私のかわいいトラ「昔はもっと可愛かったのになー。逢坂くんもそう思わない?」
壮五の目の前にいる女はそう言いながらほとんど水になってしまっているサワーを煽った。
壮五は彼女の目線を追いかける。その先にいるのは女優を横に侍らせている虎於だった。
「確かにもう少し大人しかったかもしれませんね」
「そうなの!手繋ぐのにも何日もかかってさー」
酔っ払っている彼女は机に体重を預けながらくだをまいている。すっかり酒の回った彼女は遠巻きにされて、2人は広い宴会場で孤立していた。
その状況でも多少の理性は残っているのか声量は大きくなく、向かいにいる壮五にだけ届く程度に抑えられていたから壮五は彼女の話を遮ることはしなかった。
「ほんとに初々しくて可愛かったの!16歳の御堂虎於!」
地方局のアナウンサーをしている彼女は、高校時代の御堂虎於の恋人だった。
壮五が入学したとき、御堂虎於は校内で目立っていた。類稀な身体能力と見た目、2年の時には生徒会の書記を務めていたが会長よりもよっぽど存在感があった。
そんな彼の恋人は由緒正しき女子高の高嶺の花だと誰もが知っていた。あのときのふたりは今とは違い高校生らしく真面目で清い交際をしていると思わせる雰囲気だった。
虎於が変わったと嘆く彼女も、現在はバンジージャンプもこなすバラエティに強いタイプのアナウンサーになってしまっている。
「変わりましたね」
「そうなの。あのころはラブレター全部丁寧に受け取って、黄色い悲鳴にちょっと顔赤くして困ってたりしたのに」
壮五の言葉は彼女にも向けられていたが、彼女はそれに気づかず、昔ばなしは勢いを増した。
「パーティで小さい頃から顔は合わせてたんだけど、高校生になってから彼急に背が高くなってさ、私もお年頃だったし彼氏が欲しくて猛アタックしたの!割とすぐにいい関係になれたと思ったんだけど、それから告白されるまですごい長かったな。毎日やきもきして、でも私もせっかくなら告白されたかったしずっと我慢してたの!それなのに、今日私の後輩、会って5秒で口説かれてたの!信じられる?」
「ふふっ、彼のそれはファンサみたいなものですから」
「ファンサで顎クイする?……まあ、私の顔みて少し固まったのは気分がよかったけど。御堂くんに口説かれない美人ってレアでしょ」
「そうですね」
「逢坂くん、突っ込んでよ!自分で美人っていうな!って」
マシンガントークのあとに自信にツッコミをいれる彼女が、高校時代は清廉潔白、漫画に出てくるような大人しいご令嬢で高嶺の花と言われていたなんて信じてくれる人がいるだろうか。
お似合いだなと壮五は薄く笑った。
「美人ですよ。昔から」
「やだ、もしかして御堂くんじゃなくて、逢坂くんに口説かれてる?」
「いえ、すみません」
「謝らないでよ!」
「おい、壮五」
バシバシと壮五の肩を叩く手が止まったのは、怒ったような声が2人の耳に届いたからだ。
壮五の後ろには、険しい顔をした虎於が立っていた。さきほどまで隣に侍らせていた女優を支えている。
「なんですか?」
「彼女、外のタクシーまで送ってく」
「はい」
「……」
虎於はなにかを言いたそうに口を開いて、しかし何も言えずに去っていった。
壮五が虎於から視線を戻すと、壮五が頼んだはずのロックグラスは彼女の手の中にあった。
「はぁ……、もほんとにスマートになってて腹立つ。キスだって下手くそでさ、ぶつかって痛かったんだよ」
「御堂さんにもそんな時期があったんですね」
「御堂くん、はじめて部屋でそういう雰囲気になったときめちゃくちゃ緊張してたなー。はじめてだから痛くしたらごめんって……、最高に可愛かった」
すっかり酒のまわった彼女は、壮五と話すと言うよりはひとりで思い出にひたっているようだ。彼女の赤裸々な独り言に、壮五はただ相槌を打つだけだ。
「今連れてっいった女の子とはスマートにキスするんだろうね。それから、夜景をバックに流れるようにベッドに押し倒してさー、少女漫画かよ!今の御堂虎於は!なんか悔しいなー」
「スマートにキスしてベットに押し倒すことはできると思いますけど、ちゃんと帰ってきますよ」
壮五の言葉は確信めいていた。その言葉を理解できないのか、彼女は不思議そうな顔で壮五をみた。
数秒、ふたりが見つめあっているうちに、彼女の瞼が落ちていく。
「彼は昔と変わらず、真面目で一途ですから」
壮五がそう笑うと、ガクンと彼女の首がおちて、そのまま机に突っ伏して寝息をたてはじめてしまった。
そんな彼女の手から壮五がグラスを奪い返したタイミングで虎於が戻ってきて、当然のように隣に座った。
「……寝たのか?」
「はい」
「……なんか言っていたか?」
「御堂さんも童貞だったことがあったんですね」
眉間に皺を寄せて、当然だろと小さな声で呟いた虎於の首筋にはくっきりと赤いルージュが残っていた。
壮五の指がそれをなぞり、虎於は慌てておしぼりでゴシゴシとそれを拭う。
「昔話をペラペラ喋る人はやめておいた方がいいですよ」
「あんただから話したんだろ」
壮五の瞳は鋭く、言葉にトゲもあったが、腰を引き寄せてご機嫌取りのように体を撫でる虎於の手を拒むことはない。
「……それに、真面目だが酒癖の悪いやつがタイプなんだ」
「……そうですか」
すっかり消えたルージュのあった場所に壮五は唇を寄せて一瞬触れた。
虎於にしなだれかかる様子は酔っ払っているようにみえるのだろう、逢坂さんも酔っちゃったのー?と遠巻きに聞かれ、虎於は手をあげてまかせろと応えた。
「僕だって嫉妬してますよ」
「……気をつける」
「にやけてて可愛いですね」
「うるさい」
女優にしなだれかかられていても、元カノに絡まれようとも気にした様子のなかった壮五のそんな告白に虎於の顔が緩む。
それを指摘されて、今度は赤くなったのを確認した壮五は満足気に笑った。
「……でも、初々しい御堂さんのはじめても欲しかったな」
「……あんたにはもう渡した」
「貰ったおぼえがないです」
「あとでベッドの上で教えてやる」
近づいてくる虎於の唇を壮五は拒まなった。机に突っ伏して寝たフリをしている彼女以外には見えない角度だったからだ。
「……今の御堂さんも悪くないですよ」
確実に自分に向けられた言葉に、どいつもこいつも可愛くなくなっちゃったと思った彼女は壮五の手から再びグラスを奪って一気に煽った。
驚いて間抜けになった虎於の顔に、やっぱり可愛いいかなと思いながら彼女は再び襲ってきた睡魔に身を委ねた。