遊園地デート 国会での汚いヤジはある種の名物である。美学に反する為、自分は絶対にヤジを飛ばす側をしないし、どんなヤジを投げつけられても、弱い犬の遠吠えだと気に留めたことすらなかった。だが、今回ばかりは完全に無視できない。その上、言い返したい、寧ろ言った人間の胸倉を掴んで、数発殴って歯の一本でも折ってやりたいとさえ思った。
その理由は、自分だけでなく、矛先が秘書の黒死牟にも向かっているからだ。
「うちの秘書は関係ないでしょう」
「関係ないことないだろう!」
「庇うのはお前らがデキてるからだろう!」
マイクでは拾えない程度の音量で、お前がケツを出したのか? 等、聞くに堪えない下品なヤジが国会内に飛び交っている。
おい、女性議員よ。こんな時に「セクハラだ」って怒れよ……と無惨は呆れながら、ヤジにマジレスするのは大人気ないと必死に堪えている。
たかだか、国会会期中に二人で遊園地に行ったくらいで、こんなに大騒ぎされるとは思わず、無惨も反論の準備をしていなかった。
それも偶然、あんな寂れた遊園地にタイミング良くテレビの取材が来ていたようで、そこでたまたま無惨と黒死牟の姿が映り、これまたタイミング良く、黒死牟の食べているソフトクリームを横から一口食べていたシーンを撮られていたのだ。
普段の私も本当に男前だな、と思って見ていたが、そんなとぼけたことを言っていられるような状況ではない。
「国会をサボって男とデート」
「しかも相手は私設秘書」
「公私混同も甚だしい」
「愛人を秘書にして、政治資金を横流ししているのではないか」
と盛大な尾鰭がついて、国会尋問にまで発展したのだ。
本当に付き合っていたら良いのだが、無惨がいくらアプローチをしても、黒死牟には少しも響かず、多少距離の近い上司と部下程度の友達ですらない関係が続いている。
お前らの言う通り、あいつのケツをいつだって掘りたいって思っているのに、指一本触れさせてくれないのだ! 代わりにお前らがあいつを口説いてくれよ! と無惨は心の中で叫んでいたが、そんな実情など知る由もなく、無惨は身に覚えのない秘書との親密な関係を指摘され、その通りだったら良かったのにな……とさえ思っていた。
しかし、何故、あんな寂れた遊園地にいることがバレたのだろうか。
ふと思い出した時、あぁ、やられた……と無惨は小さく笑った。
朝から黒死牟の姿が見えないのだ。
あの日、突然、黒死牟に「遊園地に行きませんか?」と誘われた。
関東のはずれにある小さな寂れた遊園地で、未だあったのか、と無惨は思った。
別に国会なんて1日くらいサボったところで誰も気付かないだろうと思い、無惨は黒死牟の運転する車に乗り込み、片道2時間かけて関東の隅にある遊園地に向かった。
「ド平日の昼間から遊園地なんて良い身分だよな」
無惨はアイスコーヒーのストローを噛みながら、ぽつんと呟いた。
一応、変装代わりのサングラスをしているが、無惨と黒死牟は並んで歩くと、背の高いイケメン二人が並んでいるので、物凄く目立つ。
しかも黒死牟はいつも通りスーツとサングラス姿なので、変装する気もなかったようだ。
だが、国会会期中の今、こんな寂れた地方の遊園地に無惨が来ているなど、誰も思わないだろう。
実際、中は閑散としており、未就学児を連れた家族と、学生のカップルが数組いるくらいで、異様に目立つ二人もいつの間にか、誰の視線も向けられなくなった。
「しかし、どうしてまた、こんなところなのだ」
どうせ遊びに来るなら浦安のあそこであったり、もう少し近場であるだろうに、わざわざこんなところまで……と思うが、黒死牟は周囲を見渡しながら、時折懐かしそうに目を細めている。
何かしらの理由があるのだろうな、と思い、無惨は園内をブラブラと見て回る。
アトラクションといっても、今にも止まりそうなメリーゴーランドや子供向けのジェットコースター、魔法の絨毯、回転ブランコなど成人男性が乗って楽しめそうなアトラクションは見当たらない。
「面白くないですよね、こんなところ」
「まぁな」
