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    ⇢ひよジュン
    ⚠ 星奏館を出てふたりともひとり暮らしをしている設定です

    ああ、うつくしいぼくのベスティア ✦ ✦ ✦

     首筋を流れ落ちる汗に目を奪われる。
     鍛えた体格に比べると、存外細い首筋をしているんだなといまさらになって思った。まあこの子は、身体の厚みの割りに要所要所ではっとするほど小造りなところがあったりするから、首筋も例に漏れないのかもしれない。その首筋を、汗が伝って落ちていく。
     汗臭いのなんていや。前々から言っている言葉に嘘はないし、実際いまだってそう思ってもいる。それなのに、なぜだか。
     この子の首を伝う汗がひどく美味しそうに見えて堪らなくて。
     びりりと痺れる舌をごまかすために、ぼくは氷をこれでもかと入れたがために表面にびっしりと水滴の浮いたグラスに指先を濡らして、冷えた麦茶を喉に流し込んだ。
     熱い喉に流れる冷えたそれでも、身体のなかを駆け巡る熱を冷ますには足りない。ざあざあと雨の降りしきる音に耳を傾けながら、ぼくはひそりと熱く籠もる息を吐き出した。
     あついのは、気候のせいなのか、それともそれ以外の要因なのか。理解を拒んだ頭を軽く振るって、じわじわと滲む汗の感覚に顔を顰めた。
     あっつい。だからぼくの部屋にしようって言ったのに、ジュンくんのバカ。全然言うこと聞いてくれないんだから。
     内心だけで吐き落とした罵言雑言は世のなかに生み落とされなかったから、目の前で荷物置き場にしているらしいクローゼットを漁る子には届かない。
     ぼくより代謝がいいみたいで、粒になって流れる汗を袖を捲くり上げたおかげでむき出しになった腕で時折拭いながら、ジュンくんはクローゼットのなかに這い進んでいく。
     エアコンが壊れたばっかりに、暑苦しく蒸す部屋のなかで。ぼくに背を向けて、ジュンくんは「しまってあったはずなんですけどねぇ」と言って扇風機を探している。

