ホワイトチョコ この商店街に新しく洋菓子店ができるらしい。
そんな噂が真一郎の耳に届いてから、さほど月日は経たないうちに、くだんの洋菓子店の店主が S S MOTORSへ挨拶に訪れた。
「──これはオープン日に店で出す予定の新商品なのですが、もし宜しければ召し上がってください」
そう言って、洋菓子店の店主から帰り際手渡されたのは、チョコレートだった。デパ地下などでよく見る、仕切られた箱に一粒ずつ並んでいるようなきらびやかなものだ。
黒をベースにしたシックな箱に、色や形、デコレーションが一粒ずつ異なるチョコレートが横五列、縦三列で合計十五個収まっている。
ひとつひとつに細やかなデザインが施されていて、美味しそうの前に、綺麗だなという感想を真一郎は抱いた。
特に一番左上に鎮座しているホワイトチョコレートを、真一郎はもう何分も矯めつ眇めつ眺めていた。
平たい円柱状の真っ白なそれの右端に、細かい赤のカケラが舞うように乗せられている。苺のフリーズドライだろうか。
真一郎はそのチョコレートを通して、自身の恋人の昔の姿──白豹と呼ばれていた頃の彼を思い浮かべる。
黒を纏う集団の中で、白の髪と赤のピアスをなびかせながら舞う姿はあでやかですらあった。
あの頃の彼の姿を、目の前のチョコレートに投影してしまい、真一郎は自重気味に笑う。
──重症だ。チョコレートにさえ、彼の姿を探してしまうなんて。
真一郎は、初めて恋を自覚した時のことを思い出す。
若狭に出会う前も、真一郎は恋をしていた。そのはずだった。あるときはクラスメイトの女の子に。またあるときはコンビニでよく会う年上の女性に。
可愛いなと思っていたし、一緒に出かけたいだとか、思いが通じ合ったら触れてみたいだとか、幸せにしたいだとか、そういう甘い願いを抱いては高揚し、話すだけで緊張したり、喜んだりしていた。それらは恋だと、若狭に出会う前までの真一郎はそう思っていた。
けれど、違ったのだ。
どれほど世間のいう恋の定義に、それらが当てはまっていたとしても、自分にとってはそれは恋ではなく、好意だったのだなと今なら思う。もちろんそれらは大切な思いではあるし、過去の彼女たちの魅力を否定するつもりは全くない。
ただ、恋ではなかったのだ。
では恋とはなにか。
若狭に出会って時を重ねる過程で、ある日すとんと真一郎の中に「それ」は落ちてきた。
「それ」とは何か。恋だ。それ以外に形容できないものだ。
アイザック・ニュートンが木からりんごが落ちるのを見て、万有引力の法則を発見したように、真一郎は自分の心に落ちてきた「それ」により、恋を発見したのだ。
真一郎にとっての恋とは、つまりは若狭だったのだ。引力は目に見えなくても確実に存在しているのと同じで、説明がつかなくても確実に真一郎にとっての恋とは若狭なのだ。
若い時分に、そのことに気づいた真一郎は、そっくりそのままの言葉を若狭に伝えた。
それを聞いた若狭は、数秒フリーズしたのち、目をしばたかせて、それから「なんだそれ」と吹き出した。「さすが最弱王」「そんなんじゃ女口説けねえわナ」とさんざん笑ったあと、「口説きかた教えてやるから耳貸せ」となにか企むような表情を浮かべた。
笑われたのもなにか企まれているのも面白くなかったが、恋した相手の口説きかたには興味があったので、真一郎は言われるまま耳を若狭の口元に近づける。すると、「オレのがとっくに惚れてるワ」と、恋を実らせる音がした。
それから実った恋を大切に育み、今日に至る。
育ちに育った恋は、今ではチョコレートの一粒にさえ、彼の姿を紐づけてしまうほどになっていた。
「食うのもったいねえな」
真一郎はホワイトチョコレートをそっとつまみ上げて呟いた。
そのとき、
「へえ。食うのもったいないと思うなんて、どこのだれからもらったの? そのチョコレート」
すぐ耳元で声がした。
殺気さえも感じるその低い音に、真一郎の喉がヒッと鳴る。
ゆっくりと振り返るとかつての白豹を思わせるほどの好戦的な表情とぶつかった。
そこには今しがたチョコレートを通して思い浮かべていた人物──若狭の姿があった。
真一郎は慌てて時計を見る。若狭が店に訪れると、前日に言っていた時間を超過していた。
「オレが店に入っても気づかねえほど、ご執心になっちゃうそのチョコレートの贈り主、オレに教えてくれよ真ちゃん」
右の口端をつりあげて笑うその彼もまた、今日まで恋を大きく育ててきた男なのである。それはもう、周りがドン引くほどの大きさまで。
「ワカ。話そう、まずは話そう」
「いいね。まずは、未だに手離さねえそのチョコレートの贈り主の特徴とか聞かせてくれるとありがてえかな」
真一郎が若狭を落ち着かせようとすればするほど、若狭の怒りのボルテージが上がる気配を感じ、とりあえず真一郎はホワイトチョコレートをそっと丁寧に箱へと戻した。音すらも立てないように、細心の注意を払いながら戻したはずなのに、しかし、代わりになにかがブチリと切れる大きな音がした。
そちらを見れば、チョコレートへと嫉妬を燃やしていた目がをじとりと真一郎を睨みつけていた。