「あっ!」
「どうかしましたか?」
男の声に後輩は驚いて先輩を見る。
「腕時計を家に忘れたんだ」
仕事中にスマホを触ることができず、壁掛け時計があるとは限らないので普段男は腕時計をしている。しかし、今日はうっかり忘れてしまったのだ。
「先輩が忘れ物なんて珍しいですね」
「取りに行く時間もないし、先方に時間を合わせるしかないな」
「時間通りに終わってくれると良いんですけどね……」
その点は男も心配だった。相手方がまだ時間はあると言えばいくらでも時間が引き延ばされてしまう可能性がある。
「じゃあ、これ貸しますよ」
そう言って後輩は先輩に自分の腕時計を渡す。
「ありがたいが、お前はどうするんだ?」
「今日は内勤なので、僕は大丈夫ですよ」
「じゃあ、ありがたく借りるよ」
「帰ってきたら返してくださいね」
「もちろん」
男は少し小さい腕時計を身に着けて取引先へと向かった。