当主×高専♀ 3五条家当主・悟と出会ってから数週間後。
夏油は再び五条家の邸へ呼び出されていた。
ここへ来るのは、出会った日以来である。
前回同様に、今日もまた豪華な着物を着せられた。今日は紅色の着物だった。
表向きには、夜伽の相手をするのだから、着飾るのは自然だが、実際はそういう目的ではないので、まったく無用の長物である。
夏油がまた待っている間に奥の間を覗くと、やはり分厚い布団が用意されていた。これも同様に無用である。
暇だな。私が来るの、わかっているのに何で待たせるんだ。
ちなみに、前回もそうだが、夏油の荷物は携帯電話をはじめ、全て着替えの際にどこかへ持っていかれてしまった。
当主の身を案じての対策だろう。
夏油が手持ち無沙汰でいると、襖が開け放たれた。
「傑!」
「久しぶり。…えっと、五条さん」
「悟でいいって言ってんだろ。
ほら、これ」
五条は挨拶もそこそこに、古びた冊子を差しだしてきた。少し力を入れただけでも破れそうだ。
表にはみみずがのたくったような字らしきものが書いてある。
「これは?」
「前に言ったろ。呪霊躁術に関する資料、探してみるって。
それしか無かったけどな」
夏油は礼を言い受け取った。
以前夏油は五条に呪霊躁術について色々聞かれた際、「相伝の術でないからわからないことが多い」とぼやいたところ、そう約束されたのだった。
夏油は座り直して冊子を開いてみるが、表紙と同じような字体が連なっていた。
「これ、昔の字?読めないよ」
「なんだ、読めねーのかよ。ちょっと貸せ」
五条は、夏油の真横に座って冊子を取って開いた。
どうやら隣で読んでくれるようだ。
夏油は一瞬ドキリとした。
とにかく顔が良い。夏油が今までで出会った人間の中で一番美しい。それどころか、この先この男より美しい人間に出会わないだろうと思わせるほどだ。
他の女性たちはどんな反応をするのだろうか。
この性格についていける女性はそうそういないだろう。
それだけでなく、彼の、呪術師としての強さも、立場も並び立てる者などいないだろう。
孤独ゆえのこの性格なのかもしれない。
「⸺ってオイ、聞いてんのか」
「あ、うん、聞いてるよ」
「っつーわけで、資料にも大したこと載ってなかったわ。これ全部、オマエが経験上知ってることだろ。」
「そうだね。残念だ。
でも、わざわざ探してくれてありがとう」
「いや別に。俺も術式のこと知りたかったし」
これはおそらく本心だろうな。相手を気遣う心とかは無さそうだし。
「オイ今なんか失礼なこと考えてなかったか」
「そんなことないよ。」
五条は冊子を閉じ、畳に置いた。
「それじゃあ、前言ったろ。体術の稽古つけてやる。オマエの周りの奴らじゃ、本気出せてなかっただろ。」
「それより悟。
高専や任務先に来るのをやめてもらえないか。
人に私のことを探らせるのもだ」
出会ってからこの間、夏油は五条に粘着されていたのだった。
授業や任務に、学内外の見学者を装って五条家の者が様子を見にくることから始まり、時々本人も体術の授業を遠目に見に来たりするようになり、または任務先に予兆もなく現れ、夏油が呪霊躁術を以って呪霊を圧倒するさまを見て夏油の力量を認めていた。
同じクラスの家入には五条に呼ばれたことすら話していなかったが、不審人物の続出に、結局打ち明けるしかなかった。
後輩の七海、灰原にも伝えることにした。
3人は信頼ができ、呪術師家系の複雑なしがらみにも無縁であり、何より親しいが故に勘違いされたくなかったので、懇ろになった振りをしているという真実を話した。
家入には「ご愁傷さま」と言われた。
「なんでだよ」
「私やまわりの友人が迷惑してるんだ」
「だってオマエの普段の様子とか知りてーし。
呪霊躁術も見たいし」
五条の解答は至極純粋で自分勝手だった。
「おかげでだいぶ噂が広まっているよ。
体術でも先輩たちが相手してくれなくなったんだ」
夏油の体術の授業は、他学年と合同である。
唯一の同学年の生徒である家入は非戦闘員かつ救護要員であり、ほとんど授業に参加しないため、必然的に、学年が上がって後輩が増えるまでは、上の学年の生徒と授業を受けることになっていた。
かといって、彼らは、古くからの呪術師家系であるため、非術師家系かつ、自分たちより格段に昇級していった夏油を敬遠しているため、仲が良いというわけではない。
そして呪術師家系出身ということは、五条家関連の噂にも敏感である。五条家当主と関係を持ったとされる夏油をより遠ざけるようになり、体術の授業でも理由をつけて組まなくなってしまった。
「嫌味も言われたし」
「?ソイツ等にかよ」
五条の空気が変わった。
件の合同授業の時。
夏油を遠巻きに見る先輩たちの会話が聴こえてしまった。
「夏油ってそんなに『いい』のかな?」
「『いい』って何が?」
「言わせるなって。ご当主様の相手して気に入られたってことはさ…」
彼らはそんな話をしながら、下卑た笑いを浮かべていた。
「オマエの先輩っていうと3年か?4年か?なんて名前だ?」
「やっぱり私の聞き間違いだったかも。気にしないでくれ」
五条の怒気に、夏油は慌てた。
告げ口したら、先輩の家ごと潰しかねないと思わせる圧の強さだった。
夏油は怒りの矛先を逸らさせようとした。
「言いにくいことだけどこれは悟も悪いよ。
悟たちが高専とかに直接出向かなければ、こんな大事にならなかったんだから」
夏油は言いにくいと言いつつ、はっきりと悟に告げた。
自分に原因があると、面と向かって言われたことに五条は衝撃を受けたようで、怒りを落ち着かせた。
そしてどうやら反省したのかいつもより小さく見える。
「わかった…。
高専には行かないようにするし、部下にも行かせないようにする」
やっぱり案外、素直なんだなと夏油は思った。
しかし、五条は突然ぱっと顔を上げ、
「じゃあ、今日みたいに、ここに呼び出せばいいんだな!」
目を輝かせて言った。
夏油は面食らい、
「そうなるか…」
と唸った。
しかし妥協案としてはそれしか無いだろうと考えた。
「わかった…いいよ」
「よっしゃ。
それじゃ稽古行こうぜ。
…その前に、オマエは着替えなきゃいけねーか。
人呼ぶぞ」
「ああ、そうだね…
これ、毎回着替えないといけないのかい?
