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    田舎×幼なじみ×ホラー(?)×SF(少し不思議)な345です。要素過多のため何でも大丈夫な方向け。CP要素はない!けど書いてる本人の劣情が滲んでいる可能性があるためご注意ください。

    曖昧な幼なじみの話<side K>
     
     
     片道1時間の通学路は、見渡す限り広大な田んぼ道。家が建っているのは青々と生い茂る、雄大な山々に囲まれた集落で、近辺には涼しそうにせせらぐ小川が流れている。ひとたび外に出れば、目を瞑っていても感じる陽の光。日光を遮るものがないせいか、一層眩しく感じる。
     
     百人に聞けば、おおよそ百人が田舎ですね、と。そう口を揃えて答えるだろう。田舎を絵に描いたような町。
     
     娯楽は極めて少ない。一日数えられるほどの本数が運行する無人駅から電車に揺られればローカルのカラオケ店がひとつ、そんな程度。プライベートとという概念はそもそも薄く、よく知った他人が玄関が勝手に上がり込んで採れたての野菜を置いていく。
     
     そんな長閑な田舎町で、烏は高校三年間を過ごすことにした。
     
     15歳の春、大阪で仕事をする両親の元を離れ、単身でロクに公共交通機関の整備されていない田舎へと。
     
     というのも、元々はこちらで暮らしていたのだ。生まれてから小学二年生まで、母方の祖母にあたる人の元で。
     
     久しぶりに訪れた町は変わらないところも、変わったところもある。何年も前のことだから記憶が曖昧な部分も多い。しかし、祖母宅の家屋を懐かしむように探索している際に、ふと見つけた柱には、故意につけられた傷を見つけた。おそらく身長を記したのであろう。烏自身のと、並ぶように余計なのがもう二つ刻まれている。
     
     少しずつ、思い出たちが蘇る。近所というには些か遠い距離の幼なじみ二人の顔が頭によぎった。ああ、確かに物心がつく前から、七歳まではここで暮らしていたのだとしみじみと実感する。
     
     ばあちゃんとは、久しぶりに会った。それこそ、引っ越したとき以来だ。くしゃくしゃの笑顔で出迎えてくれたばあちゃんは、昔よりもどこか小さく頼りないように感じた。
     
     荷物持ちをしたり、高い所の物を取ったり。何がする度にばあちゃんは男手があると助かるわ、と喜んでくれて、それが何よりも嬉しかった。やはり、歳には抗えないようで。諦める場面が多かったのだと言う。
     
     烏よりも頭二つ低い背丈。随分小さくなったなぁ、と伝えると、旅人が大きゅうなっただけや。なんて憎まれ口が返ってくる。
     
     今では考えられないくらい虚弱な体質だった烏を引き取り、女手一つで育ててくれたばあちゃん。まさか数年で町一番のガキ大将に育つとは、流石の彼女も想定外だっただろう。
     
     子どもなりの好奇心から、たくさんの心配と心労、迷惑をかけたと思う。今更とは思うけれど、恩返しになればいいな、と。ばあちゃんの存在は、こちらへの進学を決めた要因のひとつでもある。







    「……?」
    「あ、起きた」
    「…んぁ…? 寝てたんか」
    「それはもうぐっすり」
     
     どうやら、いつの間にか寝入っていたらしい。瞼を持ち上げると、呑気な顔の幼なじみの片割れが視界に入った。ガヤガヤと賑わう教室の窓際、ひとつ前の席、彼の緑色のメッシュはゆらゆらと揺れている。奴こそは、こちらへ進学する決め手となった要因その2。
     
     大阪に越した後も、幼馴染二人との交流は続いた。三人で死ぬほどお願いして買ってもらった折りたたみの携帯には、これまでのやり取りが全て残されている。
     
     中学二年の夏。そちらへ進学を考えている、そんな烏の相談から始まった話も、今こうして実現しているわけだが。
     
     乙夜は寝起きの烏なんてお構い無しに、予備動作なくスマホのロック画面を突き付けてきた。デジタル時計と溜まりに溜まったメッセージアプリの通知がズラっと並んでいる。
     
    「みて、昼休みピッタリに起きてやんの。ウケる」
    「体内時計完璧やな。さすが俺」
    「あち〜のによく寝てられんね」
    「おー、よお寝たわ」
    「ちな、ノート提出今週末までだって」
    「げ。…ま、ユッキーに課金して見して貰えばええか」
    「賛成〜」
    「お前も書いてないんかい」
     
     制服のワイシャツを大袈裟にばたつかせているが、空気そのものが温いせいか大した涼しさは見込めなさそうだ。辺りを見渡し、この場にいない、もう一人の幼なじみの姿を探す。
     
    「…?」
    「どしたん、キョロキョロして」
    「肝心なユッキーおらんな〜、思て」
    「暑さで頭茹だってる? ユッキーは隣のクラスでしょうが」
    「ぁ…、そうやっけ」
    「顔でも洗ってくれば」
    「ん〜…」
     
     確かに、どこか思考にモヤが掛かったような感覚がする。寝起き特有のそれか、はたまた似たような何か。
     
    「なぁんか、変な夢見てた気ぃするわ」
    「うわ。ベストオブどうでもいい話題、5年連続受賞」
    「…変だったことしか思い出せん」
    「別に思い出さなくていいし」
    「なんやおかしい思たら…授業、夢ん中でも受けとった、ような気ぃする」

     確か、数学。ついさっきまで受けていた4限の授業と同じ科目だ。淡々とした声で教科書通りの授業をする数学教師は、教師陣の中でも若い部類で、顔がいいと女子の間でのみ定評がある。男相手には露骨に態度を変えるタイプなので男子生徒からはよく思われていないことでおなじみだ。確か、婚約者が居るとか何とか耳にしたことがある。
     
     夢の中では、急遽自習との知らせが入って、数学教師の姿は見当たらなかったけれど。…それで…、あれ…? 続きは…何だったっけ。

    「へー」
    「おい、興味を示せ」
     
     乙夜の心ここに在らず、といった態度から反応のにぶさが伺える。暑さで頭が茹だってるのはお互い様なのかもしれない。
     
    「授業中と言えば。俺さ、たまぁに考えんだよね」
    「?」
     
     乙夜の視線は、校庭に向いている。頬杖をついて、カンカン照りの地面に目を向けたまま、独り言のようにそう呟いた。
     
    「授業中にさ、テロリストが乗り込んできたら。宇宙人が攻め込んできたらどうしよう…。みたいな」
     
     何を言うのかと思えば、厨二病の戯言だった。呆れすら湧いてこない。しかし、先程とは打って変わって、こちらを覗き込むように視線を投げかけてくる。馬鹿らしい話題に似つかわしくない、マジな顔だ。
     
