地図を広げて 意外な番組にハマったよなぁ。内心そう思いながら、向かいに座っている癖毛の男に目をやった。そちらの男の視線はというと、少し離れたところに設置されたテレビに向いていた。穏やかな表情で見つめる画面には、年代物の小さな自動車とやたらと背の高い男が映っていた。
最近の家電は便利なもので、ネット環境を整えれば公共の電波に乗っている番組以外もテレビ画面に反映させられる。そのため、高身長の成人男性二人が肩を寄せ合って小さなパソコン画面を眺めなくても済んでいる。
科学の発展万歳、そう思っているうちに、番組の司会者である背の高い男が四苦八苦しながら小さな車に乗り込んでいた。その一連の流れを見て、癖毛の男は小さく笑った。なぜ二人して車番組を見ているのかというと、端的に言えば互いの勉強のためだ。自分は英語を学ぶため、癖毛の男は現代英語と文化を学ぶためというのが言い分である。そのために分厚い紙辞書だって用意したのだ。
二百年の眠りから覚めた男は、彼が生きていた時代と現代のギャップを埋めるために学ばなければならないことが限りなくあった。その負担を減らすために考えられたのが、彼にとって馴染み深い国の番組を観ることだ。幸いなことに現代ではネット上で世界各国の番組が配信されている。何か肌に合うものはないかと試しに色々な番組を観てみたのだが、彼のお気に入りになったのは英国の車番組だった。ちなみに司会者が三人いた頃の時代のものだ。裁縫やパン焼きの腕前を競う番組も楽しんでいたのだが、この車番組のなかなか皮肉が効いた言い回しや、車とは関係のない雑談が気に入ったらしい。そして車が爽快に駆け抜けていく森や山といった映像に懐かしさを感じたことも大きな理由のようだ。そして、これまた意外だったのだが、この他の彼のお気に入りはサバイバル番組だったりする。
自分としても日本語字幕を元にリスニングの練習ができるので、一石二鳥といった感覚で一緒に車番組を観ることにした。なのだが、これが意外と面白い。番組内容だけではなく、時間を共にしている男に対しても同様の感想を持っている。それまでの彼への印象は、一生懸命に不慣れな日本語を話している姿から形成されていた。そのため、どこか庇護欲をそそられるというか、世話を焼きたくなるような、そんな印象が強かった。しかし、馴染みの言語というフィルターを通じるとどうだろう。情報をサクサクと収集しているし、時には彼の母語が零れ出る。初めて聞いた時はその声の調子に驚いた。普段の拙いながらも懸命な日本語を話す時とは異なり、少し低く、より落ち着いていたのだ。そこで彼が立派な成人男性で、悪魔祓いなんて困難が付きまとう職に就いていたことを思い出した。
彼を侮っていたつもりはないし、真面目で律儀な苦労人だと思っていた。しかし目に見える情報に釣られていた部分も大いにあったのだと、一人で勝手に反省したことは記憶に新しい。
司会者の男が悪態を吐きつつも、番組はどんどん進行していく。自分はあのサイズの車には乗りたくないな、なんて思っていると、癖毛の男と目が合った。似たようなことを考えていたようで、「アノクルマにノル、タイヘンソウ」と眉を下げて笑っていた。そういえば、この男は車に乗ったことがあるのだろうか。
「俺らには厳しいでしょうね。そういえば、クラージィさんは車って乗ったことあります?」
興味とちょっとした思い付きもあってすぐに尋ねてみた。すると、
「イイエ、ナイデス。でも、コノマエ、ブツカリソウニナリマシタ」
という物騒な答えが返ってきた。生活道路で結構なスピードを出すドライバーが多い地域だ。彼の反射神経をもってすれば避けることなど造作もないだろうが、反射板の存在を教えた方がいいかもしれない。
「夜中に出歩く時は黒い服を着ない方がいいですよ。っていうのは置いといて、今度車に乗ってみません?俺の運転でよければ、ですけど」
話が逸れないうちに軌道修正をして、先ほど浮かんできた提案をする。すると、彼の食いつきは思いの外良いものだった。
「はい!クルマ、ノッテミタイデス」
「ジソク百キロ、マデのジカンキニナリマス」
とわくわくした表情をしていた。ちょっと偏った知識が入ってしまったようだが、現代の技術を実感するのも大切だろう。思い立ったが吉日、番組を途中で止め、レンタカーのサイトを開いて車を探す。
「俺らが乗るので、足元はどうやっても狭くなっちゃいますけど」
そう言いつつ、サイトの中でも少し古い型の車に目を付けた。予約の確認をして、互いに外出の支度を始める。夜間の運転にはあまり自信がないが、勢いで行動するのも大切だ。心なしかそわそわしている癖毛の男を眺めながら、ドライブに必要なものを頭の中で巡らせる。カーナビは同行者の心臓に悪そうだから、コンビニで地図を買おう。それを広げて、行き先を決めるのもいいだろう。海に向かうか、山に向かうか。癖毛の男の乗車初体験、険しくない道を選びたいものだ。
財布にスマホ、そして免許証を確認してから外に出た。吐く息は白く、空は澄んでいる。寒さは車に乗り込んでしまえばどうとでもなるだろう。着膨れ気味の寒がりを見て、もう一つ、大事なことを思い出した。
「一応、酔い止めも買っていきましょうか」
完