しろくまこおりいちご編 買い物から帰ると、家の中で風息が溶けていた。
昔から夏は暑いものとはいえ、現代の人間界におけるそれはもはや災いに等しく、近頃は「暑い」の上に酷だとか猛だとかの言葉がつくらしい。ネコ科らしく暑さが苦手で、廊下のフローリング、階段、日陰の窓辺、と少しでも涼しい場所を探し求めて家中を彷徨っていたらしい風息は、ついには畳の上でぐんにゃりと伸びていた。
風息は畳にぴったりと腹をつけて寝転がっており、上から見下ろすとそれは巨大な毛玉にもみえた。ふわふわと広がる立派な黒髪は、彼のちょっとした自慢であったが、真夏に綺羅びやかな毛皮のコートを背負っている様なものだ。開いた窓から届く熱風に、思わず顔を顰める。出かける前につけっぱなしにしていた筈のエアコンが切られている。
「エアコンはどうした?」
「人工の風は嫌いだ」
風息が呻く。お前と同じ様な事を言う人間たちが、毎年たくさん倒れて病院に運ばれるらしいぞ。内心そう思いつつ、口にすれば俺は人間じゃない、全く虚准はテレビばかりみて、と不機嫌になるのが目に見えているので黙っておく。因みに正しくはテレビではなくSNSで得た情報なのだが、それを風息に説明するにはまず携帯電話でインターネットが出来る事から、否、まずインターネットとは何かから説明しなくてはいけない為、あえて訂正はしない。
「……それに、クーラーなんて無くても、俺たちには虚准がいる」
言うが早いか、毛玉からぬっと二本の腕がこちらに伸びてきて、虚准の腰に巻き付いてきた。夢中で氷の体を抱きしめる様は、今朝これもSNSでみた、果物を入れて凍らせた氷塊に抱きつくシロクマの動画を彷彿させたが、これも黙っておいた。そんな事よりも、しがみついてくる風息の体が想像以上に熱くて、内心ぎょっとする。背中で目玉焼きが作れそう…は流石に無理でも、マシュマロくらいは溶けるかもしれない。改めて風息を観察すれば、酷く汗をかいた形跡があるし、顔が真っ赤だ。
「おい、お前大丈夫か」
「平気さ。ああ涼しい…虚准が巨木くらい大きければなあ」
「大丈夫じゃなさそうだな」
涼を求めて腰に巻き付いてくる両腕こそ、太い枝の如くがっちりしている。虚准も同じ様に畳に腰掛けて、首筋や両脇に腕を伸ばして熱い体を冷やしてやる。心地よいのか、胸の中で風息が溜息がこぼした。しかし依然として風息の体は熱く、受け答えも普段より鈍い。なんというか、ぐんにゃりしている。このままではいけない。エアコン、いやまずは水分補給か。そう思うのに、風息は虚准を強く抱きしめたまま離す気配が無い。
「おい、一旦離れ……」
次の瞬間、体がぴくんと跳ねた。いつの間にか風息は、邪魔だとばかりに虚准の上着をたくしあげて、素肌に顔を埋めていた。感覚は限りなく鈍いが、ざらざらとした熱い舌で肌を刺激されると、感覚とは別に体が跳ねる。胸の尖りを強く吸われて、無意識に風息に強くしがみつく。制御しきれない冷気が、一際強く周囲に放出された。
「あー……今の、気持ち良い……」
もっと。風息がそう呟くや否や、床に押し倒されていた。こんな時に盛っている場合か、と抵抗しかけて、自分を見下ろす熱に溶けた瞳や汗で濡れて額や首筋に貼りついた髪、情交を彷彿させる姿に腰が重くなって、また冷気が部屋に散る。
(あ……アイス……)
二人の傍ら、床に投げ出されたままのビニール袋の存在を思い出す。そこにはさっき買ってきたアイスがふたつ入ったままで、パッケージにびっしりと水滴をつけているに違いない。
具合の悪そうな風息。溶けるアイス。開きっぱなしの窓。どうしたものか、と考えている間に服が脱がされていた。虚准、とか擦れた声が愛おしげに自分の名前を囁く。
(……まあ良いか)
足を使って乱暴にカーテンだけ閉めてから、虚准は思考を放棄した。なにせ酷く暑いもので。