黒いレザー、白いレース「あ」
扉を乱暴にこじ開ける。控室と書かれたその部屋では1人の青年が鏡の前に座っていた。鏡越しに目が合う。あ、とだけ発音して、急に現れた仮面の侵入者に動揺する様子もない。私は無言でその青年の両腕を取り、ジャケットから取り出した手錠で拘束した。無抵抗の彼の腕を引き鏡の前から立たせると、部屋の窓から青年を連れて逃走する。控室の扉の方から動揺する式場スタッフらしき者の声がしたが、振り返ることはなかった。
「腕が痛い」
背後から不満げな声がする。足は止めない。歩く、歩く。
「はあ。あの男はコロニー開発の中枢を担う技術責任者の一人だったのだぞ。それを貴様…」
「今度は結婚詐欺ですか」
式場の近くに隠すように停めておいたエレカに着いた。ドアを開き目で促すと、彼は素直に乗車する。追って私が乗り込む間も、静かに私の様子を伺っていた。後部座席で2人横並びに座ったところで、彼が腕の拘束を外すように目線で訴えてきたが黙殺する。
「詐欺かどうかはまだ分らんだろう」
まるで心外と言わんばかりの態度。両手が自由だったら肩をすくめてハンズアップのコンボが決まっていただろう。ふざけるな。
「こんなことをさせるために貴方を墜としたんじゃないッ!」
「誰が貴様なんぞに墜とされるものか。妄言を吐くな」
「前回は元地球連邦の高官に飼われていましたね」
「秘書だ。ペットではない」
「その前はグラナダのMS開発へ資金援助を行う活動家の愛人」
「あれは良い男だったな」
「………」
「それで?今日は何の用だシャリア・ブル。見ての通り、私はこれから結婚式だったのだが」
見ろ、と言わんばかりに拘束された両手を掲げる。やわらかくセットされたウェーブがかったブロンドが揺れた。純白のブライダルスーツは彼の細身の体に無駄なく沿っていて、この日の為にオーダーされたものだと分かった。上等な白いレースのオペラグローブ。首から上以外の肌の露出は全くなく、長い脚を組むと裾がフレア状になっているパンツスーツがさらりと音を立てる。
絶対にこの男の趣味ではない。他人の欲で、着飾られた姿だ。
「似合うか?」
ふざけるな!
「本当に!本当に大人しくしていてください!頭がおかしくなりそうなんだこっちはッ!」
「はは、ぬかしおる。変な仮面をしておいて」
「もうお黙りなさい!」
眩暈がする。時が経つほどにこの男のむちゃくちゃさには磨きがかかっているような気すらする。戦場に居らずともMSに乗らずとも、好き勝手に状況をかき回すパワーとセンスは超一流と言える。
「大体、何故私が貴様の思うままに生きてやらねばならないというんだ。なにか思い違いをしているのではないか?」
「大佐」
「だからもう大佐ではない」
この男の生き方に対して、私の願望を乗せすぎていると指摘されることに異論はない。しかし、危うすぎるのだ。
「貴方が先ほど結婚式などという茶番をお楽しみになっていたあの相手は、現ジオン王政への反抗組織を立ち上げた主犯の疑いで近々捕縛されます」
「やっと動いたか。遅すぎるな」
しらーっとした顔で拘束された己の腕を眺めている。貴方が3倍速すぎるだけだ。勝手にリミッターを解除するんじゃない。
「我々が介入する前にしれっと潜入してちょろちょろと小細工をするのはおやめください」
「私のようなか弱い一般人に出来る小細工とは何かな?全く心当たりがない。他をあたるといい」
取り出した端末の画面を突き付ける。
「匿名の情報提供者から反抗組織メンバーのリークがありました。貴方ですね?」
「うん」
「………」
「貴様に隠し立ては無駄だろう。勝手に私の心を覗いてくるくせに」
「…それで貴方の全てが分かる訳ではありません。ニュータイプは万能なエスパーじゃない。よくご存じのはずでしょう…」
「そうだな、知っているとも」
はあ、と思わず深いため息が漏れた。真面目に相対するだけ無駄なのかもしれない。ずっと掌で転がされているような感覚がある。もういい齢だというのに、こんな若造に振り回されるのは御免だった。
「今、失礼なことを考えなかったか?」
「気のせいでしょう」
もう、さっさともう1つの用事も済ませてしまおう。私は端末を仕舞ったその手で、エメラルドグリーンの封書を取り出した。顔の横に掲げ、彼に署名を見せる。
「こちら、アルテイシア様よりお預かりして参りました」
「ん」
「お叱りの言葉がびっしり書かれているのでは?」
「それは楽しみだな」
彼は拘束された両手を私に向けて突き出し、封書を渡せと不遜に指でくいと煽った。それを無視して彼のスーツに手を伸ばす。
「おい…っん」
物言いたげな声を上げる彼の手首を掴み、抵抗できないようにまとめてヘッドレストに押さえつける。彼の純白のレースグローブと、私の黒いレザーグローブの対比が妙に目に残る。掴んだ逆の手でスーツを徐に捲ると、思った通り内ポケットがあった。そこに封書を丁寧に仕舞って、元通り整えて差し上げた。至近距離から香る、この男らしくない甘ったるいパフューム。また少し苛立ちがぶり返した。