    「アホくさ」
    「は? 誰しも考えるだろ、1回は」
    「考えんわ。しょーもない」
    「よーし、後でユッキーにも聞いて同意得られなかった方がジュース奢りな」
    「望むところや」
     
     一蹴するも、あんまりにも食い下がるから喧嘩を買う羽目になった。変なところで火がつくのはいつもの事、幼い頃からの恒例。
     
     しばらくはブランクを感じさせない憎まれ口のラリーが続いた。こういう時ばかり息が合ってしまう。そんなテンプレートをなぞっていると、乙夜は思い出したように口を開いた。
     
    「つか烏、昼メシ購買っしょ。行かなくていいの」
    「…………忘れてた!」
     
     昼休みが始まってどのくらいが経っただろう。日頃チャイムが鳴る前から列を成しているような場所へ慌ただしく向かう。しかし、烏の目に映ったのは人も商品もまばらとなった購買部だった。







    「っはは、それで先輩からご飯恵んでもらったの? 何それ面白すぎるんだけど」
     
     中庭の木陰、夏休みも間近の屋外飯はそろそろやめにしないか。そう進言するも、自販機と購買部の中間地点のここが魅力的で何だかんだ居着いてしまう。すぐに冷たい飲み物が買いに行けるのはアドバンテージがでかい。加えて冷房のない古めかしい校舎では、中も外も気温は大差ない。ゆえに、風があるのなら、外の方が体感は涼しいのだ。
     
    「施し飯、美味しい?」
    「礼言うたし代金も払うたで」
    「そーゆー問題じゃないでしょ」
     
     出遅れた購買部には、案の定プリンやゼリー、紙パックの飲み物類しか残されておらず。烏が膝から崩れ落ちかけたところを、たまたま通りがかったという、ひとつ上の学年の先輩から施しを受けたわけだが。
     
    「先輩たち、たまたま通りがかったとか言ってたけど。…あれは狙ってたな」
    「何を」
    「烏のことを」
    「ひゅー、モテモテじゃん」
    「からかうなや」
    「実際のとこどうなの、烏くん」
    「お姉さま方からアピられる感想どーぞ」
    「メシ施されておいて悪く言えるか、ボケ」
    「とか言って、ちゃっかり夏祭りの誘い断ってたくせに」

     夏休みを目前とした高校生らしい話題だ。くだんの夏祭りは、2週間後に控えていた。夏季休暇の真っ只中に催されるそれは、ここいらで一番大きな神社執り行われる。烏の住まう祖母宅からは、そう遠くない。
     
     長い長い石段を抜けて、普段はだだっ広いだけの境内も、その日に限っては祭囃子と屋台、美味しい匂いで彩られる。想像するだけで楽しい気分にさせられるのは自身に限った話ではないだろう。
     
    「そりゃあ断るやろ」
    「なんで? 結構可愛かったのに」
    「そーゆー問題か? まともに話したことないのにいきなり夏祭りいこ、なんて言われてもなぁ」
    「話したことある女子ならオッケーするの?」
    「……どーこーなろう思っとらんのに、思わせぶりな態度はあかんやろ」
    「別に遊んだっていいのに。俺たち華の男子高校生だぜ? 命短しとか言うじゃん」
    「遊び人が言うと妙に説得力あるなぁ」
    「それほどでも」

     こんな田舎の狭いネットワークのなか、よく特定の相手も作らずに遊んでいられるものだと乙夜に関心さえ覚える。
     
     乙夜本人は軽いノリが目立つが、彼の父親は話題に上がっている神社の宮司…祭司として神社を管理する立場にある。そのせいか、乙夜は昔から地域の催しには当人の否応関係なしに引っ張り出されていた。
     
     あの親からこの天性の女好きが生まれてくる構造が理解出来ないまま今に至る。
     
     よそ様をどうこう言うつもりはないが、乙夜家の教育方針がどうなっているのだろうか。蓋を開けて確認したくなる。
     
    「今年も太鼓叩かされる。信じらんねえ」
    「たまにはかっこいいところ見せてもいいんじゃない?」
    「聞き捨てならねえよユッキー、俺はいつも爆イケなんだわ」
     
     町をあげての一大イベントの夏祭り。きっと今年の祭りでも、乙夜家の人間は町名の刻まれた法被を背負って元気に闊歩するのだろう。
     
    「烏は? 行かねーの、夏祭り」
    「んー」
    「珍しく歯切れ悪いね」
     
     スパッとした性格の烏らしくない物言いに、二人は首を傾げる。
     
    「ヒマならウチの手伝いしね?」
     
     夏祭りと言えば、女好きの一大イベントでもあるはずだ。しかし宮司を父にもつ彼はというと、これまたでかでかと町名が刻んである法被を着せられ、催しの太鼓を叩かされたり、屋台の店番を強いられるらしい。
     
     去年は焼きそば、一昨年は焼きとうもろこし、その前はチョコバナナだったと恨み言のように語る。
     
    「ユッキーは?」
    「ん?」
    「とぼけちゃって。…夏祭り、どーすんの」
    「女子という女子が水面下でバトってそうやな」
    「それな。血が流れてるに違いないぜ」
    「偏見すご。俺のことなんだと思ってんの」
    「「ツラはいい男」」
    「おい、ハモるな。『は』じゃなくて『も』でしょ。ノート見せて欲しくないわけ?」
    「「ごめんなさいでした」」
     
     雪宮を表立って夏祭りへ誘う人間は、おそらくいないだろう。物腰柔らかな内面、すこぶる整った顔立ちへと成長を遂げたこの男レベルになると、人目に付くような場所でお誘いは憚られる、そんなことをしようものなら石を投げられてしまうらしい(クラスの女子談)。
     
     カルト的な人気がある、とでも言うのだろうか。入学当初は女子と目が合えば黄色い悲鳴があがる、なんてこともあったっけ。
     
     確かにツラはいいし物腰柔らかな人柄だが、それでいて結構冷たい所がある。それは烏にとって居心地のよい距離感だと感じるため、プラスに捉えてはいるが。女性からすれば恋人にはしたくないタイプにも見受けられる。いざ箱を開ければ他の男連中と遜色ない、一般的な男子高校生だというのに。オンナという生き物は案外見る目がないのかもしれない。
     
     昔は三人のなかでもダントツに背が低くて、女の子と見間違われることも多く、可愛かった容姿。今じゃ見る影もなく、鼻につくほど整い、涼やかな面持ちで昼飯を口に運んでいる。
     