…他の女性もこうやって着せ替えられているのか?」
「他って?」
「だから、他の…寝るひと。
夜伽の相手の…」
聞くんじゃなかったと後悔した。
しかし五条はなんてことなさそうに言った。
「ああ、そいつらか。
大体家から着物か何か着てくるぞ。
オマエみたいに制服で邸に来るやつはいないけどな」
「制服でって、未成年も呼ばれるのか?」
「オマエより年下の奴とか、俺よりずっと年上の奴とかも来るぞ。そういう奴は追い返すけどな」
五条はオッエーと吐く真似をした。
「年下?私より?
…改めて、とんでもない世界だな」
自分のように、上からの権力に言われて五条の寝所へ向かう中高生を想像して、夏油は同情した。
そして、追い返されなかった自分は成人に見られたのだなと、何とも言えない気分になった。
「何にせよ、君が女性と寝る気があろうと無かろうと、丁重に扱わないとだめだよ」
「なんでオマエにそんなこと言われなきゃいけないんだよ」
「女性たちがかわいそうだからだよ」
「俺だって勝手に女連れて来らてれるんだぞ」
「それは…断れないのかい?」
「しきたりだから仕方ないだろ」
「当主の君が嫌だと言えば無くなるものなんじゃないのか?」
「…そんな簡単な問題じゃねえんだよ。一般家庭のオマエが口出しするな」
「ずいぶん差別的な言い方だね」
幾分か険悪な空気になってきてしまった。
これはよくないな、と夏油は思った。
「とにかく、他の女性たちが心配なんだよ。無理矢理つれてこられた上に、君にぞんざいに扱われたりしてないかが。
…選べない君も大変だとは思うけど」
「大変?俺が?」
五条は、夏油が思わぬところで疑問を浮かべた。
そもそも五条は「普通」を知らないから、自分の環境が「普通」でないことも気にならない。そして、自分と寝る相手を選べない。子孫を残すことが義務付けられている不自由さも気にならないのだ。
そんな状況に夏油は同情した。
「うーん。なんとかできないものか」
「なんでお前がそこ気にするんだよ。関係ないだろ?」
「関係ないけど、気にはするよ。誰も幸せにならない状況なんだから。」
「ほーん」
五条は隣りの夏油をじっと見つめた。
「オマエ、やっぱ面白い奴だな」
「何だよ急に。
君も失礼なこと考えてないだろうね」
夏油がムッとすると、五条は笑った。
「他の女性ともそうやって話したりするのかい?」
「また他の奴の話かよ。
特に話したりはしねーぞ」
「じゃあどうしてるんだ?」
しまった。これは込み入った話題だったか。
なにせ夜伽の時の話だ。
そう考えていると、夏油の唇に何かが触れた。
目の前に五条の顔があることに気づくと、肩を押され、視界には五条の顔と天井があった。
「え?」
「こんな感じで始めるんだけど」
五条の身体と、肩を押していた手がぱっと離れた。
夏油は急いで起き上がった。
「本当にやる奴がどこにいる!」
「他の奴とどうしてるか、気になったんだろ?
なにむきになってんだよ」
夏油の慌てっぷりに、五条は気を良くしたようで、ニヤニヤしていた。
「やっぱオマエといると楽しいわ」
「私は疲れるよ…
もういい。稽古をつけてくれ」
真っ赤な顔を隠すように、夏油は五条に背を向けて襖を開けた。
自分にとって初めての行為だからといって、2回目や3回目とそう変わらない。
ファーストキスを五条に奪われた夏油は、自分にそう言い聞かせた。