夏至ぷりっ(风虚過去話) 幼い頃は虚淮の後ろをよちよちついていくばかりだったけれど、あれから随分と時は流れた。今日も世界は、新しくて面白い事ばかりだ。
大抵いつも一緒の洛竹と天虎の他にも、沢山の弟分や仲間が出来た。霊力が増していくにつれて、周囲から頼りにされる事も増えて、それが誇らしい。最近は风息の噂を聞いてわざわざ遠くから訪ねてくる妖精なんかもいて、知らない世界について知る事は楽しい。
今日の客人は、初めてみる妖精だった。ここから三里ほど離れた草原に暮らしていると言うその妖精は、動く度に乾いた果実や花の香りがふわふわと香った。聞けば、橘皮や辛夷を砕いたものを酒に混ぜて毎日飲み続けると、体ばかりか服にまでその香りがうつるのだと教えてくれた。珍しいのは香ばかりでは無く、繊細な刺繍が縫われた衣も、手土産だと渡された蓋碗も、どれもみた事のないものばかりだった。
「人間が暮らす街に行って、果実や肉なんかと交換するのさ。僕は新しいもの、珍しいものが大好きでね」
「へえ、確かに珍しいな」
人間かあ、まだ会った事ないな。妖精が話す事は何もかもが珍しく、风息は夢中になった。そんな风息の様子をみて、妖精は何故かニヤニヤと笑った。
「今度、楽器が得意な妖精を呼んで食事をするんだ。僕も彼女や仲間を呼ぶつもりだから、君も大切な人を連れて遊びにくれば良い」
その日の夜、洛竹達と焚き火を囲んで早速今日の事を話した。月の様に丸い楽器、弦が奏でる美しい恋歌の話に、洛竹もキラキラとした目で頷く。かと思えば、不意に俯いて、ポツリと呟いた。
「……でもアイツ、オイラ達が集めた木の実を食べなかった。なんか感じ悪いよ」
そう言って洛竹は、林檎色の頬をさらに赤く染めて膨らませる。
「たまたま口に合わなかっただけかもしれないだろう。……そうだ洛竹、一緒に彼の住処に行ってみよう。案外仲良くなれるかもしれない」
名案だと思ったが、洛竹はぽかんと口を開くばかりだった。
「……ねえ风息、大切な人を連れて来いって言われたんでしょ?」
「ああそうだ。俺にとって洛竹は大切な弟分だ」
キッパリそう言い切ると、洛竹は何故か呆れた様に溜息をついた。
「风息は分かってないねー、天虎」
「ないねえ〜」
腕の中に抱いた天虎までがそう言ってみゅうみゅう鳴く。どうして。全く訳が分からない。するとそれまで黙って风息達の話を聞くばかりだった虚淮が、静かに口を開いた。
「どうせお前、その格好のままその辺に咲いている花でも摘んで行くつもりだろう」
「何がいけない」
「龍游の守護神どころか、南瓜かじゃが芋の妖精が来たと笑い者にされるな」
「どうしてそんな事を言うんだ」
あんまりな物言いに思わず食ってかかろうとすると、虚淮はいつもの冷たい表情を変えず、风息の顔をみて、泥と呟いた。確かに夕刻まで天虎と一緒に芋掘りに出掛けていたから、顔にも服にも乾いた泥がこびりついたままだった。指摘されて気がついた。悔しい。その場で乱暴に泥を払う。
「なんだ、お前達皆で俺を揶揄って。分かったよ、いかなければ良いんだろう」
「行くなとは言っていない。ただ、準備が必要だ」
ずい、と虚淮が风息の顔を覗きこむ。いつもの冷たい表情、いや少しだけ眉間の間を狭くして、周囲に漂う冷気が鋭い。
この虚淮を、风息はよく知っている。彼はほんの少し、ほーんの少しだけ、怒っている。
「弟に恥はかかせない。奴の思惑通りにならない事を、よく教えてやろう」
それからの虚淮の暗中飛躍っぷりには、风息は圧倒され舌を巻くばかりだった。機織りが得意な妖精を訪ねて新しい衣を仕立ててもらい、沈香を焚いて香りを纏わせる。たっぷりと柔らかい生地を使った、なんとも優美な衣だ。
毎晩寝る前によく分からないけど沢山生薬を飲まされた。これが涙が出る程苦いけれど、翌朝には自分の喉から小鳥のさえずりみたいな透き通った声が出るから驚いた。
