執務室のドアを叩く音。僕は書類から顔を上げ答える。
「どうぞ」
「失礼、します……」
いつも通りどこか自信のなさげな声が返ってくる。重たいドアを開け、金髪の青年が部屋へと入ってきた。
僕が団長を務める楽団の団員。名はトルペ。つい先程、楽団主催のソロピアノコンサートを終え、帰ってきたところだ。
トルペくんは、僕の机の前まで来ると緊張した面持ちで僕の言葉を待つ。
僕はコンサートでのトルペくんの様子を思い浮かべながら、心の底からの笑みを湛え、口を開いた。
「いやぁ、今回も素晴らしい演奏だったよ、トルペくん! お客様も皆聴き惚れていたし、僕も夢中で聴いていたよ!」
「あ、ありがとう、ございます……」
「そんなに縮こまらなくて大丈夫だよ。君の演奏は誰にも真似することの出来ない唯一無二のものなんだ。もっと自分を誇ってほしいな」
「は、はい……!」
トルペくんは、僕の言葉を聞くと、安心したように息を吐き、ぎこちない笑みを浮かべた。ほんのりと朱に染まった頬と目尻。顔はぎこちなくとも伝わってくる喜び。
──今日も可愛いな、なんて。
そんなことを思いながら、何も言わずトルペくんの顔を見つめていると、彼は恥ずかしくなったのか俯いてしまった。下を向き、ぼそぼそと呟く声に耳を傾ける。
「あ、その、団長さん……。そんなに見つめられると……その、恥ずかしい……というか……」
「……ああ、ごめんね。君の笑顔があまりにも可愛かったから、つい」
トルペくんはその言葉を聞くと、湯気が吹き出しそうなくらい、顔を赤らめた。
──もう、可愛すぎて困っちゃうな。
僕は耐えきれずに、椅子から立ち上がり、彼の横に立つ。トルペくんは不思議な顔をしながら、僕の顔を見上げる。僕はそんな彼をきつく抱きしめた。トルペくんの肩がびゃっと飛び上がる。
「だだだだ、団長さん!? あ、えっと、わわわ」
トルペくんは大慌てで手をわちゃつかせている。僕は彼の耳元にそっと囁いた。
「……ふふ、今日のご褒美。今夜も一緒に寝よっか」
トルペくんは息を呑むと、そのまま空気が抜けたように意識を失ってしまった。
「と、トルペくん!? トルペくーん!!」
×
「……ん?」
僕が目を覚ますと、団長さんはいなかった。
──もうお仕事に出掛けたのかな。
団長さんと一緒に夜を明かすようになってからしばらく経つ。夜を共に過ごすと言っても、別に何かあるわけではない。今日のコンサートはどうだったやら、次の演奏会が楽しみだやら、そんなたわいもない話をしながら、一緒のベッドで眠る。ただ、それだけだ。
僕としては、密かに好意を寄せている団長さんから、一緒に寝ないかい?と言われた日には、飛び上がる程驚き、何か起きてしまうのではないか、と少し期待もしたものだが、全くと言っていい程、何もなくてちょっと寂しい。
──団長さんは僕のこと、ただの団員としてしか見てないんだろうなぁ……。
自然とため息が漏れた。
今日は休みなので、シャツ一枚のラフな格好に着替える。練習室で次の演奏会の曲の練習でもしようか、とベッドから立ち上がり、そこで、はた、と思いついた。
──そうだ。僕がアピールして団長さんが僕のことをどう思っているのか探ってみればいいんだ。完全に脈なしだったら、諦めもつくし……。ちょっと……いや、だいぶ恥ずかしいけど、頑張るぞ!
僕は小さく拳を握り、決意を固めた。
「ただいまぁ。はあ……」
僕の部屋のドアを開ける音と共に団長さんが入ってきた。団長さんの顔はやつれていて、若干お酒の匂いがした。
「おかえりなさい、団長さん。……? 今日はお酒を飲まれたんですか?」
「うん、そうだよ。隣町の楽団の団長に、一杯どうか、と言われてね。たらふく飲まされた、というわけさ」
「そうだったんですか……。お身体大丈夫ですか?」
「いや、この量は流石に堪えたよ。今日はもう寝るね。お話できないや、ごめん」
「い、いえ! 大丈夫です」
団長さんはふらふらとソファに向かうと、そのまま寝転び、数秒後には寝息を立て始めた。僕は、ベッドで寝たほうが、とか、服に皺が、とか言いたいことは色々あったが、押し黙る。団長さんの寝顔を見ていると、邪な考えが浮かんでしまった。
──これは、チャンスなんじゃないか…? 団長さんには悪いけど……。でも、今しかない、気がする!