     成人してから少しして、ぼくもジュンくんも星奏館を出てひとり暮らしを始めた。
     ジュンくんがいつの間にか借りていたマンションは、プロデューサー兼目下Edenのお目付け役の茨が許可を出しただけあって、セキュリティがしっかりしている。けれど単身用だから手狭で、ぼくはあんまりすきじゃない。
     こんな狭い部屋じゃなくて、ぼくとメアリと一緒に住めばよかったのにね。何度かごねたこともあるけれど、ジュンくんは曖昧に笑ってごまかすだけだった。
     ぼくたち、恋人同士なのに。なんでジュンくんは一緒に住んでくれないんだろう。玲明学園にいた頃はまだぼくたち恋人じゃなかったけれど、あんなにもずーっと一緒だったのに。過去の自分が羨ましいと思う日がくるとは思ってもみなかったね。
     忌々しい思いが半分、憎たらしい思いも半分。ぼくを迎えにきた際に雨で濡れたらしい服を着替えたばかりなのに、汗でぺたりとティーシャツの貼り付いたジュンくんの背中を眺めてまたぼくは冷えた麦茶を飲み込んだ。
     あつい。雨が降っているせいで湿度がいやになっちゃうくらい高くて、気温もそこそこ高いから文明の利器が一時的になくなった部屋のなかの体感温度はサウナばりになっている。熱中症になったらどうするんだろう。Eveが揃ってダウンすることになったら茨から直々に、長々としたお説教をもらうこと待ったなしだと思うのだけど。でもそれはぼくのせいじゃなくジュンくんのせいだから、お説教はジュンくんに丸投げしてあげよう。
     ……さっきから滔々といらないことばかり考えている。そうでもしていないと、部屋着になったジュンくんのむき出しの腕だとか脚だとか、そこを伝う汗だとか、汗で貼り付いた髪の束だとかに目を奪われてしまうのだから致し方ないね。
     ぼくだって男だから、すきな子のそういうところを見てなんとも思わないわけじゃない。貴族の振る舞いとして、ジュンくんの〝おひいさん〟として相応しくないから普段は上手く往なしているだけ。ぼくはそういう自身の欲求を押し殺すことがわりと上手いんだね。(こういう話をするとジュンくんがいつも怪訝な顔で「本当ですかぁ?」って言ってくるのが許せないけど、これはいま関係がないから置いておく。)
     ──ああ、だけど。あつい。あつくて堪らない。ぐつぐつととろ火で煮込まれているみたいに。脳みその芯がじんわりとぼやけていく。
     じわじわ、じわじわ。滲む汗と同じくらい、じわじわ、じわじわ。少しずつ溶けていく。
     溶けていくのはなんだろう。ぼくが普段から身に纏っている〝巴日和〟としての仮面だろうか。手にしたグラスのなかの氷だろうか。普段であれば絶対に手放してはならないと手繰り寄せて、必死に握りしめている理性だろうか。
     ぐるぐると喉を鳴らす獣の姿を夢想する。理性を手放した人間なんて獣と変わらない。あんなにも無防備に背中を向けているかわいい子なんて、頭から一呑みにされてしまう。
     ──一呑みにされたいから、ああして無防備にしている、のだろうか。
     それならば期待に応えてあげない方が酷というものじゃないかな、そう思って、冷えていたはずのグラスをテーブルに置く。いつの間にか空になっていたそれは、ただ氷の残骸が転がるだけ。ぼくの熱を冷ます役割をとうに放棄していた。
     首筋を流れ落ちる汗に目を奪われる。
     ティーシャツに吸い込まれていく一筋ですらもったいない、なんて思って。ぺたり。床を這ったままの体勢でジュンくんに近付く。ぺたり。背中に貼り付いたシャツが、肩胛骨のラインを強調している。ぺたり。一歩、一歩。近付く。あと少し。あと少しで。ぺたり。うつむくジュンくんの、浮いた頸骨を濡らす汗が、粒になって落ちた瞬間に。
     ぐるぐる。獣の喉が鳴る音がきこえる。

    「── ちょ、っと、なにするんすかぁ」

     半身を捻ってうなじを庇うように両手を首にかざして。信じられないといった顔をしてこちらを見つめてくるジュンくんにぱちりとまばたきをひとつ。
     真っ赤な顔がかわいい。潤んだひとみがきれい。唸る声はかわいくなくて、けれど拗ねた子どものそれと相違なかったから、やっぱりかわいい。
     舌の上に広がるしおのあじ。びりびり、痺れる舌と脳髄。ああ、ぼく、ジュンくんの首、舐めちゃった?
     遅れて理解したぼく自身の行動。なんてことをしているんだろう。そう俯瞰するぼくは遥か遠く。いまここにいるぼくはうだる部屋のなかで思考と理性を茹で上げられてしまった、ひとではないなにかでしかない。
     くちびるを舐める。足りない。もっと。もっと欲しい。自覚した瞬間に襲い掛かってきたのは、どうしようもない飢餓だった。
     食べたい。食べたい、食べてしまいたい。この子のなにもかも、なにひとつ残さず余すことなくすべて、ぼくのお腹の内に。そうしたらジュンくんともう会えなくなって、悲しみに泣き暮らすのだろうと分かっているのに。目に映るすべてが美味しそうで、我慢できなかった。
     ジュンくんの、中途半端に浮いたままの手首を掴んで引き寄せる。しっとりと汗に濡れる肌は普段であれば顔を顰めるものでしかなくて、けれどいまはこんなに。おいしそう。

