こちらK察庁K備局奇危怪異対策室:01 K察庁K備局奇危怪異対策室。
-----通称KKK 。
それは古来より国家の統治権に基づき『存在することを知られてはいけない』あるいは『表ざたにはすることはけして許されない』この国の歴史の闇に潜む”怪異事件”を専門に取り扱う、公共の安全と秩序の維持を目的とする極秘組織である。
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こちらK察庁K備局奇危怪異対策室
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午前2時26分-----都内湾岸某所。
深夜のコンテナターミナル。
都会の喧騒から隔絶されたそこは今、地の果てのように暗く静まり返っている。
『こちらA。ポイント01異常ありません』
『こちらB。ポイント06同じく異常ありません』
「了解」
うず高く積み重ねられた鋼鉄の輸送用コンテナ。
その隙を縫うように歩きながら、男は左耳に装着したインカムに短く指示を飛ばす。
「引き続き警戒を続けろ」
『『了解』』
陸と海上。
コンテナターミナルの周辺に配置し警戒に当たらせている部下たちからの定時報告に、いまのところ異変は無い。
【国内の某反社会的勢力(要するにヤクザだ)がロシアン・マフィアを介し、”呪詛用の贄”として妖魔の違法取引を行っている】
一次情報としてあまりにも不確定且つ、警察組織が取り扱うには極めてファンタジックなその怪情報を彼と彼の所属部署が入手したのは、夏も終わろうかという9月末のこと。
捜査をもとに取引場所の絞り込みには至ったものの、ふた月が経過した今も現場を抑えることは出来ず、状況は停滞していた。
(そうでなくとも今月に入ってから”ソレ”が原因と思われる事件や事故が、小規模ながらも発生している)
国外から持ち込まれた”怪異”や”穢れ”はこの土地に災いを呼び起こす。
早急に根を絶たねば事態がより深刻化することは明らかだ。
“現し世のルール“では裁けない、この国を脅かす脅威。
それらを未然に防ぎ、また必要とあらば排除する。
それこそが彼-----風見裕也警部補と彼が所属する【K察庁K備局奇危怪異対策室】の職務であった。
[Episode01:ことの始まり]
長年の荷重によりひび割れの目立つアスファルトの路面。
野生の獣のようにひたと足音を殺し、風見は夜風に冷えたコンテナヤードの隙間を歩く。
足元を照らすのは雲間から見え隠れする月明かりと、クレーンの先端で明滅する航空障害灯の赤い灯のみ。
鈍く照らされたコンテナの群れが、その姿を暗闇の中に赤く浮かべては滲むように消してゆく。
ゲートから管理棟を抜けコンテナターミナルのほとんどを検索したが、これといった異常は見当たらない。
(今回もハズレ……か)
無意識にメガネのフレームに手を添え、男はため息と共に落胆を吐き出した。
----と、その時。
『ガンッ!!!!!!!』
突如、山と積まれたコンテナの後方から響く巨大な破壊音。
「なんだ?!?!」
音の発生源であろう岸壁側の”荷役エリア”を振り仰げば、男の視界に映ったのは水飲み鳥のごとく夜空に並び立つ巨大なガントリークレーンの群と、そのうちの一機が軋むような音を上げ今まさに地上へと傾いでいく姿だった。
(嘘だろ……)
そんな風見の思いも虚しく、高さ120メートルを誇るガントリークレーンの巨大な機体は、まるで質の悪い悪夢でも見ているかのようにゆっくりとバランスを崩しながら地上を目がけ倒れ伏していく。
ドン!
バキバキバキッ!!!
メキャッ!
重量のあるモノが倒れ、軋み、つぶれる轟音。
それに一瞬遅れて、唸るような地響きがコンテナ埠頭を大きく揺らす。
「クソっ!」
よろめく身体を手近なコンテナに捕まることで支え、風見は左耳のインカムに手を添える。
「相田! 馬場! そちらの状況は?」
逸る鼓動を制し連絡を飛ばせば、待ちわびたかのように部下たちの声がインカム越しに返ってきた。
『こちら相田! ポイント01から03、振動と異音は感知しましたが異常はありません。なんか凄い音しましたけど、どーなってんですかこれ??』
『こちら馬場! ポイント04から06、湾内停泊及び巡回中の各監視船より荷役エリア内ガントリークレーン1機の崩落を確認。風見さん、そちらは大丈夫ですか?』
「問題無い。とりあえず周囲を警戒の上こちらから指示があるまで待機を……」
ザザッ…...!
