噛み跡(楽壮)高所得者αのΩ保護義務。
種の保存や望まぬ妊娠、犯罪などの防止のため、ある一定以上の収入がある成人済みのαにはΩの保護義務が発生する。
登録された遺伝子情報から成人以上のΩで相性の良い人物をあてがわれ、本人同士が同意の上、番契約を交わすことか推奨されている。(拒否することも可能だが、α側に罰金が発生する)
保護義務で番のΩがいても他にパートナーや婚姻相手がいるのが一般的である。
「逢坂、これ……」
甘い匂いが満ちた部屋、ポタポタとたれる汗が真っ白な背中に落ちている。さっきまで熱くて仕方がなかったのに、今は寒い。
「ばれちゃいました?」
四つん這いのまま振り返った逢坂はクシャりと悲しそうに笑った。
真っ黒なチョーカーの下、まっ更なはずの項には紫に鬱血した噛み跡があった。
「逢坂!」
飛び起きるとベッドの上だった。スマートフォンのケーブルが引っかかって、目覚まし時計が落ちてしまったのか、ガッチャンと派手な音がした。
「楽!大丈夫?」
バタンと扉が開いて、心配そうな龍が飛び込んでくる。その情けない顔に心臓が少しづつ落ち着いてくる。
「……夢、か。……大丈夫だ。悪いな。うるさくして」
「ほんと、朝から騒がしいんだけど」
続いて鬱陶しそうな顔をした天までもが入ってきて、時計を拾い上げた。朝8時、2人ともとっくに起きていたらしい。
「逢坂壮五となんかあったの?家中に響き渡ってたけど」
「……あのさ、お前ら逢坂のチョーカーの下、みたことあるか?」
2人は揃って険しい顔をした。俺だって変な質問をしていると思うけれど、聞かずにはいられなかった。
「はぁ?あるわけないでしょ。番でもないのに」
「俺もないかな。ベータしか居ないところでも壮五くん、チョーカー外さないから」
「……だよな」
「ねえ、まさかとは思うけど、見たことないの?」
「……見る必要ないだろ。まだ番にはなれないんだから」
俺の返答に天は信じられないものを見るような顔をしていた。
BLACKorWHITEの優勝から半年後、俺の元に赤い封筒が届いた。バース管理局と書かれたそれの中には、オメガの保護義務が発生したと書いてあった。TRIGGERがついにそこまでこれたのかと、誇らしかったのを覚えている。
同封された、遺伝子適正95パーセントのオメガのプロフィールには見知った顔があった。
『近いうちに会いたい』
ラビチャのメッセージを送って、直近2週間のオフの日も知らせた。今では俺たちよりもあいつらの方が忙しい。もしかしたら予定は合わないかもしれないけれど、確かめずにはいられなかった。
あの日、俺にあてがわれた保護義務対象のオメガは、逢坂壮五だった。同じタイミングで知らせが来ているはずの逢坂にすぐ連絡をして話し合った結果、番契約をすることにした。
ただし、いくら義務だとしても番がいることはアイドルとして望ましくないから、お互いアイドル業が安定するまでは番契約はしない。ヒートに関しても、都合が合わなければ無理をしなくていいと申し訳なさそうに逢坂は言った。
俺達が事務所をやめたから、申請をすれば契約の義務はなくなるけど、俺はその約束を破棄するつもりはなかった。
逢坂とのラビチャを遡ってみると俺たちの曲や、ライブ映像の感想が熱のこもった長文で何度も送られてきていて、口元がにやける。
俺達が今の関係になってもあいつは何も変わらなかった。それがもどかしくもあるが、俺はあいつのヒートの周期すらしらないのだから、それも、当然なのかもしれない。
意外にもラビチャにすぐに既読がついた。そして、逢坂からの着信を知らせる画面にきりかわる。すぐに通話ボタンを押すと、逢坂です。今、お時間大丈夫ですか?とまるで仕事相手にいうような台詞が聞こえてきた。
「悪いな。仕事中だったか?」
電話の向こうからは多数の人間のざわめきが聞こえてくる。最近は縁遠くなってしまったが、耳に馴染みのあるものだった。