    「おひい、さん」

     震える声ですら、甘美だ。うだる脳みそでは、いつも上手く殺せている感情が制御しきれない。
     ごめんね。きみの〝おひいさん〟はこんなこと、しやしないのにね。うまくできなくて、ごめんね。
     脳内でだけなんとか謝って。でも、小さく開いたジュンくんのくちびるの隙間から覗く、あまくふるえる舌がぼくをもっとぐちゃぐちゃにする。くちびるを隙間なく合わせて、自分の舌をねじ込んだ。擦り合わせたやわらかな肉の感覚に、獣が喜んでまた喉を鳴らす。
     じゅわ、滲んできた唾液を啜って、それがあんまりにもあまかったから、もっともっととめちゃくちゃに舌を絡める。ジュンくんの舌は少し厚ぼったくて、短い。ぼくの舌は薄くてジュンくんよりも長いから、舌を絡めるときに舌も口のなかもぜんぶを舐めてあげられるのがお気に入りだった。

    「ん、っぅ……ん、ぁ、ぅ……」
    「ん……」

     やわらかい舌に歯を立てて、唾液を舐め取って啜り上げて。鼻に掛かったかわいい声が耳を掠めて、頭の後ろをチリリと興奮が焼いていった。
     息が上手く継げなくて苦しくなったのか、ジュンくんが精一杯に掴まれていない方の手でぼくの服を握りしめて引き剥がそうとしてくる。
     いや。もっと欲しいのに。なんで止めるの。
     そう思って、だけど酸欠でジュンくんの気を失わせるわけにもいかなくて、やわらかい肉を食もうと躍起になっている獣をなんとか必死に横に押し退けた。くちびるを擦り合わせて、離れるのを嫌がる身体はうまく言うことを聞かなかったけれど、それでもジュンくんのくちびるを解放してあげる。
     もっとずっと汗だくになったジュンくんの、とろんとした顔が視界を埋め尽くす。林檎よりも真っ赤になった頬は熱病に浮かされているみたい。かわいい。おいしそう。食べてしまいたい。舌と歯がうずうずして、汗の伝う首筋を舐めてはあまく歯を立てる。
     ジュンくんの喉が震えて、ぼくを呼んだ。

    「おひい、さん、待って、待って」
    「んん……」
    「ね、まっておひいさん、ベッド、せめてベッド行きましょ、ねえ……んぅ、まってって、言ってんのに……ッ、あ、やだ、ベッド連れてってくださいよぉ……っ」

     ここじゃやりづらいから、やだ。
     嫌がる理由ですら、この子はかわいい。止めたいのかぼくにとどめを刺したいのか、きっとぼくにもジュンくんにも分からない。
     眼の前がカッと赤くなる。掴んだままのジュンくんの手首を強く引っ張って、無理やり立たせて。ジュンくんの部屋は狭いから嫌なんて思っていた身でありながら、この狭さに助けられている。
     だって、ジュンくんの部屋じゃベッドまでほんの数歩で着いてしまう。
     普段のぼくじゃあ考えられないくらい乱暴にジュンくんをベッドに投げ出して、逃げられないようにすぐに身体の上に乗り上げる。淡い色合いのシーツに散らばる、紺青の髪がきれいだった。組み敷くぼくを見上げる、とろとろにとろけて煮詰まった、花の蜜の色のひとみも。そしてそこに映る、ぼくの顔のあまりの酷さに──笑ってしまいたくなった。
     ジュンくんのことを言えないくらいに熱に浮かされた顔をして、見下ろす目がギラギラと、飢えた獣性に満ち満ちている。
     ……こんな姿を晒してしまったら、怯えられて怖がられて、嫌われてしまうかも。
     茹だりきった脳みそに一筋冷や水を垂らされた気分で、熱く昂ぶった身体の胸の内だけがひやんと冷える。
     あまくおいしそうに熟れた子に牙を立てたかった獣が少しだけ怯んだ瞬間に、ジュンくんがぼくに手を伸ばして両手で頬を包んで、首を伸ばして、ちゅって。くちびるにかわいいキスをしてくれた。