『かざ……ザザッ…さん……?』
『……通し……が……ザッ……』
「相田? 馬場っ?!」
唐突にインカムに走るノイズ。
電波を利用した通信を突如遮断するこの現象の答えを彼は知っている。
(霊波障害……!)
舌打ちと共に風見は緊迫した声色でインカムへと指示を飛ばす。
「現時刻をもって我が班は第一次臨戦態勢に移行する! 繰り返す、現時刻をもって第一次臨戦態勢に移行する! 外周警備各員は直ちに[不可知不可触]を展開のうえ警戒を強化。結界内部から逃れようとするものがあれば攻撃を許可する! このコンテナ埠頭からネズミ一匹逃すな!!」
『『……り…解! ザザッ…これ…り…ザザッ………始…ます! ザザザッツ!!!』』
「……クソっ」
耳障りなノイズのあと完全沈黙したインカムに、思わず舌打ちをする風見。
(ノイズ混じりだったが返答はあった。おそらく間に合ったはず……)
そして指示からきっちり10秒。
キン! という耳鳴りにも似た空気の揺れ。
目に映る光景に異変はないが、まるで飛行機離陸時のように耳管がぐっと圧迫される感覚を覚え、風見は己の出した指示が無事遂行されたことを確信する。
(これで周辺への影響は最小限に抑えられる)
[不可知不可触]
指定した範囲を囲い”只人”の目と耳から内部の様子を遮断するこの結界術は、器物損壊常習犯との悪名高い怪異対策室における、いわば十八番とも言える術式だ。
展開と維持にある程度の霊力を必要とするため今回のような規模をカバーするにはそれなりの能力を持つ人員が複数必要となるが、一度展開させれば小一時間は外界から内部の様子の一切を遮断できる……が。
(最も、出来ることはそれだけだ)
どうせなら”破壊行為そのもの”も無かったことにしてくれると風見としては非常に嬉しいのだが、生憎とあやかしの術というものはそこまで万能では無いらしい。
倒壊したガントリークレーンと、恐らく押しつぶされたであろうコンテナの数々。
後々処理しなければならない始末書のことを思うと、風見は毎回胃のあたりがキリキリと痛む。
(一体何が起こっているんだ……)
先程の轟音などまるでなかったかのように再びの静寂を装うコンテナヤード。
だがそれが数秒先の安全を保証するものでないことを男は知っている。
すぐさま状況を確認しこの場を離脱したいところだが、先程の通信以降インカムにはノイズしか走らず、早急な回復を楽観視はできない。
加えて今回、風見班の出動はあくまでも偵察が目的であり、こういった有事の際に『荒事』を担当する”実働部隊”が不在だ。
単身、それも正面切って交戦するとなると装備もけして充分とは言えないし、そもそも”只の人”である風見に怪異の相手は荷が重い。
(さて……どうするか)
外周へと向かい陸上にて周辺警戒を行う部下たちと合流するか。
あるいは倒壊したクレーンある湾岸方面へと向かい、現場を確認するべきか。
(合流一択だな)
風見にとって選ぶべきは、いつだって『より生存率の高い』可能性だ。
ならば一旦、入口へと戻ろうと風見は周囲を警戒しつつ踵を返そうとした......その時。
ザッ、ザッ......ガサリ。
コンテナの落とす黒い影の合間で、明らかにヒトではない『ナニカ』が蠢いた。
「っ!!」
瞬時、風見は懐のホルスターへと手を伸ばす。
『ウフフフフ……』
『アハハハハハハ!!!』
『アーアー! アアアアア!!』
乱れた長い黒髪に赤い目。
怖気立つほど大きく身震いするほど醜悪な蜘蛛から、男であれば目にした瞬間に劣情を覚えずにはいられぬ蠱惑的な女性の裸体が生えた妖魔。
コンテナの暗がりからその側面にへばりつくようにして這い出てきたのは、大きさ約4畳ほどの巨大な女郎蜘蛛。
----その数は3体。
『嗚呼ァアアアアアアアアア!!』
風見の姿を見るや否や雄たけびとともに突っ込んで来た1体に向け、風見は銃口を向けると迷いなく引き金を引く。
パシュッ!
