マンゴープリン柳楽凌は予備校のビルを出るとぐいと伸びをした。日は陰りかけており、頬に当たる当たる風が冷たい。季節はもう秋が終わろうとしていた。もうすぐ冬が来る、つまりは受験の季節。灰色の浪人生活が終わるまでもう少し…となるには自分自身の不断の努力が必要なのだが。
「あれっ柳楽さん!?」
声のした方を見る。そこには橘知里佳が居た。マンションからも大学からも遠いというに、珍しい。柳楽は偶然現れた恋人の存在に胸が高鳴った。
「橘さん、どうしたの?」
「偶然ですね。近くで友達とお茶してて…。えっと、本当はちょっと期待してたんだけど。柳楽さんの予備校、ここって知ってたから…」
知里佳はえへへとにやけるように笑う。可愛い。攫ってしまいたい。自分に偶然会えたというだけでこんなにも幸せそうに笑うこの子が愛おしくて可愛くて仕方がない。柳楽の頬も自然と緩む。
「じゃあ」
せっかくだからバイトまで少し一緒にいる?と言おうとした言葉は遮られる。
「知里佳ー!どうしたの?急に走り出しちゃって。」
「そのおっきい人誰ぇ?彼氏?」
ぱたぱたと女の子が2人地理歌を追いかけて走ってきた。同じ年頃のお洒落な女の子たち。知里佳の大学の友人だろうとは想像に易い。
「あっごめんね、えっと、この人は」
知里佳は少し困った顔をしている、ように見えた。少なくとも柳楽には。
あぁそうか、俺が予備校から出てきたから。
大学生の友達に彼氏が浪人生ってなんか言いづらいよな。うん、わかるよその気持ち、仕方ない。
「同じマンションの住人なんです。ね、橘さん。」
柳楽はさらりと必要最低限の情報を喋る。
嘘は付いていない。本当のことを言っていないだけだ。2人は同じマンションに住んでいる。7年後には結ばれる約束もしている。そう、何も嘘は言っていない。
嘘は言っていないのに、知里佳は目に見えて不機嫌になった。
「そうですね、同じマンションの住人です。」
氷のように冷たい声をだす。やめろよそんな声、どっかの雪だるまを思い出して気分が悪い。
「知里佳どうしたのー?」
「同じマンションの住民にあったから、挨拶しに来ただけ、それだけです!じゃあ柳楽さんまたどこかで会いましょうさようなら!!」
「えっちょっと知里佳引っ張んなし!」
「おっきい住人さんばいばーい!」
知里佳は友人二人の腕を掴むとぐいぐいと引っ張って行ってしまった。
後に残された柳楽はぽつりと呟いた。
「…俺またなにか間違ったかな…。」
ーーー
バイトは散々だった。注意散漫でオーダーミスはするし皿は割るし飯を食いにやってきた雪女のラーメンに指を入れて出したら指ごと凍らされてあわや乱闘沙汰に発展しそうになり店長にしこたま怒られ賄いはザーサイとメンマしか貰えなかった。
おまけにバイト前に知里佳に送ったメッセージは未だに既読がつかない。
【ごめん、なんか怒らせた?彼氏が浪人生とか言うの恥ずかしいかと思って。】
【連絡待ってます】
これは相当怒らせたなと思った。気を回したつもりだったが、逆効果だったみたいだ。
でも、橘さんだってなんか友達に言いづらそうだったじゃないか。なんで俺だけが。そういうすれ違いの積み重ねが良くないというのは解っている。柳楽ははやめに詫びを入れようと、マンゴープリンを二つ買いメゾン・ド・ベルの帰路に着いた。
ーーー
2階の角部屋、知里佳の部屋のチャイムを押す。ピーンポーンと電子音が鳴る。
、、、出ない。
もう一度押す。ピーンポーン。
、、、出ない。不味いな、これ以上拗らせたくないというのに。しっかりと詫びを入れて誤解を解き今日は布団でしっかり眠りたいというのに。
柳楽はスマホを開き電話をかける。
コール音が2、3、4回……15回やっと出てくれた。
「…なに?」
「部屋に入れてくれよ。」
「部屋にはいません。お帰りください」
「俺が君のいる所解んないわけないだろ。開けてよ。マンゴープリン買ってきた。」
