神様のところには行かない 「俺がダイヤモンドになったら、肌身離さず身に着けてくれますか?」
癖毛の彼の日本語学習の休憩時間、コーヒーでも淹れようかというタイミングだった。極めて軽く、雑談を装ってそう尋ねた。
しかし、目の前の彼は、唐突な問い掛けにきょとんとしている。しばらくすると、日本語としては理解できたようだが、何を言わんとしているのかは掴みあぐねたらしく、眉間に皺を寄せている。そうして考えに考えた末、彼の口をついたのは、
「ミキサン、人間ハ石ニナレル、ナッタデスカ?」
という更なる問い掛けだった。
何故こんなことを口走ってしまったかというと、今日の現場が斎場だったからだと思う。そこは喪失の悲嘆に満ちていたが、遺族と思しき人がこう言っていたのだ。
「この人はまた戻ってきてくれるから」
と。それは、大切な人の死を否定するものではなく、むしろ逆だった。そう語っている遺族は涙声ながらも前を見据えているように映った。
というのも、その故人はダイヤモンドになるのだという。正確には、遺骨をダイヤモンドに加工するといった方が良いだろう。
この知識自体は知っていたし、斎場の仕事だって初めてではないので、今までも耳にしたことがあったはず。それでも、今日に限っては、その話に心が動かされたのだ。
元々、自分が死んだ後のことなんて興味がなかった。死んでしまえば残るのは肉と骨だけ。財産だって家族に遺すことは出来ても、自分では何の使い道もなくなってしまう。地獄の沙汰も金次第、なんてことはきっとないはずだ。そもそも、死後の世界だって信じていない。縦しんば信じていたとして、天国や極楽になんて行けないことは分かり切っている。
そしてなにより、どうせ、死ぬ時は独りなのだ。荷物は少ない方が良い。
そう思っていた。しかし、彼との関係が深まるにつれて、その考えが揺らぐようになってきたのだ。彼とは死生観が異なっているし、人としてのルーツも種族も違う。寿命なんてどのくらい差があるのか測れない。この先に絶対なんてものはないが、自分の方が先に人生に幕を下ろすのが早いというのは妥当な考えだろう。
彼はきっと、これから自分と過ごす年数よりも、自分が世を去ってから生きる年数の方が遥かに長くなる。そうあってほしいと思う。しかし、そうなったとして、彼に何も残せずに死んでいくのは、なんだか寂しい気がした。彼の重荷になんてなりたくない。通過点くらいになれればいい。それで御の字だ。こう考えていたのは事実だ。それなのに、彼のなかに自分を留めておいてほしい、自分だけの場所を作ってほしいとも思ってしまった。
こんなことを考えている自分を自覚してしまった矢先だったからだろうか。今日の現場で遺骨の加工について耳にした時、酷く魅力的な方法に感じられたのだ。その手があったか、と衝撃が走ったほどだ。詳しく調べてみないことにはなんとも言えないが、自分のなかで可能性や選択肢が広がったような気がしたのだった。
という、自分の感情はそれとなく隠しながら、癖毛の彼に、日本の埋葬は火葬が主流となること、ダイヤモンドは炭素で出来ていること、科学技術の発展により遺骨から炭素を取り出して人工的にダイヤモンドを作れるようになったこと、それらは更にアクセサリーに加工されることが多いこと、などを簡単に伝えた。
すると、この説明を受けて彼は、額に手を当てて考え込んでしまった。眉間に深く皺を寄せながら、聞き馴染みのない言葉で何かぶつぶつと呟いている。無理もないことだ。内容が理解できたとしても、許容できるかどうかは別問題だ。険しい表情の彼をみていると、途端に頭が冷静になり、性急な出方をしてしまったことを悔いた。
「まぁ、そういう話もあるよーっていうだけのことなんで、あんまり気にしないでください」
気まずさから話を煙に巻く方向に切り替えようとしたが、彼はゆっくりと首を横に振った。
「ミキサン、コノ話ハ、モット考エル時間ガ必要デス。ソレニ、今ノ私ノ日本語デハ、考エテルコト、伝エル、デキナイデス」
彼から返ってきたのは真摯な言葉だった。真面目で優しい彼らしい。保留という形にはなるが、彼が頭から拒否せずにいてくれたことは僥倖だろう。
「そうですね。うやむやにしないでくれて、ありがとうございます」
そう伝えて、この話はおしまい。
とは、ならなかった。目の前の彼の表情が真剣で、しかしどこか物憂げなものを含んでいたのだ。こちらを見たかと思えば、俯いて唸り出す。自分よりも落ち着きの無い存在が目の前にいると、不思議と堂々と構えていられるもので、彼の発言を気長に待つことにした。
しばらくして、気合を入れるように短く息を吐いた彼は、こう言った。
「人ハ、死ンダラ、主ノ下ニ迎エ入レラレル。復活ノ時ヲ待ツ。ソレハ、幸福ナコトデス。残サレタ人ハ寂シイ。デモ、思イ出、アリマス。大切ナ人ガ、生キテイタ時ノコト、覚エテイラレマス」
彼の視線の先には、分厚い書物が二冊ある。ラテン語で書かれたそれは彼にとって馴染み深いもので、日本語で書かれた方は日本語の教材として新たな馴染みとなりつつあるものだ。彼の信仰によれば、それが当然の考えだろう。無言で頷きながら、続きを促した。