    「ユッキー、」
    「なに?」
    「こない大きゅうなって…」
    「うわ。先週会ったばっかりの親戚みたいなこと言い出した」
    「で? ユッキーと夏祭りデート権利はどこの誰がゲットしたの」
    「あ〜……。俺も思わせぶりは良くない派だからさ」
     
     空いてるんだよね、と。恥ずかしそうに宣う。良かったな校内の女子諸君。それと同時にご愁傷さま。こいつ、興味が無いことにはとことん興味が無い男だな、と改めて実感する、
     
    「はー、色気のないヤローどもですこと。俺は家のことさえなかったら遊びに行ってるっつーの」
     
     悪態をつくも、その口ぶりから家の用事からは逃げない姿勢が伺える。
     
    「多分ヒマだし、屋台手伝いに行こうか?」
    「まじ? 助かるわ」
    「その方が女子的にも心穏やかやろなぁ」
    「ね、烏くんも手伝い行かない?」
    「…考えとく」
    「人手はいくらでも大歓迎」
    「バイト代出る?」
    「もち。なんなら昇給も掛け合ってしんぜよう」
     
     空腹をそこそこに満たし、ゴミを一纏めにして立ち上がる。空に向かって大きく伸びをする、相変わらず蒸し暑い。夏本番はこれからだと思うと先が思いやられる。
     
    「夏祭りの前に、期末試験が待ってるわけですが…時に御二方、勉学の方は如何ほどですか」
    「テストは別に。なあ?」
    「よゆー」
    「自信ありってわけね」
    「問題は提出物や」
    「ほんそれ」
    「うわ、嫌な予感するな」
     
     良いカンをお持ちでいらっしゃる。苦虫を噛み潰したような顔の幼なじみの片割れは、そそくさと去ろうと背中を向ける。しかし、それを逃がす烏と乙夜ではない。両肩を二人でがっちりと掴んで元の場所に戻す。
     
    「ちゅーわけでユッキー、ノートのコピー取らして」
    「一生のお願い」
    「中間考査の時も聞いた気がするんだけど!?」





     
     
     無事に期末試験を終え、特に補習も抱えることなく夏季休暇を迎えることが出来た。
     
     それにしても暑い。コンクリートジャングルの夏も中々ではあったが、田舎の夏もこれまたアホほど暑いのだ。玄関先に撒いたうち水は、瞬く間に乾いていく。
     
     最高気温は日々更新される中、わざわざ暑いところに居る烏ではない。
     
     無駄に広い家屋、その中でも冷房が効く部屋は限られている。
     
     そう、我が家では密閉性のある居間でしかクーラーの恩恵には預かれないのだ。
     
     少しの寝坊と二度寝を享受した朝、涼しい場所で課題を進めるべく、烏は早々に朝食を胃に収めた。食器を水につけ、自室に戻り課題の冊子を取りに行く。
     
     …するとどうだろう、何やらどこかしらから話し声が聞こてくるではないか。
     
     またばあちゃんが玄関先で話し込んでいるに違いないと踏み、注意を促しに部屋を出る。年寄りは己の体温管理が難しいのだ。クソ暑い中、冷房の効いていない場所で長時間話し込むものではない。玄関の方に顔をだす、しかし、ばあちゃんの姿はない。アテが外れたらしい。
     
     耳をすませて声が聴こえる方へ足を進めると、程なくして居間の戸の前に着いた。どうやら烏が口を酸っぱくして冷房を推奨した甲斐あってか、クーラーの元でお友達と談笑をしているようだった。
     
    『課題? まだ全然。…図書館で? いいね。いつにする、明日とか?』
    「今から」
    『急だね!? まあいいけどさ』
     
     ばあちゃんとお友達とのひと時を邪魔するのは忍びない。けれど、涼しい環境で課題は進めておきたい。そんな自身のエゴに幼馴染の片割れを巻き込んだのが、つい先程のこと。二つ返事で応じた雪宮とすぐに落ち合う約束を取り付けた。
     
     目的地はここから少々遠い。しかし、鈍行に揺られれば合法的にクーラーの恩恵と勉強に最適の空間…図書館にありつけると思うと、苦ではなかった。
     
     スマホで時刻表を確認すると、次の電車まで一時間を切っていた。普段電車を使わないせいでダイヤを把握していなかった。案外時間が無くて自然と早足になる。
     
     そもそも最寄りの無人駅までの距離も中々なもので。おそらく、間に合うか間に合わないかの瀬戸際。
     
     最低限必要な筆記用具と課題を乱雑にカバンに詰めて家を出る。
     
     ただでさえ本数の少ない電車に乗り遅れれば、次来るのは4時間後。乗れないことは死にも等しいのだ。雪宮は、先に着いていた。カバンだけを携えて。
     
    「チャリは?」
    「パンクしてた」
    「……しゃーなしや、乗れ」

     自転車の後ろにひと一人乗せて漕ぐ…所謂二人乗りをしたことがあるだろうか。華奢な女子ならまだしも、体格の近い同性を乗せて、だ。
     
     重心の取り方にコツを要するわ、一人で漕ぐ時の四倍は足が重たく感じるわで想像以上に体力の消耗を強いられる。
     
    「っはぁ、…っ、くそッ、あとで交代せえよ…!」
    「もちろん。……んー、やっぱり繋がんない」
    「っは、…乙夜?」
    「そう。かれこれ三回は鳴らしてるよ」
    「そらそうやろ」
    「?」
    「聞こえんか、太鼓の音」
    「…? ぁ、本当だ」
    「練習にでも駆り出されてるんとちゃうか」
    「そーいえば今日、夏祭りに向けて色々準備があるって言ってたかも」
     
     風を切る音に紛れて聞こえてくるのは、微かな太鼓の音。間近で聞いたら身体に響くような力強い音も、離れた場所で聞くとまた趣が違うものだとしみじみと感じた。
     
     途中、自販機をもって運転手を交代し、もう半分の道のりを駆け抜ける。我慢できずに買ったのは、よく冷えた大容量ペットボトルの麦茶だ。
     
    「はー、生き返るわぁ」
    「ごめん、ちょい飛ばすけどいい?」
    「っぶ!?」
    「ごめん、言うの遅かったかも」
     
     急な横揺れに、危うく蓋の空いたペットボトルを本体ごと道にぶちまけるところだった。咄嗟に片手で荷台を掴んだから良かったものの。
     文句を言ってやろうと口を開くも、サドルからケツを離して立ち漕ぎを披露する雪宮は、『やっぱりこっちの方が馬力出るね〜』などとマイペースにほざいていた。
     
    『は?ずる。俺も行きたかった』
    「どうせ来ても課題せんやろ」
    『は?やるし』
    「女の子に逆ナンされてもやる?」
    『そこに女の子がいんなら声掛けなきゃ失礼だろ』
     