「…食べ物に釣られる女だって思われてるのいや。」
「じゃあ食べなくてもいいから部屋に入れて。寒いし、理由は分からないけど君が嫌な思いしたままでいるのはとても嫌だ。」
知里佳は渋々といった感じでドアを開ける。
柳楽はここに来たことを後悔した。
酒を飲んだのか、顔が赤く目は潤んでいる。おまけに風呂上がりなのか、いつもより水分が多めのとても良い匂いがする。
いつもは化粧で少しきりりと作り上げられた顔は落とされ素朴な素顔になっている。
しかし柳楽は正直知里佳の顔は素顔の方が好きだった。いつもの作られた彼女の自分のなりたい理想の顔も好きだったが、何より自分しかその顔を見ることがないというのは大きな優越感だ。
大きめのTシャツを着て、襟ぐりからは豊かな胸を覆う睡眠用のナイトブラが見えそうで見えない。いやでも動くと見えそうで柳楽は見えないようにと下に目を逸らす。
ホットパンツを履いているのだがこれもTシャツの裾から見えそうで見えない。真っ直ぐ伸びた細いがやわらかそうな太ももが覗いている。
足元にはもこもことした靴下を履いている。
つまりは、己の性癖にどストライクだ。
柳楽は己の中の獲猿が一瞬のうちに外に出ようとするのを抑え、壁に頭をうちつけて冷静さを取り戻そうとした。しかしここは橘知里佳の部屋だ。修繕費は彼女の敷金から出ることになる。それはまずい。
柳楽はなんとか己の自制心を奮い立たせる。
理想の彼氏を演じられるようにと笑顔を作る。
「開けてくれて、ありがとう。ここで話せる?」
「…いや。部屋に上がって。マンゴープリン食べるんでしょう?」
「食べ物に釣られる女だと思われたくないんじゃなかった?」
「食べ物を無駄にする女だと思われる方がいや。あがって。」
知里佳は客用スリッパを出す。ここまで来ては帰れない、まして自分から来たのだから。
柳楽は己の自制心と獲猿が格闘する幻覚を見ていた。
ソファに二人で並んで座り、プラスチックの小さなスプーンでもくもくとマンゴープリンを食べる。
座ると余計に匂いが気になる。あまりにも甘い、たわわに実った果実のような芳香。今が熟れ頃です食べ頃ですよと教えてくれる。だが俺はそれをけして食べてはいけない。禁断の果実を食らった猿と人は、受験に落ちて大学を中退して人生のルートを大きく変えなければならないのだ。それは避けたいことである。
「あっ」
知里佳がべちゃりと手を滑らせ胸の谷間にプリンが落ちる。美味そうだ。本当に、今すぐ食ってしまいたいが心の中に入学金25万円1年間の授業料50万円と思い浮かべ冷静さを保つ。
「…ティッシュ、とって下さい」
やめろその言葉は今の俺にはあまりにも刺激が強い。
柳楽は無言でプラスチックのケースに入ったボックスティッシュを渡す。
マンゴープリンを食べ終わった。どんなにスプーンですくっても何もくみとれない。
沈黙を破ったのは柳楽だった。
「…嘘はついてないよ。俺も君もこのマンションに住んでるし。」
「…嘘はついてないけど、柳楽さんはただのマンションの住人にこんな時間にマンゴープリンをもってくるの?」
「ごめん。君が、浪人生が彼氏なのは嫌かなって思って。」
「私、そんなこと思ってない!思ったこと一度なんてない!」
知里佳の瞳から涙がぼろぼろと零れてくる。きっとずっと我慢していたであろう涙が、酒とプリンの力を借りてとめどなく溢れてくる。
「私、柳楽さんが浪人生だからって、嫌なんて思ったことない!大学生でも高校生でもヒモでもニートでもいいんです!」
「それはちょっと俺が嫌だ。」
「私は獲猿の雌なんでしょ!?ちゃんとそう言ってくれなきゃいやなんです…。」
しくしくと泣くその顔を見ると、腹の底からぞくぞくと欲望で満たされる気がしてくる。
あぁ、本当に可愛らしい。俺の雌。いつか必ずその腹に種を植え付けるから。待ってて欲しい。
「ごめん、本当。君の気持ち勝手に推測して悪かった。もうしない。」
