優しい態度で絡め取ってくるタイプの体温低め月彦さん 言葉も態度も表情も甘々なのに、温度がない感じ 結局、関係を清算できないまま、ずるずると関係は続いていた。
皆が帰った後の事務所、出張先のビジネスホテルなど甘い雰囲気など少しもない場所で秘密の逢瀬は続いた。
彼が好む豪華な家具も、美しい夜景も高い酒もない。ただ、人目に付かない場所という理由だけで選ばれた場所だが、彼といるだけで自分にとって何よりも美しい場所だと思った。
「継国、今夜は空いているか?」
いつものお誘い。断る理由などない。しかし、今回ばかりは断れば良かったと後悔した。
「妻が娘を連れて実家に帰っているから、うちに来ないか?」
「はい」
前に自宅を訪問した時に「次は寝室を見せて欲しい」と挑発したことがあった。まさか、そんな挑発に乗ってくるとは思わなかったし、妻が実家に帰ったことも含め、もしかすると自分への気持ちに何か変化があったのではないかと愚かにも期待してしまったのだ。
「奥様、どうかなさったのですか?」
「悪阻が酷いので、実家でのんびり過ごすように言ったのだ」
「悪阻……?」
一気に地獄まで叩き落された気分だった。呆然と立ち尽くしていると彼はにっこりと微笑む。
「未だ公表していないが二人目が出来たのだ」
「そうですか……」
頭では祝いの言葉を述べなくてはいけない、そう思っているが、心が絶対にそれを言わせまいと必死だった。
「どうかしたか?」
「いえ……」
自分の心が乱れていることに、この男が気付かない筈がない。しかし、差し出された手を振り解けない自分の弱さが、彼の自宅への道のりを作ってしまったのだ。
前回訪問した時は灯りがついていた屋敷が今日は真っ暗で、二人が入っても出迎える者はいなかった。
脱いだジャケットをソファに置き、彼はワイシャツの袖を捲った。
「晩御飯、簡単なもので良いか?」
「そんな! 私が用意します」
「いや、お前は風呂でも入って寛いでいてくれ」
彼は子供のように無邪気な笑顔を見せる。それは友達を家に呼んで精一杯のもてなしをする少年のような顔だった。
「せめて、お手伝いでもさせてくれませんか?」
「気を遣うな、お前は私の客だ。ゆっくりしていてくれ」
新しい一面を見たようで胸が弾む。幸い豪華な屋敷の中は洗面所も広い浴室も生活感がなく、妻の気配など一切感じないのだ。当然のように無惨のシャンプーを使い、基礎化粧品も使う。来客用のパジャマを着ると、まるで彼氏の家に泊まりに来たような、そんな甘酸っぱさすら感じていた。
広いダイニングに行くと、妻が作ったものとは全然違う、だが彼らしいお洒落な料理が並んでいた。
「先生、お料理お上手なんですね」
「作る機会があまりないが、料理は好きだ」
そう言って、鮮やかなカナッペを摘まみ上げ、こちらの口許に運んだ。ぱくっと食べると彼は嬉しそうに笑う。
「こうしてお前に手料理を食べてもらえて嬉しいよ」
「私もです」
夢の中にいるようだった。こうして自分たちは公私ともにパートナーだったのではないかと夢を見ている気持ちだった。
「秘書だと自宅に呼んで手料理を振る舞っても誰も疑わないからな」
冷えたワインを持ってダイニングテーブルに向かう後ろ姿を見ながら、今夜は彼の言葉を文字通りに受け取って、裏を読むことはやめようと思った。一番大事なことを忘れていたのだ。きっと彼の言葉に悪気や裏などない。そもそも彼の言葉には心がないのだ。
自分のことを愛していないから妻に子供が出来たと平気で言える。
妻との退屈なセックスに飽きて浮気を繰り返すが、一番従順で一番表沙汰になりにくい自分が最も便利だからと選ばれただけで、それ以外の理由など何もないのだ。
しかし、そんな現実に気付いたところで何も良いことはない。だったら、いっそ鈍い人間になって、文字通りに受け取れば傷つかなくて済むのだ。
食事が終わった頃、酔ったふりをして「寝室が見たい」とねだってみた。彼は特に嫌な顔をせず、こちらの腰に手を回しエスコートして夫婦の寝室へと案内する。
大きなキングサイズのベッド。親子三人で寝ることもあるという。寝室には流石に妻の気配があったので部屋を出ようとしたが、無理矢理押し倒された。体が条件反射で反応してしまうが、ふと天井の柄を見た時に、彼の妻も抱かれている時にあの天井の柄を見ているのだろうかと思うと激しい吐き気に襲われて、思わず彼を押し退けた。
「しないのか?」
肩に手を回されると、感じたことのない恐怖で体が震えた。
「抱いて欲しそうな目をしていたから連れてきたのに、しないのか?」
顔を上げると、彼は優しい笑顔でこちらを見ている。この笑顔は決して自分を慰めるものではなく、失望し、切り捨てる他人の表情だ。
「あ……あぁ……」
ここで泣けば、もっと幻滅させる。求められているのだから応えないと、気持ちを萎えさせてはいけない、そう思うが、どうして良いかわからないのだ。
疑いと愛しさが捩じれた心の中で、答えを出せないまま彼の手を振り解けずにいた。