんの僅か、獅子神と似通う面影がある。血以外のもの、脂で不潔にべたついて見える髪は黒、獅子神の薄い色素はまた別の親族からの遺伝か。
やるせないな、という天堂の呟きを拾って園田が控えめに答えた。
「父親、だそうです。借金の申し込みに来たらしく」
「成程」
何も語られずとも、天堂や叶、勿論真経津にも、獅子神が不幸な幼少期を過ごしていたであろうことは察しがついていた。
急な物音や怒声に緊張を見せ、警戒を強める。一度認め懐に入れてしまえば逆に心配になる程無防備な彼女は、気を許していない相手には臆病だ。
家族の話になると突然口が重くなり、言葉を濁す。そして村雨からは強い視線が飛んでくるのだ。これで訳アリでない筈が無い。
そんな不幸の原因の一つが借金の申し込み。碌な展開にはなるまい。
「それで、断られたって逆上して腹いせにレイプしようとしたって? クソすぎだろ」
心底の軽蔑を含んだ叶の言葉に天堂は振り返る。
冷たい目で手の中の何かを見つめる叶の視線を追う。そこにあったのは小さな、白くつるりと輝く白蝶貝製のボタンだ。――獅子神が好んで良く着ているシャツのボタンも、同じような物が着いていた。
天堂は園田を見る。沈痛な表情が叶の言葉を真実だと裏付けていた。獅子神のあの怪我も抵抗の際に負ったと聞けばそういう事か、と理解できる。理解はしたが納得は勿論していない。
「自分で散々甚振った娘に金借りようとして、断られて襲って反撃されて殺されるとか。びっくりするくらいクソだな、これ警察に持ち込んでも正当防衛になっただろ」
男に頭部以外の傷は見当たらない。反撃と言っても精々押し退けようとして強く押した位なのだろう。
「黎明、言葉は正しく使え」
「あ?」
グシャ、と重い音がした。後ろで園田が息を呑むのを感じながら、叶は目を細める。
死んだ男の顔を踏み潰した天堂が、当然の道理かのように説いた。
「ゴミを片付ける事を殺したとは言わない」
「……そりゃそうだ。ユミピコが正しいな!」
獅子神敬は殺人など犯していない。何故なら死んだのは人間でもない、獣以下のゴミなのだから。
「ゴミはゴミ箱へ」
「あっちが落ち着く前に片付けるかー」