婚姻愛歌 ここ常夜町は新横浜チャイナタウンと呼ばれ、新横浜の数少ない観光地として賑わっているが、吸血鬼のホットスポットでもある。その一角にある曰く付きのビル――視線を感じる、誰もいないのに人の気配がする、物音がするなど――を面白がって買い取ったはいいものの、新しいオーナーである吸血鬼ドラルクが住み着いてからは一度も怪奇現象らしきものは現れていない。
下級霊やツクモ吸血鬼の類いが畏怖すべき高等吸血鬼の私を畏れて隠れてしまうのも無理はないと、ドラルクも残念には思うが仕方ないとも思う。
駅からも徒歩七分と利便性の高いテナントビルなのに入っているテナントは一件だけ。以前のオーナーの時から継続して家賃八千円でロナルド吸血鬼退治事務所が入っている。
退治人ロナルドと交流を持ち始めて、最近ようやくビルが本領を発揮して四階建てから五階建てになったり、窓が勝手に開いたりする様を見せてくれるようになった。気を許してくれたのだろうか。
心優しき暴力ゴリラのロナルドの話によれば、新横浜のビルはどれも吸血鬼被害を防ぐために勝手に移動すると聞かされて、それは助かるね、なんてドラルクも呑気にビルの持ち主としてありがたがっていた。
曰く付きに限らず何の変哲もないビルが動くのも仕方がない、ここは吸血鬼も人間も有象無象も集まる魔都新横浜なので。
ターチャンの中華料理店はこの新横浜チャイナタウンの中でも人気の店だ。彼女の得意料理はニンニクをふんだんに使ったものだが、趣味で料理をするドラルクがニンニクを使わない中華料理レシピを考案したお陰で近頃は吸血鬼の客も多く立ち寄るようになった。
せっかくレシピを提供したドラルクだったが肝心の本人はニンニク臭だけですぐ死ぬクソ雑魚吸血鬼なので、店に立ち寄ることもできないでいる。
ショットやギルドの仲間と食べに行ったロナルドに、繁盛していると聞いたドラルクは、「えっ、私の手料理食べれば済むことなのにロナルド君余所に食べに行ったの?」と心中複雑であった。
ゴリラの餌付けは八割方成功している。
「だってお前がターチャンの店用に肉まんレシピ考案したって聞いたから。家で出すやつと違うんだろ?」
気になってわざわざ確認しに行ったらしい。そういうところは可愛いとも言えなくはない。
「どっちが好みだった?」
「どっちも美味かったけど、いつも家で食うやつかな」
「ヌンヌ」
ヌンも。
ダイエット中のジョンまでこっそり連れて行きやがったのはマイナス一万点だ。でもこれで自分が若造の好みを確実に把握していることを理解したドラルクは、次の一手に出ようと気持ちを切り替える。
常夜町にある新横浜ハイボールこと退治人ギルドに属する退治人たちは揃いも揃って派手なチャイナ服を退治人衣装として纏っている。
数少ない新横浜の観光地として盛り上げるためか、駅を降りてすぐに異国の雰囲気が漂っているのはこの街の住人達がチャイナ服に身を包んでいることも要因だろう。
ギルドに初めて訪れた時に退治人達をさながら中国雑技団だなと揶揄っていたドラルクだったが、翌日にはなぜか自分も黒と紫を基調としたチャイナ服を揃える酔狂っぷりを見せた。
金糸の刺繍が入った赤いチャイナ服の退治人の隣で白いファー付きマントを翻す吸血鬼の滑稽なコンビも、いつの間にか週刊バンパイアハンターに取り上げられ、オータム書店のフクマによる圧に耐えられず、なあなあで結成されてしまった。
「部屋が水漏れしたから業者呼んだんだけど、来週にならないと部品が来ないからしばらくロナルド君の部屋に泊まらせてよ」
「このビル他にも部屋があるだろ!」
「キッチンはこの部屋の方が使い慣れてるし、今ならジョンとも遊び放題だぞ」
「ヌヌヌヌヌン イッヌヌ ヌーヌヌヌヌ♡」
ロナルド君、一緒にゲームするヌ♡
「ジョン〜、一緒にゲームするする〜♡ おいクソ砂、水漏れが直るまでだからな!」
ロナルド吸血鬼退治事務所から繋がるロナルドの自室のソファーベッドの横に堂々と置かれたドラルクの棺桶が、その日から移動することはなかった。
