星を見に行くドラロナ〈ドラルクside〉
私が目を覚ますとロナルド君が目の前にいた。
「ドラ公。星、見に行くぞ」
「君ねぇ……その前に言うことがあるんじゃないの?」
私がそう言うと、ロナルド君はおはようと言ったので私もおはようと返した。
「星を見に行くの?」
「おぉ、車も借りて事務所の前に停めてあるから」
棺桶から身体を起こし、大きく伸びをしながらロナルド君の話を聞く。どうやら星云々の話は本気のようだった。起きて早々面倒くさいとも少しばかり思ったが、冬のこの時期で新月の今日は綺麗な星空が見られると思い、取り敢えず身支度を始めることにした。
洗面所で顔を洗い髪を梳かしていると、ロナルド君が顔を出した。
「支度できたか?」
「まだに決まっているだろう。短髪のゴリルド君と違って時間が必要なんだよ」
いつものように髪を一つに纏めながら返事をする。洗面所の鏡に映るロナルド君は少し前から髪が短くなっていた。何だか無防備なほどに首筋が露になっているのを見るたびに、私は嫌に気持ちがざわついていた。
服を着替えてから事務所の方に行くとグレーのコートを着たロナルド君が立っていた。そのコートは何時だったかは覚えていないが、以前に偶然見かけて私が買った物だった。退治人として着ている服には気を掛けるくせに、私服には頓着しないところを見かねて買ってきたのだ。
最初は受け取れないだの何だの言っていたが、仕立ての良い軽くて暖かいそれを結局気に入ったらしく、今ではすっかり彼に馴染んでいた。
「今日は冷えるだろうから、この前のマフラー着けたら?」
「……そんなに寒くねぇよ」
「少しは歳を取ってるんだから暖かくしなよ」
ロナルド君は相変わらず無茶をしたり、ロナ戦の執筆に追われていて忘れがちだが、そろそろ五十の半ばに手が届くという歳なのだ。人間で言えば若い部類にはとうに入っていなかった。一緒に暮らしている身としては気をつけて欲しいと常々思っていた。
少し前に買ってきた暗い赤色のマフラーをロナルド君に巻く。何か言いたそうな表情だったが、大人しく巻かれていたので私は何も言わなかった。
首もとにしっかりとマフラーを着けるとロナルド君の首筋が隠れる。退治人ロナルドを象徴するような鮮やかな赤も似合うが、こちらの黒に近いようなボルドーも悪くないと思っている。
自分が買ってきたコートとマフラーを身に付けたロナルド君を見ると自然に口角が上がる。思わずフフッと声を漏らすと、うわぁと言ったようなロナルド君の視線が刺さった。
「じゃあ、行ってくるからな。ジョン」
「ヌー!」
ジョンも一緒に行くものだと思っていたが、そうではないようだった。「留守番よろしくな~」とジョンに笑い掛けながら撫でるロナルド君の目尻には小さな皺が出来る。ジョンも留守番に納得しているらしく、二人揃って事務所の扉から見送られる。
どうして二人なのかと前を歩くロナルド君に確認しようかと思ったが、そんな雰囲気ではないような気がして、そのまま車の助手席に乗り込んだ。
運転席に乗り込んだロナルド君がエンジンを掛けると車が発進する。どこまで行くのかと問い掛ければ、以前に爆発した城があったところよりも少し山に入ったところの、聞き覚えのある地名が返ってきた。確かにあの辺りまで行けば、周りに灯りもなく星が綺麗に見えるだろう。
エンジン音と時折ウィンカーの音を響かせながら静かに車が走る。運転席のロナルド君を盗み見ると、真っ直ぐにフロントガラスを見ていた。その横顔を見ていると、そういえば二十年か三十年ほど前にも同じように二人きりで星を見に行った事を思い出した。先程の地名に聞き覚えがあったのは、その時にロナルド君が言っていたものだからだろう。
*****
あの日も今日のように寝起き早々ロナルド君に星を見に行くぞと言われたのだった。寒いだのと文句を少し言ったが、あの日も新月で星が綺麗に見えそうだったから結局ロナルド君に付いて行った。
その時の彼はいつもの薄いジャージに、どこに売っていたのかわからないようなペラペラのコートを着ていた。到底真冬の夜に星を見るような格好ではなく、車を降りて直ぐに大きなくしゃみをしていたのを覚えている。
星を見ている間の彼はいつもよりも妙にテンションが高く、星に纏わるうんちくを話していた。話の内容はよく覚えていないが星を見る合間に見た、隣のロナルド君の瞳がキラキラと輝いていたことは鮮明に覚えている。