     目的の駅に着いたあたりで、乙夜から折り返しの着信が入った。応じると、元気なのかそうでないのか分からない声音で怒涛の文句を垂れてきた。案の定、祭りの準備のために朝から駆り出されていたらしい。
     
    「今週末だもんな、夏祭り」
    「準備も佳境やろな」
    『…げ、呼ばれてる』
    「はよ戻れ」

     電話口の向こうから、ガヤガヤと忙しない喧騒が伺える。…その隙間を縫うように鳴る、サイレンの音が耳についた。
     
    「サイレン近ない?」
    『んー? お、ホントだ。…お巡りサンっぽい』
     
     町にある小さな駐在所の存在を思い出す。駐在さんが道案内をする後ろ姿や、自転車で巡回する姿ばかりが思い浮かんだ。
     
     もちろん駐在所の駐車場にパトカーが止まっていた覚えはなく、今鳴っているサイレンの主は村の外からやってきた警察官だ、と言うことが分かる。
     
     まさか事件なんて言い出さないだろうな、と不安を抱いたのも束の間のこと。だんだんと遠のくサイレン、周囲の喧騒はさらに賑やかさの増す。乙夜もかなり急かされていたらしく、断りを入れて通話は終了した。
     
     場所を移して、図書館。無事に辿り着くことができた。電車の弱い冷房とは違う、キンキンに冷えた施設に感動を覚える。適当な席につき、課題はそこそこ着手することに成功した。
     
     どれほど課題をしていたのだろう。外はうっすら茜色に染まり始めている。日照時間が長いせいで分かりずらいが、時計の針は十八時を指していた。閉館と電車のダイヤ兼ね合いで、そろそろここを出ないとまずい。乗り遅れたら数時間単位の待ちぼうけを食らうことになる。
     
     雪宮と進捗の確認をし、荷物をまとめて図書館を後にした。
     
    「冷房の当たりすぎもよくないね」
     
     施設を出れば、不快なあたたかさに見舞われる。もう日は傾いているというのに、相変わらず蒸し暑い。気候ってやつは加減をすることなく温い風で二人を苛んだ。
     
     雲一つない空は青と橙のグラデーション。頭上に向かって大袈裟に腕をのばし、ストレッチをする。
     
     当然だが、課題に集中してため二人の間に会話はなかった。何となく話すことも見当たらなくて無言で歩いていると隣から思わず、といった声が漏れる。沈黙を破ったのは雪宮からだった。
     
    「そういえば、」
    「ん?」
     
     図書館から駅までは少し距離がある。途中のコンビニで寄り道はマストだ。氷菓子片手に持って、取り留めのない会話をする。
     
    「サイレンの正体。…俺、聞いちゃったんだ」
    「どこ情報なん」
    「朝に家族から聞いた」
    「警察来るより前やんけ」
    「田舎を舐めたらダメだよ。他所からきた警察より地元のご婦人方ネットワークのが早いから」
    「へえ。敵に回したないもんやな」
     
     彼の口ぶりから大した事件でもないのだと思っていた。しかし、
     
    「捕まったの、数学の仲本先生なんだ」
    「は?」
     
     突然通っている高校の教師の名前、及び醜聞に思わず目を見張る。
     
    「ここだけの話。…生徒に手出してたらしくて」
    「!? 絶妙にやりかねんあたりがまた…」
     
     女尊主義だとは常々感じていたが、まさか実害にまで発展しているとは。
     
     何より、そんな話が朝から田舎のご婦人方の間で回って言いたと思うとゾッとする。
     
    「今日誘ってくれてありがとね、烏くん」
    「何や急に」
    「うち、朝からその話で盛り上がっててさ。居心地悪かったんだよね、」
     
     外に出る理由くれてありがとう、雪宮は屈託のない笑みで烏に礼を言う。自分で言うのもおかしな話だが、自分たちは高校一年生なんていう多感な年齢だと思う。それなのにこの男のストレートさときたら、何だかこっちが恥ずかしくなってしまうじゃないか。
     
     何とか話題の転換を試みる。そうだ、学校といえば。試験前に乙夜と口論になった、しょーもない話を不意に思い出す。
     
     いわゆる非日常の妄想。授業中の来訪者について、誰でも一度は考えてしまうのだと乙夜は言っていた。雪宮に概要を話すと、一瞬驚いた顔をした、ように見受けられた。

    「何や、身に覚えでもありそな顔して」
    「テロリストとか宇宙人に襲われた経験? ないない、あるわけないじゃん」
     
     しかし、見間違いかと思わされるほど刹那の出来事だった。次の瞬間にはおどけた顔で烏を揶揄ってくる。
     
    「そっちやない。ユッキーにもあるんか、そーゆーこと考える厨二心が」
    「俺はあり派、乙夜くんに一票。…けど、そうだな、俺ならこう考えちゃうかも」
    「?」
    「…例えば、教え子と浮気がバレた教師の婚約者が我を失い包丁片手に校内に侵入してきて…とか?」
    「…ありそうで嫌な例えやな」
    「そう?」

     ネットで調べたら実際に出てきそうなところが凄くいやだ。そうこうしているうちに、目的の駅舎が視界に入り始めた。
     
    「烏くん、」
    「何や」
    「テロリストが襲来しても、宇宙人が侵略してきても応戦しちゃダメだからね」
    「アホ、誰がするか」
     
     そんな他愛のない話をしていた、はずだったのに。
     
     ふと、重たい瞼を開いて、自身が寝ていたのだと知る。
     
     電車特有の揺れ、心許ない冷房、車窓からの景色は真っ暗で何もわからない。寝てた? …いつ?
     
     横に視線を移動させると、雪宮がスマホで何か読み物に耽っているようだった。
     
     駅舎について、氷菓子のごみを捨てた。分かりにくい場所にあるダストボックスに愚痴をこぼし、改札を通って、階段を越えて2番線へ。もう数分でくる電車を待っていて、夕方だからか仕事終わりの人もちらほらと居て。それから───……。

     だめだ、どうにも曖昧だ。目覚めるまでの行動が、はっきりと思い出せない。どこまでが自分に見ていた夢で、どこからが現実なのかすら。

    「よく寝れた?」
    「俺…、」
    「どうしたの、そんな青い顔して。…怖い夢でも見た?」
    「…た、ぶん」
    「可愛いこと言うね。今日一緒に寝たげようか。あ、もちろん乙夜くんも呼ぶよ」
     
     こういった事象が頻発している現状。流石の烏も不安が勝ってしまい、思わず雪宮に吐露することにした。
     
    「最近やたら変な寝入り方をする?」
    「寝る前のことが曖昧だったり、鮮明に思い出せんことが多なって、そんで──、」

     極め付けは、おそらく寝入っている間に見ている夢。これまた内容は鮮明に思い出せないのだが、うたた寝をするとセットで見る奇妙な夢は、烏にとってあまり気持ちの良いものではなかった。
     
