中学時代の円桃練習が終わった後一緒に帰ろうというところで、桃吾に寄りたいところがあると伝えられた。言われた場所はそこで告白すると別れないと最近噂になっている場所で、それを円に伝える桃吾は見るからにそわそわワクワクしていた。
どうやら最近どこかで円の気持ちが桃吾にバレたらしいと、円はすぐに気がついた。
桃吾が円のことを好きなのは円本人にはとても分かりやすく、だから円は気づかれないように気をつけていたのだ。
片思いだと思っているうちは何も行動しなくとも、両想いだとはっきりしたら自分からさっさと行動に移す。雛桃吾はそういう存在だ。
移動中の桃吾は、すごく落ち着きがないのにキラキラきらめいて見えて、円の心を落ち着かせなくさせる。付き合いはじめたら、きっと楽しいだろう。それはとても魅力的な未来で、けれど円は自分の気持ちを桃吾に隠すのを決めた時に、綾瀬川に勝つまでは付き合わないと決めていた。
桃吾が好きになった円は、綾瀬川に会う前の円で今の円ではない。今円に桃吾の気持ちが向いているのは、同一人物だからというだけだ。
綾瀬川に出会ってから、桃吾はよく円に「円がいっちゃんええピッチャーや」と言うようになった。それを言っている時の桃吾の気持ちは、正確なところはわからない。けれど、それを言う時の桃吾の表情は、円を褒めているのにまったく楽しくなさそうで、円はわかってしまったのだ。
桃吾は円が綾瀬川に勝って、それで元の円に戻るのを望んでいると。
桃吾本人にはきっと自覚はない。けれど、現状で付き合いはじめて桃吾に何か違うと思われるのも、付き合っていてもどこかで綾瀬川のことを考えて桃吾を見ない瞬間が生まれるのも、今すぐ付き合いはじめたら起こりうることだ。
公園につくまでの間に、円は告白する気まんまんでいる桃吾にどう納得してもらうか考えていく。幸い緊張している桃吾は口数がいつもよりずっと少なくて、じっくり考える時間をたっぷりとれた。
「桃吾、小学生ん時と今、わしとやる野球どっちが楽しい?」
夕焼けの中、大事なことを切り出すタイミングをはかっていた桃吾に、円が急に質問をしてきた。急に聞かれた何を知りたいのかわからない、でもとても真剣な顔をした円の問いに、桃吾は不思議に思いながらも思っていることをそのまま伝える。
「急になんやねん。円とやる野球は、いつでも楽しいわ」
円にはこの返事が予想外だったようで、少し目が見開かれた。この質問への桃吾の答えはこれしかないと、本来円がわからないわけはない。何か判断するのに必要な要素が欠けていること、円がいつになく緊張していること、それらがわかったので桃吾は自分の言いたいことを一度引っ込めて、円の言葉を待つ。
「わしの言い方が悪いの~」
円はそう言って考え込み始めた。どう桃吾に伝えるべきか、珍しくだいぶ言葉に悩んでいるらしい。
桃吾は夕日が沈んでいく中、急かすことはせず円を待つ。二人を真っ赤に染め上げる光の中、円はそっと口を開いた。
「桃吾、綾瀬川と会う前と後、わしと野球やる時何を考えとる? 答えんくてええけど、それで今と昔どっちが楽しかったか考えてみてくれんか?」
ここで綾瀬川の名前が出たことが、まず桃吾には不満だった。
円だってすごいピッチャーなのに、自分の強みなんて価値がないとばかりに綾瀬川みたいになりたいと言って、綾瀬川のことばかり追いかけている。今の円は、みんなで野球をしているはずなのに、桃吾には時々ひとりぼっちに見えていた。
それになにより、好きな野球をしているはずなのに円は苦しそうで。
そのことを考えざるを得ない今の野球は、確かに昔の綾瀬川がいなかった時よりも楽しくないと言えるだろう。
伝えたかったことに桃吾が気づいたと見抜いたのか、円は改めて口を開く。そして、この話を持ち出した意図をはっきりと言った。
「じゃから、今はまだあかん。いっちゃん楽しい状態に、今はなられへん」
それを言われた桃吾は嬉しさと悲しさがごちゃ混ぜになって思わず円の手をとろうとした。円が桃吾のことを大変大切にしていて、だからこそ今ここで告白しようとしていた桃吾の行動を止めたい、というのはなんとなくわかったのだ。
雑念が混ざりそうな状況ではなく、二人だけできちんと向き合えるようになってから付き合いたい。円のその気持ちは嬉しくて、だがそんなもの関係なく恋人という立場になりたいとも桃吾は思う。
でも。
「大丈夫になったら、その時はわしから言うけ。待っとってくれんか」
円がこう言ってくれるなら、待ってみようと桃吾は思うのだ。円の手をとろうとのばした手をおろして、桃吾は力の籠った目で円を見る。
「待つ。あと、オレはこの約束、絶対忘れへん……」
今日手に入ると思って楽しみにしていたものがすり抜けてしまって、円への返事は震えていた。
着いたときは夕焼けだった空は日が沈み、周りが暗くなっている。街に灯りは灯っていたが、今の二人には小さくて頼りない光だった。