「街で私の友達と出会ったらなんて言う?」
「君の彼氏って言うよ。もう許してくれた?」
知里佳はすこし満足そうに笑ったが、少し彼女の中の悪魔が笑みを浮かべた。
手を大きく広げて可愛い小悪魔の頬笑みを浮かべる
「ハグしてくれるなら、許してあげる。」
いやそれは無理だ。外や周囲に人がいるならともかくここは君の巣の中で、他の人間は誰もいなくて、君は俺のどストライクの格好をしている。無理だ。確実に。俺の中の獲猿が。
「…せめて後ろからにしてくれない?」
「前からがいい。前からぎゅっとして欲しい、だめ?」
「駄目。俺は君の両親が君のために払った入学金及び授業料75万円を棒に振る勇気と君とお腹の子のための出産費用と養育費を捻出する甲斐性が無いから絶対に駄目。」
「もう!柳楽さんの馬鹿!すぐ子作りのことばっかり考える!えっち!」
「俺はそういう化け物なんだ!!知ってるだろう!!」
「じゃあバックハグで許してあげる。」
知里佳はそういうと柳楽の太もものうえにちょこんと座り、太い両腕を自分の腕に絡める。
頭上にある柳楽を上目遣いでじいと見つめ、えへへと笑う。
ぷちん。理性の糸がキレそうになるが必死でつなぎとめる。
「…満足?」
「満足じゃないけど、許してあげる。」
柔らかい肉体の感触が伝わってくる。自分の固い身体とは明らかに違う、柔らかくて、細くて、豊かな身体。丸い腰の下にある最も魅力的な臓腑。
今が食べ頃だ、幸い今日は子を成すのに適切な日では無い。犯してしまえ。腹の下で猿がそう囁く。駄目だ。一度でも7年後の約束を反故にしてしまえば俺はけして立ち止まれない。彼女の肉体に溺れ子を成すまで俺は止まれない。
だからここから進まないんだ。それが俺の唯一出来ることだから。
「んっ」
右手の人差し指に違和感を覚えた。知里佳がそれを舐めている。黒く染まった指先をちろちろと舌先で転がし、遊んでいる。
「た、橘さん、なにそれ、やめよう。」
「私、柳楽さんの手、大好き。大っきくて、太くて…かっこいい。ここのとこ、黒くてそれも好き。」
やめてくれ、そういう言い方しないでくれ。俺を煽るのをやめてくれ。猿が抑えられなくなってしまう。
知里佳は舌を伸ばして、柳楽の人差し指をぺろぺろと舐める。
指の間接、腹から背まで、丁寧にちろちろと舌を伸ばして味わうようにしゃぶる。柔らかくしっとりした肉の感触、俺が最も求めてやまない、それにとてもよく似た感触。
「あっ、くっ、た、橘さん、悪戯が過ぎる。もうやめて。そういうことするなら、俺帰るよ。」
知里佳が口を離した。ちゅぽんというリップ音が部屋に響く。
「…ごめんなさい。」
「うん、分かってくれればいいから。もう遅いから俺帰るね。」
知里佳は小悪魔のような笑みを浮かべながら、言う
「…柳楽さんは、もっと深くしゃぶられるのが、好きなんだもんね?」
柳楽の身体は一回り大きく膨らんだ。角が生え、身体中に白いふさふさとした毛が覆う。もう構うものか、誘ったのはこいつだ。攫って、犯して、子を成せばよい。人生はその後で着いてくる。それで良い。俺がこんなに自分を押し込める必要はどこにある。こいつは俺の番でそれを求めている、それならば、
すうすうという寝息が聞こえてくる。
「…橘さん?」
知里佳は柳楽の人差し指を掴んだまま、夢の世界へともう既に行っていた。
柳楽の身体がしおしおと萎む。そろりと体を離し、指を抜き、代わりにペン立てからチンアナゴを模した柔らかいペンを握らせる
「…歯磨きくらいしろっての。」
ふうとため息をついた。7年待ってと言った。7年待つつもりだ。だが、今後7年の間にどれだけ自分の理性は焼き切れるのかな。そんなことを思って柳楽はため息をついた。
柳楽はその後寝ている知里佳をソファに寝かせ毛布を掛けカップとスプーンは洗ってゴミ箱に入れて鍵は外から閉めてポストに入れて自分の部屋に帰ってシコッて寝た。それでこの話は終わり。