現パログルメ系 それは二人が交際し始めて一年も経っていない頃だった。
京都の県議に応援を依頼され、黒死牟は初めて無惨と共に京都入りすることになる。東京から京都に戻る時、無惨は大抵新幹線を使うが、無惨は気紛れに「飛行機で帰りたい」と言い出した。
「畏まりました」
黒死牟は羽田空港から関西空港行きの航空券を手配しようとするが、マウスを握る手に触れ、ニッコリと笑う。
「違う、伊丹空港だ」
「伊丹ですか?」
確かに京都に向かうなら伊丹空港からの方が近い。どちらにしても新幹線の方が楽なのになぁ……と黒死牟はやや不満げにしている。
その上、ついでにブラブラするから予定を一切入れるな、と言う。
「1日オフですか!?」
「たまには良いだろう。調整しろ」
本来なら往復新幹線で用事を済ませたら、さっさと東京に帰るつもりだったので、休日を作るなど想定していない。
だが、無惨の予定では前日入りのようで、必然的に前日の予定は全てキャンセルとなる。大急ぎでスケジュール調整をすることになり、不必要な仕事が増えた為に黒死牟の機嫌は益々悪くなる。
「どうして伊丹空港なんですか?」
「馴染みがあるから。まぁ、関空からでも、はるかやラピートで行けないことはないのだが……あぁ、リムジンバスという手もあるか。でも、たまには伊丹空港に行ってみたいだろう?」
いや、別に……と黒死牟は当然思う。関西の空港に何の興味もない。関東出身の黒死牟は羽田空港一択である。
「昔は国際便も飛んでいただろう? 海外に行くと言えば伊丹だったしな」
「そうですか。生まれていないので知りませんでした」
「え?」
無惨は急いでWikipediaで伊丹空港を調べ、黒死牟の生年月日を思い出して固まった。
そうだ、こいつ、意外と若かった……と無惨は年齢差を改めて痛感し、言葉の裏側に込められた「無惨様って実はオジサンなんだよな」というメッセージに完全に敗北した気分だった。
「どうかしましたか?」
「いや、別に……」
他意のない黒死牟は、無惨が突然無口になり逆に驚いたが、少々ギクシャクしつつも羽田空港9時半発の飛行機を手配し、二人は空の便で大阪へ向かった。
一時間ちょっとのフライトが終わり到着エリアに入る。
いつも通りスーツ姿の黒死牟と違い、無惨は完全にプライベート気分なので、黒いウールのチェスターコートにロングのカットソーとジーンズというラフな服装に、長めの前髪を高い位置でひとつに結び、クラッチバッグひとつでやってきた。
大きなサングラスで顔を隠しているが、座席がビジネスクラスだったこともあり、周りからひそひそと「鬼舞辻無惨だ」と囁かれていた。
こんな派手でチャラついたオッサンを連れて歩くの恥ずかしいな……と黒死牟は思うが、雇用主かつ恋人なので文句は言えず、周囲を気にしながら並んで歩いた。
平日の朝なので、それほど空港内は込み合っていない。土産物の店舗が充実しているので、黒死牟はついキョロキョロと店を見てしまう。
「そういえばリニューアルしたと書いてあったな」
前に来た時はもう少し寂れていたけど……と無惨が話していたが、黒死牟の興味は店の一番目立つ場所に置かれた、りくろーおじさんのチーズケーキの箱に向いている。
「食べたいのか?」
「はい……え、あ、いえ……いや、はい!」
飛行機の中でも未だ不機嫌そうにしていた黒死牟だが、チーズケーキの箱を見て目を輝かせている。時折、仕事だと思い出すようで、そうなると自分でも少し恥ずかしくなり、気まずそうな表情をするが、食べたいせいか、珍しくあたふたしている。
「帰りに搭乗エリアで買ってやるから、今日は我慢しろ」
「はい……」
しょぼんとする黒死牟が可愛くて、今すぐキスしたい! と思うが、ぐっと我慢した。
「因みに私はあのケーキ、ワンホール一人で食うから、何個買って帰る?」
「えっ!? 嘘でしょ?」