「いえ、丁度終わったところで。……実はしばらく休みがなくて。突然で申し訳ないですが、今からお伺いしてもいいですか?」
「迎えにいく。どこの局だ?」
「でも」
「2人きりで話がしたい」
俺の言葉に息を飲んだあと、逢坂は了承した。
「迎えにきていただいてしまって、すみません」
「俺が会いたいって言ったんだから、当然だろ。俺こそ急に悪かったな」
逢坂の首にはチョーカーがついている。今日は今朝見た夢のような黒だった。白い首に巻かれたそれは異様な存在感を持っていて、ハンドルを握る手に力が入ってしまう。逢坂の首にいつもきっちり巻かれたそれを、俺はフェイクだと思っていた。様々な場面で不利になることが多いオメガだが、芸能界は別だ。見目が美しく、儚い印象を持たれるオメガはそれだけで魅力的だ。実際、天もアルファであるがバース性は非公表で、チョーカーを常に衣装に取り込んでいる。あいつがオメガだと思っているファンも多いだろう。
彼の出自を知り、俺たちのファンである以外の面を知れば知るほどオメガであることが信じられなくなる。けれど、彼がこうして俺の前でもチョーカーを外さないことがその証拠なのだろう。
「ひぁっ」
チョーカーは後ろに向かうにつれ太くなっている。頸を覆い隠している部分をなぞると、逢坂が甘ったるい声を出した。
「悪りぃ、つい」
「僕の方こそ、すみません」
「……ヒートはいつだ?今まで悪かったな」
契約をしてから、お互いにそれどころではなかった。逢坂の言葉に甘えて一度も関係を持っていなかった。悪かったと思っていることは本当だ、義務だから果たさなければならないと思っている。けれど、それ以外の感情がないわけではない。だからこそ、今朝の夢が引っかかっている。
「大丈夫です。抑制剤があれば乗り切れますから」
「……逢坂、俺で本当にいいのか?」
逢坂はあっさりとそんなことを言って笑っている。それが嘘かほんとかなんて分からなくて不甲斐なくなる。
膝の上で行儀よく置かれていた手を握ると、少し体が強張った。返事を聞く前に手を離してしまったのは怖かったからじゃなくて、信号が青に変わったからだ。
「運転しながら話すことじゃないな。適当にホテル入るけど、大丈夫か?」
「……はい」
消え入りそうな声で返事をした逢坂は、不安そうに首筋を撫でていた。
入ったのは所謂ラブホテルだ。車から直接部屋に向かうことができるタイプで、マスコミがあまり張っていないのだと百さんから教えてもらったけれど、まさか使うことになるとは思わなかった。
部屋に入って固まってしまっている逢坂をソファに座らせる。あくまで話をしにきただけのつもりだから、正面に座った。
「契約の相手、俺でよかったのか」
一息ついて改めて聞いた。逢坂は俺から視線を逸らすように俯く。紫色の瞳にまつげの影が落ちて、憂いを帯びたような表情から目が離せなくなる。
「……僕にはもったいないくらいです。でも、僕が重荷になるなら拒否してください。失礼でなければ、罰金も僕が立て替えます」
「俺は、お前が重荷になると思うなら最初っから断ってる」
「……すみません」
ソファから立ち上がって、今にも頭を下げてしまいそうな逢坂の顎を掬った。
驚きに見開かれた目から、美しい紫がこぼれ落ちそうで吸い寄せられるように顔を近づけた。
「んっ……」
はじめて味わった唇は想像の何倍も柔らかくて、妙に馴染む。フェロモンは出ていないはずなのに0距離で感じた逢坂の匂いが心地よくて、離れがたかった。これが遺伝子レベルで相性がいいということなのかと妙に納得した。
「今まで放っといたやつが何言ってるんだって思うだろうけど、俺はもっと逢坂のこと知りたい」
何が起こったのか分かっていないのか、逢坂はポカンとしている。親指で唇をなぞって、そのまま首筋にあるチョーカーの留め具に手をかけた。
「チョーカー、外していいか」
「……だめです!」
留め具をひとつ外すと、慌てたように逢坂の手が俺の手を掴んだ。