    「環境が変わって初めての長期休み、疲れがドッカーン! …みたいな感じで押し寄せてきたんじゃない?」

     雪宮は、疲れているのだと言う。確かに、そうかもしれない。慣れないことも多く無意識下でフラストレーションを溜め込んでいたのかもしれない
    と。そう思うようにした。理由付けは大事だ、ふわふわと宙に浮いたままにするのは烏の性にあわない。
     
     もう三駅もすれば最寄りの無人駅、かなりの時間寝入っていたことだけははっきりとわかる。
     
    「せめて、夢の内容だけでも思い出せたらええんやけど」
    「どうして? 反応からするに…イヤな夢だったんでしょ」

     雪宮は、雪宮剣優という幼なじみは、昔から興味のないことにはとことん無関心だった。そんな彼の饒舌ぶりに、烏はどこか違和感を抱く。

    「そんな夢のことなんて忘れちゃいなよ」
     
     





     夏祭りを前日に控えた今日は、朝から大忙しだった。こぞって町民が顔を出し、各々が準備に勤しむ。それは烏たちも例外ではなかった。屋台設営の準備、食材の買い出しの手伝い。午前中に詰め込むように町内を駆け回った。
     
    「ちゅーす、適当に食べもん貰ってきた」
    「おー、ご苦労さん」
    「お邪魔します。…あれ、烏のばあちゃんは?」
    「どこかしらの家の宴会に居る、はず」
    「まじ? ウチでは見てない」
    「さよか。…なあ、麦茶でええ?」
    「おー」
    「それにしても…大人は元気やな」
    「ね、こんな時間から酒盛りだってよ」
    「明日のために体力温存ゆう概念は無いんか」
    「ないない」
     
     この身に自由が与えられたのは、昼を少しすぎた頃。帰宅すると、乙夜と雪宮の家は大人たちによる大人たちのための宴会会場になっていたようで。早々に烏のところへ避難を決めた。
     
     出来ることなら課題も進めたいとの希望を受け、一旦散ってからこちらへ戻ってくる手はずだ。乙夜が自宅から持参した、宴会からかっぱらってきたであろう食べ物を物色する。
     
    「うまそー」
    「な、今日が本番と思ってるんとちゃう?」
    「明日は子供のためだし。実質そう」
     
     もう一人の到着を待つ…わけもなく。乙夜と二人、先に食べ始めることにした。腹をすかした男子高校生、目の前にはご馳走。…少しばかり刺激が強すぎる代物である。
     
    「なあ、」
    「なに」
    「うわ、起きとんのかい」
    「自分から声かけといて失礼なやつ」

     雪宮の取り分を残し、ご馳走をものの十数分で平らげた。かと言ってすぐに課題に手をつける気にもなれず、スマホをいじったり横になったりと思い思いに過ごす。相変わらず雪宮はこないし、連絡には既読すらつかない。
     
    「ユッキーおそない?」
    「どうせご婦人方に捕まってかわいいかわいいされてるだろうよ」
    「それにしたって…」
    「なんか、ユッキーに思うところがある感じ?」
    「うわ、見透かしてくんなや」

     烏が雪宮へ抱くのは、強烈な違和感。疑念とか不安の類ではない。
     
     重要な何かを隠しているような、視線が合っているようで合わないような。取り止めのない、あくまで感覚的な話。
     
     具体的にどこが、と言われると次の言葉がうまく紡げなくなる。
     
    「ね、烏。おかしいって感じるのはユッキーだけ?」
    「………そう言われると、」
    「うん」
    「人のこと言えん。大概、俺も変なんや、最近」
    「そっか。…んー、三十点! その調子じゃ花丸あげらんねーよ」
     
     知ったかぶりをするを乙夜は、明後日の方角を向いている。顔色は伺えない。
     
    「乙夜…、」
    「何だよ」
    「ついにお前までおかしく…」
    「そーきたか」

    乙夜は、肩を揺らして笑っているようだった。

    「三人ともおかしい、でいんじゃね? お揃いとか高校生にもなってきしょいけどさ」
     
     仲良し三人組だなんてそんな、勘弁願いたいところこの上ない。腕をさするとさぶいぼ立っていた。
     
     そんなことを話していると、来客を知らせる呼び鈴が鳴る。いつも勝手に上がり込んでくる人ばかりだから分かりやすい、律儀に鳴らすのはアイツくらいだ。
     
    「開いてるで〜」
     
     田舎の家なんてもんは、たとえ夜中だろうと施錠という概念がない。大きな声で勝手に入るよう促すも返事は返ってこなかった。
     
    「お土産両手に持たされて開けられないんじゃね?」
    「…開けてくる」
    「おー」
     
     居間を出て、玄関へ向かうべく廊下に一歩踏み出す。曇りガラスに透けた人影…扉の向こうのには確かに誰かがいた。でもアイツ、今日白い服なんて着てたか? …肉対労働をしたことだし、シャワーでも浴びたのだろうか。深く考えず、雪宮を向かい入れるため戸にに手をかけ───……、誰?

     眼前には見ず知らずの綺麗な白のワンピースを身に纏った女性が立ち尽くしていた。
     





     腹部に感じる熱に驚き、飛び起きる。飛び起きる…? まただ、またこの事象。俺はいつ寝入ったと言うんだ。
     
     かれこれ何度目だろう。見渡せば見慣れた和室の居間。乙夜と雪宮は静かに机に向かっている。どうやら課題に精を出しているようだった。
     
    「一体どこからどこまで…」
    「おはよ」
    「…なあ、おれ、一体…」
    「やっと起きた」
    「ユッキー…」
    「烏くんてば、一瞬横になるって言ってたのに全然起きないから心配したよ」
    「なー。…顔に畳の跡なんかつけちゃって」
     
     腹をさすっても、特に熱は感じない。
     
    「今日も怖い夢見みた?」
    「……おう」
     
     今日は、そのまま二人を泊めることにした。夜になり、各々が入浴を終えて好きに過ごす。垂れ流しのニュース番組の画面の左端、時刻は深夜を指していた。
     
     テレビでは、職務質問した女性が銃刀法違反で逮捕された報道がなされている。デートでも行くような荷物の中に刃物を所持していた旨のニュースを話半分に聞いていると、覚えのありすぎる地名が表記されていた。
     