僕は意を決して、団長さんの横に寝そべる。団長さんは疲れているようで、全く起きる気配がない。僕は団長さんの手をそっと掴み、少しはだけさせた自分のシャツの下に、その手を滑り込ませた。
「……んっ、」
団長さんの手が思ったよりも冷たく、思わず声が漏れてしまい、咄嗟に口を押さえる。様子を伺うが、深く眠っているようだ。僕はほっと息を吐く。だが、心臓は口から飛び出しそうな程、拍動していた。そのドキドキを誤魔化すように、僕は団長さんに身体を密着させ、胸に顔を埋める。団長さんの厚い胸板。心地よい体温。手から直に伝わる熱。
──こんな風に触れてもらえたらなぁ……。
そんなことを思っているうちに段々と瞼が重くなる。僕は団長さんの温もりに身を預け意識を手放した。
×
「……いっ、」
頭の鈍い痛みに意識が浮上する。昨日飲み過ぎたせいで、二日酔いになったようだ。
今日は休みだからゆっくりできる。もう少し寝ようかな、と体勢を変えようとしたところで、手が何か温かいものに触れていることに気付く。
──あれ、僕は何を触って……。
ぼんやりとした視界に目を凝らすと、トルペくんが横で寝ていた。視線をそのまま手があるであろう下の方へ動かすと、僕の手はトルペくんのシャツの下に潜り込んでいて──
「!!!!!」
僕は手を引っ込め、飛び起きる。穏やかな寝息を立てながら眠るトルペくんを見つめたまま、まだ寝惚けた頭を必死に回し考える。
──酒が入ってたから、欲が抑えられなかった……?嘘だ……トルペくんは未成年だから絶対に手を出さないって決めていたのに……!
「……ん……?」
「!」
「……あ、だんちょうさん。おはようございます」
「ごめん!!」
「え……?」
「僕が手を出したんだよね、本当にごめん! いや、謝ってもすまされる話じゃないよね。未成年に手を出すなんて犯罪だ。罪を償う為なら警察にでもなんでも──」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
トルペくんに静止される。僕が驚いて固まっていると、トルペくんは顔を赤らめ視線を彷徨わせながら言った。
「その! 実は、これ僕がやったんです……。だ、団長さんに、意識、してほしくて……」
「え」
僕は理解が追いつかず、口からは、はくはくと意味をなさない吐息しか出てこなかった。
「団長さんのこと、僕ずっと好き、で……。でも、団長さんは僕のこと何とも思っていないのかなって思ったら寂しくて……」
僕はそれを聞いて、深くため息を吐く。トルペくんは慌てたように謝罪した。
「ご、ごめんなさい……!迷惑、ですよね……。このことは忘れてもらって──」
「あのね、トルペくん」
僕はトルペくんの肩を掴み、蜜柑色の瞳をじっと見つめ、続ける。
「僕も君のこと、好き。大好きだよ。でも、君は未成年、僕は成人だから手を出してはいけないと思っていたんだけど……」
トルペくんはじっと僕の言葉を聞くと、突然笑い出した。
「……ふふ、」
「どうしたんだい?」
「いや、団長さん、顔真っ赤だなって思って」
思わぬ指摘に僕の体温はもっと上がり、思わず目が泳ぐ。
「まさか両想いだとは思ってなかったから、その、緊張してるんだよ……」
「ふふっ、僕も今すっごくドキドキしてます。団長さんに、僕のこと好きって言ってもらえて嬉しいです」
──可愛いなぁ、もう……。
僕は居住まいを正し、視線をカチリと合わせ伝える。
「じゃあ、改めてだけど。僕は君のことが好きだ。……恋人になってほしい」
「もちろんです! 僕も団長さんのこと、大好きです!」
こうして、めでたく僕たちは結ばれた。この後、初めてのキスでトルペくんが気を失ってしまい、大騒ぎしてしまったのは、また別の話──。