軽い発射音。
この状況で今更サイレンサー付きの銃に意味があるのかは甚だ疑問だが、銃声が無くとも放たれた弾丸は過不足無く敵を貫く。
『ウ嗚ァアアアアアアアアアン!』
眉間を正確に打ちぬかれ、狂ったように身をよじり断末魔をあげる大蜘蛛に風見は内心、安堵の息をつく。
(当たって良かった......)
風見が使用する銃----P2000とその銃弾は、対妖魔用にチューニングされた怪異対策室の特注品だ。
霊験あらたかなどこぞの寺社仏閣で祓い清められたという”銀の弾丸”は、その威力もさることながら、通常の弾丸に比べおよそ7倍というとんでもない費用がかかっている。
そのうえ1発打つたび報告書を上げなければならないため、貧乏性な風見としては可能な限り打ちたくなければ、的を外して無駄弾を量産するようなことは絶対に避けなければならぬシロモノだった。
(あと2匹!)
目標へ向け、風見は再び銃を構える。
『『嗚呼ァアアアアアアアアア!!』』
仲間の一体をあっさりと屠られ憤怒の声を上げる大蜘蛛たち。
「目の前に居るのは単なる餌ではなく己を屠る術を持つ敵」だと、そう認識した妖魔たちの瞳が、風見へと向け敵意に赤く燃えあがる。
『『ギァアアアアアアアアア!!』』
大蜘蛛の背後からまるで空間に墨を引くような速さで伸びる無数の蜘蛛糸。
鋼鉄のような強度を持つその先端が男の足元のアスファルトを帯状に抉り、固いコンテナの表面にいともたやすく突き刺さる。
(速い!)
咄嗟、猫のように身をひねりながら後方へと跳躍し緊急回避を行うが、こちらを追うように迫る無数の糸の全てを回避するには至らない。
回避し損ねた数本の蜘蛛糸が風見の身を霞め、脆いスーツの布地と共に肌の表面を切り裂いた。
「っ!!」
右太ももの側面に走る、肉をもがれたような痛み。
咄嗟に重心を取り損ね、風見は着地と共に地面へと片膝をついた。
「くそっ! どいつもこいつもトンデモな技ばっかり使いやがって!!」
『『アーーはハハハハはは!!』』
大蜘蛛たちの喉から湧き上がる、嘲笑うかのような奇声。
眼前に転がるのは”足を奪われ弱った獲物”だ。
当然、妖魔たちが見逃すわけも無い。
『『嗚呼ァアアアアアアアアア!!』』
地面を蹴り転がるようにして身を起こした風見へと向け、大蜘蛛がふたたび咆哮をあげる。
風見も堪能な限りの回避を試みたが、負傷した脚を庇いながらでは、狙いを澄ました無数の糸のすべてを躱すことは不可能だった。
(……避けられない!!)
情けないがそう確信し、風見は迫りくる蜘蛛糸を真正面に見据え”虎の子”の術を唱える。
「鬼火!!!」
紡いだ言の葉より現れたのは”こぶし大の火の玉”。
赤く燃え光るその炎は、今にも男の胸を貫こうと迫った蜘蛛糸を瞬時に焼き払うやいなやそのまま糸の先へと伝い、その根本に座す大蜘蛛たちの身体を瞬く間に燃え上がらせた。
『『ギャアアアアアアアアアア!!』』
この世の怨嗟を煮詰めたように耳障りな女郎蜘蛛の絶叫。
その断末魔を耳に入れながらも、男の顔には焦りは色濃い。
獣のように軽やかな身のこなしも。
鋼鉄を貫く糸を受けて尚、未だ砕けぬ身体も。
妖魔を容易く焼きつくすこの赤い炎も。
うまれてこの方”只の人”であるところの風見が本来持ち合わせている力では無い[借りものの力]だ。
そして借りものである以上、使用に際しては制約があり、特に[鬼火]のような”人の世の理を逸脱する術”を使えばその代償は大きい。
(くそっ……!)
