嘔吐あのアンドロイドの一斉暴走事件が収束して半年。アンドロイドの問題はまた別の形で現れ、治安維持組織であるK.G.Dの仕事は尽きることがない。
もっとも多かったのはアンドロイドの人権に関する法整備が整う前に窃盗品のアンドロイドを売り抜くものたちだ。窃盗罪として取締りはできるものの、所有者を書き換えることでこれを潜り抜けられるケースも多く、いたちごっこが続いている。
次に多いのはアンドロイドに人権を与えることを反対する人間による軽犯罪だ。刑事事件として立件できないものを含めれば窃盗より数は多いだろう。アンドロイドを人間と同じように扱うことは生物的本能に反すると主張するアンチアンドロイド団体によるデモが立て続けに起き、K.G.Dはその対応に頻繁に駆り出された。
新長官がアンドロイド共存派のために表立って不平不満を言うものはいないが、直前まで率先してアンドロイドを処分していたK.G.Dの中にも当然アンチアンドロイドは少なからずいる。そういった相手にとって、「ロイの反乱」で一躍英雄になったカイを含むエンドーの独立捜査官チームは、はっきり言って憎悪の対象になっていた。
それは、たしかに、カイもレッカもよく理解している。
本当にそのつもりだった。
「うおえぇえ…」
署内の狭いトイレに嗚咽と水音が響く。
カイの指が口の中からレッカの咽頭を押し、吐かせようとしている。脂汗を流しながらレッカはけっして美しいとはいえない便器にへばりついていた。
「全部吐けたか」
「まだ…あー腹に残ってる」
レッカを後ろから抱えているカイが、その腹を押す。朦朧としながらレッカはしんどそうな息を吐いている。
「痺れとかはないか」
「とっとと吐いたからな…」
「…吐ききったら医務室行くぞ。もう少し頑張れ」
「おー…」
やっとの返事にカイは顔をしかめて、色の薄い髪が流れるレッカの首を眺めた。
事は昼休憩の時間に遡る。
あとから証言したレッカ曰く「いつもより配膳が出てくるのが少し遅かった」。
K.G.Dの食堂は自動化もされていなければアンドロイドもいない。旧態然とした調理場と注文カウンターに受け渡し口を備えたスタイルだ。携帯端末でメニューを選んで購入し、表示されるバーコードを読み込ませてカウンターで受付。入力された注文を元に調理場で盛り付けられ、受け渡し口でそれを受け取る。単純なシステムだ。
少しと言っても何分も待たされるものじゃない。カイとレッカの直後に並んでいたやつに追い抜かされたな、という程度だった。
「ここのメニューは変わり映しねえか」
ミートソーススパゲティとスープ、白身魚のフライにポテトとスープが載ったそれぞれのプレートをテーブルに並べる。
「エルに相談したら変えられそうじゃないか?これからアンドロイドの採用も増えるだろうし美味い食事を知るべきだって」
「ついでに人間がかわいそうだってな」
ハハと笑う二人の横から声がかかる。
「カイ、飯のところ悪いな。ちょっとブラスト銃の改良の話させてくれ」
見上げると整備部の男が資料を片手に立っていた。
「今から食うところだぜ、お行儀も知らねえのか?」
「レッカ。あー…今じゃないとダメか?」
「悪い、このあとこいつの会議があってその前に相談できると助かる」
資料を映した端末を振りながら答える男にカイは観念したように首をすくめて話しはじめる。その様子を見てレッカは一人で食事をはじめたのだ。
異変はカイと男が話し始めて10分、レッカが8割ほど食べおえた頃だった。妙に喉が渇き、頭がぼんやりすることに気づく。立ち上がってサーバーから水を汲み、一気に飲み干す。もう一杯、さらにもう一杯。乾きは一向に収まらない。
「…おい、カイ」
整備部の男は立ち去り、カイはちょうど食事に手を付けようとしているところだった。
「どうした」
「その飯食うな」
「は?」
