一緒に行きたいところが増えました カシュッカシュッと金属同士が擦れる音が広い台所に響いている。ボールの中では牛乳や卵、砂糖などが混ざった液体が踊っている。そのボールの更に外側に一回り大きなボールがあり、ひんやりとした冷気を発していた。そう、アイスクリームを作っている真っ最中である。
何故、大柄な成人男性が二人して真剣に氷菓作りに励んでいるのか。台所を見れば明らかだが、アイスクリームなんて作らなくても買ってきた方が似つかわしい雰囲気であるのに。それは、髭を蓄えた男から癖毛の男への授業の一環だからである。
話は少し遡るが、二百年の眠りから覚めた癖毛の男は紆余曲折を経て、吸血鬼としての親である髭の男の元に身を寄せることになった。「親としての義務」とのことで衣食住は安定して提供されることになり、現代までの知識や技術のギャップを埋めるための授業も受けることになったのだった。
髭の男から言われたのは、
「現代は科学の発展で成り立っている。お前が悪魔祓いをしていた頃は妖精や悪霊の仕業とされていたものでも、今は理屈を説明できるようになっていることが多い。全てを理解する必要はないが、科学に疎いやつを食い物にする輩がいるので、心して授業を受けるように」
ということだった。科学というものに耳馴染みはなかったが、現代において重要であることは理解できた。果たして自分に理解できるのか、そして今まで自分が信じていたものが若干揺らぎそうな不安を抱えながら襟を正していると、思いの外面倒見の良い父の手が肩に置かれた。
「そう不安そうな顔をするな。大体のことは経験則に理屈がくっついただけだ。とりあえず身近なところからやってみるか」
と差し出されたのはシンプルな茶色いエプロンだった。
そんなわけで、「氷に塩をかけると氷点下より温度が下がる」ということにもちゃんと理屈があるらしく、それを理解するための実験を兼ねてアイスクリームを作ることになった。
生真面目な男の手際は良く、ボールの中の液体は規則正しいリズムでかき混ぜられている。しばらくするとボールが沈んで、氷がかなり融けていることが分かったので、中身を新しくする作業を挟んだ。長い指が大きなボールに氷を入れ、塩を振っているのを見て、ふと頭によぎったことがあったので尋ねてみた。
「あなたは私の棺に塩を振ったことはあるのか?」
「はぁ?」
自分にとっては何気ない質問だったのだが、相手の男にはそうならなかったらしい。整った眉毛を片方だけ上げて、怪訝そうな表情をしている。
「いや、私が入っていた棺は二百年近く凍っていたのだろう。夏もあっただろうし、何より期間が長すぎる。あなたの氷の力がすごいことは知っているが、一度出した氷がそれほど長い時間保たれるものかと気になって。だから、途中で氷を足したり、何か温度を下げることをしたりしたのかと…」
相手の表情が曇ってしまったので慌てて弁解したが効果はなく、沈黙が訪れてしまった。これは謝罪すべきかと思っていると、向かいから大きな溜息が聞こえてきた。そして、泡立て器が規則正しく働き始めた。
「ノースディン、あの…」
「塩なら数えきれないほど掛けたさ。それこそ海ができるくらいにな。ほら、大分固まってきたからお前もやってみろ…おい?」
視線を合わせてくれず、不機嫌そうな、どこか拗ねたような口調だったが、その言葉を受けて自分のなかでピースがはまるような感覚がした。泡立て器を受け取るどころではなく、つい嬉しくなって言葉を続けた。
「やっぱり!眠っている時に氷が融けたり固まったりする音を聞いていた気がしたんだ。この前テレビで南極の深海を見たんだが、海面は氷に覆われていて、海の中は水と氷の音が響いていた。そんな音は初めて聞いたはずなのに覚えがあって、酷く安心して眠くなってしまったんだ。あれはあなたの仕業だったんだな」
珍しくぽかんとした表情の父を差し置いて一気に捲し立ててしまった。自分としては嬉しくて、礼の一つも伝えたいくらいの気持ちだったのだが、目の前の相手を見るに自分の言葉は相手にとって良くないものだったらしい。
「すまない、何か気に障ることを言ってしまったようだ…」
「………氷の音は、お前にとって悪いものではないのか?」
気まずい沈黙の後、絞り出すように掠れた声でかけられた言葉は意外なものだった。
「いや、むしろ落ち着く音だと思っているが」
「そうか、ならいい」
目の前の男はそう答えて俯いてしまった。何か具合でも悪くなったのかと心配になり、無作法と知りつつ顔を覗き込んだ。すると居ても立っても居られなくなり、思わず彼の小さな顔に手を添えていた。
先程の話を聞いて、自分を包んでいた海は冷たくて厳しくて、それ故守られていたのだろう思っていた。しかし、実際に触れてみてそれが勘違いだと気付いた。それは静かに溢れ出て、氷を融かしてしまうような温かい海だった。
「なぁ、ノースディン、今度実際の海を見てみたいんだが、どうだろう?」
「海なんて流水のかたまりだぞ」
「それでも見てみたいんだ」
「我が子がそこまで言うなら仕方ないな」
鼻をズビッと鳴らしながら、それでも父の威厳を保とうする男をたまらなく愛しいと思った。
完