    「んぅ……へへ、」

     律儀に瞑られたまぶたがそっと開いたかと思うと、ふにゃんと微笑みの形にたわむ。
     ああ、なんで。そうやって手を伸ばしてしまうのだろう。両腕を伸ばして、受け止めてくれるって、抱きしめてくれるって。そういう風に、きみは。きみがぼくを甘やかすから、ぼくは。ぼくのぜんぶが、きみでダメになる。
     獣が閉じ込められた檻の鍵を外したのは、きみだからね。
     やさしいジュンくんに責任を押し付けて、いとしいくちびるに口付ける。
     きみが欲しくて、欲しくて、お腹を空かせた獣にいっぱいきみを食べさせてね。泣いても、嫌がっても、もう止めてあげられないけれど。だってここにいるのは人間ではなく、ただの一匹の獣でしかない。

     流れる汗を舐め取って、涙に口付けて、ぼくに食べられて波打つ肌に齧り付いて、あまったるく啼く声を飲み込んで。
     浮いたきれいな鎖骨にがりりと音を立てて歯を立てたぼくに縋り付くジュンくんが、しあわせそうに笑ったのが。現実か空想か、獣に成り果てたぼくには分からなかった。

     ✦ ✦ ✦

     ──やっちゃった。
     温めのお湯が張られた浴槽のなかで、ひとり反省する。ジュンくんのお腹の周りに腕を回して、背後からぬいぐるみにするみたいにして抱き抱えて。
     ちらりと視線を投げた先の牡丹が花開くような噛み痕に、ジュンくんが見ていないのをいいことに顔を思いきり顰めてしまった。うなじ、首の裏側、盆の窪。言い方は多々あるけれど、首筋に残る噛み痕に我が事ながら執着心が強すぎて引きそう。
     背後から組み敷いた際に、逃げないように歯を立てながら行為に及んだ残滓がありありと目の前に晒されている。それどころか、ジュンくんの身体の至るところに噛み痕やキスマーク、ひどいところなんて手形まで残っている。本当にひどいね。これ、絶対に痛かったと思う。
     ジュンくんはわりと肌を出したりする仕事が多いのだけど、直近でそういった仕事が入っていなくてよかった。こんな見るからに乱暴を働かれましたみたいなジュンくんを誰にも見せられない。
     ……大切にしてきたし、これからも大切にしていくはずだったのに。
     しょんぼりうなだれる。ジュンくんは不器用だけどとびきりやさしい子だから、行為後も怒った様子はなかったけれど。誰よりぼくがぼくを許してはいけない。熱くうだる部屋に浮かされたからといって、簡単に在り方を崩すような生き方をしてはいけないんだね、ぼくは。ずっとそうやってきたのだから。
     ジュンくんのきれいな、まっすぐに伸びた背骨にキスするようにくちびるを触れさせて、額を押し付ける。ごめんね。いまだに降り続けている雨音にさえかき消えてしまいそうにちいさな声での謝罪でも、ジュンくんは上手に拾い上げてくれた。

    「……なんでおひいさん、そんな強姦しちゃったみたいな空気出してんですか? 完全に同意でしたし、別にオレ怒ってないんすけど」
    「うん……でも、ぼくの気が済まないんだね。痛かったよね。ジュンくんにあげる愛はやさしくて甘いものばっかりがよかったのに……」

     きみはちいさな頃からつらい思いをして、たくさんの痛みを抱えて、ひとりで頑張ってきた子だから。ぼくが与えてあげられるものは、そういうものとは縁遠いふわふわとやさしくてあまくて、しあわせなものにしたかった。ジュンくんが怖がらずに受け取ってくれて、ささやかに微笑んでくれるような。そんなものがよかったのに。
     もっと自分を律していかないといけない。きみを傷付けないぼくになりたい。きれいなきみを、きれいに輝かせてあげられるぼくがいいの。
     すん、鼻を啜ってべたりと頬をジュンくんの背中にくっつけて。自省を続けていればジュンくんの指先が自身を抱きしめているぼくの腕にそろりと触れて、ぎゅう、と握りしめられる。

