マフィアの抗争に巻き込まれる議員と秘書 マフィアのボスが亡くなった。その報せは我が国の政治家の元にも届いた。
そのボスはアジア全域に幅を利かせるほどの権力を持ち、国家主席に匹敵するほどの地位に上り詰めた為、我が国の政治家も浅からぬ付き合いがあった。無惨に関しては父親の代から懇意にしていた相手であり、その国を訪れた時はボスの屋敷に招待されていた。表に出せる交際から、裏での武器の調達や不透明な金の流れ等、不都合もかなり知られた相手である。
次のボスとも顔を繋がなくてはいけない。と様々なことを考えたが、個人的に線香の1本でもあげにいってやりたいという想いがあった。
何故かそのボスは子供の頃から無惨を見ては「男にしておくのが惜しい」「女に生まれていたら嫁に迎えた」と何度も言っていて、実際、武器を調達した時に黒死牟が「相場よりゼロが2つは少ないです……」とドン引きしたくらい優遇してくれていた。
何か解らないが気に入られていたことだけは解り、無惨も懐いていた為、葬儀に出ることが礼儀だろうと思った。しかし、マフィアのボスの葬儀、それも国家主席に匹敵する人物となると、かなり大掛かりな国葬レベルの葬式の為、お忍びでこっそりと弔問に行くことが非常に困難である。
無惨同様に頭を抱える政治家は世界中にいたが、逆に言えば、皆が行くことを躊躇しているなら、自分が行くことによって組織との友好関係を更に深めたいと思い、黒死牟だけを伴い完全なプライベートとして葬儀に参列することにした。
「マスコミに見つかると煩いですよ。ヤクザを通り越して、世界的なマフィアですからね」
「もしバレたら、ゴッドファーザーに憧れていたからだ、と適当に馬鹿っぽいコメントでも出しておけ」
とは言うものの、流石に「鬼舞辻無惨」として参列し、そこを見つかるのは具合が悪い。
そこで思いついた奇策。
「これなら大丈夫だろう」
無惨は帯を整え、女装で参列することにしたのだ。国籍不明にする為に隣の黒死牟には黒い長袍(チャンパオ)を着せ、現地の人間に馴染むように葬儀に参列した。
「案外、あの爺さんもこの姿で行ってやった方が喜ぶかもしれない。昔から『お前は美人だ』としきりに言っていたからな」
子供の頃から、やたら手を握りニコニコと話し掛けられた。
山のように愛人がいるボスだったが、実はコッチの趣味があったのではないか、と無惨は笑うが、黒死牟は気が気ではない。
マスコミの対策以上に、武器の持ち込みが不可能な中、無惨が変に女装したことによって、やたら目立つようになってしまった。鬼舞辻無惨だと気付かれなければ滅多にお目に掛かれない美人の登場に、その場がどよめいた。
長い髪を下ろし、低い位置で結んだ黒死牟も長身の為、かなり目立っている。急遽用意した黒いシルクの長袍がとても良く似合っていた。
「良い男を連れているとテンションが上がるな」
喪扇で口許を隠し無惨は笑う。
「私もこんな美人と並べて光栄です」
「お前でも、そんな冗談を言えるようになったのか」
「冗談でも言っていないと、やっていられません」
世界中のマフィア博覧会の中に無惨と丸腰で放り込まれたというだけでも、黒死牟は殺気立っていた。そんな中でも呑気でいる無惨に苛立ちを感じていたが、黒死牟の嫌な予感は的中したのだ。
「無惨様、油断せずに……」
ふと横を見た瞬間、無惨の姿がない。
まさか、先程まで会話をしていたのに!? と周囲を見渡すが、人が多すぎて無惨の姿が見つけられない。何より、黒死牟自身、腕を掴まれ、身動き出来ない状態なのだ。
身分を明かすわけにはいかない。無言で相手の出方を見ていたが、相手も何も言わず、別の男に誘導され、黒死牟は周囲に悟られぬよう静かに歩き始めた。
帯の上からでも解る。背中に銃を突きつけられている。
無惨は隣の黒死牟を見たが、はぐれるよう仕向けられたことに気付く。普段なら着物の懐に短刀を忍ばせるか、簪の細工をしているが、武器が持ち込めず、喪服の為、簪も挿していない。完全な丸腰の為、銃相手では勝ち目がない。大人しく抵抗する意思がないようにした。
こちらが鬼舞辻無惨だと知っての狼藉か? あとでボコボコにしてやる、と憤る気持ちもあったが、それ以上に相手が解らず、黒死牟とはぐれた現状は、自分にとってかなり危険な状況だという不安の方が大きかった。
このまま連れ去られると命はないだろう。何とか、この人混みから外れたくない。マフィアのボスの葬儀を血で染めるような無粋な真似をする連中ではないだろう、と信じているが、相手はマフィアである。しかもボスの組織だけでなく、国中、世界中から様々な黒い組織が大集合しているのだ。そんな場所で無惨だと気付いて人質として使われてしまえば、命が無事かどうか以前に政治家生命が絶たれてしまう。
いずれにしても万事休すだと途方に暮れていたが、案内されたのは葬儀が行われるホールの控え室であった。
