冬の二人今年は気候変動のせいか、段々と残暑が減って風や花と共に秋に移ろっていく、なんてロマンチックさの欠片もなくある日を境に急激に気温が低くなった。
今日も朝方の冷え込みは最早秋と言うより冬に近くて、慌てて厚手の上着をクローゼットの奥から引っ張りだして羽織る羽目になった。あぁ、今日はせっかく前々から何度もチェックして準備していた服があったのに。生憎、数日前までの気温に合わせて選んだそれは、とてもじゃないがこの寒さを凌ぐ事は出来なさそうだった。
おかげで、また地味だの陰気だのと文句を言われそうな殆ど黒一色の服装で待ち合わせ場所に向かっている。吐いた溜め息が少しだけ白くて、追うように目線をずらせば靄が晴れていく先に待ち人が見えた。
そして絶句する。なんとも…寒そうな格好である。流石に半袖半ズボンと言うわけでは無いが、上着も無しに明らかに機能性よりファッション性を重視して選んだであろう服は見てるこっちが風邪を引きそうだ。まぁ、似合っていることに変わり無いし彼に対して服装を指摘できるほどの美的センスも持ち合わせてはいないのだが。
「…乱数くん、待たせてしまってすみません」
「ん?あ、寂雷来た!僕もさっき着いたとこだから全然いいよ~☆ねね、今日ちょっと遠出って言ってたけど、どこ行くの?」
今来たところ…なんて、耳も指先も赤くなっているのに。本当に彼は嘘が下手になったと思う。それが何故だか嬉しくて、自然と口元が緩んだ。
「…ついてからのお楽しみ、と言うことで。けど、そうだね。君が喜んでくれそうな所に行きたいとは思ってるよ。せっかくのお祝いだからね」
「…僕が、好きそうな場所?」
「えぇ」
今日は、彼を苦しめていた症状が寛解してちょうど半年。そして、付き合いはじめて一周年の記念日。未だにケンカもするしお小言も言い合うけれど、前の様にすれ違ったまま離れはしない関係。漸くここまでこれたのだ。この関係が当たり前だと感じられるようになり始めてから初めての記念日。どうせなら、特別な1日にしたくて、珍しくこちらからデートと言うものに誘ってみた。
けれど、日を間違えたかもしれない。珍しい誘いに彼が照れながらも喜んでいたのを知っていた。きっとこの日のために、自分でデザインした飛びっきりのお洒落をしてくるだろう事も予想していた。気温が急激に下がったからと言って彼がせっかく作った服をクローゼットに押し込めてくるなんて事する訳が無いことも。
「…服、可愛らしいね…少しだけ寒そうだけど…」
言ってから、しまったと思った。ただ素直に褒めてあげたかっただけなのに。どうしても彼を前にすると心配が顔を覗かせて余計な一言を足してしまう。けれど、予想とは裏腹に彼は特に気にしてはいない様だった。
「えっへへ~☆褒められた~!」
なんて喜んでいる。余りにも素直な喜びに、つい自分の服装が余りにも普段通りである事に謎の羞恥が込み上げて、自虐的な言葉が口をついて出る。
「…ごめんね。こんな格好で」
「?」
「てっきり、君にも今日の服装について何か言われると…そう思ってました。せっかくの日なのに、こんな地味なのって…」
言ってから、自分は何を言っているのかと更に恥ずかしくなって顔を背ければ、心底不思議なものを見るように困惑した声が鼓膜を揺らした。
「…え?なんで?」
「…なんで…とは?」
「…僕が寂雷の服装とやかく言う理由無くない?まぁ、あまりにダサい格好はどうかと思うけどさ…でも別に今日の寂雷の服、全然ダサくないし普通に似合ってるじゃん。それにさ…寂雷、今日迷ったでしょ?本当は違うのも考えてたんじゃない?」
「…どうして、それを…」
唐突に図星をつかれて瞠目する。
「え~、だって、そうでもない限り寂雷が僕より遅く来るなんて無いじゃん!…本当は、今日の為に僕に合わせて選んでくれてたんでしょ?けど、急に寒くなったから出てくる直前まで迷ってこっちを選んだんじゃないの?」
「…本当に、君には敵わないな」
「えっへん!僕はエスパーだからね!…な~んて、ねぇ寂雷!」
「はい」
「どんだけ慌ててたの?袖のとこ、ボタン取れかかってる。どっかに引っ掛けたでしょ!」
「…ッ…すみません」
「あっはは☆ほんと今日の寂雷珍しい~!…でもさ、色んなこと考えて選んだ一着ならどんなファッションも特別だよね。自分を良く見てもらいたいって頑張った結果だもん!僕がとやかく言う権利無いよ」
「……」
「ねね、それより早く行こっ!あ、ボタンも車行ったらつけ直してあげるねっ☆」
「…そう、だね。ありがとうございます。あちらのパーキングに車を停めてあるので…距離があるので少し歩くけど…」
「りょーかい☆行こ行こ~!」
話を蒸し返す暇もなく、早速歩きだした小さな背中を半歩遅れて追いかけた。
彼の一言でこうも心が軽くなる。あまり詳しく無い世界の話だからか、今まであえて話題にしたことは無いけれど…少しだけ彼のデザイナーとしての一面を垣間見た気がした。知れば知るほど好きになっていくとは、きっとこういう事なのだろうと思考を飛ばしながらも歩みを進めていれば、いつの間にか人通りは徐々に少なくなっている。
ビル街から少し離れれば、冷たい風が建物の隙間を縫って吹き付けてきた。
「…ッ」
「…らむ、」
「?」
目の前の細い肩が小刻みに震えているのに気づいて、風を遮るように抱き締めた瞬間、一際強い風が吹き抜けていった。
「…じゃくらい?」
突然の事に、はてなマークを浮かべたまま腕の中でもぞもぞと動く気配。どうやら風は遮れたようだと安心する。
「風が強いね…」
「うん…ねぇ寂雷」
「?…どうしたの?」
「これ、あったかぁい…もうちょっとこのままでも良い?」
「…えぇ、構わないよ」
正直、いくら厚手の上着を着ているからと言って、ずっと風上に立ち続けていれば多少の寒さは感じるものだけれど…。腕の中で少し嬉しそうにはにかむ乱数を見たら寒さなんて感じ無かった。
やっぱりこの服で正解だったと、漸く納得できた瞬間だった。