深夜の星空の下でのロナルド君の瞳は、あの抜けるような青に少しの暗さが混ざっていた。まるで明け方の空に星を散りばめたような瞳は、多分きっと一番、何よりも綺麗だった。そう思った瞬間、ロナルド君の方へ私の右手が伸びた。
考えるよりも先に、不意に彼へと伸びた手をどうしようかと思案している間に、星から私にと視線を移した彼と目が合った。その時にはもう、先程まで瞳に居たはずの星たちは姿を潜めていてロナルド君は少し寂しげに「そろそろ帰るか」と言ったのだった。
そう言えばその日もジョンは事務所で留守番をしていた。そして二人揃って帰宅するのを出迎えてくれたのだ。
ロナルド君はジョンを抱き上げて、一人と一匹で何やら話をしていたのをコーヒーを入れながら見ていた記憶がある。その時のお茶請けに出しクッキーを、ジョンは自分の分を全てロナルド君にあげていたので妙によく覚えていた。
*****
「着いたぞ」
うっかり前のことを思い出していたら目的地に着いたようだった。運転席を降りて、先に歩き始めてしまうロナルド君に置いていかれないように慌てて私も車のドアを開けた。
駐車スペースを示す灯りがポツリ、ポツリとあるだけで、他には何もなく辺りは真っ暗だった。
「流石に三十年も経てば少しは変わってるな」
前を歩いていたロナルド君が言った。三十年前と言えば先程まで思い出していたあの日のことだろう。「そうだね」と私は返事をしたが、正直全く覚えていなかった。
あの日の事で私がよく覚えているのはロナルド君の瞳の星だけなのだと、少し足場の悪い道を歩きながら初めて気付いた。
少し歩くと開けた場所に出た。流石にここの景色には見覚えがある。
空を見上げれば、無数の星が瞬いている。普段は気にして見たことはないがこうして改めてみると、やはり綺麗だと思う。ロナルド君は私の前で空を見上げていた。
その背中を見ながらあの日のように隣に来ればいいのにと思った。この三十年でロナルド君のペラペラのコートは仕立ての良い物になり、髪も短くなった。そして、首にはマフラーが巻かれている。目尻には皺が刻まれており、彼が笑う度に深くなるようなそれが、私は密かに好きだった。思えば随分と遠くまで来たものだ。
「……綺麗だな」
小さく呟いたロナルド君はこちらを振り返った。その瞳にはキラキラした星は何処にも見えずに、星なんてはじめからなかったかのような宵闇が広がっている気がした。
その事がどうにも堪らなく思えて、あの日に伸ばせなかった手を伸ばした。
「ロナルド君の人生が欲しい」
彼の腕を掴み、そんな言葉が口を衝いて出た。ロナルド君の瞳が大きく見開かれる。宵闇の奥に小さな星が弾けたのを見たような気がして、私は自分の低い体温が上がるのを感じた。
「残りの全てを私と一緒に生きてくれ」
ロナルド君を掴む手に力が入るのがわかった。私の心臓は馬鹿みたいに音を立てていて、指の先は少し砂になっていた。それでも今ここで、彼を放してはいけないと思った。
そんなに寂しい瞳でこちらを見るくらいなら、これから先、ずっと私だけを見つめて欲しかった。他の誰にも目移りなんかしないで、最期までずっと私だけを映して欲しいと思った。
「……何でお前がそれを言っちゃうかな、ずっと俺はお前を逃がしてやってたのに」
そう言ったロナルド君は顔をくしゃりと歪めた。それはまるで泣き出す前の子供のような顔だった。
「俺だってお前の、ドラルクの人生が欲しい……でも俺は頑張っても百十歳くらいまでしか、生きられないから……同じ時間を生きられない」
とうとう涙を溢しながら、ロナルド君が叫んだ。同じ時間を生きられない、その言葉を聞いてハッとしたと同時に胸が満たされるのを感じた。
彼の言葉が私と同じものなら、彼は吸血鬼である私が死ぬまで自分を見続けて欲しいと思われていると解釈してもいいだろうか。
もし、それが本当なら何と愛おしいことなのだろうか。
「ロナルド君が手に入るのなら、私の人生くらいくれてやる」
思いのままに伝えると彼の目が再び大きく開かれる。そこには確かにパチパチと小さな星が弾けていた。
「……意味分かってんのか、俺がいなくなった後もずっと俺だけ見ていて欲しいって言ってるんだ」
ドラ公のせいで俺は欲張りになった、そう呟くとロナルド君は口を結んで下を向いた。その様子を見て私の口角は自然と上がり、小さな笑い声が漏れた。
その声にロナルド君は顔を上げる。ようやくこちらを向いた瞳を覗き込み、言い聞かせるように私は口を開いた。
「一度きりの人生だ、君のためなら恋に身を滅ぼしたと言われるのも悪くはない」
