黒死牟の髪を結ってあげる無惨様「黒死牟、黒死牟」
「ここに……」
無惨に呼ばれ部屋に向かうと、無惨は芸妓姿で化粧をしている最中だった。
「ご無礼を」
「良い、私が呼んだのだ」
玉虫色の笹紅を引き、鏡の前でその仕上がりを確かめている。そんな後ろ姿をぼんやりと見ていると、無惨は鏡越しに黒死牟を睨んだ。
「何をしている。お前もさっさと女になれ。一緒に座敷に行くぞ」
「畏まりました……」
逆らうことは出来ず、不得手だが女の姿になった。無惨よりやや小さい体格となったので、無惨の着物を借りることにする。その中でも今日無惨が纏っている着物より少々地味な着物を選ぶ。
化粧も多少は慣れた。と言っても、白粉を叩いて、紅を引くくらい。無惨の後ろにいるだけなので、その程度で良いと言われている。
あとは髪である。
無惨の髪は一流の髪結いが手掛けているが、自分のこの伸ばしたままの髪はどうするべきか悩んでいると、無惨が鏡の前に座るよう促した。
「私が結う」
「ですが……」
「なんだ、不満か?」
「いえ……」
黙って無惨に従う。柘植の櫛で毛先まで丁寧に梳く。椿油で艶を出しながら廂髪に結った。
「お見事で……」
「女学生の髪型だからな、あまり座敷に上がる女がするものではないのだが……まぁ、良いだろう、流行りだし」
流行りどうこうは黒死牟には解らない。だが、無惨に髪を触ってもらうのは好きだった。仕上げに後れ毛を整えながら無惨は耳元で囁いた。
「他の男にお前の髪を触らせるなど、私が許すと思うか?」
ぞくりと背筋が震える。もう座敷になど行かず、この場で髪を乱し、無惨に抱かれることを望んだが、それは叶えられなかった。
無惨と情を交わすなど、いつでも出来ると思っていた。数百年も無惨の傍にいて、こうして無惨は自分の髪を梳き、褥に広がる長い髪をいとおしそうに撫でてくれた。こうした無惨とのささやかな記憶は、何故、死ぬ時に持っていけないのだろうか……薄れゆく意識の中で黒死牟は消えていく思い出を留めようと抗ったが、何も持たずに転生することになった。
あれから、どれくらいの月日が流れただろうか。
勿論、二人に前世の記憶はないが、今生でも無惨と黒死牟は共に過ごしていた。
そんなある日のこと。支度を済ませた無惨は鏡台の前に黒死牟を座らせた。
「別に私はこのままで……」
「良いわけあるか。全くお前は……」
無惨はブツブツと文句を言いながら、黒死牟の髪を結ぶゴムを外し、髪に櫛を通した。ゆっくりと丁寧に梳く手つきが心地好くて、何度も欠伸を噛み殺す。長い髪をいくつかブロッキングし、両サイドを器用に編み込みにして、高い位置でひとつに結んだ。顔周りが普段よりすっきりして端整な顔立ちがはっきりと見えるだけでなく、両サイドに一手間加えたことで普段より洒落た印象を与える。
「相変わらず器用ですね」
「お前が無頓着過ぎるのだ」
これだけ器用にヘアセット出来るのに自分の髪は美容師に仕上げてもらっている。だが、黒死牟の髪は敢えて美容師に触らせなかった。
「お手間でしょうに」
「私の手でお前を仕上げたいという想いもあったが単純な話だ。他の人間にお前の髪を触らせたくなかった」
鏡越しにそう言われ、無惨の手にそっと頬擦りした。
髪の毛の1本に至るまで自分のものだと無惨は黒死牟に言っていた。その支配的な愛情が妙に心地好く、生まれる前から、こうなることを望んでいたと思うほどだった。
「折角の晴れ舞台だ。一番美しいお前に仕上げたかった」
「そうなりましたか?」
「あぁ、最高だ」
無惨はそっと黒死牟の耳にキスをした。二人がキスをしようとした瞬間、背後から咳払いする音が聞こえた。
「用意は出来ましたか?」
「あぁ」
控え室に呼びに来た縁壱に二人は微笑み掛ける。縁壱は呆れた様子で二人をチャペルまで案内した。
チャペルの扉が開き、タキシード姿の無惨が先に入場する。その後ろ姿を見ながら縁壱は大きな溜息を吐く。
「兄さん、今なら未だ引き返せますよ」
「そう言わず、お前が私を無惨様のところに送り出してくれ」
今までで一番良い笑顔をした兄を見て、縁壱は諦めたように黒死牟の手を取った。
「髪型、よく似合っていますね」
「無惨様が結って下さったのだ。似合うに決まっているだろう」
そんな言葉を交わし、振り返って微笑む無惨の元に黒死牟は縁壱に手を引かれ、ゆっくりと歩いて行った。