「英語は話せるか?」
と尋ねられ、「英語でも中国語でもフランス語でも」と答えると、相手は英語のまま話し始めた。面白がって、わざとその地方の訛りのある中国語で答えると、別の男が顳顬に銃を突き付けてきた。しかし、交渉役と思わしき男が手を挙げると、男は銃を仕舞った。
「手荒な真似をして申し訳ない」
「いいえ」
平然と構えているが、内心、血気盛んな連中を煽るのはやめよう、と反省した。
「どうして私をここに連れてきたのですか?」
中国語で無惨が尋ねると、「謝謝」と礼を言い、男も中国語を使い始めた。そして、一枚の写真を無惨に見せる。
かなり古い写真で、その場にいた男たちは写真と無惨を交互に見た。
「この写真の女性と小姐が非常によく似ていたので、もしや……と思い……」
確かによく似ている。古臭い髪型をしているので若干印象が違うが、女装した無惨に瓜二つなのだ。
「こちらは?」
「これはボスが昔、愛した女性だそうです」
それでか……と無惨は笑いを噛み殺した。昔から無惨を「美人だ」「女に生まれていたら嫁にした」と何度も言っていたのは、惚れた女に似ていたからか。冗談ではなく、自分の貞操、結構危なかったのだな……と思っていた。
「もしや小姐は天界よりボスを迎えに来た天女ではないかと思いまして……」
その発言に無惨はブッと吹き出した。無惨は謝った上で、正直に自分の身分を明かした。日本の政治家の鬼舞辻無惨であり、ボスと親しい間柄だったことを交渉役の男も知っていたので、皆が一斉に頭を下げた。
「大人もこんなに慕われて幸せだな」
「もしや鬼舞辻様はこの方とボスのお子様では……?」
「残念だが、その可能性はゼロだ」
写真の古さから考えて、この女性は無惨の母というより祖母、いや、その上に近い年齢だろう。もう生きているかどうかも解らない。
しかし、何故無惨は女装でやってきたのか、皆がその初歩的な疑問に辿り着いた。そういうご趣味で? と尋ねられ「違う」と即答した。男の姿のままでは周囲にバレてしまうので、無礼を承知で、こうして変装して来たと説明する。
「そこまでしてボスの為に……」
「大人は私に大変よくしてくれた大恩ある存在だ。別れの挨拶をさせてくれ」
「畏まりました。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
と男たちが案内しようとした瞬間、思い切りドアが蹴破られた。
「無惨様!?」
他の男たちが銃を構えるので、無惨は制止した。
「私の秘書だ」
「秘書……?」
ボサボサの髪に袖が破れた長袍。周りの制止を振り切って無惨を探しにやってきたようだ。ボロボロになっていはいるものの怪我はしていないようなので、無惨は胸を撫で下ろした。
「誰も殺していないな」
「はい」
獣のような鋭い目で周囲を睨み付けながら、黒死牟は無惨の足元に跪いた。
「よくぞ御無事で……私がついていながら申し訳ございません」
「構わん、相手は世界最高峰のマフィアの幹部たちだ。丸腰のお前ひとりでは仕方無いさ」
大型犬をあやすように頭を撫でる無惨を見て、その場にいた男たちが少し羨ましそうに見ていたので、黒死牟は噛み付きそうな勢いで睨んだ。
お詫びに、と二人はボスの遺体が安置された部屋に案内され、棺の中で眠るボスと対面した。
遺体の横には一枚の写真があり、若き日のボスと無惨にそっくりな女性が並んで映っている写真であった。
「無惨様、こちらは……」
「ボスの初恋の人らしいぞ。私にそっくりだろう?」
まさか、この爺さんは本当に無惨が好みのタイプだったのでは……と黒死牟の中で沸々と怒りが湧いてくるが、無惨がそっと花を供え、手を合わせているのを見て、黒死牟も静かに手を合わせた。
その後、新しいボスとも対面し、お祭り騒ぎの葬儀の中を抜け出して、二人は近くのホテルで着替えた。
「はぁ……疲れた……」
マスコミ対策しか考えていなかったので、まさか、あんな勘違いに巻き込まれるとは思いもしなかった。黒死牟に関しては自分を取り囲む人間を目立たないように投げ飛ばし、全力疾走で無惨を探し回ったので疲労困憊である。
「夜の便で帰国するつもりだったが、一泊して帰るか」
「そうしていただけると……」
着物を脱いだ無惨は、ベッドに寝転がる黒死牟の足元に座り、パンパンに張った脹脛を優しく指圧した。
「星の数ほど愛人を抱えた爺さんでも忘れられない女がいるなんて、可愛いところがあるものだな」
少し冷たい指先が熱を持った肌には心地好い。その心地好さとは裏腹に、無惨の言葉に僅かに胸が痛み、俯きながら黒死牟は尋ねる。
「無惨様にも、そのような方がいらっしゃるのですか?」
嫉妬を含んだ声音に無惨は小さく笑い「いるさ」と答える。指先から黒死牟の緊張が伝わってくる。そして、数秒の間を置いて、こう答えた。
「目の前にな」