バラ園に行く話 朝、目が覚めて、朝陽はまぶしいかとか空は青いかだとか、雨は降るのか。そんな些細なことと一緒くたになってそれは前触れもなくやってくる。
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「バラの香り……」
リネンの白に埋もれた人物はむくりと意識を浮上させた。上体を起こすことはせずに意識を霧散させたまま。視線は天蓋の内側をあてもなく彷徨わせた。
★薔薇園に2人で何度も行ってるかも。お散歩だ〜とかなんとか言って。
宮全体がいつになく騒がしい。戴冠式の準備があるからだろう。
「式の花は選び終えたの?」
「ワインソムリエの到着はまだ?」
「侍女長、テーブルクロスの組み合わせはどちらがいいでしょうか」
「そこ! 腰がひけてる! そんなのでは誰も守ることができないぞ!」
あの薔薇の生垣は当時の記憶を拭い去るためか早々に新しい薔薇が植えられたそうだ。景観を崩さないために、以前と同じ品種の薔薇を。涙ぐましい処置をあざ笑うように、新しく根を下ろした薔薇の下では、ばら撒かれた魔力が今も蠢いている様子がルーカスの目にはありありと映っていた。
クロを取り込んで魔力が暴走したとき。
皇帝が皇女を殺そうとしたとき。
「俺がいないときに限って……」
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魔力は記憶を宿すといわれる。
初級の魔術書にすら書かれている、初歩的な内容。しかし一方で、魔力の神秘性を高めるためのでまかせに過ぎないと反論する声もある。真偽はよく議論され、研究の題材にもされている。
ルーカスは人々の、とりわけ魔術師たちの、知りたがっている答えを知っていた。
——正解は真だ。魔力は記憶を宿す。
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★アーティの魔力の残留を掬い上げて食べてしまうルーカス。
「やっぱ、美味いな……」
笑っていてほしいのだろうか。
何度も問いかけた質問は波紋を生み出さず、底のない沼に沈んでいく。ルーカスは自身の心臓の輪郭を指先に確かめるたび、奈落に突き落とされる心地がしていた。それは過去に封じていた制御の効かない感情と欲。持ち合わせていた事柄に違いなかった。
いや、本当はアイツをめちゃくちゃにしたいだけじゃないか。己の選択によって今日まで生かした少女を。
魔力を己に取り込んで、姿をくらましてしまえば。
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