銀座 銀座四丁目の交差点に立ち、時計台を眺めていた。
「あの時計塔が出来て90年になるのだな」
ライトアップされた建物を見上げ、無惨が呟いた。
「早いものですね……当時の元号は……」
「明治だな。まぁ、今の時計塔は昭和になって出来た二代目だ」
無惨はボルサリーノのフェルトハットを被り直し、黒死牟と共に夜の銀座を歩いた。
「大正くらいになると、夜も随分過ごしやすくなったと思ったが、近代化が進むにつれ、昼に拘る理由がなくなるほどに、夜は明るく、賑やかになったな」
「そうですね……この銀座に関しては……夜の方が華やかな場所もございますね……」
無惨はこの銀座という街を甚く気に入っていた。流行りのものが何でも手に入り、高級感があり、成熟した街だとよく話していた。
着飾ることが好きな無惨とは反対に、頑なに洋装を嫌がった黒死牟だが、第二次世界大戦が終わった頃より無惨にしつこく言われ、洋装で、髪も短く整えた。
「お前は元々目を見張るほどの美男子なのだから、何を着ても似合うのだ」
黒死牟を大きな着せ替え人形とでも思っているのか、無惨は嬉しそうに何着も服を買い与えた。大柄な黒死牟に合う服は既製品では少ない。その為、無惨は自分のスーツを仕立てる時に、黒死牟のスーツも共に仕立てるよう注文していた。
洋装に合わせた所作も身に着けたので、これで外出しやすくなると思ったが、無惨と黒死牟のずば抜けて優れた容姿は人の目を引き、かえって出歩きづらくなってしまった。そして、今ではスマートフォンの普及で一億総カメラマンの状態だ。何度もSNSに載せられ、後をつけられることなど日常茶飯事で、モデルにスカウトされることもしばしばあった。
人の目があるせいで以前のように動きが制限されるという不便さがあったが、時代の流れに合わせて何とでも姿を変えることが出来る無惨は、一瞬でその環境に馴染んでしまった。
今も時計塔を二人で眺めているだけで、何度も声を掛けられている。無表情で無言の黒死牟の横で、無惨は愛想笑いを浮かべ丁寧に応対している。「神対応」などと言われ、苦笑いすることもあった。
そんな騒がしい人としての日々が無惨は嫌いではなかった。
「私たちは“人”に見えるのだな」
あの時計塔よりも長い年月、それは無惨の口癖のようになっていた。時代の移り変わりと共に姿を変え、その場に自然に馴染むことに拘り続けた無惨にとって、90年、変わらずにそこにある時計塔への特別な思いが何かあるのかもしれない。
しかし、人の世が無惨の見る「夢」だとすれば、供をする黒死牟は目を逸らせない「現実」だ。
こうして夜の街に繰り出す理由は散歩だけではない。
「無惨様……そろそろ……“食材”を調達しなくては……」
「あぁ……」
黒死牟の言葉に小さく頷き、少し寂しそうな表情を悟られない為に、フェルトハットを目深に被った。