翠緑の湖畔から.
水滴の落ちる音で始まって終わる夢だ。いつものなんの変哲もない。悪夢でもなんでもない。精神世界のような場所で、俺とよく似た男が立っていて、こちらを見つめているだけの世界。その男に話しかけても、殴ってみても反応はなく。まるで死体のようで、最初はずいぶん気味が悪かった。
ぽちゃり。水面を跳ねる水の音。それだけがこの静寂のなかで音を生み出している。平穏で味気のない夢に、俺はいつからか安心感を覚えるようになっていった。
だがある日を境に、その死体が少しずつこちらに近づいていることに気がついた。いつからだろう。新しい乗組員。新たな開拓者。彼女が乗ったあたりからだろうか。ベロブルグを開拓しはじめてから、その死体は間違いなく。確かに俺の方へと近づいていた。
「丹恒」
ッは、と意識の殻が破られて、耳元で心配そうに名前を呼ぶ声に気が付く。頬をベロブルグの冷たい風が吹きつけていた。「ほ、し」拙い声色で開拓者の名前を呼ぶと、星の瞳が大きく見開かれる。
そうだった。花を列車に飾りたいから、と言い出した三月の買い物の付き添いの途中だった。三月の買い物は長いから、星と狭い店内の隅っこではなくて外で待つことにしたのだ。
「俺……」
「うたたねしてたよ、疲れてる?」
「……わからない」
「丹恒の名前、何回も呼んだ。だけど、返事もしないし。眉間に皺を寄せてくるしそうにするから、ほっぺたつねったりしたんだ」
「…………そうか、ありがとう」
うつらうつらと地に足つかない様子の丹恒に、星は心の中で違和感を感じた。いつもならいたずらしたら絶対に怒るのに。叱咤はあれど感謝の言葉……? じっ、と丹恒の様子を検分するような目つきで眺めていると、星はあることに気づいた。
「丹恒……。汗、かいてる」
ちょっとまって、と言って伸びる手が前髪に触れる。
タオル生地が額にやわらかく当てられている間、丹恒はさきほどまで見ていた夢まで拭い去ってくれるような気がした。星が何も気づかないまま丹恒の髪をなでつける。慣れない手つきがなんだかくすぐったくて。ずっと目を閉じていたくなる。
もう大丈夫。と、優しい言葉に前髪が触れる。その距離の近さに今更ながら驚いてパッと目を開けると、そこには心配そうに眉を八の字にさせた星がいた。
さっと後ろに上体を反らして距離を取ると、星は不思議そうな顔をして首をかしげてみせた。
その仕草がみょうに子どもっぽくて、思わず丹恒は苦笑した。事実、こいつは人間一年生以下のところがあるからな。と、はてなマークを浮かべる星を置いて、丹恒は勝手に納得する。それを見て、星は逆の方向に首をかしげた。
「そろそろ三月を呼びに行こう」
「まだ休まなくていいの?」
「……もう十分休息はとった。腹、減ってないか?」
「!!」
「だと思ったよ。ほら、三月を呼んでヴェルトさんに姫子さん、パムにお土産を買って帰ろう」
そう言って丹恒は立ち上がる。視界がわずかに揺れたが、これくらいなんともない。星に心配をかけないようにと、ゆっくりとした足取りで店に向かう。
ベロブルグの涼しい風が、前髪を揺らしている。まだ額にほのかに残る感触が、少しでも長く残ればいいなと思えた。
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