さて、ロナルドの仕事と言えば依頼人から家に下等吸血鬼が出たなどと依頼を受けて処理しに行くことも多い。
『最近買い取ったテナントビルに、以前から下等吸血鬼が出るという噂があるので調査して頂きたいです。一度お越し頂けませんでしょうか。
ヘンリー・シャドウズ』
ビルのオーナーと言えど、クソ砂ことドラルクみたいなおかしな吸血鬼だけではないのだ。ロナルドはメールで依頼人とやり取りして、当日現場に出向いた先で何故か元同級生の半田とカメ谷と鉢合わせた。
「やあ諸君、お集まり頂いてご苦労」
遅れて登場したドラルクにロナルドは目を剥いて拳を振り上げる。
「騙しやがったな、クソ砂殺す!」
「失敬な。騙してなんかないぞ、私がヘンリー名義で買ったビルだ。ここら一体の廃ビルを取り壊してジョンパークにするためのな」
「ジョンパーク?!」
途端にロナルドの青い瞳が期待と興奮で輝く。
愛らしい使い魔がマスコットなら集客率も見込めるというものだ。
「私とジョンのために働いてもらおうか」
「ジョンのためなら仕方ねえな」
探索開始後すぐに下等吸血鬼と遭遇し、迅速に退治するロナルドと半田。その鮮やかさを前にシャッターを切るカメ谷。
「ジョン、大丈夫か?」
ロナルドはジョンを心配しているが、ドラルクも同じように庇われていることに気づく。
「ヌイヌーヌ」
「おいクソ砂、勝手にうろちょろすんな! ジョンに何かあったら殺すぞ。ちゃんと俺の後ろに隠れてろよ」
本当は心配してくれているくせに。素直でないところも可愛いなぁ。
お人好し退治人からの信用が大きくなるにつれ、ドラルクの中に芽生えたロナルドへの執着もすくすくと育っている。
「死相が出てるぞ、ロナルド君」
「またデタラメ言ってんじゃねぇよ」
当たるも八卦当たらぬも八卦、占いとはそういうものだ。時におおぼらふきである胡散臭いドラルクの占いを、そう何度も真に受けたりはしない。
魔都新横、チャイナタウンが聳え立つ常世町は吸血鬼のホットスポットで確かに退治人であるロナルドは時に危険な目にも合うが、そうやすやすと死んでたまるものか。目の前のクソ雑魚おじさんでもあるまいし。
「すみません、依頼をお願いしたいのですが」
ノックの音に反応してロナルドの表情は仕事モードに切り替わる。
事務所のドアを潜った依頼主の青年は、道端で赤い封筒を拾ってからというもの、夜な夜な枕元に若い女の幽鬼が出ると言う。
「その赤い封筒を捨てても捨てても、翌朝家の玄関に戻ってくるんです」
「うむ、おそらく冥婚の儀式だな」
ドラルクは客人に茉莉花茶を振る舞いながら、卓上の赤い封筒に目を向けた。
冥婚とは未婚の死者をあの世で結婚させるためのものだ。
「封筒に幽鬼が取り憑いてるのか?」
「微かに吸血鬼の気配がするな」
封筒を手に取り、二人してまじまじと観察する。一見変哲のない赤色の封筒だ。だがドラルクは微かながらの吸血鬼の血の香りに顔を顰めた。
「最初は現金が入っていて、交番に届けたんです。その日の夜に女の幽鬼を見かけて、翌朝また玄関にそれが落ちていて……、もう三日も続いています。しかし誰に相談したらいいかもわからず、ここに」
「これは御祝儀袋だったんだな」
「他には何も入ってませんでしたかな?」
「……髪の毛の束と、女性の写真が」
ロナルドが封筒の中身を覗いてみるが、交番に預けられたままのようで空っぽだった。
「こちらの封筒ですが、今夜は預からせて頂いてもよろしいですか? 調べてみましょう」
青年は青白い顔で礼を述べて去って行った。毎夜幽鬼に悩まされていたら気も休まらないだろう。ロナルドも心霊現象の類は大の苦手だ。それでも仕事を引き受けてしまうのがロナルドという男であった。
「ドラ公、吸血鬼の気配がするなら吸血鬼の仕業だよな? 本当の幽鬼じゃないよな?」
「だが吸血鬼は冥婚などしない。死ねばただの塵になるからあの世とは無縁だ。……今夜は忙しくなりそうだから、早く夜食を済ませてしまおうか」
「えっ、おい、本当に幽鬼なのか?!」
腕の中のジョンをひと撫でしたドラルクは騒ぐゴリラを他所に、マントを翻して自室へと戻ってしまう。