「噛まない。約束する」
番になるのを急いているわけではない。ただ、この下に俺の知らない逢坂がいるのではと不安でたまらなかった。
恐る恐るといった様子で俺を見上げた逢坂は、情けない俺の顔にほだされたのか手を離した。
「よかった」
パチンと音がして、あっさり外れたチョーカーの下から現れたのは何の跡もないまっさらな白い肌だった。
「うわっ」
当たり前のそのことが嬉しくて、細い体を抱きしめた。俺の体重を抱えきれなくて、2人してソファに倒れ込んだ。
「かっこ悪いな、俺」
はじめて全てを曝け出された細い首に頭を擦り付けたら、なんだか泣けてきて鼻を啜った。困惑して固まっていた逢坂の腕が慰めるように俺の背に回る。それがたどたどしくて今度は笑えてきた。
「……理由を聞いてもいいですか?」
「不安だった」
「不安?」
体を持ち上げて、首筋をなぞる。ソファの上に組み敷かれている状態だと言うのに、キョトンとしたまま俺を見上げている無防備な様子に、意識されていないようでなんだか悔しい。
「逢坂はずっと変わらないし、ヒートも教えてくれないから実は他に誰かいるんじゃないかと思ってた」
「……すみません。傷もののオメガかもしれないなんて、嫌ですよね」
手を絡めて、額を合わせて、逢坂の上に俺の影が落ちる。逃げられないように囲ったつもりでも、逢坂はふいっと目を逸らせて俺から逃げていく。
「……あのな、逢坂、俺はお前を好きになりたい。というか、もうなってる」
目尻にキスを落としてから、体を引っ張り上げて向かい合わせに座らせた。目の前に迫った喉仏にキスをする。ずっと隠れていて分からなかったけれど、意外にも男らしくしっかりとしたそこを甘噛みしたら、腕の中の身体が震えた。
「義務だったとしても、好きでもないやつを抱くのなんて嫌なんだ。だから、契約するって決めた時から俺は逢坂のこと好きになれるって確信してた」
「でも、そんな必要」
「俺がある」
ここまで言っても逢坂は不安げに視線をうろうろさせている。見上げているその様子が可愛かったから、伸び上がってキスをした。後頭部に手を添えて、より深くまで侵入する。逢坂の口の中はひどく甘い。
「んんっ」
「んっ……俺は、好きでもないやつにキスしない」
「……でも、月9のドラマ」
「あれは仕事だろ!ノーカンだ!」
せっかくカッコよく決めたつもりだったのに、空気を読まない指摘に思わず慌ててしまった。そして、ようやく逢坂が笑った。
「ふふっ、僕も八乙女さんのこと好きになりたいです」
「任せとけ。だから、ここ俺のために守っとけよ」
もう一度キスをして、腰をなぞって、脇腹から鎖骨を辿ってうなじを撫でる。放り出されていたチョーカーを拾って、リボンを結ぶように丁寧に首に巻いてカチリと固定した。チョーカーの上から頸を撫でると、逢坂の体が大袈裟にビクリとはねた。
「あっ、……だめ」
逢坂の体が一気に赤くなって、瞳が溶けた。むせかえるような甘い匂いが部屋中に広がった。
「もしかして、ヒートか?」
「どうして、あっ、まだ少し先なのに」
おそらく相性のいいアルファとの濃厚な接触に引っ張られたのだろう。本能が俺を求めてくれている。そう思えばあっという間に身体が興奮状態になる。
「ん、八乙女さん。……あつい」
無意識に身体を擦り付けてくるのがたまらなくて、どんどん濃くなるにおいに頭が支配されていく。
「逢坂、抑制剤は?」
「えっ……、なんで?抱いてくれないんですか?」
逢坂の手が、俺の身体をなぞってズボンのベルトに手をかける。止めるために握った手は火傷しそうなほど熱い。
「仕事、忙しいんだろ」
「……忙しいと言ったのはヒートがくるかもしれないからで……、明日から仕事はいれてません」
だから、お願い。といいながら逢坂の手が触れたそこはもうはちきれそうだった。
「……1回したら移動するからな」
歯を食いしばって、それだけなんとか伝えるた。嬉しそうな蕩けた紫色の瞳に心臓が派手に鳴った。