「……馬鹿じゃねえの」
「馬鹿は嫌いかね?」
「……いいや、……ずっと前から愛してる」
そう言ったロナルド君の瞳は涙で濡れながらも、キラキラと輝いていた。その輝きに私は一層笑みが深くなるのを感じた。
「私もずっと、君を愛していたようだ」
きっと三十年前のあの日、ロナルド君の瞳を綺麗だと思った瞬間には既に彼を愛していたのだろう。だから頭よりも先に気付いていたこの手が伸びたのだ。今思えば、私はロナルド君を抱き締めたかったのだと思う。
三十年越しに理由なく抱き締める権利を得た私は、目の前で未だに涙が止まらないロナルド君を抱き締めた。
おずおずと背中にロナルド君の腕が回った時、もう彼を放すことは出来ないだろうと思った。
*****
事務所に戻るとジョンが出迎えてくれた。私がコーヒーを入れ始めると、一人と一匹は何やら話し込んでいるようだった。コーヒーをカップに注いでいると「ヌー!ヌヌヌヌー!!」とジョンの嬉しそうな声が聞こえた。
お茶請けのクッキーと一緒にコーヒーを持っていくとジョンはやっぱり自分の分のクッキーをロナルド君に渡していた。
「今日は一緒に食べような」
ロナルド君が嬉しそうに微笑むとジョンも笑顔でクッキーを手に取った。
〈ロナルドとジョンside〉
「今日は一緒に食べような」
そう言ってロナルドからクッキーを渡されたジョンは「ヌー!」と言いながらそれを頬張った。
ジョンは先日、ロナルドからドラルクと二人で出掛けたいから留守番をお願いしたいと言われたのだ。その時はどうなるかと思っていたが、二人が気恥ずかしそうにして帰ってきて、そしてロナルドから事の顛末を聞いて酷く安心したのだった。
三十年程前のあの、寂しそうに「協力してくれたのにごめんな」と言ったロナルドのことをジョンは今でも覚えていた。
*****
先日と同じように若かりし頃のロナルドもドラルクと星を見に行く数日前にジョンに留守番のお願いをしていた。
「……ジョン、少し話があるんだけどいいか?」
ドラルクが自身の原稿の件で一人で出掛けている時の、ロナルドとジョンの一人と一匹だけの静かな事務所での出来事だった。
「ヌヌ!」
もちろん、と思ったジョンは洗濯が終わったタオルを畳む手を止めてロナルドの方を向いた。
「ありがとな」
お礼を言ったロナルドはジョンの頭をそっと撫でた。ロナルドは緊張しているのか、自分を撫でた手が小さく震えていることにジョンは気付いた。
「実は……ドラルクの事が、好きなんだ」
「ヌ!」
その言葉を聞いたジョンが最初に思ったのは、やっぱりという事だった。
ジョンのご主人であるドラルクと、一緒に暮らしているロナルドは、端からみたらお互いに憎からず思っている筈なのに、なかなか先に進む様子がなかったのだ。
きっとドラルクも――本人が気付いているかは分からないが――ロナルドと同じ気持ちなのだろうから、これはなんとも素敵な事だとジョンは喜んだ。
「それで、受け入れては貰えないだろうけど……気持ちだけ伝えたいと思ってるんだ。だから今度二人で出掛けている間、事務所の留守番をお願いしたい」
「ヌァ!ヌヌヌーヌヌンヌー!」
ロナルドの言葉を聞いたジョンは受け入れて貰えないなんて事はない、と必死で訴えた。
「や、そんなことはないと思う……俺のせいで気まずい思いをさせたらごめんな」
諦めたようにジョンの訴えに答えるロナルドからは本当に申し訳ないという雰囲気が伝わってきており、ジョンは更に焦った。
使い魔として傍にいたからこそ、ジョンはある種ドラルク本人よりもドラルクのことを分かっているつもりだった。ロナルドの事が好きでなければ、ドラルクは毎日料理をしたりしないし、そもそも態々ロナルドの事務所を訪ねたりはしないのだ。
主人の幸せの為にも、ここはロナルドに強気で気持ちを伝えて欲しいとジョンは思った。ロナルドから気持ちを伝えられれば、きっとドラルクも自分の気持ちに気付くだろうとも思っていた。
「ヌヌヌ、ヌンヌヌーヌー」
「え?ドラルクが俺の事を?いや、そんなはず……」
「ヌヌ!」
ジョンの度重なる必死の訴えにロナルドも「そうか?……そうだったらいいけどなぁ」と少しばかり考えを改めたようだった。
その後、星を見ながら告白してみたいと照れながら話すロナルドに爆発した城の近くの山の中腹に星が綺麗に見える場所があるとジョンは教えたのだった。