ぐらりと揺れる視界。
まるで身体という器から魂が零れていくような脱力感に、風見は思わず顔を歪め膝を折る。
他に身を守るすべが無かったとはいえ消耗の大きな[鬼火]は、行使すれば己にとって諸刃の剣であることは分かっていた。
回避できたのは現状の”目に見える危険”だけであり、そして当然こののち新たな敵と遭遇しないなどという保証はどこにも無い。
したがって当然、
『アーーはハハハハはは!!』
そんな風見の不安を見越していたかのように、無情にもコンテナを隠す暗闇から新たな女郎蜘蛛の姿が現れる。
(予想していたとはいえ、最悪の事態だな……)
くらいコンテナヤードに響く、狂ったような嗤い声。
黒い髪のから覗く悦楽にゆがめられた赤い口許が、風見を捉えじゅるりと下品な舌なめずりをする。
それでも一縷の望みを捨てること無く感覚の乏しい足を引きずり風見は後退するが、その背はすぐさま高く積まれたコンテナに阻まれた。
(鬼火は......おそらくもう1度使える)
使えはするが、その瞬間に己が意識を失うであろうことはほぼ確定事項だ。
目の前のこの1体を屠れたとしてもまた次の敵が現れたが最後、無防備なまま餌にされるか、あるいは嬲り殺される未来が待っている。
しかしだからといってこの1体を倒さねば、続く未来が無いこともまた明らかだった。
(どうする)
そんな風見の逡巡を見越したようにけたたましく嗤う大蜘蛛から再度、無数の蜘蛛糸が放たれる。
弱った獲物を弄ぶためかあえて急所を外すように降り注いだ無数の蜘蛛糸は、容赦なく風見の四肢を抉り、貫いた。
「ぐっ!!」
たまらず地面へと倒れ込んだ男を、赤黒く光る蜘蛛の糸が間伐入れず絡め獲る。
「ぐあぁっ!!!」
意識を失わぬギリギリまで首を絞めつけ、裂けぬギリギリまで四肢を引き延ばす。
もがき苦しみ苦痛に顔を歪める男のその様に、真っ赤な唇から歯をむき出した女郎蜘蛛が心底楽しそうに嗤い声をあげる。
『アーーはハハハハはは!!』
そうしてひとしきり楽しんだあと、大蜘蛛は捉えた男の身体をまるで玩具のように持ち上げ、容赦なく固い地表へと叩きつけた。
「……ガハッ!!!」
全身を貫く衝撃と痛みに明滅する視界。
血をにじませた風見の四肢は、もはや力なく戦慄くだけのただの飾りでしかない。
地面へと頬を擦りつけたまま身動き出来ぬ風見の耳に、女郎蜘蛛の愉しげな嘲笑が轟く。
(これは……今回こそ、死ぬ……かも?)
血に染まり赤くぼやけた視界の先には迫りくる大蜘蛛のおぞましい脚の数々。
だが今の風見には指先ひとつすら動かす力も残されてはいない。
それどころかとうの昔に全身の感覚が無く、ただ耳元でドクドクと音を立てる血流だけが、己がまだ生きていることを辛うじて彼自身へと伝えていた。
(だからってこのまま.....死ぬわけにはいかない……)
そう。
そうなのだ。
自分にはまだ『やるべきこと』がある。
だから死ぬわけにはいかない。
風見はただそれだけを思い、奥歯を噛みしめる。
(死んだら……約束を果たせない)
ぐらぐらと揺れる風見の脳裏に、
「ああやはり、人間なんてこんなもの」
と。
冷めた目で己の死体を見下ろすあやかしたちの姿がまじまじと目に浮かぶ。
そんな末期の夢でも”人間に冷たすぎる”その姿があまりにもリアルで、風見は場違いにもおかしくなった。
(まぁ......実際オレが死んでも、そんな反応だろうとは思うけど)
それでも。
たとえ憎まれているとしても、風見は己に出来ることを成し遂げたかった。
『アーーはハハハハはは!!』
眼前へと迫りくる蜘蛛の脚と共に近づく耳障りな嘲笑の鳴き声。
浅くなる呼吸と急速に冷えていく己の指先。
やりきれぬ後悔を胸に、風見がすべてを諦め瞼を閉じかけた-----その時。
「風見っ!!」
「風見さん!!」
虚空より唐突に響いたのは、己の名を呼ぶ”二つの声”。
(あ……)
忘れるはずもない、間違うことなどありえないその声に風見はほっと息を吐く。
(よかった……)
彼らが来てくれたのなら、女郎蜘蛛などいくらいようが問題にはならない。
己の命が保つかはともかく、少なくとも事態の収束には目処が付くことが確定し、風見は安堵に目を閉じる。
(まぁ……来るならもう少し……早めに来て欲しかった……け……ど…………)
そう声にならない愚痴を胸中ひとつこぼすと、薄れゆく意識のなか風見は血を滲ませた口許をそっと小さくほころばせた。