今もこうして彼の寝床に招かれて、木の葉や枝が絡まった髪を丹念に櫛でとかしてもらっている。古い硝子の小瓶に入った油で髪を撫でつけられると、黒髪がどんどん絹の如く柔らかくなっていく。そう言えばまだ幼い頃は、こうして虚淮によく髪をとかしてもらっていた。风息はどんどん身綺麗になっていく自分の事よりも、普段殆ど泉から動かない虚淮が、こんなにもテキパキと動く事の方が珍しく面白かった。
「驚いたよ。虚淮はなんでも出来るんだな」
「昔、少しな」
虚淮はあまり自分の事を話さない。虚淮にも、自分を美しく着飾ってみせたり、社交の場に出向いたりする事があったのだろうか。想像すると、どうしてか面白くない。
「……そうだ风息、お前にこれをやる」
虚淮はがさごそと懐を漁って、無造作に何かを风息の掌に乗せた。なんだろう、と思えばそれは大粒の玉石を贅沢に埋め込んだ髪飾りで、そう言った類に疎い风息にも、一目で高価、いや金銭では買えない価値があるものかもしれない、という事が分かった。絶句するしかない风息に、虚淮が言葉を重ねる。
「お前にも、良いと思う妖精くらいはいるだろう。これをつけて、一緒に食事会に行こうと誘え」
「な、何を言うんだ。虚淮のものを誰かに渡すなんて出来ない」
「私には必要ないものだ。執着もない。お前の役に立つならそれで良い」
何人かの妖精の顔が頭に浮かぶ。華やかな装飾品を好む美しい妖精たち。风息が頼めば喜んで協力してくれるだろう、という気もした。
でも、と思う。でも、なんだかしっくりとこない。
「……ダメだ虚淮。やっぱりこれは受け取れないよ」
翡翠の飾りを虚淮の掌に乗せる。虚淮が口を開く前に、言葉を紡ぐ。
「だから、虚淮がこれをつけて一緒に行ってくれないか?」
「私が?」
虚淮がわずかに目を丸くする。うん、と风息は頷いた。どうして突然こんな事を頼むのか、自分でもよく分からなかった。ただこの髪飾りは、他の誰かより、きっと虚淮によく似合うだろう。そんな考えが頭に過ぎった。それに、他の誰かに頼む位なら虚淮に頼んだ方が余程気楽だ、とかそんな打算もあったかもしれない。虚淮は考える様に少し黙り、そして頷いた。
「良いだろう。お前に協力する」
約束の日が来た。確かにそこはまるで夢の世界の様で、この周辺の森には実らない果実や花、芳しい香茶に鮮やかな果実酒、細工が美しい茶菓子、豪奢な織物に茶器、とにかく、みた事のない珍しいものばかりが並んでいた。
しかし、风息をここに誘った妖精の、风息を一目見るなり引きつった顔をみて、风息は落胆する。仲間が危惧した通り、风息を引き立て役のつもりでここに呼んだのだろう。真相を知った今では、無邪気に談笑を楽しむ気にもなれなかった。
美しい妖精達が、鈴の音によく似た声で代わる代わる风息に話しかけてきた。紅をひき白粉を纏った艶やか彼女たちから熱っぽい視線を受けて、いつもの风息だったなら、多少は舞い上がったかもしれない。
なのに今の风息は、言葉少なに俯いて、自分の足ばかりを眺めている。ふと視界に小さな靴が入り込んできて、ギュッと风息の足を踏んづけた。痛いよ、と小さな足の主の方を向けば、また息が出来なくなる。
「もっと堂々としていろ。胸をはれ。皆お前をみている」
「む、無理だ……」
やっとそう答える。虚淮から呆れた気配がしたが、风息にはそれどころではなかった。先ほど胸板に添えられた手の感触が消えない。いつもより柔らかく、小さかった気がする。女性型に変化しているのかもしれなかったが、それを確かめる術は無かった。だって、あまりにも綺麗すぎて直視出来ない。髪を結い、礼装を纏った長兄は、一番よく知っている筈なのに、今初めて出会う妖精の様に思えた。
「完璧だ。この中でお前が一番美しい。格好良いぞ风息」
「格好良いのは、虚淮の方だよ……」
全く良い仕事をした、と満足げに虚淮が呟く。先程から风息がなかなか口に出せずにいる言葉を、さらりと言ってみせる虚淮が憎い。美しい琴の旋律に聴き入っているフリをして、再び視線をそらした。恋の歌が月夜に響いた。