「私モ、ソウ思ッテマシタ。チャント、覚エテイラレル。…デモ、ソレガ、分カラナクナッテキマシタ。私、モウ、人間ジャナイ。イツマデ、生キル?…分カラナイデス」
言葉に詰まりながら話す彼が、本当に言いたいことをどれくらい表に出せているのか分からない。それでも、彼の口から、種族や寿命に関して言及されると、胸に刺さるものがある。自分から投げ掛けておいて勝手ではあるが、自分たちの間には否応なしに、壁や溝のようなものが存在するのだと突き付けられた気分だ。
それでも尚、彼は言葉を続けた。
「コレハ、トッテモ、悪イ考エ、カモシレナイデス。デモ、私ガ、コレカラ長ク生キル。ソノ時ニ、大切ナ人ノコト、忘レル、アルカモシレナイ。………ソレガ、怖イデス」
苦々しい表情に、重々しい口調。膝の上で固く結ばれた拳。まるで、罪を告白するかのようだった。しかし、それは自分が想像して懸念したことと同じで、不謹慎ながらも少し心が軽くなった自分がいることに気付いた。
それから、
「ヤッパリ、コノ話ハ、時間ヲ使ッテ、考エル、必要アリマス」
長い溜息を吐いた彼は、改めてそう言った。
「そうですね。いっぱい、話しましょう」
そう答えると、彼は頷いた。そして、
「………ミキサン、コレハ、気持チ、ダケ、デスヨ。ミキサン、イナクナッテモ、残ル、デキル。モシ、ソウダッタラ、嬉シイ。ソウ、思ッテシマイマシタ」
と、眉を下げて笑っていた。
完
おまけ いつか彼の右手に輝くもの
改めて休憩を取るために、飲み物を用意した。今、それぞれの前ではコーヒーが湯気を立てている。飲める温度になるまで待っている間、手持ち無沙汰だったのか、彼がなんてことはないように口を開いた。
「ソウイエバ、吸血鬼モ、ダイヤモンド、ナレマスカ?」
と。思いがけない質問ではあったが、言われてみれば気になるものだ。
「どうなんでしょうね?炭素があれば、問題ないと思うんですが、吸血鬼の塵?灰?って何で出来てるんです?」
自分なりに考えようとしてみたのだが、如何せん、吸血鬼の生態に不明点が多過ぎる。度々、塵となっては復活している吸血鬼を見かけるが、どういう理屈なのか見当もつかない。「砂」呼ばわりされていることもあるが、そもそもあれは何なのだろう。吸血鬼は何によって成り立っていて、生を終えたら何になるのか。考え始めたものの、すぐに行き止まりに辿り着いてしまった。
目の前で首を捻っている彼も同様らしい。塵と化した吸血鬼は数えきれないほど見てきたが、成分を分析するという発想は持ったことがないようだ。
「改めて考えてみると、不思議なものですね」
「ソウデスネ。自分ノコトナノニ、分カラナイコトダラケデス」
そう溜息を吐く彼は、どこか残念そうだった。それが、知識欲を満たせなかったことに対してではなさそうだったので、
「ダイヤのこと、気になったんですか?」
と尋ねてみた。
すると、彼は少しの間考え込んでから、「コレハ、モシモ、ノ話デスヨ」と前置きをして話し始めた。
「サッキ、コノ話ヲ聞イタ時ニ、私ガ先ニ死ンダラ、同ジコト、デキルノカ、気ニナリマシタ」
「ソレニ、ミキサン、言ッテマシタ。骨以外ノモノモ、混ゼル、デキル。モシ、吸血鬼モ、ダイヤ、ナレル。ミキサンノ骨ニ、私ガ混ザル、デキルカモ、思イマシタ」
そして、胸に手を当てて、再び首を傾げている。
「コノ気持チハ、ナント、イウンデショウネ?」
先程の質問よりも、ずっと思いがけない言葉だった。大事なことだから時間をかけて話し合おうと合意したのに、「もしも」なんて言葉で予防線を張ってくるとは狡いじゃないか。しかも、無自覚、無意識ときている。
先程の彼のように、今度はこちらが頭を抱えたくなった。今は、適当に誤魔化してでも切り上げた方が良い。そう思うのだが、自分も免罪符を使いたい気持ちがないかといえば、嘘になる。
「そうですね…俺も、もしも、の話ですけど、クラさんが混ざってくれるなら、ここが良いです。」
自分は狡い大人なので、有難く免罪符を使うことにした。とはいえ、彼の左手、もっと言えば、薬指に触れてから、自分の発言の重たさに呆れてしまった。せめて、髪の毛とかにすれば良かった。
流石に引かれてしまったかと思い、恐る恐る彼の表情を窺う。すると、最初はぽかんとしていたが、何を思ったのか、掌をくるっと返した。そうすれば、こちらの手と彼の手が向き合う形になり、気付けば自分の手は彼のカサついた掌に包まれていた。そして、
「イイデスヨ。ソノカワリ、ミキサン、全部、残ッテナイト、ダメデスヨ」
と穏やかに笑ったのだ。
遺骨は規定量あればいいみたいですよとか、全部貰ってくれるんですかとか、言いたいことは色々あった。しかし、これは「もしも」の話だ。
「あー、じゃあ、仕事で無茶できなくなっちゃいますね」
「ソウシテクダサイ」
「でも、もしも、の話ですもんね」
「ソウデシタネ」
「また今度、話し合いましょうね」
「ソウシマショウ」
そうして、しばしの沈黙が訪れた。互いにマグカップに手を伸ばせば、コーヒーはすっかり冷め切っていて、視線が合うと苦笑いばかりが零れた。
それでも、例え、「もしも」の話であっても、彼がいつか帰るところになってくれるのであれば、それだけで、前に進めると思えた。
これで、この話は一旦おしまいだ。
完