目が溶けた起きたことは至極単純で、魔法薬学の授業でオミニスの作った目薬を使ったら眼球が溶け落ちた。それだけだった。
「目が…溶けた…? どういうこと? 大丈夫なの、それ…」
転入生は狼狽しきった震え声で言いながら、こちらの顔をペタペタ触ってくる。包帯がずれるから止めて欲しい。
この目で見られないのが残念で仕方ないが、セバスチャンには彼が青ざめているのがはっきりわかった。入学したばかりの頃のマグル生まれのクラスメイトたちを思い出す。魔法や薬で何かが起きるたびに大騒ぎしていた彼らも今やすっかり魔法界に順応してしまい、今やこの種の事故にも慣れっこだ。だから転入生のこの反応は懐かしくも新鮮で、イタズラをしている気分になれるのが楽しかった。
「セバスチャン…本当にすまない」
「気にするなよオミニス。今回のはいけるって、僕が自分で差したんだ」
申し訳無さの極地で消え入りそうな声のオニミスの肩を叩こうとして、目算(今の自分には目がないが)を誤る。空振った手がそのままテーブルの上のソーサーを掠めて、派手な音を立てた。
「おっと。割れてないか確認してくれ転入生」
「平気だよ。でも気をつけて」
「ん。慣れないから注意しないといけないな。ま、何日か薬を飲み続ければ再生するらしい。それまで目の休養だと思うことにするさ。我ながら最近酷使しすぎてるからね」
両手で両目の場所を押さえる。瞼がふにゃりと向こうに凹む感触。あるはずの眼球がないのはちょっと不思議だ。これは気になって何度も触ってしまったら良くないなと気付いて、手を離した。
「目玉が無くなるなんて怖ろしいことが起きて、よくそんなに平気でいられるね」
「マグルの世界は知らないけど、こっちじゃしょっちゅうあることだからな」
「しょっちゅうはないだろ。骨や歯や髪がなくなるのはよく聞くが、目玉が失くなるのは俺は初耳だぞ」
「そんなことないだろ。魔法薬学の本でいくつか症例を読んだ記憶がある」
「君の読書量で見かけた症例が『いくつか』なら多分それはだいぶ稀だ」
「そうかぁ?」
そんなことをオミニスと離していたら、転入生のいる辺りからがたんと音がする。多分彼が勢いよく机に突っ伏したのだと思う。
「魔法界ってびっくりするくらい便利なのに、ちょっと信じられないくらいヤバいところがあるよね! 目とか骨とか髪が失くなったら大慌てするもんでしょ。ハゲなんか絶望じゃん! なんでそんな当たり前みたいに…うう…やだ…。こんな危険な日常に染まりたくない…」
転入生がげんなりと呻く。彼はここに来るまでとんと魔法が縁がなかった上に、マグルの世界での教育も人並みには受けていたそうだから、なかなかこちらの感覚に慣れないらしい。転入してきて1ヶ月。あとは頑張れというように魔法使いの卵たちがひしめく学校に放り込まれて、聞くだに放任主義がすぎるだろというやり方によくついてきていると思う。最初に浴びたドラゴンの洗礼のおかげだろうか。
「治るんだから大したことじゃないだろ」
「いいかい、セバスチャン。人生にはね、元通りになったように見えても、一度失った以上取り戻せないものもあるんだよ」
「マグルの常識なんか取り戻せなくて大丈夫だろ。君はもうこっちから抜け出せないん痛っ」
古代魔術とやらの話を聞く限り間違いなくそうだと思って言うと、最後を待たずにデコピンを食らった。「それは言うな」なのか「それ以上言うな」なのかわからなかったが、まあ良いだろう。
「とにかく数日僕は目が使えない。ふたりともせいぜい労ってくれよ」
両手を広げてそういうと、二人の盛大なため息が聞こえた。
―1日目―
「オミニス。杖で『見る』方法を教えてくれないか。せっかくだからちゃんと習いたい」
「俺は杖任せなところが多いからな。そんなにちゃんと教えられないぞ」
「まあ君ほど器用にはやれないだろうな。せめて目の前に壁があるかぐらいわかればいい」
「くそ。こんなにも習ったことが出来ないなんて久しぶりだ。ああ、悔しいな!」
「どうやら経験が足りないみたいだな。ふふ、申し訳ないが、君が悔しがるのはなんだか気分がいい」
「人生で盲目歴でマウント取られることがあるなんて思わなかったな」
「ふん。他にマウント出来ることがあまり無いからな」
「止せよ。少なくとも変身術と占い学は僕より得意だろ」
「ならそれも僕に教えを請えばいい。すごくいい気分になれそうだ」
「君、自覚してると思うけど教え方が下手すぎるからな? 助けにならない藁にすがる気はないぜ」
―2日目―
「転入生。見えてないと思ってるだろうけど、君が僕を見るたびに変な顔してるの、気づいてるからな」
「えっなんで!?」
「オミニスが教えてくれた」
「裏切り者っ!」
「俺はそれを馬鹿どもに飽きるほどやられてるからな。どれだけムカつくか、いっそ君にも味あわせてやろうか。まだ目薬はあるぞ」
「ごめん!オミニス!セバスチャンを誂いたかっただけなんだよ!そのバカどものローブに片っ端からインセンディオしてくるから許して!」
「僕に謝れよ、僕に。あとオミニス、その目薬は捨てろ」
―3日目―
「文字が…文字が読みたい…本が読みたい…」
「禁断症状が出始めたか」
「何かのやばい中毒者みたいに言うのは止してくれ!」
「完全にそのものなんだよね」
「本が読みたい…なにか頭に入れないと脳ミソが餓死する」
「なに言ってんの、怖…」
「意味不明な供述をするな」
「君たちにはこの感覚がわからないんだな…かわいそうに」
「読み聞かせでもする?」
「ビンズの授業よりひどいことになりそうだからいい。うう…本が読みたい」
―4日目―
「はは!見えなくても結構戦えるもんだな」
「僕がめちゃくちゃフォローしてるからだよ、セバスチャン!」
「いつもは僕がフォロー役だろ? たまには逆があっても良い」
「授業でオミニスの戦い方を見てて良かったね」
「言えてる。ほらそこだろ、ヘクター! 聞こえてるぞ!」
「うわっ! もうっ手加減してよ!」
「僕の目が見えない以上の手加減があるか? まだまだ訓練が必要だな」
―5日目―
「どうだ? 大丈夫か?」
「眩しい。それにくらくらする」
「大丈夫。前と同じ目の色…んん?」
「目の色なんかどうでもいいよ。見えさえすれば」
「転入生、どうかしたか」
「いや、大丈夫。いつもの茶色だ。なんか一瞬緑色がちらちらして見えた」
「緑?魔法薬の色か」
「多分錯覚だろ。大丈夫。ちゃんと見えてる。ああ、いいな!見えないのもしばらくなら面白かったけど、これでようやく本が読めると思うと、最高の気分だ」
「こわ…。せっかく見えるんだから羊皮紙よりもっときれいなもの観なよ」
「これで先輩面もおしまいか。残念だ」
「悔しいなら、僕が寝ている間にあの目薬を使えば良い。年に1回くらいなら良いぜ」
「さすがにそこまではしないさ。君が俺より杖で見るのが下手なのがわかっただけで十分だ」