放空(タイトル未定)空は一人夜の塵歌壺に佇んでいた。目に光の無い暗い瞳は天を見ているようで、空虚を覗いている。碧がそのような様子を初めて見つけたのは彼が屋根の天辺に座っている人影を不思議に思って登った時だった。旅人として人や動物、物の気配に人一倍敏感な空にしてはおかしいほど、近づいても碧に気づく事は無かった。「きみ、どうしたんだい?」と声をかけてようやくこちらを向いたぐらいだ。いつもは朝日のような瞳が澱んでいるのを見て、碧は少しばかり動揺した。それもそうだろう。さながら"人形"のような硝子玉の瞳であった。
碧を捉えたその硝子は二三瞬きをした後、朝日にすり替わっていた。
「どうしたの?」
「『どうしたの?』って、それはこちらの台詞なんだけど?きみ、僕が近づいてきた事に気づいていなかっただろう?」
「あー……考え事してて。ごめん、何か用でもあった?」
「用が無かったら君のところへ来ちゃいけないのかい?」
「別にそんな事ないよ」
へらりと間抜けに笑うその顔は無理をしているようだった。嘘だというのがわかる自分の察しの良さには散々付き合ってきた。察して、分かってしまった以上、見捨てられない自身の世話焼きの性質は真実を暴かないという選択肢を放棄した。
なんで隠すんだ、と苛立ちを覚えた碧は空に自身の笠を無理やり被せた。
「うわっ!?」
「きみ、無理してるだろ。今なら暇な僕が話を聞いてやる。話したくないならそこで笠と一緒に一晩過ごせばいいさ。」
そう言って笠を押し付けたあと、碧は空の隣に座りこんだ。
「ありがとう、碧」
「………」
礼を言ったその顔は諦観。瞳は困惑。本来の感情と表情とがちぐはぐすぎて、不気味さを感じた。
「まだ、話せそうにないんだ。でも、いつか君に聞いてほしい。」
「構わない。僕は沢山の時間があるからね。気長に待つさ。」
「そっか。笠、今晩だけ借りるね。ありがとう」
「そう……眠れないとしても、ベッドで横になるぐらいはしなよ」
そうぶっきらぼうに言い放ったあと、彼を一人にするために塵歌壺を離れた。
スメールの広大な森林にある木の上。碧はそこで先程の事を思い出していた。
「まだ話せない、ねぇ……」
その呟きは木々のざわめきに乗っていった。
(僕には話せると思ってるんだね、空は。)
少しばかりの優越感とまだその機会が訪れる事の無い焦りを抱え、碧は瞳をとじて、長めの休息を取り始めた。