今夜、アップルヒルズでアカデミーを卒業する年の夏、今年はアカデミーの先生が引率することが決まったらしい林間学校のメンバーにリーダーとして選出された。他のメンバーは下級生たちで見知った顔はなくてどうしようという気持ちと、下の子たちばっかりでみんな初めての林間学校なんだからわたしがしっかりしなきゃと言う責任感が胸を鬩ぎ合っていた。場所は勿論、思い出深いキタカミの里。思えばあの夏の日以来訪れることのなかったあの場所に変なときめきやら緊張感で出発の日までなかなか心が落ち着かなかった。それもそう、数年ぶりに彼に再会することになっていたからだ。
あの夏の日、急速に距離が縮まり仲良くなってでもあの出来事で遠因だろうけど、傷付けてしまってギクシャクすれ違ったまま別離して。けれども交換留学で訪れたブルーベリー学園で再会して、バトルを通してようやくわかりあえた。そこからもう一度友達として始めることが出来たことが一番嬉しかった。
スマホロトムを持っていなかった彼に合わせて、しばらくは文通で。学園のこと、ポケモンの話、育成の話がメインであまり互いのことを話さなかった。
そして今年、ようやくスマホロトムを購入したと番号とアドレスを手紙にしたためられていた。嬉しくなって早速連絡をしてみたら文通の時よりもっと軽くてあっさりとしていて、既読無視は当たり前で気付けば軽く話してさようならだ。なんだか、軽んじられている気もしなくもないけど、同世代の男子ってそんなものなのかなと変に納得させる。
だから余計に、この林間学校であの夏の日のように戻れたらいいのになと期待が高鳴っていた。
「あらぁ。アオイちゃんじゃないの。大きなったねぇ。元気だった?」
飛行機を乗り継いでの長旅の終幕、ようやく懐かしいキタカミの里に到着すると出迎えてくれたのは公民館のおじさんじゃなくてゼイユちゃんとスグリのおばあちゃんだった。公民館前で以前と変わらない優しい笑顔を浮かべてわたしたちを歓迎はしてくれている。
「おばあちゃん、お久しぶりです!お元気そうで何よりです。……あれ、えっと……」
キョロキョロと辺りを見回す、あの2人の姿が見えないからだ。
「ゼイユちゃんは学校を卒業しちゃってねぇ、暫くは帰らないって言うのよ。お仕事が忙しいみたいでねぇ。スグリちゃんは…あ、いたいた。」
おばあちゃんの視線の向こうに彼はいた。昔の面影を少しだけ残して、けれどもすらりと伸びた身長と着崩した衣類。少し長くなった髪をヘアバンドで止めて。へにゃってした笑顔とほんわかとして可愛らしかったのに今では周りが見惚れてしまいそうなほど整った造形と優しそうな目元。知っているようで知らない男の子がそこにいた。
「スグリちゃん。アオイちゃんが来てくれたわよー。」
おばあちゃんの鶴の一声で彼は振り向きわたしの近くまで駆けてきてくれた。雰囲気はあの頃と変わらない穏やかで優しい、凪のような落ち着き。
「あ、……えっと……アオイ?久しぶりやね。」
「うん。随分久しぶりだね。元気だった?かなり変わったね、びっくりしちゃった。」
「まあぼちぼち……。」
数年ぶりの会話はそんな途切れ途切れで何だかぎごちないもので終わってしまった。それというもの、会話の途中から彼と同じブルーベリー学園の生徒らしき女の子たちがわたしに睨みを効かせ必要以上に彼を呼び鉄壁の如くガードをし始めて近づくことも憚られる状態になってしまったからだ。
「(そんなに牽制しなくても…近付けないって)」
そんな異質な光景を見ながら1人語散る。確かに彼は学園のチャンピオンにずっと君臨し続けているようでまだ無敗を誇っているらしい。卒業次第、パルデア地方に来てジムに挑戦する、という噂もある。それにすらりとした身長に切長な瞳は少しアンニュイさが残り儚げでいて繊細そうで。万人の目を惹くそんな彼だから、周りは放ってはおかないし牽制のひとつやふたつは仕方がないのかもしれない。けれど。
「(折角会えたのにな。でもスグリもあんまり乗り気じゃなかったかもしれない。わたしに会いたくなかったのかな。やっぱり来なきゃ良かったかも)」
会えた嬉しさはどんどん萎み、比例して来てしまった後悔が募り始める。それを振り払い、リーダーとしての役割を果たそうと苦慮することにする。だって周りを見ればアカデミーの後輩たちは不安げに辺りを見回しているからだ。そりゃ初めての場所なんだから仕方ないよね。
「みんな、大丈夫だよ。ここにはパルデアにいないポケモンだっていっぱいいるし楽しいよ。夜にはお祭りが開催されるって。だからさ、まずは公民館に荷物を置きに行こう。それからオリエンテーションの説明だよ。」
笑顔でそれを告げるとようやく安堵をしたような表情になってくれてリーダーとして一安心する。
だからだろう、射抜くような視線がわたしに向けられていたことを全く気付かずにいた。
