誠実さの落とし穴『綾瀬川に好きって告白された』
入力しては消し、また入力しては消し。メッセージアプリの送信欄で、桃吾はそれをもう何回も繰り返していた。寮で同室の相手から好きだと言われたことは伝えた方が円への裏切りにならなそうで、でも伝えたら円に影響が出そうで、そして影響が出ると思うこと自体が円を低く見て裏切っているようで、伝えるべきか否かずっと答えが出せないでいる。
円と桃吾は互いに好きだと気づいていて、でも付き合うのは夢を叶えてからと関係性を固めていない。そんな状態でよりによって夢の最大のハードルに桃吾が好かれてしまったと、そんな報告をしたら円の心が平穏でいられないことはわかっていた。
恋人が同じ部屋に住んでいる相手から告白されてアピールされているなんて知ったら、普通は引き剥がしたくなるものだ。桃吾だって円がそんなことになっていると知ったら、相手となんとか距離を取って欲しいと伝える。それが綾瀬川でさえなければ、桃吾はさっさと伝えて自分にやましいところはないと証明していただろう。
けれど、相手はよりによって円に「目指さんくてええ」と言った綾瀬川で。円がどう思うか、どんな行動に出るか、桃吾もはかりかねていた。こんな想定、円の元を離れると決めた時には流石にしていなかったのだ。
野球に影響は出なくても、願かけのように保留していた正式に付き合うのを、夢を叶える前に前倒す可能性はあるかもしれない。そうならないで欲しくても、綾瀬川に告白されたと伝えるなら、桃吾の円への気持ちも言葉で伝えて安心させたいとも思うのだ。
綾瀬川本人から秘密にしてと言われていたら言わない理由にもできるが、当の綾瀬川は必要なら円には言っていいよと桃吾に許しを与えていた。綾瀬川は桃吾が円に伝えるべきかどうか迷うなんて少しも思わず、桃吾は円に言うと確信してその時桃吾が申し訳なく思わないように許可を出している。だからやはり、円には伝えるべきなのだけれども。
こんなことを知らず、ただただひたむきに野球と向き合っていて欲しいとも、桃吾は思ってしまうのだ。
告白された時、なぜと尋ねた綾瀬川との会話を桃吾は思い出す。
「なんでそれゆったん……? 叶わへんって、わかっとったやろ……」
「分かってても、知ってて欲しかったんだよ。……それに、よくないじゃん。同じ部屋で俺がそういう気持ちで桃吾のこと見てるって、桃吾が知らないのはさ」
「……アホやろ。それで俺が距離とったら失うだけやん」
「あと、俺が桃吾のこと好きって知っても、桃吾は野球には絶対影響出さないでしょ。あんなに俺のこと嫌ってた時でも、ちゃんと俺の球捕ってくれたんだもん」
綾瀬川の告白は気持ちを伝えたいという以外にも、桃吾に対して誠実でいようとしてくれたのもあったのだろう。そして、桃吾自身の綾瀬川への関わり方は伝えたところで変わらないという確信も。
それは誠実で、そして桃吾への信頼があってこその選択だったのだと桃吾はわかる。けれども、心の中でどんな風に思っていてもいいから、その気持ちを見せないでいてくれたらよかったのにと、今の桃吾はそう考えてしまうのだ。
開いていたメッセージアプリを、結局何も送らないまま閉じる。誠実ではない選択だとしても、円を同じ気持ちにさせたくはないというのが、桃吾の結論だった。