*****
二人が出掛ける当日、即ちロナルドがドラルクに告白する日、ジョンは快く二人を送り出した。きっと帰ってきた二人は照れながらも幸せそうにしてるに決まっていると思っていた。
しかし、帰ってきた二人に特に変化はなかった。ジョンがどうしたものかと心配していると、ドラルクの目を盗んだロナルドから「告白出来なかった、協力してくれたのにごめんな」と謝罪を受けた。
事情はどうあれ、告白が出来なかったロナルドが一番辛い筈なのにどうして自分に謝るのだとジョンは思った。そして、せめてもの慰めになるようにと自分のクッキーをロナルドに渡したのだった。
その日の明け方、ドラルクが棺桶の中で眠ったのを確認したロナルドはソファーベッドをそっと起き出した。どうにも眠ることが出来ず、ドラルクを起こさないように事務所側に行き、することもないのにパソコンの前に座った。
それに気が付いたジョンも自分の寝床を抜け出してロナルドの後を追った。
「あ、ごめん……起こしちゃったな」
「ヌンヌ」
ここでも謝るロナルドにジョンはそんなことはないと言いつつ、心配している旨を伝えた。
「ありがとな……俺、ドラルクと星を見ながら気付いちまったんだ」
「ヌニ二?」
「俺はドラルクに思いだけでも伝えられればいいなんて、嘘だったんだ……もしドラルクが俺と同じ気持ちでいてくれるなら、俺はドラルクの全てが欲しいって事に気付いたんだ」
そこまで言うとロナルドは言葉を切った。
あぁ、自分の主人は、この優しくて臆病な人の子にここまで言わせるほどに想われているのだとジョンは思った。
「俺が死んだあとも、俺だけを愛して欲しいだなんて馬鹿なこと……好きな人に思うなんて酷い奴だよなぁ」
ロナルドがうつ向いた先の机の上にぽたぽたと雫が落ちる。
「ヌー、ヌヌー」
ジョンがロナルドに手を伸ばすと、ロナルドはジョンの頭を撫でた。その手が小さく震えていることにジョンはまた気付いた。
事務所の窓からは朝日がキラキラと射し込んでいて、この夜が終わったことを告げていた。
それからロナルドもジョンもこの話しに触れたことはなかった。
ただ、時折ロナルドが見せる諦めたような、それでいてどこか幸せそうな表情でドラルクをこっそり見詰めているのを見るとジョンは堪らない気持ちになった。
ドラルクがそんなロナルドに気付く事は無かったが、ロナルドの好物を作る頻度が上がったり、三十代半ばのロナルドに来る見合い話に不機嫌になったり、ロナルドの体調の変化に敏感になったり、服をプレゼントし出したり、としていた。
ここまで行動しておいてドラルクは自分の気持ちに気付くことはなかったし、ロナルドも何もすることはなかった。
*****
二人と一匹、馬鹿みたいで穏やかで騒がしくて面白い日々を過ごしていたある日、ロナルドとジョンは事務所で一人と一匹だけになった。
そこでロナルドはあの日のように、ジョンに留守番のお願いを申し出たのだった。
「ドラルクと星を見に行きたいんだ」
そう言ったロナルドは何かを決意したように穏やかに笑っていた。その決意は恐らく、あの日のように告白をする決意ではないと言うことは明らかだった。
どうして見に行きたいのだとジョンが聞くとロナルドは目尻の皺を深めて言った。
「最後くらい一緒に綺麗な景色を見たいと思って」
最後くらい、その言葉にロナルドがドラルクから離れようとしていることは安易に想像がついた。ジョンはロナルドをどうにか留めようと考えを巡らせたが、何も言うことは出来なかった。
ドラルクと一緒に居るとロナルドが辛いのであれば、ジョンは引き留めることが出来ない。それだけロナルドもジョンにとって大切な存在になっていたのだ。
「ヌー!」
努めて明るくドラルクとロナルドを送り出してから、一匹になった事務所でジョンは溜め息をついた。どうか大切な二人にとって幸せな結末が訪れますようにと、ジョンには静かに願った。
*****
「ほら、ジョン。もっとクッキーあるぞ」
ロナルドの声にジョンはハッとそちらを振り向いた。少し感慨に浸かり過ぎてきたようだと、小さく頭を振ってからジョンはクッキーに手を伸ばす。
これから先の事は分からないけれど、今、二人と一匹でクッキーを囲んでいることは幸せで尊い事なのだとジョンは思った。
「一度きりの人生だ、君のためなら恋に身を滅ぼしたと言われるのも悪くはない」
なんて格好つけて言ったドラルクが九十歳を前にしたロナルドに向かって「やっぱり私と同じ時間を生きて欲しい」と懇願し、「そんな覚悟、とっくに出来てる」と言われるのはこれからまだ先の話である。