焼きそば それは休日の昼前の出来事だった。
「今日の昼飯は焼きそばでいいか?」
「え?」
無惨の世界からは縁遠い食べ物の名称が出てきたので、黒死牟はスマホを持ったまま固まってしまった。
「嫌いか?」
「いえ、そうではなく……」
昔、カップ焼きそばの湯切りをする際、誤って麺をすべてシンクに落として以来、カップ焼きそばは絶対に食べないと言っていた無惨なので、カップ焼きそばを提供するつもりはないだろう。そもそも無惨が自宅でインスタント食品を食べているところ見たことがない。あれは仕事中の時間がない時に食べるものだ、と言っていたので、食に対する意識はめちゃくちゃ高いのだ。
そんな無惨が焼きそば……あまりのギャップに黒死牟はぼんやりとしていると「お前は何もしなくて良いから、まぁ、そこに座って見ていろ」とソファに座らされた。
ダークブラウンのギャルソンエプロンを腰に巻くと、口に咥えたゴムで長めの前髪を一つに束ねる。綺麗に揃えられた襟足といい、4ミリで刈り上げたサイドの髪といい、オシャレなカフェの店員に見え、ぼーっと見惚れてしまう。しかも、無惨は料理が上手い。形から入るだけでなく、本当にプロ顔負けの料理を提供してくれるのだ。
そんな無惨が作る焼きそば……彼の世界から縁遠い食べ物だが、何と無く作りそうなものの想像はつく。だが、その想像を裏切って欲しい気もした。寧ろ裏切って欲しい。何せ口の中が裏切った方の味なのだ。あの香ばしいソースと鰹節と青のりの風味。からしマヨネーズなんかもふりかけてみたいし、意外にガーリックの風味がする塩焼きそばとか……など色々ジャンキーな味を思い浮かべるが、やはり無惨は期待を裏切らない男だった。
プリプリの海老と烏賊、TOKYO Xのバラ肉を使い、名店から取り寄せた中華麺をせいろで蒸す一手間を加え、キャベツ、小松菜、もやしの他に水煮ではない筍も入り、味付けは醤油とオイスターソース。あぁ、高級な中華料理屋で食べたことあるやつだ……その店に負けないくらい美味しいし……と思ったが、黒死牟は思わず叫んだ。
「これじゃない!!」
ふざけんな、たかだか休日の昼飯の焼きそばに、お前、いくら使う気だ!? だから、男の手料理は嫌いなんだ!! と黒死牟は心の中で叫んだ。自分も男だけど。
「無惨様、焼きそば食べたことあります?」
「は? これだろう?」
「そうじゃなくて、屋台とかの焼きそば!」
首を傾げる。子供の頃の祭りといえば神輿の上に乗せられた思い出しかないと話していたし、花火大会といえばロケーションの良いホテルから見ていたし、祇園祭だって馴染みの店の二階の窓から見ていたと言っているので、生粋のおぼっちゃまは屋台の焼きそばを御存知ないのだ。
「今晩、俺が焼きそば作りますから!」
「え? 二食続けて焼きそば?」
露骨に嫌そうな顔をされたが、黒死牟はこう言い出すと譲らないことは無惨が一番よく知っている。
二人は食後に一緒に近所のスーパーに買い物に行くことにした。
二人の住むマンションの近くは高級スーパーしかない。無惨は平然とアグー豚や鹿児島黒豚のバラ肉をカゴに入れようとするので、入れる度に黒死牟は陳列棚に戻していた。
「無惨様は触らないで下さい!!」
黒死牟に怒られ、無惨はぷうっと頬を膨らませる。それでも懲りずに有機野菜や高級な中華麺を入れてくるので、全部戻して、リーズナブルな価格帯の物に変更した。
「私が作るので、無惨様は座っていて下さい!!」
激おこの黒死牟は無惨をソファに座らせる。そして、今度は黒死牟がキッチンに立った。
バラ肉をフライパンで炒め、火が通ったところで一旦皿に上げ、その油を使ってキャベツ、もやし、玉ねぎを炒め、その間に耐熱ボウルに入れた麺にサラダ油をまぶして解し、軽くレンジで温める。
野菜に火が通ったところで肉を戻し、麺を入れ、オタフクソースをたっぷりと入れる。フライパンの上でソースが熱せられ、ジューッという音と共に香ばしい匂いが広がる。
「良い匂いだな」
対面キッチンの向こう側から無惨は面白そうに覗き込んでくる。
皿に盛りつけ、削りがつおと青のりをふりかけ、刻んだ紅ショウガを添える。
「はい、どうぞ」
「おおー!」
居酒屋やお好み焼き屋で見たことがある! と感動しながら、無惨は嬉しそうに焼きそばを見つめる。そして、香ばしいソースの香りにこう呟く。
「ビールが欲しくなる」
「ですよね」
そう言って、黒死牟はビアグラスと冷蔵庫でキンキンに冷やしたビールをテーブルに運ぶ。
二人で「いただきます」を手を合わせ、黒死牟の作ったソース焼きそばを食べ、ビールを流し込んだ。
「うっま!」
無惨は嬉しそうに焼きそばを食べている。いや、昼間に無惨が作った焼きそばの方が確実に美味しいのだが、焼きそばといえば、この味である。
「無惨様も焼きそばも勿論美味しかったですが、たまには庶民の味もよろしいかと」
ビールの進み具合を見るに、かなりお気に召したご様子。
黒死牟もそんな嬉しそうな無惨の表情を見ていると箸が進むと、口許に笑みを浮かべながら麺を啜った。