    「そりゃあおひいさんはお貴族様ですからねぇ。なんでしたっけ? えっと、施しの精神とかあるんでしたっけ? 詳しく覚えてねえけど、与えられるばっかりはオレ、嫌ですよぉ~?」
    「でも……」
    「というか、そういう関係で満足してんならあんたの恋人になんかなってません。お綺麗な愛ばっかりじゃ物足りなくて、恋なんて自分勝手なもんを押し付けたくて押し付けられたくて、分不相応だなって知りながら告白したんすから」

     だからね、おひいさん。
     そう言葉を継ぐジュンくんの声が、泣きたくなるくらいにやさしい。ジュンくんはいつだってぼく相手には素直じゃないのに、こういうときだけまっすぐな言葉を投げ掛けてくる。
     ぼくがジュンくんのそういうところに弱いって、骨抜きにされているんだって、知っていてやっているならとっても悪い子なのだけれど。ジュンくんは知らず知らずの内にやっているから質が悪い。

    「オレはあんたになら、なにされてもいいです。あんたがくれるもんなら、それがやさしくなくても別に悪いもんじゃないって知ってますから。おひいさんが自分のすきなものは大切にするひとだって知ってますし……おひいさん、オレが思ってるよりオレのことすきでしょう?」
    「…………ジュンくんのくせに生意気だね」
    「ははっ、図星指されたからって拗ねないでくださいよぉ〜」

     本当に本当に生意気! 言い返せないくらいきみのことをだいすきなぼくが腹立たしくなっちゃうくらいに!
     きゅうきゅうときめく胸が苦しくって、ジュンくんを抱きしめる腕の力を強くする。分かりやすい八つ当たりにジュンくんは慌てて「苦しい苦しいごめんなさい!」とぼくの腕をタップしてきた。
     絶対に許してあげないんだからね。拗ねた子どもの声色でそう告げたぼくは、ジュンくんの背中に掛ける体重を増やして伸し掛かる。
     軽口を叩いて、ぼくが抱える湿っぽいものを吹き飛ばそうとしてくれるジュンくんがすき。反省の気持ちを絶対に忘れてはいけないけれど、ぼくのことを気遣ってくれるこの子のためにいまだけは忘れたふりをしよう。
     そうしてジュンくんの肌のぬくもりにうっとりしていたら、ジュンくんが微かに身じろぎをしてあの、と声を掛けてきた。

    「おひいさん、ひでえことしたって気にしてるみたいですけどぉ……」
    「えっ、蒸し返すの?」
    「えっ、話終わってたんすか?」
    「うーん綺麗なことを言って終わりみたいな空気だったと思ったんだけど、ジュンくんがなにか言いたいことがあるなら言ったらいいね。やさしいぼくが聞いてあげるね!」
    「めっちゃいつもどおりのおひいさんじゃないすか……ええ、じゃあもういいです。恥ずかしいし」
    「ねえねえジュンくん、それを聞いてぼくが離してあげると思う?」
    「……ちっとも思いませんねぇ〜。ああくそ、失敗した。墓穴掘っちまった」

     まだ頭回ってねえや。ぶつぶつぼやきながら、ジュンくんは背中を丸くする。折り畳んだ膝の上に手を置いて、乗っかったままのぼくごと体重を支えるみたいにして。そして、濡れて色を濃くした髪からぽたんと水滴を落として。言葉もぽつんと落とした。
     
    「おひいさんにがっつかれんの、その、悪くなかったっていうか……正直、嬉しかったんで。そういうことするとき、いつもオレの方が我慢できなくてもっとってねだるじゃないですか。だから、そのー……おひいさんも、オレのこと、欲しがってくれてんだなって思って。それに痕とかもいつもあんま残してくれねぇし。でも今日はいっぱい付けてくれて、それが「ぼくのもの」ってあんたの言葉そのものみたいで、えっと……めちゃくちゃ興奮しました」