感情を振り切り、腕を解放する。仕上げにぽんと軽く胸元を叩くと、たじろぐような布擦れの音がした。
全てを終えて顔を上げると、交差した視線の先で麗しの白貌が歪んでいる。珍しい顔だ。先日久しぶりに顔を合わせた赤い髪の彼女を思い出させる。彼女が時折発揮する目つきの鋭さはとても記憶に残る。
「セクハラだ」
「ははは、ご冗談を。お互い、いい齢の大人ではありませんか」
「年齢は関係ない。常識をアップデートしろ」
「それは失礼を」
「思ってもいないことを」
胡乱な目つきで私を見たあと、彼は封筒が仕舞われたあたりを気にするような素振りを見せた。先ほどは軽口のように返していたが、本心では妹御からの手紙の内容が気になっているのだろう。
「ご健勝でいらっしゃいます」
「勝手に心を覗くなと言っている」
「いいえ、貴方を見ていれば分かります」
彼は軽く口元を歪ませた。我々にもその責任の一端があるのだが、やはり兄妹間の感情は一言で言い表せない複雑なものが見受けられる。双方、お互いのことを想って行動しているはずなのだが、どうも嚙み合っていないことが多い。おそらく、今回の件だってそうだ。
沈黙が車内を支配する。彼の腕を拘束している手錠の鎖が音を立てた。釣られるように口を開く彼の唇の動きを、つい、目が追う。
「しかし、あの男の捕縛が目的なのであれば、先ほどの式は穏便に済ませて不信感を持たせるべきではなかったのではないか?」
少し含みを持った、からかうような口調だ。いつもの余裕のある振る舞いに戻っている。
「私に何を言わせたいのですか」
「うん?」
「………」
自覚はある。この件を極力秘密裏かつ安全に処理するのであれば、式への介入はするべきではなかった。認めよう、感情的な行動であった。それを白状することに深い敗北感があった。だが、ちらと見た彼の表情は、この場での言い訳を許さない圧があった。
「貴方は誰のものにもならないでほしい」
「はは」
まったく湿度のない、乾いた声で笑う。事実の確認がしたかっただけで、私のこの感情の発露などなにも響いていないようだった。
「言わせておきながらなんですかその顔は」
「つまらん男だシャリア・ブル」
修正が必要だろうか?思わず拳を握る。
「まあ、もう少し探りを入れたいところではあったが、これでも連れ出されて感謝しているんだ。なにせあと4回もお色直しとやらが待っていたのだからな。聞き分けの良い子の振りをするのも疲れるよ」
「4回」
「そうだ」
「………」
「…ニュータイプでなくとも今貴様が考えていることは分かるな」
「どんな、御衣裳をお召しになるご予定だったので?」
「訊くな。馬鹿馬鹿しい」
「…」
「覗くな。先ほどエスパーではないと自分で言ったばかりだろう」
年甲斐もなく、ティーンの少年のように白昼夢にふけるところだった。先ほどは拳を握りしめていたというのに、我ながら現金なことだ。それもこれもこの男がいけない。
眉を顰めた彼は、ふたたび拘束された両手をこちらに向けた。
「もう満足しただろう。私は式場に戻らないし、以降この件には関与しない。これを外せ」
「…本当は、この件以降も不穏な組織に潜入したり、御身を安売りしたりしないとまで言い切ってほしいですがね」
無駄なんでしょうね、と呟く。手錠の鍵を取り出し拘束を解いた。少なくとも今は、彼の行動を穏便に制限できる方法がない。本気で止めたいのであればやはり息の根を止めるしかないが、彼の現在の行動原理を思うとそれは適切ではない。封書をお預かりした際のアルテイシア様のお顔が過った。もっとも、力ずくで言うことを聞かせられるような男であるならば、こんなことになっていないし、赤い彗星などという大層な異名もついていなかっただろう。
きっと誰の手にも残らない。誰よりも苛烈に目を奪って、誰よりも色鮮やかに去っていく。呪いのような男だ。
外に出て、ゆっくりと体内の空気を入れ替える。少しゆだった頭がすっきりした気がする。そのまま運転席へ回る。シートに座り、もう一度ひと呼吸した。ふいに、バックミラー越しに目が合う。彼はやはり静かな瞳で私を見ていた。
「お送りしますよ」
「ふん、連れ込む気か?」
「お望みならそうしましょう」
「冗談ではない」
「でしょうね」
振られたが、仕方がない。
私はエレカを発進させた。バックミラーには遠く、先ほどの結婚式場が見える。今頃、式の主役が消えて大変な騒ぎになっているだろう。知ったことか。偽りの関係とはいえ、よくもこの男にこんな服を着せてくれたものだ。近日中に行われるであろう捕縛劇に向けて考えを巡らせながら、私は小さく笑った。後部座席の彼から、少し呆れを含んだぬるい感情を向けられたのを感じた。
「あまり暴れすぎるなよ」
「何のことでしょう?」
「…あなたも仕方のない男だな」
どの口が。お互い様だろう。