智主。　今なら分かる気がする。
　それを知っておくことの意味が。

　ハンドサインやフラッシュサインを頭へ詰め込んでいた時に、智将がついでに教えてくれたサインがある。
　たぶん、息抜きとかそういう感じだったんだろうけど、その時は今頭いっぱいなのに勘弁してよって思ってた。
　でも、野球以外のことを話しかけてくれる智将が嬉しくて、「これっていつ使うの？」って聞いてみた。少しでも話をひろげたかったから。ワンチャン、俺と智将だけのサインとかも正直、期待した。
　そしたら、俺を小ばかにしたいつもの顔で「主人は危なっかしいからな。知っておいた方がいい」って笑って、スマホの検索画面を指で示されたっけ。なんだよ、脈なしじゃんって。

　悪いのは智将。絶対、智将。そして、たぶん俺も悪いけど智将。
　「好き」って伝えたら「その感情は間違ってる」って突っぱねられた。ショックを持ちこたえて、もう1回「好き」って挑んでみたけど「主人、この話はやめよう」って場違いに笑って、とうとう話から逃げられた。
　台本でもあるのかと思うほど、準備してたみたいな返事を返されてとにかく良い気はしない。何これ、全然愉快じゃない。むしろ腹が立つ。勝手に心を読んでとっくに知ってたクセに。
　"好き"を心に持つことは誰だって平等で差別されないはずだろ。俺がお前を好きなこの気持ちを間違ってるとか決めつけて枠にはめてさ、こんなことをしていい権利があると思ってる方が間違ってない？
　そうだよ、大間違い。そもそも、人の感情を間違ってるなんて何目線で言ってんだって、イライラするのをそのまま智将にブツけた。
　ほら、またあの顔だよ。俺を小ばかにした涼しい顔。智将はペースを崩してくれなくてしぶとかった。
　「何目線かも分からないなら、なおさらしていい話じゃない」ってもう完全に話を放り出されて目も合わない。あーあ…こっちを見てもくれなくなっちゃった…
　ごめん。困らせたかったわけじゃない。
　でもこれじゃ気が済まない。
　わざわざ指をからめてサインを教えてくれたのはじゃあなんで？その時と同じ顔して突き放すんだ？思わせぶりが出来るほど智将が器用じゃないのなんて知ってる。だからきっと、本当にそういう━━
　青痣を押しつぶすみたいな痛みに眉が下がる。どうせ言うならここで「情けねェな」じゃねェの。目は合わさないクセに沈黙は埋めてくれるから「大丈夫か…？」って聞かれた。
　ねえ、逆に聞くけどどう見える？正解は"全然"大丈夫じゃない。
　フラれちゃったってしっかり分かっててもそれでもまだ智将が好きで、どうやって諦めを埋めればいいか分からない。だからつい、拗ねてしまった。
「興味ないクセに」
　そう言った途端、智将の機嫌が一気に悪くなった。怒った顔しても綺麗だし美人だなとか思ってたらどんどんその綺麗な顔が寄ってきて、もしかして頭突きしようとしてる？そこまで怒らせたことが怖くなって、ギュッと目をつむった。"ごめんなさい"って叫ぼうとしたけど唇が動かない。気付いたら頭を打ちつけられる衝撃の代わりに唇へ噛みつかれてた。
「んっ…ん、っは…、ち、しょッ…んぅっ、」
　ずっと、"智将とキスしたい…そんなことあり得ねェけど"って思ってた。そのあり得ねェことが今起こってる。夢でも見てんのかなって3回くらい思ったけど、上唇を甘噛みされて転げ出た俺の変な声が幻覚の中の現実だって知らせた。
　同じ唇なのに、智将と俺とじゃ使い方が全然違う。舌を入れられてえっちな気分にさせてくる。息継ぎの合間もグイグイ唇を押し付けてくるから俺はあっという間にキスで溶かされてしまった。
　智将から求められる嬉しさに可愛く喜べたのはここまで。
　怒ってこんなに熱烈なキスをしてくるんだから"俺も好き"とか言ってくれるかなって、ねだる瞳で期待した。
　でも違った。怒ってるとこだけしか合ってない。
　キスの余韻なんてあってないようなものみたいに眉をしかめて、智将が俺のほっぺをギュウウってつかんでくる。やっぱさ、本気で怒ってる顔も綺麗なんだよな。近くで見るとなおさら…また好きなところが増えてしまって俺の眉はますます下がった。
