とある公共施設――――「まだあんのぉ?!」
窓口に座るひときわ派手な女性が非難の声を響かせる。
「あのねぇいっぺんに持ってきなよ、あたしも暇じゃないんだからさぁ!お役所ってホントに気が利かないよね。あたしは息子を亡くした可哀相な母親なんだよ?!」
可哀相と自ら言う割には悲壮感のまったく漂わない彼女にクラゲの職員は丁寧に説明を繰り返している。
一般的に孤独死があると然るべきところへ連絡したり死亡届を提出したりといった手続きがあるはずだが、彼女は面倒なことを回避する嗅覚が並外れて鋭かったようで、知らない番号からの連絡を今までずっと避け続けていた。更に亡くなった彼自身が母親と絶縁していたため連絡先探しは困難を極め、母親である彼女に事情が伝わったのは彼の死からそろそろ1年が経とうとしていた頃だった。
「デワ、遺品をお持ちシマすので少々お待ちくださイ」
「金目のモン入れてきてよー!」
元気よくチャチャを入れる彼女の言葉に、居合わせた民衆たちはギョッとする。しかし当の彼女はどこ吹く風で小さな鏡をバッグから取り出しメイクの乱れをチェックしていた。(元来タコ族は眉目秀麗であり彼女の若い頃も御多分に漏れず美しかったが、美しさを売りにした彼女の生き様や狡猾に生活するために培った対応力が今の彼女の姿にまざまざと表れていた)
メイクを直し周りを見渡すと、暇つぶしにちょうどいい職員を見つけて人生のアドバイスを押し付けていく。
「お姉さんさぁ、独身?結婚なんかするもんじゃないよ〜。男に振り回される人生なんて損よ、損!女はいつでも振り回す側でいなきゃ。子供ができたら逃げられなくなんだから作らないほうがまだマシね!あたしは運良く子供と逃げたけど、ソイツも1人で大きくなったような顔して出てっちゃってさぁ。気がついたら音信不通になってるし、それをほったらかしにしてたらいつの間にか死んじゃってんだから!やんなっちゃうわよまったく〜」
発言自体はなかなかに壮絶なのに彼女の口調のせいでまったく悲壮感が伝わってこない。そのまま彼女の半生を聞かされそうになっていると、小さな箱を胸に抱えた職員が戻ってきた。
「こちラにお受け取リのサインをお願いシます」
「ヂッ!!」
大きな舌打ちをして繰り返される面倒に不機嫌を隠さない。
「受け取る!だけなのに!なんで!住所が!いんだよ!!」
怒りに任せて書き殴り、やっと息子の遺品を受け取る。
「金目のものは………なさそー」
箱の中を覗き込み心底残念そうな顔で第一声と大きな溜め息を吐いた。財布とタバコとナマコフォン、何かの契約書と建造物やシャケの形を模したバッジがいくつか。生活用の通帳もあったが入金しては家賃や光熱費に消え、大して残高があるわけでもなかった。
「プレゼント買うだけの金はあったはずなのに全然残ってないじゃん。期待して損したわ〜」
凍結された通帳を破り捨て、財布の中にあった有り金を全部抜く。悪態をつきながら他にめぼしいものを探して箱を漁ると底に1枚の写真が見えた。
「なにコレ。アイツ友達とかいたんだ?」
同じオレンジ色のツナギを着た4人の男たち。何かの記念というよりはノリで撮ったような、なんでもないシーン。邪魔されて見切れてる奴もいれば笑顔で牽制し合う奴もいて、息子に至っては後ろから押されてカメラを睨んでしまっている。
陽に灼けてちょっと歪んで色褪せてしまった写真。一度も足を踏み入れたことのない息子の部屋など知る由もないが、こんな写真を飾るような趣味がアイツにはあったのか?なんでもない風景に見えるのにわざわざ飾るほど大切な写真だったのか。もしそれを問えたら彼は答えただろうか。
息子の生前の姿に目を遣りながら、なんとなくナマコフォンの電源を入れてみた。幸いにも電池が残っていたようで画面に明かりが灯る。アイツの友達だってどうせ碌なもんじゃない、変な連絡が来たりしないだろうね?そう思って電話帳を開いたが1人も登録されてはいなかった。メールの送受信履歴が残っているところを見ると死ぬ前に消去したのかも知れない。
「バカだねぇ…」
彼女は彼の意図を汲めるほど察しがいい訳ではないが、持ち主が消えたナマコフォンに連絡先が1つも残されていない事がどんなに物悲しいことなのかはわかる。
残されたメールには仕事のシフト確認や失敗した仲間を罵るものが見えたが電話帳が消されているためそれぞれの相手が誰かはわからない。
と、突然ヴヴヴッとナマコフォンが震える。今まさに新着メールが届いたらしい。あまりのタイミングにぎゃあ!と声を出してしまった。1年近く連絡のなかったナマコフォンに今更なんの用があるのか気になって無遠慮にメールを開く。
???「久し振り。今日商会に行くけどお前シフト入ってる?」
脳天気な話じゃないか。今までほったらかしにしていたくせにいきなり今日会えるかを尋ねてくるなんて。
「コイツ、死んだこと知らないんだー」
反射的に返信を考えるが、どう伝える?は〜ぁこういうのマジでめんd…バツンッ!今度はメール画面を開いたままナマコフォンの電源が落ちた。どうやら残り少ない電池だったようで何を押してもウンともスンとも言わなくなってしまった。
「ちょうどよかった。返信する義理もないしね」
そう言うとおもむろにナマコフォンを握り反対方向へ捻り上げる。パキョッと小気味いい音を出して真っ二つに割れるナマコフォン。
「じゃあもういい?あたしこれから店があるから」
持参した紙袋を広げると小箱を持ち上げガサガサガサッと雑に遺品を入れる。そして乱暴に席を立つと彼女は振り向かず足早に行ってしまった。
「ンー!これでやっと終わった。清々したわ」
玄関ロビーを出たところで大きく伸びをして遺品のわかばに火をつける。
「……湿気てる。ちゃんと保管しとけよっつの」
そう毒づくとツカツカと歩き出しその辺にあった公共のゴミ箱に紙袋を突っ込んだ。
世間の荒波に揉まれ巻き込まれ足掻き苦しんで息子は死を選んだ。涙を流したくとも日々荒れる生活の中で流し尽くしてしまってもう何も出てこない。
「じゃーね息子。お疲れさん」
軽薄な弔いの言葉を空に投げると彼女はいつもの振りをして喧騒へと消えていった。
わかばの煙香だけを残して。