     だから、気にすることなんか、ないんですよ。
     水分を含んでほろほろと溶ける、角砂糖みたいに。あまく消えていきそうな声で言い添えられて、くわんと目眩がした。
     そう。きみ、喜んで興奮してたの。そう。確かにいつもより乱れていたし声も溶けていたし、俗物的に言うのならとってもえっちだったね。ぼくがジュンくんを愛するときは、いつもジュンくんの身体を第一に考えての行為が多いけれど。そう。あんな獣みたいなぼくでも、ジュンくんは喜んでくれるんだ。そっかぁ……。
     はあ。重たい溜め息が出る。ジュンくんがぼくの傍を離れることはないとずっと前から思っていたけれど、どうやらその考えに間違いはないらしい。この子、ぼくのことが本当に本当に、どうしようもなく、だいすきだ。自惚れでもなんでもなく、純然たる事実として。
     ──でも、それなら。どうしていつも曖昧にはぐらかすのだろう?
     明確な答えをくれない問い掛けに、いまなら答えてもらえる気がして。ほんのりと赤く色付く耳輪に噛み付くようにして、そっと問うた。

    「あんなに余裕もなく、きみを食い散らすみたいにがっつくぼくのことだってだいすきなジュンくん。ねえ、ぼくがそんなにだいすきなのに、なんで一緒のお家に住んでくれないの?」
    「あー……それ聞きたがりますよねぇ。別に深い理由はないんすよぉ」
    「なら教えてくれてもいいよね。どうして?」
    「引く気微塵もねえんだもんなぁ……」

     膝に乗せた手の上に顎を置くから、さらにジュンくんの背中が丸くなる。つられてぼくもほとんど負ぶさるみたいな恰好になって、ジュンくんの言葉を待った。

    「……でしょ」
    「え? なぁに? 聞こえなかったね」
    「ぅ〜、だから! オレ我慢できないって言ったでしょうが! あんたと家が別々なら、帰らなきゃいけないし帰さないといけないからできる限り自制しますけど、一緒に住んでたら、その……ダメになっちまうぐらい、おひいさんのこと欲しがっちまうと思うんで。……あんた、はしたないのとか嫌いでしょう? だから、……そういうことっすよ」

     ちいさくまぁるくなって。うなじまで赤く染めて、ぼくの噛んだ痕がことさらに目立つような、そんな恰好でジュンくんがそんなことを言うから。のぼせたりなんかしない温度のぬるま湯に浸かっているのに、くらくらした。いとおしさでひとが死ぬのなら、いまのぼくはその寸前まできている。
     ぼくのことがだいすきすぎて、求めすぎて嫌われるかもって思って、伸ばしたい手を引っ込めて一生懸命に我慢していたの? それで、我慢が効かなくなってしまうから一緒に住めないって思っていたの?
     ──バカな子。ぼくがきみを嫌いになるなんてそんなこと、あるわけがないのに。
     恥ずかしがってどんどんと熟れていく頬を指先で攫って、無理やりぼくの方に振り向かせる。なに、と訊こうとしたのか薄く開いたくちびるを、ぼくのもので強く強く塞いだ。
     言い訳なんかもういらない。聞いてあげない。そんな理由でぼくを拒まないで。拒む必要なんか、どこにもないんだよ。
     言い聞かせるみたいにきれいな透き通ったひとみをじっと見つめる。いつだってぼくを見つめてくれる、花の蜜のいちばんあまいところだけを集めて誂えたひとみがすき。ずっとずっと、そうやってぼくのことだけ見ていて、ぼくのことだけで頭をいっぱいにしていてね。

    「ねえ、ジュンくん。きみがぼくに求められて嬉しかったように、ぼくだってきみに求められたら嬉しいに決まっているね。特にきみはワガママもおねだりもとことん下手くそだからね。……ジュンくんのワガママも、おねだりも。ぼくが叶えてあげる」