「そんでエンドーのおっさん呼んで、俺様の飯の残りと一緒に保全しとけ」
急にどうしたという顔をするカイに詳しく説明できる余裕がない。フォークを握ったカイの手を掴むレッカの手のひらに嫌な汗が滲みだしてくるのが自分でも感じられた。
「盛られてる」
カイが署内でも人通りのもっとも少ない遺体安置室近くのトイレでレッカを見つけるまでしばらくかかった。僅かな嗚咽が人のいない廊下に響く。
「大丈夫か」
ドアを開けると一番手前の個室の便器にすがりついたレッカの姿が見えた。
薄暗いトイレの白い電灯が明滅する。丸く筋肉のついた肩がいつもより一層青白く思える。
「……うまく吐けねえ…、手伝え」
「手伝えって…」
「手ぇ」
貸せ、と音にならない声で呟きながら後ろ手にカイの手を握ろうとする。物理的な手、かと気づいて導かれるまま従うとレッカはカイの手をそのまま口の中に突っ込んだ。
「はっ、え」
驚いて引っ込めようとした手を思うより強い力で引き止められた。ぬるりと何かが指に当たる。何かって。わかりきっている。
(舌が)
他人の粘膜の温かさに怯む。そんなカイの様子などどうでもよさそうにレッカはカイの指先が自分の咽頭に届くように押し込んだ。カイも、ようやく”手伝え”の指すところを理解する。
「お、うぇ、え、お」
喉奥の筋肉が動き、生暖かい気配が指に伝わる。胃から内容物がせり上がってくるのがわかる。口から手を離すとあまり消化されていない昼食が少し便器の中に落ちた。
吐瀉物が指に跳ねる。汚いと思うべきなのだろうが、口内と同じ微温さだったからだろうか、カイにはあまりそう感じられなかった。
便器の中に落ちた吐瀉物を見ると昼食すべてを吐き出したようには見えない。胃を押したほうが良いのかもしれない。レッカの後ろに膝立ちで座り直し、胴に手を回す。
「腹、押すぞ」
「は」
もう一度喉に手を突っ込む。咽頭を押すのと同時に胃のあたりを下から押し上げるように力を入れるとまたレッカの口から吐瀉物が溢れた。
カイが腹を押すことでさっきよりも吐きやすくなったのをレッカは感じていた。それには感謝している、が。
(なんかこいつ変じゃねえか…?)
吐くのにも体力を使う。少し息をつく間もずっとカイは腹を繰り返し押していた。その手付きがなにか変だ。まるで服の生地を楽しむかのように指が滑り、下腹の肉をなぞっている。胃を押す強さとは裏腹に、官能を煽る動きに似ている気がする。
胃を下から持ち上げるように、下から上へ、手が移動してグッと押す。また下腹へ移動して下から上へ。背中にはカイの体がピタリと張り付き、汗で冷たくなる体にその熱を伝えてくる。カイが深く息をついて、耳の上にその息がかかることに気づいたとき、首の後ろが泡立つような気持ちがした。
(うわ…)
まずい気がする。全部吐けたかどうかなんて他愛のない会話をしながら腹をなぞる手は止まらない。また手が口内に突っ込まれ、レッカは吐き気と汗と寒気に混乱しながら三度目の嘔吐をした。
「…げぇ、は、はっ…」
胃の中身を全部出し切る勢いで吐瀉物が便器に落ちる。少し前に身を屈めるとカイの体との密着度がより上がる。そこで気づいた。
(こいつ、まさか……)
おそらくカイの腰があるだろう背中のあたりに硬いものが当たる感触がする。勃ってる。直感的にそう考える。顔を前に向けることもできないが、今カイの顔が見たかった。ひとがゲーゲー吐きながら苦しんでるの見て、どんな顔して勃ててやがる。
三度目の嘔吐が終わると、胃の中のものが出きったのかレッカは大きく息をついて紙で口を拭った。その様子を見てカイは体を離す。体温が離れて名残惜しい気がした。
と、思う間もなく振り返ったレッカに襟元を捕まれ顔が近づく。吐瀉物に混じった胃液の酸っぱい匂いが鼻を突く。
レッカが青白い顔でいびつに笑った。
「お前…なに勃ててんだよ」
「は」
嘘だと思いながらカイは自分の腰を見る。勃っている。