3日後の夜――……。
月の灯りだけがやけに明るくて、周りが眠りにつき静寂な時間。わたしは寝返りを打ちながら外から聴こえるヤンヤンマやバルビートの穏やかな羽音、ニョロモとニョロゾの大合唱を聴き入る。わたしが住むテーブルシティではこんなに静かな夜はない、だから静寂さとポケモンたちの奏でる音楽のような鳴き声に耳を傾けて心の平穏を保とうとしてなかなか寝付けずにいた。
昔と変わらずオリエンテーリングの内容はキタカミの里の歴史探索ツアー、看板巡りだった。
けれど歴史は改変されていて、3匹の勇敢なともっこたちと4つの色鮮やかな仮面を持つ鬼様……オーガポンが協力してこの里を迫り来る脅威から守った。となっていた。まああの史実のようには書けないよね、そうしたらずっとともっこたちを崇め奉っていた気持ちだって全部嘘になっちゃうよね。
なんて、看板を見つめながらふと考えてしまった。
「(もし本当にこの通りの史実だったら、彼は傷付かずに……傷付けないで済んだのかな。)」
数年前の出来事、すれ違いを重ねた結果、そんなつもりは一切なかったとしても結局彼をひどく傷付けて追い込んでしまったことを今だにわたしは引き摺っていた。あの時も今もどれが正解だったのかわからずにいて、キタカミの里にもう一度来れば答えは見つかるんじゃないか、とか蟠りは消えるんじゃないかって思ったけれど、ますます大きくなるばかり。それもそのはず、会話をするどころか、彼を覆い囲むブルーベリー学園の女の子たちの牽制がひどすぎて近づくことすら叶わなかった。スグリだってそう。それを遠目で見つめ一蹴してそのまま素知らぬフリで通り過ぎていた。まるでわたしなんて見えてないみたいに。やっぱり彼はわたしをまだ許せなくてずっと蟠りが残っているのかもしれない、終わったと思っていたのはわたしだけなのかも。そんなやるせなさや意気消沈しているうちに時間だけが刻々と過ぎて明後日にはパルデアに帰宅する予定だ。つまりのところ、あちらの学園とやの交流なんて全く出来ずに終わってしまいそうだった。
「……やっぱり眠れない。」
みんなを起こさないように立ち上がり、簡単にカーディガンだけを羽織って静かに公民館を後にした。
長くなった髪は結わないでそのままにしていれば風に靡きさらさらと空を舞う、面倒がって切らないままでいたけど前みたいに短かった方が良かったのかな、なんて靡き続ける髪を一つにまとめながらそんな事を思ってみる。
本当は夜の外出は禁止なんだけれど、バレなきゃいいよね。なんて言い訳を考えつつ鬱蒼とした気分を抱えて坂道を登る。やけに今日は月明かりが美しい。だから、一番綺麗に月が見えそうな…どこか小高い丘を探して行ってみようと思いつく。
「あ。不良さおる。こった時間にどこさ行くの?」
頭上から聞こえたその声、足を止めて見上げれば何やら機嫌が良さそうに鼻歌混じりでわたしを2階の窓枠に頬杖をして見下ろすスグリがいた。そうだ、ここは丁度彼の実家の真ん前で通り道だったことを思い出す。
「スグリ…。別にどこだっていいでしょ。それにちょっと眠れないから歩くだけだもん」
「何言うてんの。田舎言うても夜は出歩ぐなよ、危ねじゃ」
「ご心配どうも。大丈夫だよ、わたし強いから。じゃあお休み。」
これまでのスグリの態度を思えば、少しくらい冷たくあしらったって許されるでしょう?そんな気持ちで言い捨て、呼ばれる声にも聞こえないし何も見ないふりをして小走りでその場を後にする。…の筈に。背後からとん、と軽い着地音がしたかと思えばわたし以外聞こえなかった足音が増えてリズミカルに歩調を合わせてくる。
「…ちょっとなんで付いてくるの?やめてよ、わたしそんなの頼んでないよ」
「まあ気にすんなや。昔もこうやってアオイの後ろさ追いかけとったじゃろ?」
オリエンテーリングの時を思い出す。確かにスグリはわたしの後を追うと、こうやって後ろから歩調を合わせるように一緒に歩いていたっけ。感傷に浸ってみるけど、いまはそれを懐かしむほどの気持ちにはなれずにいる。
「…それはそうだけど。というか、わたしに構わない方がいいんじゃない?そちらの学園の女の子が心配しちゃうよ。」
「あー。あれは別にどうでも良かよ。ああやって囲まれでれば、アオイがやっかみながらおれのことずーっと見てくれんべ?」
ぴしり、と氷が破れるような音がして激情のまま振り返ればやっぱり余裕綽綽の笑みで軽くわたしに手を振るスグリ。ますます意気消沈してしまう。
「何それ、やっかんでないし。ていうかそんな事考えてたの?ひどいよ」
「悪りぃ悪りぃ。ついめんこくてなぁ。それにそうやっとったら、いっぱいおれの事考えでけるだべ?」
それを言うと更に嬉しそうにニコニコしている姿に、何も言えずため息ばかりが溢れてくる。スグリってこんな性格だったっけ?