    「これ、」
    「物騒だね」
    「美人さんなのに勿体無い」
    「ここ…前住んどったとこや」
    「ガチ? 治安わる」
     
     
     *
     
     
     〈side Y〉
     
     「縺ゅ↑縺溘↓縺イ縺ィ繧√⊂繧後@縺セ縺励◆」
     
     雪宮は、物心ついた頃から得体の知れない『何か』が聞こえていた。姿形はない、理解の及ばない存在の声。
     
     最初こそ恐怖し慄いたが、人間とは適応能力に長けた生命体である。長いことそばにいられると、ある程度慣れを覚えてしまった。
     
     何を言っているのは、相変わらず不明。長いこと近くにいる割に何もされていないことから、こいつに攻撃性のないのだと何となく理解していた。
     
     きっとこの世のものではい。それどころか、地球の外から来たかも知れない存在。
     
     けれど、そんな存在は幼い雪宮にとって、興味のないことのひとつに過ぎなかった。
     
     幼馴染の彼らと遊ぶことが何よりも大好きで、楽しくて堪らなくて。それどころではなかったのだ。
     
     明日は二人と何して遊ぼう。明後日は、そのまた次の日は──。

     そんな最強無敵な日々に水をさされたのは、とある夏の日のこと。夏祭り当日に夏風邪を拗らせた雪宮は、自宅での留守番を泣く泣く受け入れた。
     
     二人が電話越しに『後で家行くから食いたいもん言え!』と言ってくれたのが嬉しくて、九十度に曲がっていた機嫌は見る影もなくおさまったのだ。
     
     まだかな、もう少しかな。
     
     自室の窓から身を乗り出し、車の灯を探す。
     
     しかし、待てど暮らせど来客の様子はない。どのくらい経ったろう。うつらうつら船を漕いでいると、一階から固定電話の着信が聞こえてきた。
     
     病人とは思えないスピードで階段を駆け降りる。きっと烏くんか乙夜くんからだ。無邪気な確信から受話器を耳に当てた母にすぐ変わるようねだった。母は、強ばった面持ちでこちらを見る。電話口の相手と二、三言葉をかわすと受話器を置いてしまった。
     
     母は両手を大きく広げたと思えば、次の瞬間にはキツく抱きしめてきた。もうくる? どのくらいでくる? 様子のおかしい母に対し、お構いなしで問いただす。すると、母は弱々しい声で言った。
     
     ───烏くんが亡くなった、と。
     
     真っ先に思い浮かんだのは、なんで?どうして?子どもらしい問いに、母を相当困らせたと思う。
     
     うまく事態を咀嚼できない、飲み込めない。先ほどまで夏風邪で火照っていたはずの温度が急速に下がっていった。
     
     そこから、烏くんの葬儀までの記憶はところどころ欠けている。受け入れたくなかった半分、自身を“書き換えてしまった“のがもう半分といったところか。
     
     乙夜と二人、肩を寄せて大きく引き伸ばされた彼の遺影と、棺桶の前。
     
     いくら声をかけても返事は返ってこない、ついこないだまで返ってきていたのに、こんなのはいやだ、彼の死を認めたくない気持ちばかりが先を行く。
     
     …高校生になった今でも、昨日のことのように思い出せる。烏くんの最初のお葬式、線香の匂い、煙で白んだ視界を。
     
     転落死だった。夏祭りの夜、境内までの長い長い石でできた階段。それを踏み外した自分より幼い子を庇って、そのまま地面に叩きつけられ、死んでしまった。
     
     雪宮と乙夜は、大人の目を掻い潜り葬儀を抜け出した。身近な人間の死を受け入れられるほど心に容量がない二人は、ただただその場から逃げ出したくて、居ても立っても居られなくて駆けた。
     
     気が付けば、そこは見たことがない山林。夢中で走ってきたため、帰り道だって碌にわからない。
     
    「縺ゅ↑縺溘縺。縺九i縺ォ縺ェ繧翫◆縺」
     
     ああ、こんな時でも得体の知れない声が雪宮を呼ぶ。今聞きたいのはそれじゃない、いつも先を走って、振り返っては遅いと叱る、烏の声が聞きたいのに。
     
     でも、今はそんな訳の分からないものにでも縋りたい。何処のどなたか存じませんが、どうか───、

    「無かったことにしてくれないなぁ…っ、」
     
     嗚咽の合間にようやく発せた。震えた声の懇願は、虚しいことに木々に吸い込まれていく。…かと思った。
     
     ふと、誰かが雪宮の肩を叩いたのだ。乙夜が居るほうとは逆の肩。反射で振り返ると、ヤバいという脳からの警鐘と、目が合う感覚。そこには鬱蒼とした木々が無骨に生えているだけ。何も見えないのに、確かに目と目がかち合った。
     
    「縺ゅ↑縺溘縺。縺九i縺ォ縺ェ繧翫◆縺」
    「……ほんとうに…?」
     
     脳に直接問い掛けられるような酷く気持ちの悪い感覚。けど、分かる。これが何を雪宮に伝えようとしているのか。
     
    「何とかしなくちゃ、」
    「ね、ねえ! 誰と話してるの…っ、ゆっきー…!」
    「……何とか、してくれるかもしれない、ひと」
     
     それから雪宮は、奔走した。幼い脳みそをフル回転させて、『無かったこと』にするためのシナリオを書きあげた。
     
     初めての試みで、今思い返すとかなり矛盾がある。不格好な形とはなってしまったけれど、『烏くんが石段から落ちて死んだ』を無かったことに出来た。外側から書き換えることが叶ったのだ。
     
    「ゆっきー、おとや! 川遊びいくで!!」
     
     二度目は、水難事故だった。気付いたら居なくなっていた烏は、数日後に川下で発見された。

    今回は、お葬式よりも前に、以前よりは上手く書き換えられた、気がする。
     
     もっと矛盾を減らせるように頑張らなきゃ。でないと、いつか綻びが綻びを呼んで…きっと、破綻してしまう。
     
     …でもどうして、彼はこうも死んでしまうのだろう。

    「今日はカブトムシ取り行くで!!」

     三度目は繧峨¥縺帙″縺ョ縺倥%───。縺薙l縺後∪縺溘◆縺∈繧薙□縺」縺溘ゅ▽縺倥▽縺セ繧偵≠繧上○繧九縺」縺ヲ縺代▲縺薙≧縺溘>縺ク繧薙↑繧薙□繧医 


     この地球が大きなひとつの本だとするのなら。膨大なページの、一行にも満たないであろう彼の死。
     
     こんなにたくさんページがあるのだから、少し書き換えたって問題はないよね。
     
     書き換えても書き換えても死んでしまうものだから、何度書き換えたかなんてのは両手で数えられなくなった時に辞めた。

     烏くんが大阪に引越すのを機会に、その頃の記憶を無意識に蓋をしていた節がある。

     だから、中学二年のある日、彼からこちらに戻ってくると相談をされた時は────それはもう、嬉しかった。最高の気分だった。

    「またたくさん遊べるんだ…!」

     昔みたいに、三人で。死んだら、また俺が書き換えてあげる、だから安心してよ。きっと昔より上手にやってみせるから。
     
     数学教師の婚約者が、先生と女子生徒との不貞を知り、半狂乱で学校に乗り込んで来たときも、烏くんは咄嗟に女子生徒を庇って殺された。いっぱい刺されて、痛かったよね。

     駅のホームでは自殺願望のあるおじさんに線路に突き落とされて、巻き添えを食らっていたね。タッチの差でホームに入ってきた車体に、二人は轢き潰されて死んだ。俺は手を伸ばしたのに、烏くんてば間に合わないと踏んだのか振り払うんだもの。本当に君は優しい人だ、と改めて実感した。