     気が向いたらね。
     少しだけ恥ずかしくなって、最後にそっといらない言葉を付け足す。こういうところをジュンくんに怒られたりするのだけど、とうのジュンくんはぱちりとまばたきをしただけだった。
     くちびるが微かに触れ合うほどの至近距離で、ぼくの言ったことを少しずつ噛み締めて理解して。そうして一気に耳も首も真っ赤になって、伏せ目がちに視線を泳がせているジュンくんが、あぅ、とちいさく呻いた。なんでそんなにってぐらい目に見えて動揺しているジュンくんが身動ぎして、浴槽の底に手を付いた瞬間。
     ずるり。無情にも、その手が滑る。ぼくはジュンくんに伸し掛かったままで、無理な姿勢で振り向かせていたジュンくんがバランスを崩してしまえばあとの話は簡単。
     どぼん。なかよく水没。嘘でしょジュンくん。

    「〜〜っげほ、ぅえ」
    「っ、ジュンくんちょっと! どういうことなの 死ぬかと思ったね」
    「いやいやオレのせいじゃないでしょどう考えても!」

     溺れる前にジュンくんごと起き上がって、開口一番に文句を叫べばジュンくんも負けじと言い返してくる。しばらくかしましく言い合っていたけれど、不意にジュンくんが笑い出した。どうしようもないなあっていうみたいな、くすぐったさを感じる笑顔で。
     そしてぼくに手を伸ばして「締まらねえなあ」ともうひとつ笑う。濡れて貼り付いたぼくの髪を手のひらと指で掬って、撫で付けるみたいにして耳に掛けながら。
     ね、おひいさん。継いで掛けられる声はほとんど吐息にかすんでいた。

    「……一週間後、オレ、オフなんですよ」
    「うん? ああ、確かそうだったね?」
    「はい。だから……荷物、その日にまとめて送るんで。部屋、空けといてくださいね」
    「え、」
    「あんたの買い物したやつで溢れてる部屋片付けんの、大変なんですよ。分かってます?」

     ねえ、ジュンくん。それって。
     ──ああ、ぼくの願いは叶うらしい。この子しか叶えられないことだったけれど、とうとう叶えてくれるらしい。じわじわと頬が紅潮していくのが分かる。嬉しい。とっても、とっても嬉しいね。
     でもね、ジュンくん。ぼくってとても欲張りだから。一週間後なんて待ってあげられないんだね。エアコンの壊れた部屋なんてところにきみを置いていくのも不安だし。だから。

    「……そうだね。荷物は一週間後に送っておいで。でもジュンくんの帰るお家は、今日からぼくのお家だからね! こんなところで熱中症になったら大変だからね!」
    「えぇ? でも……」
    「いいでしょ? ……ずっと、一緒のところにジュンくんと帰りたかったんだもの。ぼくにこれ以上我慢なんてさせないでほしいね?」

     こういう言い方をすればこの子は折れてくれると理解していてわざとそう言えば、案の定ジュンくんはぐっと言葉を飲み込んだ。一度ゆらりと視線を外して、それから。視線がぼくに戻ってくる。
     笑みの形に細められたひとみが、答えを物語っていた。

    「オレの寝るところあるんですかねぇ〜?」
    「失礼だね! ジュンくんの住むところなんて、ずっと前から準備してあったんだからね!」
    「マジっすか」

     それはまあ、長ぇこと失礼しましたねぇ。
     くすくす、くふくふ。笑うジュンくんの表情がいたいけでかわいい。ぼくの前でだけ見せてくれるこの顔に免じて、ジュンくんから贈ってくれたご機嫌取りのほっぺにキスで許してあげることにした。


     醜いぼくの獣性ですら愛してしまう、かわいくていとおしいぼくのジュンくんベスティア
     二匹のつがいの獣になるそのときをきみが望むのなら、叶えてあげたいけれど。
     できることなら、痛みは与えないように。あふれる愛で、溺れるように。お互いのこころに噛み付くようなキスをしようね。
     愛をたらふく食べてお腹がくちくなって、ぐっすり眠ったぼくのなかの獣性に告げる。
     どうかまだしばらくそうして眠っていてね。できることならもう二度と拝顔の機会を賜ることは御免被るのだけれど。
     ──ああ、でも物好きなジュンくんはきっと、ぼくが厳重に掛けた獣の眠る檻の鍵を外してしまうだろうから。難しいかもしれないね。
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