「興味ないわけねェだろ…むしろ逆だ……俺がいずれ消えた時、お前が余計な辛さを背負わなくて済むために言わないようにしてるって分からないのか」
　綺麗な顔ですごまれたけど分からなかった。何が余計なの…？そんなの全然分かんねェよ…でも全然分からないって言ったら智将にまた話を放り出されてしまいそうで、せっかく２人の話をしているのにここで終わってしまうのだけは絶対嫌だったから、代わりに俺からも"分からないのか"をやってみた。
「両想いだって分かってるのに、後から自分も伝えたらよかったなんて俺は後悔したくない…ほら、お互いに好きだって今知れたじゃん…そもそも、消えるとか言わないで側にいることの方が愛情深いって分かんないの？」
　上手くやり返せたと思えたのもつかの間、智将がものすごく機嫌悪そうに硬いため息を吐いた。もう、何も言われなくても分かる。失敗した。
「…話が合わないな。これ以上は無意味だ」
　話を死なせてしまうのをまだ待って欲しくて、引き留められそうな言葉を頭の中で必死にたぐり寄せる。でも意味がなかった。
　だって、また唇に噛みつかれて何もしゃべらせてくれない。
「ふぁ…んっ、んッ……ち…しょッ、んぅっ、んーッ…は、…ね…え、ちしょ…んむっ、んんーッ…！」
　本当にひと言も許してくれなくて、ただえっちなだけのキスで智将が満足するまで弄ばれた。
　ようやく絡められた舌が離れて息苦しさから解放される。何か言うなら今だ。肩で息をつむぎながら、まだ整ってない呼吸混じりに俺は思い切って、智将へ今想ってることをブツけた。
「はぁ…っ、ッは…、好きって言ってくれないなら、キスしないで」
　智将は何も言ってこない。代わりに黙ったまままたキスしてきて腰からお尻にかけてを触れてくる。
「ッ…、触るなら好きって言ってよ…」
　これもダメだった。智将は俺の欲しい言葉を意地でもくれないつもりだ。"好き"は言わないくせにいきなり下着の中へ手を入れられて、消費されてるみたいですごく悲しくて「それはダメ…！」って智将の手を止める。その時に視界へ滑り込んできた智将の顔でもう分かってしまった。
　ねえ、智将。なんて顔してんの…？本当はさ、苦しくて仕方ないんだろ？
　いつもは読めない智将の心の声が今はハッキリ読める。
　いつか消える自分がせめて、主人の辛さも最悪も最低も全部持って行ってやれたなら━━
　俺のために２人の"初めて"を敢えて最悪なモノにしようとしてること。そうすれば、２度と智将とのことを思い出さなくて済むからって。好きな人から最低を向けられて背負うなんてそんな地獄、誰も考えない。
　裏付けるみたいに、智将の本心は悲鳴を上げているのが表情からでも伝わった。
　あえて最悪なモノにするため、強引に服を脱がそうとしてくる智将の左手をなんとかつかむ。そして、俺に向かって手のひらを向けさせて、親指を手のひら側へ曲げ、残り4本の指で親指を覆うように握り込ませた。
　智将が俺に教えてくれた「助けて」のサインだった。
　俺に向かって「助けて」のサインを作ったことへ智将が驚いた目でたずねてくる。よく覚えてただろ？智将とあんなに手を握ったの初めてだったから嬉しくてずっと覚えてた。今、それが役に立ったんだよ。あとで褒めてね。
「智将はさ、自分で"助けて"って言えないだろ。だから俺が智将の代わりに俺へ"助けて"って伝えるし、俺が智将を守るよ。大丈夫。智将が心配するほど俺弱くねーし。それから絶対、何されても智将のこと嫌いになんてならないから」
　そう言いながら智将の左手に作ったサインへキスをする。
　心読んじゃったって言ったらますます押し隠されそうだからその辺は言わない。
　複雑な顔で少し考えてから智将がまたため息を吐いた。吐息とともに、なんだか表情が柔らかくなった気がする。
「…出直していいか」
　照れ臭そうにそうやって聞いてきたから首を横に振っておいた。今欲しがっとかないときっとまた言ってくれなさそうだから。
「ダメ！言うなら今言って」ってまた"好き"をねだる。そしたら
「愛してる。主人」
　そう言ってキスしながら、服の中に手を入れてきた。
　さっきまで"好き"すら言わなかったのにいきなり"愛してる"なんてズルい。手出すのだって早いし。
　だから、悪いのは智将。絶対、智将。

END