煙草は吸えない、アルコールの取り扱いもない、ということで、無惨は退屈そうにしていたが、機嫌はそれほど悪くなかった。
「家族連れや中高生くらいまでなら、ワイワイと楽しめるだろうな。こういう懐かしい雰囲気は嫌いではない」
無惨は割と好意的に園内を見ていたので、黒死牟は少々驚いた表情をするが、笑顔に戻った。
「だが、こんな来場者数で経営していけるのか?」
「赤字でしょうね。アクセスも悪いですし。昔はもっと繫盛していたのですが……夏には併設のプールがあって、そこも大人気でした」
どうしても地方の遊園地は生き残りが難しい時代である。アトラクションの維持費の捻出すら難しく、かといってメンテナンスを怠れば大事故に繋がる。かつては動物の飼育も行い、動物園も併設されていたが、動物を買い付け、飼育係や獣医の人件費、餌代、空調設備の費用なども出せず、動物園のスペースは閉鎖されていた。
こうして弱いものが淘汰されていくのが現代社会だと思うが、働いている人間、ここに足を運び楽しんでいる人間がいるという体温や気配が、二人の心を僅かに痛めた。
「先生、あれに乗りませんか?」
観覧車を指差し、二人は並んで歩いて行く。黒死牟は無言で窓の外を撮影していたが、無惨はぼんやりと天気が良いので関東が一望出来るなと見ていた。
「何か珍しいものでも見えるのか?」
「いえ、何もないです」
「そうか」
会話など続くはずもない。二人は友達でもなければ、カップルでもない。ただの議員とその秘書である。密室の観覧車に乗って会話が弾むほど、お互いのことを何も知らないのだ。
こんな寂れた遊園地にしては、観覧車は少々大きめで1周10分程度、景色を楽しむことが出来るのだが、二人にとってはただの無言の密室である。
向かい合っている時にふと無惨の心にとある言葉が過る。
今なら言えるかもしれない、そう思い、無惨は黒死牟を見つめた。
「なぁ、黒死牟」
「はい」
その後に続く微妙な沈黙。そして、観覧車のゴンドラは地上へ近付いている。
「私はお前のことが……」
ガチャッと外側からゴンドラの扉が開かれる。
「お疲れ様でした」
黒死牟はそうにっこりと挨拶をして、観覧車を出た。
結局、言えず終いとなってしまい、無惨は複雑な表情をしていたが、観覧車を降りたところに売店が見えた。
「何か食べないか?」
「え?」
「ソフトクリーム買ってやるよ」
「自分で買います」
わちゃわちゃとそんなことを言いながら、無惨は黒死牟にソフトクリームを買って渡し、自分はホットコーヒーを買っていた。
「私もそちらがいいです」
「我儘を言うな。遊園地に来たいなどと言うお子様には、それがお似合いだ」
ムスッとしながら黒死牟はソフトクリームを食べ始めた。そんなに食べる機会がないので、「美味しい」と思わず呟く姿を見て無惨は笑った。
「一口くれ」
そう言って、横からソフトクリームを舐め取ると、黒死牟と目が合い、黒死牟は僅かに頬を染めた。
日が暮れてきたので、二人は遊園地を出て、議員宿舎へと戻る。
「先生」
と黒死牟が声を掛けると、無惨は助手席で眠っていた。
少し幼い寝顔に、黒死牟は微笑みながら、安全運転を心掛けた。
しかし、翌日のニュースでは、何故か無惨と黒死牟があの遊園地にいた姿がニュースで流れっぱなしだった。
週刊誌やスポーツ新聞にも「鬼舞辻議員、白昼の遊園地デート!」「熱愛のお相手はなんと秘書!」と大きく書かれ、そうか、自分と黒死牟はカップルに見えるのか、と少々喜んでいたが、そんな話では済みそうにない。
国会であれこれと重要な採決が行われている最中の遊園地デート。いくら人気議員とはいえ、風当たりはきつかった。
普段から無惨を良く思わない連中も多く、あることないことまで騒ぎ立て、一気に大事になってしまったのだ。
その上、当のお相手である黒死牟の姿が見当たらない。
そして、このスキャンダル。
黒死牟にハメられた。
そう思うのが自然である。
どうしたものか……と無惨は思っていたが、このギャンギャンと煩いヤジを聞いているうちに、もうどうでもよくなってきた。