無惨は決して少食というわけではないが、バランスの良い食生活を心掛けているので、何かをドカ食いするイメージがない。
ワンホールを一人で食べる……イメージが一致せず悩んでいると、無惨は小さく笑う。
「軽いから、お前なら2~3個は食えるぞ」
「そんな大食漢ではありません」
ムッとした表情を見せる黒死牟を見て優しい笑みを浮かべ、二人はモノレールの乗り場へと向かう。
「まず蛍池に出て、そこから阪急電車に乗り換えるぞ」
1駅3分間、大阪の住宅街を眺めながら、蛍池駅から梅田方面の電車へ乗り込む。
「梅田まで行かれるのですか?」
「梅田は後で行くけど、先に十三で降りて、そこで昼飯も食おう」
そう言われ、こっそり黒死牟はスマホで調べるが、十三駅周辺に無惨が好むようなオシャレな店は見当たらない。どちらかと言えば、やや治安が悪いと言われている地域なのに……と不思議に思っていたが、蛍池駅から急行に乗り2駅で十三に着いた。
「ねぎ焼きを食いに行くぞ」
「え? あ、はい!」
何か解らず、黒死牟は無惨の後に続き、西口側の改札を出た。
その時に喜八洲総本舗の本店があり、串に刺さった団子を焼いた香ばしい匂いがして黒死牟は思わず足を止めて見てしまう。
「後で買ってやる」
「ちょっと」
黒死牟は無惨の袖を引っ張る。
「さっきから帰りに買ってやるとか、後で買ってやるとか、私のこと、完全に子供扱いしていませんか?」
不服そうな顔をする黒死牟を見て、無惨はケロッと答える。
「しているさ。可愛すぎて何でも買ってやりたいと思うよ」
抗議のつもりだったのに、そう言われてしまい、黒死牟は真っ赤になる。
「お前がねだれば、車でも家でも無人島でも、何ならこの国だって、お前にくれてやるさ」
「もう、無惨様!」
周囲に会話が聞こえていたようで、クスクスと笑い声が聞こえ、黒死牟は恥ずかしそうに無惨の腕を掴む。
「良かったなぁ、総理を目指せる男に愛されて」
大きな体が縮むのではないかと思うくらい身を屈める黒死牟とは正反対に、颯爽と歩く無惨である。二人は銀行の前の大きな横断歩道を渡り、176号線を南へと向かう。そして、吉野家を右に曲がると、ねぎ焼きやまもとの本店があった。
「嫌いなものはないな?」
「はい」
広くない店内はカウンター席が20ほど。二人は奥の席へと案内された。無惨はコートをレジで預けたものの、普段なら髪や服に匂いが付くと嫌がりそうなのにな、と黒死牟は密かに心配していた。
「すじねぎ2つと生中2つ」
「えっ!?」
黒死牟は驚いて声をあげてしまう。
「ハイボールの方が良かったか?」
「いや、そうではなくて……」
まだ11時である。こんな時間から飲酒することにやや抵抗感があるが、無惨は「昼から飲む酒は旨いぞ」と平然と答える。
そこそこ大きなジョッキに注がれたビールを見て、黒死牟はやや罪悪感を持ちつつ、無惨と乾杯して一口飲んだ。
目の前の鉄板では生地の上に大量の刻み葱が乗せられ、甘く炊いた牛すじ肉とコンニャクの入った名物のすじねぎが焼かれている。
「何だか意外です」
「何が?」
焼き上がったねぎ焼きをへらで切っている無惨にぼそりと話しかける。
「いつもめちゃくちゃオシャレな店で御馳走になっていたから……」
「大阪や京都でもオシャレな店に行きたかったか?」
「いえ、何だか意外な一面が見られた気がして嬉しいです。ビールをお飲みになることも知りませんでしたし」
「そうか」
アツアツのねぎ焼きを口に運び、ビールを一口。無惨は嬉しそうに笑う。
「お前も早く食え」
「はい」
アルコールが入ったことで緊張が解れた黒死牟は初めてのねぎ焼きを頬張って、ビールを飲み、「美味しい」と小さく呟いた。
ランチタイムより早めの入店だった為、二人はスムーズに食べられたが、黒死牟が店の外に出ると行列が出来ていた。
会計を済ませた無惨が出てきたので「御馳走様でした」と頭を下げた。
「今から梅田に行くぞ」