「…はぁ。なんかひとりで色々考えてたのがバカみたい。やっぱり1人になりたいからじゃあね。」
振り向かず捲し立てて、道なりを小走りで行こうとする。これ以上話したくないし惨めな気持ちにもなりたくなかった。それにまた嫌な事を言ってしまうんじゃないかって言う思いだって否めない。
「アオイ、ちょっと待って。その先は崖じゃ、なんもねえ。それと月見すんだろ、ようけ見えんのこっちじゃ」
手首を掴まれ制止されて動きを止められる。じんわり感じる暖かさが無性に痛くて手が痛いのか心が痛いのかわからずに戸惑いを隠せない。
「……教えてくれてありがとう。けどなんで月を見ようとしたの、わかったの?」
「なんでって…、そりゃ今日が中秋の名月だからじゃ。こったに綺麗な月、見ね筈はねぇよ。こっちば来い」
「え、ちょっと……!」
掴まれたまま走り出す、歩幅が大きいから走るのも早いし急な登り坂も多くて息も絶え絶えだ。わたしの話一つも聞かないで勝手すぎる、なんて文句を言ってやりたくても、キラキラと瞳を輝かせて走る横顔に何も言える筈もなくただ、わたしの歩調に合わせるように彼が歩いてくれていたように今回はわたしが彼の歩調に合わせようと小走りでついていく。
坂を登り切ったあとに見えたのは、手を出して伸ばせば月を触れられるんじゃないかと錯覚するくらい近くて多い小高い丘。
「スグリ、ここって…」
「アップルヒルズじゃ。ここの1番上がようけ見えるんよ。よう見えるやろ?」
「……うん。すっごく綺麗。」
大きくて丸い黄金色に輝く優しい月灯り。同じようにきらきらと煌めく星々もカケラになって、降り注いでくれるんじゃないかったって思えるほど夜空一面光に満ち溢れていた。
「……ここはさ、おれだけが知ってる秘密の場所。ねーちゃんにも誰にも言うたことなくてさ。アオイが最初。」
そう話すスグリの表情は昔と同じように、へにゃりとはにかんだような愛らしさが残る優しい笑顔だった。
「…そう、なんだ。……わたし、ずっとスグリに許されてないって思ってたんだよね。実は……」
「なしてそげんなこと言うん?昔んことはおれが未熟すぎたせいじゃ。それをアオイのせいにしとったんや。あん時は本当にごめん」
数年ずっと蟠っていたことが雪解けの氷みたいに更々と流れていく感覚がする。
「そんな事ないよ。わたしもごめん、それとさっきも変な態度取ってごめん。……あ、ほら月が綺麗だね……。」
ほら。と思わずスグリの肩に頬を寄せて指を指す、心根を吐露したせいで安堵しきっていたのだ。気付けば間の距離がなくてべったりと寄り添うような形になっていた。そして気付く自分の発言の意味も。
「……そうやねぇ、アオイがそげんな事を言うてくれんならおれは死んでもええわ。」
「……!!違う、スグリ。違うの!いや、違うと言うかあれなんだけど、」
「あははは。そげん慌てんで良か。そのまんまの意味なん知っとるから。でもなぁ」
大笑いをされて油断していたら、腕を掴まれ思えばぐっと抱き寄せられるように背後から腕の中に閉じ込められる、スグリの体温なのかわたしの顔の熱さなのかわからないけれど急激に熱が上がり心臓の動悸も激しくなるばかり。
「おれもそのまんまの意味じゃ。よう覚えといてな?」
はらりと結った筈の髪が広がり風が吹くとふんわり靡く。その様子に満足気に何束が髪を手に取り口付けを何度か落とされる。
「髪伸ばしたん?よう似合うとると思っどったんじゃ。やっぱりめんこいなアオイは。ああやっと言えたわ。」
「――……っ!!」
思い切り抱き寄せられた身体とへにゃりと崩れた笑顔に推し少し黒さを含んだ眼光。突然の変化についていけず戸惑うばかり。けれどきっとこれ全部。
「(きっとこれは月が綺麗すぎたからだ)」
今宵、月が見えるアップルヒルズで、ようやく重なった一本線がまた違う意味で交わろうとしていた。
そんな変化に戸惑うけれど心に宿ったどこか暖かい月明かりに照らされてる何かが小さく芽吹こうとしていた。