     そうそう、昨日なんて大阪から遠路はるばるやってきた烏くんのストーカーに腹を刺されて死んじゃったよね。俺が駆けつけた時にはもう、広い玄関には二人の男女が息を引き取っていて。女性が着ていた真っ白のワンピースは、見る影もないほど赤で染まっていたっけ。

     でもね、大丈夫。
     
     ほーら、目が覚めたら全部元通りでしょ。
     
     何も心配しないで。君は死んでなんか居ないんだから。…だからね、明日もまた三人で、楽しく遊ぼうね。

     
     *
     

    <side O>
     
     やってきた夏祭り当日。境内には祭囃子と屋台の方からする美味しい匂い。それらにつられてやってきた老いも若きもこぞって集う。人も人でないもの、沢山見受けられた。

    「おーおー、色んなので賑わってんね」
    「せやな。…学校の子らもおおいらしいわ、わざわざこんな田舎までごくろうなこって」

     人間以外も居るんだけどね、なんて口にはしない。烏はきっと小馬鹿にした笑みをうかべ、胡散臭いと言ってくるのが目に見えるから。

     乙夜には、物心ついた頃から見えなくてもいいものが見えていた。

     害はない、ただ、見えるだけ。それらは乙夜に対して何もしてこない。

     父曰く見えるのは特別なことだから、良いことに使いなさいと。特に気味悪がられることも無く諭された。
     
     どうやら父も過去にそういう時期があったらしい。二十歳を過ぎたら自然となくなると言う。故に、乙夜自身この目を特に嫌うことはなかった。

     閑話休題。

     俺の幼なじみは、厄介なものに好かれている。

     そう、隣で呑気にイカ焼きを頬張っているコイツ。祖母に着せられたという藍色の浴衣はよく似合っていて、合わせる下駄がなかったとかでサンダルを履いて境内を闊歩している。
     
     そのラフな足元には、絡みつく黒い影が確認出来た。昔よりも可愛くない影の濃さに、流石の乙夜も思わず顔を顰める。

     烏とは、それこそ物心がつく前からの仲だ。ここいらで同い年の子どもといえば乙夜に烏、雪宮くらいしか居らず。七五三や端午の節句、何から何まで当然のように一緒だった。

     烏に付き纏う何かを初めて見たのは、三歳くらいのとき。
     
     先を走り回っていた彼が突然転んでしまったのだ。何の変哲もない道で。

    我先にと駆けていく烏の足元に、絡みつく黒い影をみた。乙夜には、彼をわざと転ばせたように見えた。

     足元にじゃれつくタイプは、他で何度か見たことがあったから。特に気に止めることはなかった。子どもが珍しくて一緒に遊びたかったのかもしれない、などと呑気に考えていた。







    「おい、ユッキー待たせとるんやろ、行くで」

     ああもう、人がせっかく懐かしんでるのにコイツときたらお構い無しだ。
     
     烏に腕を引かれ、祭りの喧騒の中を闊歩する。通りすがりに学校の女子に会い声を掛けられ立ち止まった。視線を下ろすと、相変わらず烏の足元には黒い影が付きまとう。烏にすりすりとまとわりつくみたいに揺れる。

     人間にも偏愛的な奴が多々いると思うが、それはどうやら神様も同じようで。

     どうしても烏を自分たちの元へ堕としたい、そんな執念を幾度となくこの目で見てきた。

     神様とはよく言ったものだ。この町の人間が無意識に信仰しているこれは、きっと何かの成れの果て。人を平等には愛さないし、ひとりの人間に固執して、今日もこの子を殺そうと渦巻いている。

     神というのは、信仰や畏怖がなければ力が弱まる。けれどここは昔ながらの風習が蔓延るクソ田舎で。烏のことを愛する『それ』の力は健在のようだ。


     なんでこんな所に帰って来たの、烏。お前のことを病的に愛してやまないこの土地に。


     そうしてもう一人、乙夜には幼なじみがいる。絶賛店番中の男、雪宮は一際大きな人だかりの中心部にいるだろう。大盛況だと叔父が喜んでいた。
     
     そんな彼も、『何か』に大層気に入られている一人だ。烏とは打って変わって、乙夜の理解の及ばない、専門外の範疇の『何か』に。

     遠目に様子を伺う。額に汗をたくわえながら、テキパキとお好み焼きとお客さんを捌く姿。下から上に視線を移動させても、彼に纏う何かは見当たらない。

     それもそのはずだ、乙夜が視認出来るはこの世のものだけ。雪宮のことを寵愛するそれは、おおよそ地球上のものではない。だから乙夜には目で捕えることが出来ない。
     
     今風に表現するのなら、外なる神だろうか。地球の外から迷い込んだであろうそれは、雪宮に悪さする素振りはない。手なずけているのか、それとも紳士的なのか。どっちにしろ分かりたくもないが。

     視認できないそれの存在を何故乙夜が黙認しているかというと────────烏 旅人が初めて死んだ日まで話を遡ることとなる。

     ・
     ・
     ・

     あの日、今日と同じ夏祭りの夜。乙夜は石段の一番上にいた。祭りも終わり、人もまばらの境内。迷子の子どもの親が迎えに来るまで遊んでやってくれと頼まれ、烏と少年は元気そう階段を登ったり降りたりをする。乙夜は疲れきっていて、階段の一番上で座ってそれを眺めていたんだ。
     
