パンジー・ワルツ「そもそも自己管理がなっていない」というひと言から始まって、もうかれこれ三十分ほど――正確には二十七分と三十四秒――あたしはあそうぎくんの愚痴を聞いている。彼の口から出てくる言葉のほとんど――これも数値であらわすと七十五パーセントぐらい、かな――がバンジークスくんの体調を心配するようなものだった。
今日はバンジークスくんとあそうぎくんをうちに招いてお茶会をする予定だったのだけれど、どうやらバンジークスくんが風邪を引いちゃったみたいで、朝からあそうぎくんが申し訳なさそうな顔をして謝りに来てくれた。で、あたしが「昨日寒かったもんね」って言ったら、あそうぎくんは眉毛をつり上げながら、噴き上げる間欠泉みたいに小言を連ね始めた。
「オレよりもあの人の方が楽しみにしていたのだが……ここ最近忙しかったこともあって、休みを前に気が抜けたのかもしれん。どうか恨まないでやってくれないか」
あそうぎくんがきまり悪そうに頬を掻いたので、あたしは笑顔でうなずいた。話の内容がだんだんとバンジークスくんを庇う方向に向かっていることに、彼は気付いているのかな。仲良しなのはいいことだから、あえて何も言わないでおくけど。
「この埋め合わせは必ずすると言っていた」
「……あたしが会いに行っていいなら、いつでも会いに行くのに」
「いや、それは、」
あそうぎくんはあからさまにどもったあと、せきばらいをした。なるほどくんとあそうぎくん、似ていないようですごく似ている。ふたりとも、とにかく嘘が下手なの。それはあたしのための嘘であることは薄々察していて、でも隠し事をされるのはやっぱり淋しかった。あたしはまだまだ子どもなんだなって思い知らされるから。
「これまで友人がほぼいなかった男なのだ。キミのようなうら若き乙女が急に訪れると、その、心臓に悪いだろう」
「でもバンジークスくんが驚くところ、あそうぎくんも見たいでしょ?」
「それはまあ、見たいな」
白い歯を見せながらヤンチャに笑うあそうぎくんにつられてあたしも笑う。目もとには人懐こそうな笑いじわができていた。
こうしてお話するまではあそうぎくんはてっきり、こわい人なのだとばかり思っていた。とっつきにくいというか、なんというか。なるほどくんもすさとちゃんも「いい人だから」といつも言ってたけれど、本当は少しだけこわかった。でも改めて挨拶したとき、あそうぎくんはあたしを見るとわざわざ屈んで、手の甲にキスまでしてくれた。冷たかった目はやわらかくて、やさしかった。何だか急に照れくさくなったあたしが「なるほどくんとは違うね」って言ったら、なるほどくんが隣でふてくされてたのをよく覚えてる。
でもそんなあそうぎくんにも気が利かないところはある。たとえば、人混みで手を繋いでくれないところとか。子ども扱いされたくないけれど、はぐれるのはもっといやだから、できれば手を繋いで一緒に歩きたかった。なのにあそうぎくんときたら、「軽々しく男女が手を繋いではいけない」なんて言うの! だから「なるほどくんは繋いでくれたのに」って言い返してやるの。そしたら「しょうがないな」ってため息を吐きながら、そっと手を握ってくれて。まるで壊れ物に触れるかのような手つきがくすぐったかった。
「市場を知り尽くし、また偉大なる大作家で倫敦では知らぬ者がいない十歳の少女と、とうに成人はしているものの未だこの街に馴染めぬ東洋人……さてこの状況、どちらが迷子と思われるでしょうか」
「もしあそうぎくんがはぐれたときは、あたしががんばって嘘泣きしてあげるの」
「……余計みじめな気分になるからやめてくれ」
あそうぎくんは苦笑しながら帽子のつばを左右に揺らした。手袋をつけていない、むき出しの肌が何だか眩しかった。あたしたちとは違う、向日葵に近い色。懐かしい色。
「しかし、市場の賑わいというのはどこの国も似たようなものだな。たまにこの喧噪を『下品』などと表現する者もいるが、オレはこの騒がしさは嫌いではない」
「あたしも。何だか元気をもらえるよね」
あたしとしてはバンジークスくんへのお見舞いにお菓子を焼きたかったのだけれど、あそうぎくんは「消化にいいものがいいだろう」って。