「嘘だ」
顔を青くしたカイを見てさらに笑みを深くしたレッカがその唇にかじりついた。唇を合わせたままレッカは腰同士をピッタリと合わせて揺らす。カイに刺激を与えるために。
(イっちまえ)
久しぶりの他人の体温に勘違いしただけだと言いわけできないようにしたかった。同僚で射精したことにショックを受ければいい。
「ふ、んぅ、う…」
どちらのものかよくわからない声が響く。
刺激が弱いのかカイの股間はそれほど硬くなってきていない。まだ状況をよく飲み込めていないのか半開きになったカイの口に舌を入れると、左手の親指を耳の穴に入れ、唾液を絡ませるように動かした。
吐瀉物の苦さと酸っぱさが二人の唾液に混ざって口内に溢れる。嫌がるように眉根を寄せているが逃げる素振りはない。けれどこれはレイプだと言われたら言い訳できない気がする。
(でもひとの口に手ぇ突っ込みながらちんこ押し付けてきたこいつも似たようなもんだろ)
ギュッと目を瞑っている顔を眺めながらダメ押しとばかりにカイの股間に手を伸ばす。
掌に局部の熱さと拍動が伝わる。
張り詰めてドクドクしている。
(…興奮してんな)
服の上からもそれと形がわかる亀頭を刺激した瞬間。
「ん!んン!〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
カイは目を開き、レッカの顔を至近距離で見つめながら射精した。
レッカが手洗い場で口をすすぎ顔を洗い終わると服を整えたカイが個室から出てきた。
「下着くらいは弁償してやるから」
「…別に、いらねえ」
拗ねた顔にレッカはニヤニヤと笑う。
「遠慮するなって、記念に持っとけよ」
その下着を見るたびに同僚でイッたことを思い出すんだと考えたら小気味がいい。同じことに思い至ったのかカイの顔が一気に赤くなった。
「それより!!結局何だったんだ」
「さあ…」
首をすくめたレッカに不本意そうにカイが文句をつける。
「さあって…お前が盛られたって言ったんだろ」
「飯に違和感がなかったことと症状でレイプドラッグの類だって判断しただけだ」
目眩、喉の乾き。あのままほっておいたら手足の痺れや意識の混濁、痙攣などの症状を起こしていた可能性がある。
「俺の飯にも…?」
「たぶんな」
レッカが狙われるなら同じかそれ以上にカイを憎んでいるやつはたくさんいる。
「何が入ってたかは分析班を待つしかねえよ。おっさんにちゃんと渡したんだろうな?」
「ああ…」
犯人の狙いはわからない。署内でラリってる独立捜査官たちの様子を見せつけて失脚させたかったのか、ただの嫌がらせか。盛り付けのどこで混入されたのか証明できない以上、おそらく犯人を特定することはできないだろう。証拠もきっともう処分されている。エンドーが食堂に着くまででもその時間は十分にあった。
「しばらく飯は人がいない場所でしたほうがいいな」
「タオズダイナーに宅配でもさせるかぁ」
ふとカイが考え込む。
「……宿舎も、危ないと思うか?」
その質問にレッカは笑みだけで返す。アンドロイドが敵であった頃のほうが世の中はわかりやすかった。
「二人部屋に変更願い出そうぜ」
どうせまとめて狙われるなら一緒にいたほうが何かと対処しやすい。アンチアンドロイド派は多いが直接的な行動に出てくる人間はそこまで多くないだろう。尻尾を掴むまでの我慢比べだ。
「さっきの今でお前…本気か?」
しかし青少年はまだ衝撃から戻ってこれないらしい。
「発情してんじゃねーよ、ガキ」
「お前に言われたくねえ……くそっ…」
腹を立てたカイが電灯が暗く反射する廊下を先に歩き出す。悠々とレッカがその後ろをついていく。
紆余曲折あってもどうせしばらくは宿舎の同じ部屋に住むのだろう。敵も味方も判然としない世界で、お互い確かに身を守りあえるのはお互いしかいないとわかっているのだから。