     雪宮は体調が優れないからと、家でお留守番。お土産買っていくのと、来年は絶対一緒ね、なんて可愛い約束を交わした。
     
     焼きそば、たこ焼き、りんご飴。ビニール袋に詰めた雪宮宛の荷物を膝に抱えて、早く彼に届けたいな。なんて考えていた。

     刹那、明らかな異音。音のする方…石段の方へ振り返ると、宙に投げ出された烏と、ドス黒い影を視界に捉えた。

     直後、骨と肉を叩きつける酷い音。長い階段故に、一番上からだと最下部がハッキリ見えるわけじゃない。しかし、起き上がらない、ピクリともしないのことはすぐに分かった。
     
     すぐさま石段を駆け降りる、二段、三段飛ばしで降り、ようやく辿り着いた。
     
     しかし、いくら声をかけても揺すっても、彼の目は開いたまま何も言わない、言ってはくれない。
     
     ……即死だった。遠くから大人の声が聞こえて、それからの記憶はあまり鮮明ではない。気が付けば烏の葬式に参列させられていて、受け入れることが出来ないまま、雪宮と線香臭い家を飛び出した。

     悪さをする『何か』を初めて目の当たりにした。見えるだけの何も出来ない自分をいくら責めても気が済まない。
     
     俺には見えていたのに、何も出来なかった。そんな罪悪感が行き場もなく体内を巡る。

     右も左も確認せず、感覚のまま夢中で町を駆けていく。すると、たどり着いたのは木々の鬱蒼と生い茂った山中。

     ぐしゃぐしゃの顔、止める方法が分からない嗚咽。烏が死んだという事実に震えて泣くのに、未だその事実を受け入れることが出来ない二人は、肩を寄せてその場に座り込んだ。
     
     ふと、肩への負荷が軽くなるのを感じて、雪宮の方をむく。すると、雪宮は明後日の方角を向いていた。何が悪い予感がして、彼の腕を咄嗟に掴む。すると、

    「…譛ャ蠖薙↓」

     雪宮は突然会話に応じる素振りで、空に向かって話を始めた。
     
     それも、この世のものとは思えない、聞くに耐えない言葉で。
     
     当然何が何だか分からない乙夜は、雪宮がおかしくなったと思った。

    「ね、ねえ! 誰と話してるの…っ、ゆっきー…!」
    「……何とか、してくれるかもしれない、ひと」

     そう零したかとおもえば、何か必死に地面に文字を刻み始めた。ボコボコの山道だ、当然地面に文字なんか書けるはずない。なのに、雪宮はやめない。書き連ねることをやめない。

    「…できた、」
    「なにが」
    「これで、たぶん。…もとどおり」

     割れた花瓶は元に戻らない、料理して食べた卵は元の形に戻らない。死んだ人間は生き返らない。そんなの、子供でもわかる。

    「もとどおり…?」
    「そ。もとどおり。…ね、そうでしょ?」

     雪宮は、再び空を仰ぐ。その日、雪宮と乙夜は山中で夜を明かした。いつの間にか寝ていたらしい。木漏れ日で目を覚ます。すると町の人間が探しに来て、連れ帰られて、キツく叱られたことを覚えている。

    「なんでそんなアホなことしたん」

     腕組みで不服そうな烏は、当然のように二人の前に現れた。何事も無かったかのように、五体満足で。

    「烏、烏だ…ほんもの…」
    「なに泣いてんねん!泣きたいのはこっちやボケ!」

     俺を置いて何事だと、雪宮と乙夜を罵る。置いてくも何も、お前昨日まで死んでたじゃん、なんて本人を前にして言えるわけもない。

    「祭りの日の夜のこと、覚えてる?」
    「は?祭り?何でまた。…迷子帰してその後すぐ帰ったやろ。お前もいたし。覚えてへんの?」
    「…ううん、覚えてる」

     そう、不思議なことにその記憶も『在る』のだ。しかし、在るだけで違和感や異物感がえげつない。

     確かに見たのだ、この目で。烏が死んだとき、一番に駆け寄ったのは乙夜である。

    「ゆっきーさ、何したの」
    「なにが?」

     また別の日。相変わらず先頭を走る彼を追いかけて、近所の小川を目指す真っ最中。会う度に石段の最下部で動かなくなった彼がよぎって、どうも居心地が悪いというのに、彼はお構い無しに乙夜と雪宮を連れて外遊びに勤しむ。

    「なんとかしてくれたの、ゆっきーでしょ」
    「…すごい、乙夜くんは覚えてるんだね」

     雪宮は、その辺に落ちていたいい塩梅の木の棒を手に取り、鉛筆のような持ち方をする。

    「烏くんが居ないのは、イヤだからさ」
    「それは同意だけど。…俺、ユッキーが居なくなるのも同じくらいヤダよ」
    「うん、俺も。…俺と烏くんと乙夜くん、三人がいい」

     昨晩のことを思い返す。理解の及ばない言語で『それ』と意思疎通をする雪宮をこの目で見た時、…彼までおかしな事になってしまうのではないか、一抹の不安に駆られた。

    「俺もくわしいことはよく分からないよ。でも、また三人で楽しく遊べる、それだけじゃダメかな? …ねえ、縺ゅ↑縺溘b縺昴≧縺翫b縺〒縺励g?」

     ああ、まただ。どうやら『何か』に話しかける際は、そっちの言葉にシフトするらしい。それ、大丈夫なのと聞いたら彼が意識的にやっていることでは無いという。
     
    「それで話すの、なし」
    「え」
    「なんかヤバい気がするから」
    「そんな事言われても自分でコントロール出来ないよ」
    「なんとかして」
    「え〜」
     

     ・
     ・
     ・


     浴衣や甚平の色とりどりな人だかりをかき分け、雪宮のもとに辿りつく。相変わらず屋台は大繁盛しているようだ。

    「ユッキー、お待たせ。店番もういいって〜」
    「縺翫°縺医j」
    「うわ。出たなきしょ言語」
    「ほんと!? 気を付けます…」

     しょぼくれた顔、まあ別に乙夜以外には普通に聞こえているらしいので問題はないと思うが。コントロールが効くようになったと誇らしげに語っていたのが記憶に新しい。

    「最近使いすぎなんじゃないの」
    「使わないと烏くん死んじゃうよ」
    「それはそうだけどさ。…ねえ、前に言ったこと覚えてる?」
    「どれだろ」
    「俺はさ、ユッキーが居なくなるのも同じくらいヤダだかんね」
    「ま、大丈夫でしょ」
    「なんで当の本人がそんなに楽観的なんだか」
    「ところで烏くんは?」
    「烏? さっきクラスの女子に囲まれて───、」

     突如、絹をさくような悲鳴が耳に届く。騒然とする喧騒、人の流れから察するに向こうで何かあったみたいだ。そう遠くない距離、自然と二人の足はそちらへと向く。

    「…一旦、一旦確認しようぜ」
    「だね。…烏くんじゃないかもしれないしさ」

     本当に勘弁してくれないだろうか。
     
     神様か何様だか知らないけどさ。そいつら、お前らのじゃなくて俺の幼なじみなんだわ。



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