「男が男と付き合うことが、何か問題か?」
終始無言を貫いていた無惨が口を開いたので、会場内がしんと静まり返った。
「私が秘書の黒死牟を愛している。それの何が問題だ。面白おかしく囃し立てられる筋合いはない」
今、世間を賑わすデリケートな話題である為、ヤジの勢いは一気に弱まるが、「開き直るのか!」と攻め方を変えて飛んでくる。
「開き直らないと、その汚いヤジが止まらないだろう? 確かに国会を休んで遊びに行ったことは反省するが、黒死牟との関係をとやかく言われる筋合いはない。私は秘書としてのあいつを評価しているし、人生を共に歩みたいと思っている」
無惨の告白に一部からちらほらと拍手が起こり始めた。そんな中、参考人招致を予定されていた黒死牟が国会にやってきた。
「失礼してよろしいでしょうか?」
真っ赤な顔で咳払いしながら、証人として前に出た。
「この度は鬼舞辻と私が多大なご迷惑をお掛けして申し訳ございません。ですが、この度の調査についてご報告させて頂きます」
「調査?」
無惨は首を傾げ、黒死牟をじっと見ていた。
どうやら、あの遊園地は経営難の為、売却の動きが出ているようだが、そこで名乗りをあげたのが産屋敷の関連企業だったようだ。だが、その企業はあの山間の遊園地を取り潰し、産廃処理施設にする計画を立てていた。
「周囲の環境への配慮は全くなされず、そして近隣住民への説明の義務を怠っている点、その辺りを問題視していた鬼舞辻と共に極秘で調査を続けた結果、産廃処理施設建設を公にした方が良いかと思いました」
矛先は完全に産廃処理施設へと向き、その上、この誘致に関わっている議員の名前も述べた為、無惨の盛大な告白劇など綺麗に忘れ去られている。
この件については後日、調査することとなり、本日の国会はこれにて終了となる。
帰りの車の中で無惨は完全に拗ねてしまい、後部座席でかなりお怒りの状態だった。
「調査なら調査だと言え」
「すみません。ですが、割と楽しい場所だったと思っていただきたかったので」
始めに目的を言ってしまうと、無惨は性格上、徹底的に産屋敷の粗探しをしようとする。だが、黒死牟としては、あの遊園地を楽しんでもらいたかったのだ。
「何かそんなに思い入れがあるのか?」
「えぇ……子供の頃、親と唯一遊びに行った場所なんです。あまり親と出掛けた思い出がないので、どうしてもあそこが産廃処理施設になるのが嫌で」
「公私混同だな」
「すみません。その為に先生のお力を勝手に使ってしまいました」
運転しながら黒死牟は謝るが、二人がぎくしゃくしているのは、その件ではない。
黒死牟も部屋に入るまで、ずっと無惨の話を聞いていたのだ。そして、あの告白も。
無惨はつい頭に血が上って、ペラペラと黒死牟への愛を語ってしまったが、皆に知られたことを後悔はしていなかった。ただ、黒死牟からの返事を聞くのが怖いと思っていた。こんな風に一方的に思われても迷惑なだけだろう。関係を強要されるのでは、と自分の元を去るかもしれない。早まったことをしてしまったという後悔が今になって襲ってきた。
「先生」
口火を切ったのは黒死牟だった。
「国会で仰られていた件ですが」
「あぁ……」
気持ち悪いって言われるのかなぁ……黒死牟のことだから、物凄いオブラートに包んで、こちらが傷つかない配慮をしながら断ってくるだろうから、理解するのに時間がかかって、理解した瞬間に余計に傷付くなぁ……と、返事を聞く前から既に傷付いていた。
「本当に私でよろしいのですか?」
「え?」
「私は男です。先生のお世継ぎを産むことはできませんし、私よりもっと有能な秘書が現れる日が来るかもしれません。容色だって衰えます。それでも、先生のお側にいることは許されるのでしょうか?」
無惨は嬉しそうに笑い、ルームミラー越しに黒死牟を見た。
「当然だ、お前以外で私の供に相応しい人間はいない」
黒死牟は路肩に車を停め、車のシートを倒した。
「……不束者ですが、どうぞ……」
言い終わらないうちに無惨に唇を奪われ、二人は嬉しそうにキスを交わした。