カラダから始まるむざこく どうして俺は上司と一緒にラブホテルにいるのだろうか。
黒死牟は大きなベッドに腰掛け、ずっと悩んでいた。
しかも上司は男、衆議院議員の鬼舞辻無惨である。
酔った無惨を自宅に送り届ける、なんてことは日常茶飯事なのだが、今日はそれほど酔った感じでもない。寧ろ、素面に近いくらい冷静だ。
「晩飯でも食って帰ろう」
そう誘われ、車の鍵を取ろうとしたら止められた。何故か車を出さず、事務所の近くの店に行くことになる。
「今日はお前も飲め」
その為だったようで、その言葉に甘えて二人で飲んだが、二人とも泥酔と呼ぶほど飲んだ記憶はない。
支払いを済ませた無惨が「少し歩こう」と言うので、日付の変わった夜の街を二人で並んで歩いた。週末なので夜遅い時間だが人通りは多い。ただ、陽気な酔っ払いが多いようで、自分たちが並んで歩いていても誰も気付かないようだ。
終電は既に出てしまっている。どこに行くつもりだろうか、と黒死牟は思った。タクシーを拾うつもりなら大通りに出た方が良いのに逆方向へと進んでいる。しかも少々ややこしい路地に入ってしまい、「休憩・宿泊」と書かれたギラギラと光る看板の街並みを歩く。そして、無惨は足を止め「寄る?」と、めちゃくちゃ自然な流れで誘われ、二人でラブホテルに入った。
週末なので満室に近いが、運良く一部屋だけ空いていたので、パネルのボタンを押すと、ガチャンと鍵が落ちてきた。
エレベーターに乗った瞬間、黒死牟は気付いた。
あぁ、これは無惨の悪ふざけだ、と。
こっちが動揺したところで大笑いするというオチだろうな、と思い、黒死牟は冷静になり、無惨の後を続く。
こうして大笑いした後に、たまには、いつもと違う雰囲気で飲んで、腹を割って話そうという無惨の上司としての配慮だと思った。確かにラブホテルなら誰かに話を聞かれる心配もないだろう。
そういうことか、と一人で納得していると、無惨は部屋に入るとジャケットを脱いで、ネクタイを解いた。
「先にシャワー浴びて良いか?」
「え? あ、はい……」
先に……?
え?
頭がはてなマークでいっぱいになる。遠くでシャワーの音がして、バシャバシャと水音がする。本当にシャワー浴びてんじゃん!!
黒死牟はフラフラしながらベッドに腰掛けた。
先に、ということは、次は自分がシャワーを浴びるのか。それって……いや、自分たちは、そういう関係だったか? いや、汗を流してスッキリしてから飲み直すつもりなだけで、無惨のドッキリは未だ続いている。黒死牟はそう解釈した。
20分ほどすると、バスローブを羽織ってタオルで髪を拭きながら無惨が出てきた。ベッドに座る黒死牟の姿を見て、少し驚いた様子だったが、安心したように小さく笑った。
「お先」
「はい……」
いくら自分のことを信用しているからと言って、あまりに無防備な格好ではないか? と、無惨の姿を見て真っ赤になる。腰紐を緩く結んでいるだけなので胸元がはだけて、歩く度にちらりと覗く太股が気になって仕方無い。
「浴びないのか?」
「え?」
無惨は黒死牟の横に座り、そっと耳元で囁く。
「私は別に浴びていない状態でも良いぞ」
「いや、それは困ります!」
跳び上がるようにベッドから立ち上がり、黒死牟は無惨から離れた。
真っ赤になり、心臓が破裂しそうなほど激しく脈打っている。やはり、無惨は「そのつもり」のようだ。
「シャワー行ってきます」
「どうぞ、ごゆっくり」
にっこり笑って、無惨は冷蔵庫のビールを取りに行った。
洗面所に行くと、無惨が使った化粧水や歯ブラシが置いてある。脱いだスラックスやワイシャツがそのまま置いてあるので、黒死牟は癖で拾い上げて皺にならないように畳んだが、甘い香水の匂いがして眩暈がしそうだった。
深く考えないようにしながら、熱めのシャワーを頭から浴びた。どこで「ドッキリでした」と種明かしをするのだろうか……そろそろ種明かししてくれないと心臓がもたない。
シャワーを止めてから、ぼんやりと考えているとドアが開いた。
「えっ!?」
「ゆっくりとは言ったが遅すぎる」
そんなめちゃくちゃな……しかも、何も隠すものがなく、黒死牟がおたおたと動揺していると無惨はバスローブを脱いで、裸になってバスルームに入ってきた。何度も着替えるシーンを見ているはずなのに、湯気の中で見るだけで、いつもと色気が桁違いで、黒死牟は倒れそうになるのを必死に耐えた。
「私がシャワーを浴びている間に帰っていたら、どうしようかと思った」
「え?」
「逃げ出すチャンスは何度もあったはずだ。どうして逃げなかった?」
逃げる、その発想は黒死牟になかった。
「じょ……冗談だと思っていたので……」
「本当にそれだけか?」
裸の無惨が少しずつ距離を詰めてくる。
「拒否しないということは同意していると受け取って良いな?」
差し出された手にそっと手を重ねると、強く握られ体を引き寄せられた。
見つめ合い、ゆっくりと唇を重ねる。濡れた髪を撫でながら無惨は角度を変えて何度も黒死牟にキスをする。
拒否するなんて選択肢は黒死牟の中にはなかった。
たとえ無惨の気まぐれでも、悪戯心でも、暇潰しでも、何でも良かった。
出会った瞬間から無惨に恋していた自分にとって、こんなチャンスが巡ってくるとは夢にも思わなかったのだ。
政界きっての色男と呼ばれている無惨が自分を抱くなんて、本当にただの気まぐれだと思う。そう思いながら無惨と長いキスを交わしているが、ひとつだけ不思議なことがあった。
無惨の鼓動が自分と同じくらい早いのだ。
酒のせいだ、と思いながら、無惨に手を引かれ、二人は照明を落とした薄暗いベッドへと向かった。