「はい」
ビールの中ジョッキ1杯程度では二人とも飲んだうちには入らないので、足取りも軽やかに再び十三駅へと向かう。
その時に喜八洲総本舗の前を通るので黒死牟が足を止めようとするので「また後でな」と言われ、少し残念そうに立ち去った。
梅田に着くと、「あれに乗るぞ」と赤い観覧車を指差す。
二人は若者で溢れ返るHEP FIVEの中に入ると、大きな赤いクジラが天井から吊るされている。
「おお……」
見上げながら歩く黒死牟に苦笑いしながら、無惨は黒死牟の手を引き、7階までエスカレーターで向かう。
大人2枚のチケットを購入し、赤い観覧車へと乗り込んだ。
天気が良いので大阪全体を一望出来る観覧車に黒死牟の目が輝く。
「お楽しみのところ悪いけどな」
「はい」
「この観覧車にカップルで乗ると別れるらしいぞ」
無惨の言葉を聞き、黒死牟は顔全体でショックだと表現した。その表情を見て、無惨は思わず吹き出した。
「あれだ、ディズニーランドにカップルで行って別れる原理と同じだ」
「どういう話ですか」
不安そうに尋ねる黒死牟の手を握り、無惨は話す。
「この観覧車は1周15分、しかも密室。ディズニーランドのアトラクションの待ちの列はそれ以上だな。その長い時間、会話が続かないと愛情が冷めるから別れてしまうらしい」
「そうですか……」
しょぼんと項垂れる黒死牟を見て、無惨は黒死牟の手の甲を優しく撫でる。
「ただ、もうひとつジンクスがあるぞ」
無惨はゆっくりと顔を近付ける。
「そろそろてっぺんだ」
そう言いながら、黒死牟に軽くキスをした。
「これで永遠に結ばれるらしいぞ」
「無惨様……」
二人はぎゅっと抱き合い、何度かキスを交わした。
あっちが神戸で、あっちが奈良で……と無惨の説明を聞いていると、あっという間に観覧車は下に着いてしまった。少々名残惜しいが、無惨にエスコートされ、黒死牟は観覧車を降りる。
そこからがまた衝撃だった。
「おやつ代わりに串カツを食いに行くぞ」
と言われ、JR大阪駅に向かい、長いエスカレーターを乗り継いでルクアイーレ10階の串カツだるまへと向かう。
またここでも生中を頼み、適当に串を注文して、コテコテの大阪名物を味わう。
「ここからJRで京都に帰っても良いけど、阪急に戻るぞ」
と無惨に振り回され、何故か京都線ではなく宝塚線に乗り、また十三駅で降ろされる。
宝塚線と神戸線と向かい合っているホームには喜八洲総本舗の小さな店舗があり、そこは電車待ちに皆が買って帰る為、手早い動作で串を焼き、みたらしのたれに絡め、箱詰めしてくれる神業を見られるのだ。
「速い!」
黒死牟は感動し、少し濃いめに焼き目を付けたみたらし団子の箱を嬉しそうに受け取った。
そこからまた京都線のホームに移動し、準急に乗って大宮駅へと向かう。
平日の昼間の京都線はどれほど混雑しておらず、二人は空いた車内で並んで座り、外の景色を眺めていた。
「本当は今すぐみたらし食いたいけどな」
「電車内ではダメです。コートにたれをこぼしたら泣くでしょう?」
「うん」
車内はほぼ二人しかいないが、良い大人二人がみたらし団子を食べるのは行儀が悪いだろうと我慢した。
「めちゃくちゃ美味しそうですね、俵型の団子」
「美味しいぞ」
無惨は黒死牟の手を握り、ぼんやりと話す。
「本当は喜八洲もりくろーおじさんもやまもとも、新大阪駅にあるのだがな」
「そうだったんですか!?」
「絶対に伊丹空港でないといけない理由なんて別になかった」
「だったら……」
黒死牟がそう言うと、無惨は黒死牟のネクタイを引っ張り、そっとキスした。
「いつもと違う場所で、お前とデートがしたかった。それも気取ったヤツではなくではなくてな」
無惨に言われ、黒死牟は「めちゃくちゃ楽しかったです」と小さく呟いた。
「それなら良かった」
二人はずっと手を握ったまま、大宮駅まで他愛のない話を続けた。